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Sophia Cradle IncorporatedPresident Blog : Creativity

2007 年 08 月 23 日 : クラシカルなソフトウェア

427 ファイル、テキストだけで 15 メガバイトにも及ぶ大量の HTML ファイル(製品マニュアル)を駆け足で英訳してきたためか、まだまだ改善の余地がたくさんある。スタッフがまず翻訳した英文を推敲につぐ推敲で、文章の洗練化を図る日々が相変わらず続く。

『クラシカルなソフトウェアを創造する』のが、事業の最大の目標であり、目的でもある。

"classic"を辞書で調べてみると、"judged over a period of time to be of the highest quality." とか、"a work of art of established value." などの説明がされているが、そんなイメージのソフトウェアを創り出せるかどうかなのだ。

短期的ではなく長期間に渡って永続的に最高のクオリティを維持し続けるソフトウェアは、どうすれば生み出せるかという問題である。

ベンチャー業界では、時間を金で買うというような発想で、多くの資金を調達し、必要な人と物を集めて短期間で事業計画を達成するという考え方が大勢を占める。

けれども、歴史を振り返れば、何百年にも渡って生き永らえる「クラシカルな芸術作品」が金で創られた話はほとんど聞かない。そんなものを創造するには、何か別次元の座標軸から世界を眺める必要があるのではないだろうか。

些細なことなんだけど、フィーリングがなんとなくでも合わないところがあると、すぐに改善して行く。そんなサイクルを延々と繰り返している。

自己の感性を深く信じて、これまで 5 年以上もの時間をかけて研究開発してきたものの最後の仕上げを成し遂げたいと願う。

  

2006 年 06 月 07 日 : Objective of technology

ソフィア・クレイドルは研究開発型ベンチャーであり、現在はモバイルという分野におけるソフト技術で新しき何かを追い求めて事業を展開している。

だから「技術(テクノロジー)」という言葉にはとりわけ敏感である。

そもそも、「技術って何?」と真剣に問い掛ける人も珍しいくらいに有り触れた言葉なんだけれど、そんな問い掛けから、研究開発型ベンチャーはスタートすべきかもしれない。

一般には、"技術"とはモノやサービスを創り出す方法のことであり、その目的は人間を原始的な暮らしからより豊かな文化ある生活へと導くためのもののようだ。

技術があったから、生活も良き方向に変化したし、新たな技術の誕生がある限り、人々の生活の進化発展はきっと継続するだろう。

それくらいに技術は人類に大きな影響を及ぼしているのにもかかわらず、一般的には無頓着な捉え方しかなされていないようにも感じられる。

技術開発に携わる人たちの世界においてさえ、そういった傾向が見受けられるくらいである。

では、ソフィア・クレイドルの R & D で大切にしたい考え方は、その技術が如何にして人々の生活を革新し得るのだろうかという洞察である。

言い換えれば、この技術によって、人々がどれくらい素敵な景色を初めて眺めえるのだろうかという想像である。

  

2006 年 06 月 07 日 : No way to say

対象とすべきものが偉大なものであればあるほど、言葉での表現は難しいものである。

「言葉にならない・・・」は、日常生活で当たり前のように使える便利な言葉だ。

僕たちもそれくらい凄いものを創っているつもりなのだけれど、それを人々に伝える難しさ、もどかしさを痛感させられる。

「言葉にならないくらい凄いソフト技術なんです」と一言で済むならば、どんなにか事はスムーズに運ぶだろう。

しかし現実はそうではなく大抵の場合、僕たちの想いをお客様のアタマにリアルな映像として再現してもらう必要がある。

だんだんと分かって来たのは、説得力のある説明を目指すよりも、自分の感性をできる限りそのまま伝えるほうが良いということだ。

そこで問題になってくるのが、自分の内にある感性が如何ほどのものかという命題である。

これまで生きてきてなんとなく理解できたことがある。

感性というものは、人に備わった全ての感覚から吸収され、蓄積され、それがアウトプットに活かされるのではなかろうかという仮説である。

だから、常日頃から心掛けているのは、どんなものでも素晴らしい物に触れる機会を絶やさないことである。

  

