2005 年 04 月 25 日 : 止足の計
二千数百年以上も昔の中国。秦の始皇帝が天下を統一するまでは、群雄割拠の戦乱の世が何百年も続いたという。そんな不安定な時代を賢明に生きのびるための智慧として、実にさまざまな思想や哲学といったものが生まれた。その中でも群を抜いて優れたものは今も古典として語り継がれている。
中国は土地も広大であれば、人口も日本とは桁違い膨大な数に上る。それだけにそんなところで天下統一を目指して戦いに次ぐ戦いをしたにしても切りがない。また常に戦争に勝つのも至難の技だろう。そのような状況の中で生まれた叡智が、今も世界中で多くの人々に繰り返し読まれ続けている古典の一つ「孫子」の兵法である。
「孫子」の謀攻篇・第三の文章に次の一節がある。
是の故に百戦百勝は
善の善なる者に非ざるなり。
戦わずして人の兵を屈するは
善の善なる者なり。(「孫子」謀攻篇・第三より)
これは数多くの「孫子」の戒めの言葉の中でも名言中の名言に類するものと謂われている。真の智将というものは、何事にも戦わずして勝つということを意味する。誰にも気付かれもしないで勝利することが最上であるとしている。
勝つにせよ負けるにせよ、戦争をすれば必ず互いに深いダメージが伴う。その時たまたま勝ったに過ぎないのにそれでいいと思ってしまう。しかし戦国時代の古代中国のごとく、その相手が無数にいるとすればそんな戦いに常勝するなんて天文学的に低い確率でしかあり得ない。確実に言えるのは無闇に戦争を続けているといつか敗れるということである。
「老子」の第四十四章と第四十六章に示唆に富んだ文章がある。
足るを知れば辱しめられず、
止まるを知れば殆うからず。
以って長久なるべし。(「老子」第四十四章より)
禍は足るを知らざるより大なるは莫く、
咎は得るを欲するより大なるは莫し。
故に足るを知るの足るは常に足るなり。(「老子」第四十六章より)
事足れりとすることが大切で自らをわきまえて真の意味でバランスをとる事が重要という「止足の計」(「知足の計」)の訓えだ。「孫子」の「戦わずして勝つ」の原点はこんなところにあるのかもしれない。ベンチャーの世界は倒れ、躓くことが日常茶飯事のようである。そんな時、戦国乱世、嘗て中国にて培われてきたいわば人生の智慧としての名言の数々は、過酷な運命に曝される創業期のベンチャーが弛まなく成長するための貴重な糧となりそうだ。