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2005 年 04 月 27 日 : Core concept -7-

ベンチャー起業というものは創業者がそれまでに歩んできた足跡が映し出された万華鏡みたいなものなのだ。過去の出来事をバネにして飛躍し成功を果たしたベンチャーが多いように思える。だから何故ベンチャーを起業したのか?その経緯や背景を抑えて、それを経営の指針として大切に取り扱うべきだろう。

学生時代は必須科目の単位など多少の制約はあったにせよ、その当時何も束縛のない自由な日々を満喫していた。大抵のことなら自分だけの価値判断基準に従って自ら決めて行動するという風に。しかし大企業の一介のサラリーマンとして社会の門出に立った途端、そんな生活も一変した…。

お金を貰って働いているからそれは当然だろう?というのがほとんどの考え方なのかもしれない。大組織の中では本来の自分の意志に背くようなミッションも多かった。納得のいかない歯痒い日々がベンチャーを起業するまで延々と続いた。大企業というのは安定していて傍目から見れば確かに輝かしい。

実のところ、それ故に企業そのものの仕組みがタイタニックのように小回りの利かないものになっている。与えられた仕事を着々とこなすタイプの人には向いているのかもしれない。冒険好きの私にとってその環境は耐え難いものであった。生憎私は指示や命令通りに動けない性分だった。オフィスとかブランドは申し分なくカッコ良かった。個人的な見解だが、居心地は見た目ほどいいものじゃなかった。

誰しも取り柄が人それぞれにあるものだ。私の場合、子供の頃から数学の成績だけは抜群に良かった。だから将来はこの才能を伸ばせる職に就きたいと中学生の時分から自分の未来に期待を抱いた。その頃はコンピューターというものは今みたいにどこにでもある物ではなく、漠然とイメージするしかなかった。ひょっとしてプログラマーってカッコいい職じゃないかなと思いを馳せていたものだった。それは彼の有名なビル・ゲイツとポール・アレンが世界で初めてアルテアというマイクロコンピューター用にBASICというプログラミング言語環境を完成させた頃の話だ。

できるだけ自分の才能を開花させたいという一心から、大学では数学とコンピューターの研究に受験勉強よりも熱心に励んでいた。大学での基礎理論中心の勉強だけでは実践的でない。だから大学生の頃からプログラミングのアルバイトにも精を出した。周囲にいた友人の大半は家庭教師や塾、予備校の講師をしていた。当時としては少数派の学生プログラマーとして楽しくアルバイトに勤しんでいた。今を時めくマイクロソフトの存在がようやく日本でも微かに意識されるようになっていた。

その当時、パソコン(マイコンと呼んでいた)のメモリは64キロバイトしかなく、スピードもかなり遅かった。でも社会ではちゃんと役立っていた。コンピューターとしての性能なら、いまの携帯電話の方が格段と勝っている。だからこそ何十年後かに携帯電話がどのように進化しているのか?その未来にワクワク&ドキドキさせられる。

その時のワクワク感が一本の糸のように繋がって、幸いにもそれが切れずにソフィア・クレイドルというベンチャー起業に辿り着いたと謂えなくもない。その当時は「ベンチャー」とっても文字通り「冒険」という意味でしか通用しなかった。そんな時にとあるベンチャー企業でプログラマーをしていたのは自慢と言えるだろう。そしてプログラミングの面白さに文字通り嵌った。

社会に出て何年か過ごすうちに、大企業とは如何にして効率良くお金を稼ぐか、それが第一。それを実践する場であるかのような感慨が日増しに大きくなった。勿論、崇高な企業理念はあったが、皆が皆そのように行動しているとは思えなかった。自分のやりたい仕事に恵まれている人はほんの一握り。ほとんどの人はひたすら与えられた仕事のノルマをクリアするのに四苦八苦していた。

大抵の大企業は株式を公開している。その企業の形式的な所有者である株主の、経営に対するプレッシャーが外資系の企業は強い。最近では国内の上場企業にもそんな傾向があるように思える。企業は株主の意向をよく汲みとって運営されねばならない。株主が期待するのは端的にいえば配当の源泉となる利益そのものだ。しかも配当が高ければ自ずと株価も上昇し申し分ない。だから短期的な利益を追い求め、結果的に墓穴を掘る大企業経営者が後を絶たない。

社会人となってから初めて理解した重要な事は、大企業は世界を変革するようなブレークスルーを生み出す場では無いということだ。パソコンはマイクロソフト、インテル、アップル…、インターネットはシスコシステムズ、ヤフー、アマゾン…、携帯電話はクアルコム等など、挙げれば切りがない。身の回りにあるほとんどのものについて、その発祥の地はベンチャーだったりする。世の中が変わる革新的な技術やサービスはそのほとんどがベンチャーから産まれているのは確かな事実だ。だからそんな職に就きたければベンチャーを選択すべきだったのだ。しかし日本国内では将来有望そうなベンチャーを私は発見できなかった。プログラミングの分野でブレークスルーを起こしたかった私としては砂を噛むような思いの日々が続いた。

実際のベンチャー創業は39歳になってしまったが、20代後半の頃から既に私は心の片隅ではベンチャー起業を志していた。ベンチャーを創業し育てるにはいろんな知識や経験が必要なのでは?とその時はそう思った。多種多様なことを意識的に学び、ベンチャースピリッツを大切にし何事にも真剣に取り組むように努めた。そうやって勉強や訓練しながらベンチャー起業に備え、そして起業のチャンスをしっかりと掴もうとした。今から振り返れば、早すぎて悪いことは何も無いように思うが、過去の事実は変更できない。結局のところそれは良かったんだと、ただ前向きに解釈する方が良いだろう。過去はきっと変更できる。

(つづく)

追記:

何故世の中のほとんどすべての革新はベンチャーから生まれるのか?

世界最大の大企業と世界最小のベンチャー企業という両極端な二種類の会社で働いた経験から謂えることは、その理由はそこで働く人のモチベーションにあるような気がする。

ベンチャーでしかも創業者としてやるのならば、最終的に頼れるのは自分という存在だけだ。だから大企業にいる時よりも10倍は真剣になるし、量的にも質的にも10倍は働いていると思う。しかも、10倍以上楽しく愉快に人生を過ごせる。

これらの数字を掛け合わせると1000倍以上のパフォーマンスを発揮していることになるが、実際のところそんな風にインビジブルな作用が働いているんだと思う。

同じ人間なんだけれども、その人が置かれた環境によって結果に大差が生まれる。それはそのような環境に身を置ける勇気と意志を持てるかどうかなのであろうか。

誰しもそれぞれに無限の可能性を自分の中に潜在的に秘めている。しかしそれに敢えて挑戦しようとする人はあまりにも少ない。それだけに競争は皆無に近い。どこにでもチャンスを見出せる。いくつもの車線がある広い高速道路をたった一台の自動車が颯爽と駆け抜けてゆくさまに近い。それがいまの現実の姿だろう。