2005 年 04 月 21 日 : Core concept -6-
今日は朝からiTunesのラジオ番組SmoothJazz.comの音楽を流していた。すると何だかアイディアらしきものが形作られてゆく。今日はこんな言葉が発端だった。成功とチャンスをめぐるものとは、である。チャンスは誰にも平等に訪れるのだろう。けれどもそれを掴み取る者はほんの一握り。
あの人は運が良かったと謂うけど、実はその人が払ったインビジブルな努力を知る者は少ない。その事実に気付けば、日頃から目に見えないチャンスを探求したり、まだ隠されている至宝のために、孤独に努力する姿勢の重要さが分かる。文章にして表現すれば単にこういうことになった。成功というものがあるとするならば、その本質はきっとこんなところにあると思う。
スポーツの世界では、ピンチの後にチャンス有りと謂われる程、ピンチとチャンスは隣り合わせの位置関係にある。ビジネスの世界でも同じく、チャンスを掴もうとすれば必ずピンチも一緒に伴ってやってくる。況してベンチャーであれば、点と点が繋がって曲線になるくらいにピンチに次ぐピンチの連続そのもの。けれどその曲線の反対側では、チャンスの軌跡が同時に描かれているのも真実の姿である。何がなんでもリスクを避けたい人にとっては、こんな世界は以ての外かもしれない…。
毛利元就の三本の矢の教えにもあるように、ピンチを乗り切る場合、1人よりも2人、2人よりも3人という風に、同志は多ければ多いほど心強いものだ。最悪、譬え1人でもそれを耐え凌ぐ覚悟がなければベンチャー起業は叶わない。けれども、1人でも同志がいると、事業は果てしなく前進する。だから、ベンチャーを創める時、誰と一緒に事業をやるのか?コアとなるメンバー構成は?この問いこそ核心だ。譬え人数は少なくとも、信頼があれば足りないものがあっても充分埋め合わせることができる。スタッフの間の絆も深まれば、それがベンチャーを更に前へと推進させるエンジンとなる。
長い人生、さまざまな境遇に出くわしてしまう。良い時もあれば悪い時もある。だが、禍福は糾える縄の如し、塞翁が馬、実際は何が良くて何が悪いのか定かではない。なかでもお金と人の繋がりについては、誰もが学べないような貴重な勉強をしてきた。
本格的にベンチャーに携わり始めたのはITバブル華やかなりしミレ二アムを迎える頃だった。何故か使い切れないほどのお金が集まる時期もあった。オフィスを豪華にしたり給与を大盤振る舞いすると、実に様々な人々がそれぞれの思惑を携えて現れた。期待するほどの新たな価値を彼らが生み出してくれれば何も問題は無かった。しかし思惑通りに事が運ばなければ自ずと資金も枯渇する。それにつれ集まってきた人たちもいつの間にか去っていった。
お金の縁で集まった人たちはそれが無くなれば消え去るということかもしれない。そんな人に限って給与分以上の働きはしないという法則も実際にあると聞いた。これは本末転倒という言葉が適切である。このことはベンチャーを創め人を集め組織化する時に、起業家が心して理解せねばならない真理の一つだと悟った。
確かに給与を高くしてオフィスを豪華にしないと、たくさんの人が応募してこないかもしれない。しかし真に有能な人材は、自分の価値観や判断基準を、取り組むべき事業ポテンシャルの底知れぬ広さと深さに置いているものである。
現実問題として考えれば、世の中広しと雖もそんな有望な人材は類稀な存在かもしれない。しかし希少なものであるのならば、その価値を大切にし、少人数でも回るようなベンチャービジネスを展開すれば良いのではないか。このほうが現代では貴重な精神的安定も得られる。人材の供給源も日本に限定する必要もない。広く世界から募れば良い話だ。
勿論、スタッフの資産形成に関しては、いまも在籍する創業スタッフには、最終的に充分に報いるようにする。けれどもそれを第一番目の目的にすると、ベンチャービジネスは思わぬ方向に漂流する結果に為りかねない。先に述べたようにいつも順風満帆ではない。嵐に遭遇し、激しい波風に晒されることもある。お金の縁で出来た絆はそんな逆境に免疫は働かず余りにも脆い。特に創業期は想像出来ない嵐が日常茶飯事のように襲い掛かって来る。その度に乗組員が下船するようではそのベンチャーの命運も風前の灯に過ぎないだろう。
だからこそ、「人は何故働くのか?」という根源的な疑問を出発点とした直感や洞察や思想によって大義名分ある企業理念を打ち出すこと。そしてその理念に基づいた壮大な事業の目的やビジョンを確立することが重要になってくる。その器のスケールに応じて相応しい人材は熱意と情熱を持って集い、そうでない者は肩をすくめて去りゆくだろう。それは一朝一夕のうちに得られるものでもなけば、金銭で買えるものでもない。それ故に貴重で尊い存在なのであろうか。
(つづく)
追記:
老子第五十八章に「禍は福の倚る所、福は禍の伏す所なり」という言葉がある。「禍福は糾える縄の如し」という日本の諺も元を正せばここに辿り着くという。(余談)