2005 年 02 月 09 日 : 有/無
中国の古典「老子」の第11章に次のような文章がある。
三十輻一轂を共にす。
其の無に当たりて、車の用あり。
埴をこねて以って器を為る。
その無に当たりて、器の用あり。
戸ゆうをうがちて以って室を為る。
其の無に当たりて、室の用有り。
故に有の以って利を為すは、
無の以って用を為せばなり。
この文章の意味するところを簡単に要約すれば、「車輪にしても、器にしても、家にしても、それらの<有>ともいえる物体の間には<無>ともいえる空間というものがあるからこそ用をなす」ということだ。
モノ作りをしていると、特に初心者の頃は過剰に親切心やこだわりが働き、それが禍して逆に品質が悪くなったりする。
「作る人」と「使う人」という、ツールに関しては2種類の主体があるということを、よく理解することが大事ではないかと次第に分かってきた。
だから、そのモノが「作る人」から「使う人」に渡されるインターフェースというものは、最も重要なポイントと考えるべきだろう。そこにある種の断絶が見られる商品は、売れずにその生命を終える可能性が高いように思える。
どんなモノにもそれぞれに最適なインターフェースの境界線があり、その線引きには、デザインのアーティスティックなセンスと共に、いわば職人芸的なセンスというものがマーケットから要求されている。