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用語説明

Oak

Java の前身となった言語で、最初はスター7という携帯型パネルコンピュータで動作をした。

GreenProject の課題となった「どんな機械でも利用できる何かを生成するアーキテクチャーに中立なコンパイラを作る」ことは既存の言語 C++ では実現困難であった。そのためゴスリングは異なる言語設計をもった言語として Oak を設計した。

Oak の由来に関しては 1995 年の Java をデビューさせた当時にゴスリングが「オフィスの窓の外の右側に樫の木があったから」という説明をしている。論理的には Object Application Kernel の略称である。


Green Project

1990 年に Sun Microsystems で家電をターゲットに立ち上げられたプロジェクト。1995 年に頓挫する。

セットトップボックスなどの家電製品の制御ができるスター7を生み出した。このプロジェクトの一環としてプログラミング言語 Oak が生み出された。この Oak は Java に姿を変え現在世界に広がっている。


ノマディックコンピューティング

ビル・ジョイが 1990 年に使い始めた言葉。

どのモバイル環境でも使えるようなコンピューター・ネットワークについてのビジョンを指す。ノマドは遊牧民のことを指す言葉。


Write Once, Run Anywhere(一度書いたら、どこでも動く)


Java がプラットフォーム非依存であることを述べたものです。

従来の言語では、プログラムをそのプラットフォームで実行可能な形式(ネイティブコード)に直します。そのため、プログラムはそのプラットフォームでしか動きませんでした。

Java はプログラムをバイトコードと呼ばれる中間コードに一度直し、それを実行するときに Java VM というソフトがプラットフォーム固有のネイティブコードにする。そのために Java プログラムはプラットフォームに関係なく動く。

Java VM

プログラムは API を利用することによって様々な動作を実現させる。API はプラットフォーム固有のものだが、Java VM は独自のものを持ち、Java のプラットフォーム非依存の性質を保っている。


Java のネットワーク配信を考えたきっかけ

あるコンサート会場にゴスリングがいったときに、頭上で数多くの電球が点滅しておりパケットが走っているように見えたという。これがアプレットを Web ブラウザで利用するという印象につながり、Java は 1995 年にインターネット言語として登場することになり、普及してゆく。


ビル・ジョイ

ウィリアム・ネルソン・ジョイがフルネーム。UNIXの神様として知られる。Sun Microsystems のチーフ・アーキテクト。

BSD UNIXの開発は 1977 年からはじまり、エンジニアリングの世界で注目されるものとなる。ジョイはTCP/IPを実装したUNIXが稼動するワークステーションの事業化を思いつき、 Sun Microsystems を設立。従業員番号は 6 である。

Java の開発でゴスリングと並ぶ中心人物で、運用環境の実現に最初から最後まで関わることになる。

ジェームズ・ゴスリング

Java の生みの親。最初のバージョンはゴスリングによって設計された。一日 12 時間以上に打ち込んで重度の腱鞘炎を患ったという話がある。