2005 年 12 月 29 日 : 私的読書術
生命は有限だけれど、人が創り出したある種の"コンセプト"は時を超えて生き永らえる可能性を秘めている。
人と動物の間にある最も大きな差は、そんなところにあるのではないかと個人的に思っている。
だから人生を過ごす上で最も偉大な楽しみというのは無限の生命が宿る"コンセプト"を打ち出せるかという命題への解を探求する、一種の賭けである。
勿論、賭けであるので外してしまう恐れもある。けれども自動車など運転している時に事故に遭遇しないための習慣があるのと同様に、思い通りの結果を導き出すための方法論があるだろう。
ひとつが読書の方法である。
巷には書店に氾濫するほどの本がうず高く積まれている。その中から一冊の本を選んで読書して、人それぞれに楽しんだり生活や仕事に役立てようとしている。
僕自身、毎日多種多様な本を読むが、軽く読み流す本と何度も何度も繰り返し精読する本がある。
大切なのは精読する本を選ぶセンスにあるような気がする。何度も何度も繰り返し読むような本は個人の考え方に多大なインパクトを与える。それによって運命が決まることも無きにしもあらずだ。
座右の書とすべきかどうか。判断の基準はこんなところにあると思う。100 年後、300 年後、或は 1000 年後の未来の世界で、その書籍は人々に読まれているだろうか?
そんな観点から僕はいつも繰り返し精読すべき本をセレクトしている。
ひとつだけ簡単に見分ける方法がある。それは何百年、何千年の時を経て、現在も人々に読まれている古典は何百年先、何千年先の世界においても人々に読まれているだろうという未来予測である。
*その一瞬で。
何度も何度もって多分、比喩で・・・ほんとはスグ価値が分かってインパクトを与えられるものってあると思っています。