2006 年 04 月 12 日 : 不易流行

「不易流行」という言葉がある。

かの有名な松尾芭蕉の俳諧理論を集約した概念で、芭蕉が創った言葉といわれている。

『去来抄』では、不易と流行に分けてこんな風に解説されている。

「去来曰く、蕉門に千歳不易の句、一時流行の句と云ふ有り。是を二つに分けて教へ給へる。その元は一つ也。不易を知らざれば基立ちがたく、流行を知らざれば風新たならず。不易は古へによろしく後に叶ふ句なる故、千歳不易といふ。流行は一時一時の変にして、昨日の風、今日よろしからず。今日の風、明日に用ひがたき故、一時流行とはいふ。はやることをする也。」

簡単に言えば、不易とは不変、流行とは変化を意味し、それらの根本は同じということらしい。

ご存知の通り、俳句は季語を含む五七五の三句十七音からなる定型詩である。

ともすれば、マンネリしがちな俳諧の世界にあって、どうやって道を切り拓いてゆくべきかという芭蕉の悟りが「不易流行」に込められているのかもしれない。

俳句ほどではないにせよ、携帯電話向けソフトウェアの世界にも、「不易流行」に通じる何かがあると考えている。

携帯電話では PC やサーバーといったような無尽蔵なハードウェア資源を期待できない。

けれども、十七音からなるたったひとつの俳句によって新たな境地が切り拓かれて人々の心に刻まれるように、携帯電話向けソフトウェアでもそれが充分に可能だと考えている。

未来永劫に変わらぬ原理原則のようなモノなくして何も始まらないし、そこから出発して一風変わったモノなくして普遍的な知の体系がひろがることもない。

不易から出発した流行の中から新たな不易なものを発見する。

そして不易なモノを系統立てて、コンパクトな携帯電話向けソフトウェアとして、ステップバイステップに積み上げてゆく。

僕たちの仕事は概ねそんな風に芭蕉の「不易流行」というスタイルを目指しているのかもしれない。

結論として言えるのは、僕たちの創っているものは日々変化に富むものかもしれないが、その基本は携帯電話に限らずあらゆるコンピューターに応用できるというコンセプトである。

  

2006 年 04 月 11 日 : 時空

昔、宮本武蔵は素手の柳生石舟斎に挑んだものの、全く歯が立たなかったという。

その時、石舟斎は武蔵に訊ねたらしい。

「鳥のさえずり、小川のせせらぎ、風の奏でる音 ・・・ これらの音が聞こえていたか」と。

武蔵には石舟斎しか眼中に無かったけれども、石舟斎は二人を取り巻く空間全体を把握していたということである。

石舟斎は大自然という偉大な力をも自分のものとしていたのだろうか。

これは、たとえば 2 次元と 3 次元の差に近い概念なのかもしれない。 3 次元の世界は 2 次元のそれを完全に覆い尽くし、遥かに広々としたイメージがある。

平面内では線で遮られていて向こう側に行けなくとも、3 次元空間ならば、その線をちょっとジャンプするだけでいとも簡単に向こう側に行けるという寸法だ。

何か素敵なモノを探している時。

次元を一つ増やして時空の場をぐっとひろげるなら、新しい発想というものはどこからともなくきっとやってくるだろう。

  

2006 年 04 月 09 日 : Shield

村上龍氏の「シールド(盾)」という本が話題らしい。読んでいないけれど、TV で紹介されている様子を興味深く観ていた。

起業すれば何でも自由に決めれる代償として、自分の身は自分で守らなければならない。

大企業で働いていると、自分に迫る危険や危機は全くといっていいほど無頓着になる。

何故なら、大企業という SHIELD が安全地帯を形成して自分を守ってくれるからである。

それでは自然界はどうだろうか?

あらゆる生き物は自分の身は自分で守っていると言えないだろうか。

外敵から身を避けて命を守らねばならない、厳しい環境にある野生の生き物ほど周囲のあらゆる動きや気配に鋭敏である。心であらゆることを察知しているようにも思える。

21 世紀の高度情報化社会では、人の心に深く共鳴する何かが求められるに違いないと思う。そもそも僕自身がそんなモノを求めている。

それを実現するのに絶対に必要なのは、研ぎ澄まされた感性そのものであると考えている。

どうすればそんな感性を自分のものにできるのだろうか?

そのヒントは、 SHIELD が外された大自然に生きる生命と同じ境遇にこの身が置かれるあたりに隠されていると思う。

  
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