2005 年 10 月 12 日 : 希少価値
ダイヤモンド、プラチナ、金といった鉱物資源は希少価値があるからその値段もそれなりに高い。一般に、ベンチャーが開発する製品やサービスは過去に存在しなかったものが多い。言ってみれば希少性がある。だからその希少性を活かす戦略や戦術が重要なポイントとなるだろう。
ベンチャーが創り出した製品やサービスが威力を持つものであればそれを手にする顧客は得をしたと思うだろう。ものごとの価値判断の尺度は人によって様々であるけれどそんな希少価値のあるものを開発しようとする姿勢が重要だ。
また、単純に考えれば製品やサービスはたくさん売れば売れるほどよいかに思えるかもしれない。しかし 100 円のものを 100 個売るのも、10000 円のものを 1 個売るのも売上高という観点からすれば同じだ。もしそれが同じものであったとするならば 100 円で売れるよりも 10000 円で売れた方が良い。
創業間もないベンチャーはヒト、モノ、カネといった経営資源が限られる。であれば、100 円の製品やサービスでも 10000 円の価値があるものに変えてしまうマジックある発想は欠かせないだろう。そのひとつは販売する数量を限定する方法である。オリジナリティのある商品やサービスの販売数量を限定するとそれに応じて価値は上昇する。広告や宣伝をする必要もなくなる。
販売数量を 100 分の 1 にすることで、その製品やサービスの価値が 100 倍以上になることもありうる話である。そういったアプローチを採ることで、ベンチャー企業は利益率の高い経営が現実のものとなり会社にキャッシュが残り健全なかたちで総資産が増えてゆく。それはベンチャーが成長するためのひとつの方法である。
2005 年 10 月 12 日 : 胡蝶の夢
荘子の斉物論篇に"胡蝶の夢"という話がある。
荘周(荘子の著者)が夢の中で我を忘れて胡蝶として楽しげに心ゆくままに空を飛んでいた。けれども目覚めると胡蝶ではなくて自分は荘周そのものであることに気付く。胡蝶が夢の中で荘周でいるのか、あるいは荘周が夢をみて胡蝶であるのか。その区別がつかないのは何故だろう。
荘子ではあらゆるものついて差別や区別はなくてすべてが等しい価値を持つという万物斉同という思想が一貫して流れている。
胡蝶の夢の話で面白いと思ったのは夢も現実も等しく同じとする考え方である。そんなことは現実離れした夢幻だと最初から諦められていることが多いのではないだろうか。
夢が現実なのか現実が夢なのか荘子によれば定かではない。等しく同じものと見なすこともできる。そんな風にとらえる方が希望が持ててなんとなく元気がわいてくる。
客観的にはソフィア・クレイドルが創造しようとしているモノは夢の話かもしれない。逆に現実と夢を同一視して現実から覚醒して夢の中へいってみるのもひとつの発想の転換ではないだろうか。
2005 年 10 月 12 日 : プログラミングのかたち
近頃、何千年もの時を経て現代にまで伝わる中国古典をよく読む。流行のビジネス書を読む感覚では全然進めない。一字一字、象形文字のかたちに込められた趣向を凝らした文章は読んでいて味わい深い。読む度に新しい発見がある。今の時代にも通用する中国古典には想像を超える何かがありそうだ。
ソフィア・クレイドルで創っているのはコンピューターへのメッセージであるプログラムである。プログラムも一種の著作であり読み手がいるとするならば、その中には中国古典のようにクラシカルなものとして永続性を保つものもあるかもしれない。そんなものを創造できたら最高だろう。
中国古典を読んでいて気付くのは、時を超えて通用する普遍性、様々な場面に適用できる汎用性、無駄な部分が一切ない簡潔性、首尾一貫した論理性、面白いストーリー性、そして何よりも文章に美と調和がある。論理性などは文学作品や詩と違いプログラミングと共通する要素であるかもしれない。
プログラミングの世界においてもこんな風にクラシカルな存在として次世代に遺すことができればと願う。様々な分野において真にプロフェッショナルな仕事にはそういった雰囲気があると思える。