2006 年 06 月 07 日 : No way to say
対象とすべきものが偉大なものであればあるほど、言葉での表現は難しいものである。
「言葉にならない・・・」は、日常生活で当たり前のように使える便利な言葉だ。
僕たちもそれくらい凄いものを創っているつもりなのだけれど、それを人々に伝える難しさ、もどかしさを痛感させられる。
「言葉にならないくらい凄いソフト技術なんです」と一言で済むならば、どんなにか事はスムーズに運ぶだろう。
しかし現実はそうではなく大抵の場合、僕たちの想いをお客様のアタマにリアルな映像として再現してもらう必要がある。
だんだんと分かって来たのは、説得力のある説明を目指すよりも、自分の感性をできる限りそのまま伝えるほうが良いということだ。
そこで問題になってくるのが、自分の内にある感性が如何ほどのものかという命題である。
これまで生きてきてなんとなく理解できたことがある。
感性というものは、人に備わった全ての感覚から吸収され、蓄積され、それがアウトプットに活かされるのではなかろうかという仮説である。
だから、常日頃から心掛けているのは、どんなものでも素晴らしい物に触れる機会を絶やさないことである。