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Sophia Cradle IncorporatedPresident Blog : 2005年04月28日

2005 年 04 月 28 日 : Core concept -8-

1976年。Steven JobsSteve WozniakApple Computerを設立した。そのSteven JobsがXerox PARCを訪問し、現代のパソコンの原型とも謂われる”Xerox Alto”見て衝撃を受けたのが1979年。そして商業的には失敗に終わったが、1983年にApple Computerの歴史に燦然とした彩りを添えるLisaが完成した。その翌年の1984年には今日のAppleを世界に知らしめることになる”Macintosh”が発売される。最初の頃こそアプリケーションといえるものが何も無かったので、”Macintosh”の販売は苦戦を強いられた。しかし1987年に”HyperCard”と呼ばれる、誰にでも簡単にマルチメディアコンテンツをオーサリングできるツールのバンドルによって、その後紆余曲折はあったにせよ、Macintoshは世界の桧舞台にデビューしそこを一気に駆け上がっていった。

Microsoftよりも一歩先に世界へと躍り出たApple Computerも今日の革新の礎を築き上げるのに足掛け10年という長い歳月を要している。世の中に革新をもたらした企業の発展の歴史を眺めてみることがよくある。そういう風にして学んだ大切な事実がある。世界的に偉大なものほどその基盤の確立に時間をかけているということだ。それから創業の頃ほど前途洋々とした20代の若者たちが持てる才能を遺憾なく発揮しているのが伺える。若ければ三振することも確かに多いが、当たった時それは場外ホームランとなる。コンピューターやインターネットを駆使して成功した、偉大なITベンチャーにはそんな雰囲気が漂っている。

SophiaCradleというベンチャーを起業する際に最もよく考えたのはこんなところにある。それは次の時代を担う革新的ソフトウェアというものは自分の限界を知らず、敢えてそれに挑戦しようと志す、できる限り若いスタッフたちと共にやることによってそれは実現される可能性が高い。そして2−3年という短期間のプロジェクトではなく10年以上に渡って続く連続したプロセスの集積のように思った。また偉大なベンチャーほどその創業者たちの趣味が興じてそれが世界規模へのビジネスへと発展していった例が多く、その仕事を趣味として位置付け、仕事に人生の楽しみを見出せるかという辺りも重要視した。そんな観点から共にベンチャーを起業するスタッフを募っていった。

ソフトウェアビジネスは研究開発し製品化したプログラムをコピーしてそのライセンスを世界中に配布するという性格を帯びている。ある意味では音楽や出版のビジネスと同じだ。その内容さえ良ければ限りなく果てしなく売れる可能性を秘めている。一方ではその内容が100%の完成に向けて一歩及ばないだけでも全く売れない厳しい世界でもある。ほとんどのミュージシャンが曲を書いて演奏しても売れないと同じように、ソフトウェア製品も売れているものはほんの一握りでしかない。

しかし一握りでしかないのに売れているものは確かに存在し、売れる製品を販売している会社は連続して売れる製品を立て続けに発表している。これは浜崎あゆみのように売れるミュージシャンが次から次へとヒット曲を連発する世界に近い。そこには何か法則めいた原理原則のようなものがあるに違いないと私は考えた。それさえ発見し解明できたら。その原理原則に則って運用すれば、間違いなくビジネスとしては成功し、夢と希望を抱いて飛躍できる。

MS-DOSやBASIC、C/C++、Netscape Navigator、HyperCard、UNIX、Java等など、偉大なソフトウェア程、例外なくそのソフトウェア開発の初期の段階では10名以下の少人数からなる少数精鋭のプロジェクト組織によってなされてきた。また一人のSoftware Architectによる、そのソフトウェアについての首尾一貫し統一された設計思想があらゆる面で生きていた。SophiaCradleで研究開発しているソフトウェアは最初から世界マーケットを前提にしている。それだけに世界的に評価され売れたソフトウェアというものがどんなものでどのような背景で生み出されたものなかについては、いろんな製品について何度も何度も研究を積み重ねた。

以上のような背景もあって、SophiaCradleでは23歳の若きExecutive Vice President & Chief Software Architectが世界に向けたソフトウェアの研究開発の指揮を執っている。創業した時、彼は20歳になったばかりだった。けれどもプログラミング経験は10年以上有していた。だから仕事をする上で何ら問題はなかった。

時の経過と共に、Chief Software Architectの友人や後輩、それから紹介を通じて才能に満ち溢れ、有望な若きスタッフが海外からも集った。それにつれ製品の機能性、クオリティも飛躍していった。ミュージシャンと同じで人々に買いたいと思ってもらえるような、ソフトウェアを開発し製品化するにはそれなりの人材を集めなければならない。単にできる程度では駄目なのだ。しかもソフトウェア製品というものはチームで形づくられてゆくものだから、チームとしての統一感やハーモニーも重要になってくる。そんなところに最大の配慮を施して、長期的な視野から未来を展望しつつ少数精鋭のドリームチームを結成していった。

(つづく)