2005 年 05 月 11 日 : Core concept -12-
米国マイクロソフト社の沿革を見ればいくつかの事実が発見できる。一つは1975年から1979年までマイクロソフトの本社がニューメキシコ州アルバカーキにあったこと。もう一つ、現在の本社はシリコンバレーではなく、ワシントン州シアトル郊外の、環境の良いレドモントにあるということ。
私を含め、土地勘の無い大抵の日本人だとピンとこないかもしれない。ニューメキシコ州アルバカーキという街は砂漠のど真ん中にあるらしい。創業の頃、ビル・ゲイツが在籍していたハーバード大学の所在地、マサチューセッツ州ケンブリッジからも、故郷であるワシントン州シアトルからも何千キロも離れている。何故そんなところに本社を構えざるを得なかったのか?そしていま何故ワシントン州レドモントにその本拠地があるのか?私はその点に興味を持ってマイクロソフトの沿革を眺めた。
マイクロソフトの原点である、BASICインタプリッタのプラットフォームはMITS社のアルテア8800であった。そのMITS社の本社がニューメキシコ州アルバカーキにあった。それが、創業以来4年間にわたってマイクロソフトの本社がそこにある所以らしい。常識で考えれば、誰しも好き好んでそんな場所に本社を置かないと思う。ビジネス上の都合からそうしていたわけだろう。そういうことから察すれば、1975年から1979年の4年間、いまを時めくマイクロソフトも今は亡きMITS社のソフトウェア開発子会社的な位置付けに過ぎなかった。決して華々しくデビューしたわけではなかった。
では何故マイクロソフト社はMITS社と運命を共にすることなく、IT業界の巨人として飛び立ってゆくことができたのであろうか?
その根本的な原因はソフトウェアライセンスビジネスという構想をいち早く具体化し実践していた点にあると考えられる。マイクロソフトはアルテア8800用BASICインタプリッタの知的所有権をMITS社に売り渡さずに使用許諾を与えるという契約を締結した。そのソフトウェアを売り払ってしまえばまとまったお金も入る。近視眼的な人間であれば迷わずそうするところであっただろう。しかし、ビル・ゲイツは敢えてその選択をしなかった。
そんな意思決定ができるか否かがマイクロソフトとMITSの明暗を分けたのかもしれない。
私たちのようなソフトウェア開発会社の場合、お客さまの依頼に応じてソフトウェアを開発し、それを納入することでまとまったお金を一気に確実に得るという手段を採ることもできる。そうすれば短期的には売上を大きく伸ばし、社員数を増やすことも簡単にできる。しかし、お客さまに収めたソフトウェア資産はお客さまに所有権があり、自分たちにはそれがない。だから、過去の資産をストックし、それを積み上げるようにしてマイクロソフトのように飛躍できない。
ソフトウェアのライセンスビジネスで特徴的なのは最初の一本目のソフトウェアを開発し販売するまでには膨大な人と時間が必要とされる。けれども、2本目以降については一瞬のうちのそのコピーが創れてしまう。インターネットが発達した今日であれば、ネット経由で世界中にそのソフトウェアのコピーを無制限に何本でも光速のスピードで瞬間的に販売できる。
客観的に見れば、売れるのか売れないのか分からない。そして形すら見えないソフトウェア製品の研究開発に自己資金でもある資本金の大半を投入するのには勇気のいることではないだろうか。しかし勝算が見込めるのならば、そして自分のやりたいことが実現できるのであれば、それにチャレンジする見返りは充分にある。
マイクロソフト社の例を見れば分かるように、ソフトウェアライセンスビジネスの立ち上がりは極めて緩やかだ。しかし、その分時間軸の幅も広く、それが世界中で利用されるものであれば、その高さも天にも届く勢いを保つことだろう。マイクロソフトはその潮流に乗ることができた。そしていまはシリコンバレーとは一定の距離を保つようにワシントン州レドモントに本拠地としている。
確かにシリコンバレーには優秀な技術者が集まり、有望なIT企業も多いかもしれない。しかし集積も限度を超えると弊害も及んでくる。一つは従業員の定着であり、もう一つは住居などの生活環境である。栄枯盛衰の激しいIT業界では、いろんな有望なベンチャーが突然登場し、そしていつの間にか消え去る。シリコンバレーではそんな景色が至るところで見ることができるという。それ故に優秀な技術者の企業への定着率も悪く、生活の物価も他の地域と比べ極端に高い。昨日の日経新聞(2005年5月10日朝刊)に掲載されていた記事からだが、「ムーアの法則」で著名なゴートン・ムーアによれば、有能な技術者のシリコンバレー離れは既に始まっているという。
マイクロソフトの事例からは以上のような背景を学び、ソフィア・クレイドルはソフトウエア製品開発型ベンチャーとし、本拠地は首都圏から離れた京都という地において創業することにした。過去のソフトウェア資産をストックしそれを梃子にして飛躍するアプローチ。それから、ITベンチャーの少ない京都という地だからこそ逆に、輝かしき未来ある前途有望な人材がソフィア・クレイドルという「場」に集積すると考えた。
(つづく)
追記:
夫れ兵の形は水を象る。水の形は高きを避けて下きに趨き、兵の形は実を避けて虚を撃つ。(「孫子」虚実篇第六)