2006 年 03 月 12 日 : 京都の発想
京都の書店に立ち寄った時、たまたま「京都人の商法」(蒲田春樹著)という本が視界に映った。
〜「伝統」と「革新」を両立させるビジネス感覚に学ぶ〜
という副題が付いていた。
クラシカルなイノベーションを創造したいと思って、京都という地に起業しただけに思わず購入してしまった。
期待以上にいろんな示唆が得られる一冊だった。
「東京は逍遥するには刺激的すぎるでしょう。京都はその点では人を独創的なアイディアに導く散歩道がひじょうに多いのです。人は静かな裏町を歩くことで、自由に己の想念を羽ばたかせることができるのです」
「ひとりになるとは、情報を遮断して、自らを思索の底へと沈み込んでいく作業である。人が真に思索にのめり込もうとしているとき、他者は邪魔な存在となる。情報を交換するということが思索を妨げるからだ。
アインシュタインが相対性理論を発見したとき、彼は三日間、自分の部屋から出てこなかったという。哲学、科学、宗教、芸術、これら知のワークは孤高の産物である。他者対応から独自へ、浅いネットワークからシンク・アローンへ、時代の新しい趨勢は孤高である」
「日本画、それも墨で描いた水墨画には、たとえば、崖とか巌頭に一羽の鳥が止まっている構図とか、枯れ柳に一羽のサギというような構図が多いでしょう。こういった構図に出合ったら、この鳥の目の向いているところを見てください。この鳥の目は画面、いわばキャンバスの範囲の外に向いていることが多いのです」
「・・・、われ、ただ、足るを知るという謙虚なよい言葉が出てきます。足るを知る。不要なものはそぎ落とし、いろんな工夫のなかに大きな世界を創造させる」
「素材をどこまでも少なくして、ついには石と砂だけで創り出す”そぎ落としの美学”が竜安寺の庭園には見てとれる。
・・・
それは多くをあきらめて一つに絞っていくという、デザインにおける”レスの概念”である。エレメントをそぎ落としたときに、人は何によって美を創りだしてゆくか。答えは”人の知恵”である」
自分でも無意識のうちに行動していることが、この書籍には随所に記されていて、なるほどと思うことが多かった。