2006 年 03 月 15 日 : 碁盤の目
売上とか利益というのは何かを為すための手段であり、人の体では血液のようなものかもしれない。
健康であれば血液がどんな風になっていようが、ほとんどの人は全く無関心であると思う。
僕が最も大切にしているのは、人生において何を為しえるかということ。
できることならば、永続性のある何かを創造しえたら、こんな最高なことは他にあるだろうか。
金銭的な尺度では計り知れないほどの価値が存在する。
血液が有限の存在であるように、金銭的価値も長い地球の歴史から言えば一瞬の出来事に過ぎない。
人生における自分の目標を達成するために充分なだけのものがあれば、僕はそれに関しては無頓着である。
時々、会社で会議を行うけど、最近、売上がどう利益がどうのこうの…と議論することはまず無くなった。お客様から注文をしてくださった、というおめでたいこと、これはリアルタイムに連絡してるけど。
勿論、会社の存続がかかっている時は、シビアに考えることもあった。
でもそんなフェーズも過ぎ去れば、次に考えるべきは如何にして自分の人生の目的を達成しうるかである。
永くカタチを保ちえるもの。最近、考えるのはこのことばかりである。
京都という街並みは平安建都以来1200年以上の長きに渡って、碁盤の目状の見通しの良く美しい、数学的な形を保ち続けている。
壮大なグランドビジョンがあったに違いないと思っている。
それは、自分の位置と目的地点が直感的に感じ取れる街並みなのである。
人間共通の感覚、感性、知性など、形而上学的なものをカタチにしたとも思える。
そんなフィーリングを大切にして、製品の研究開発やマーケティングに励んでいるのだけど、そこに金銭的なものが立ち入る余地はないと思う。
恐らく重要なのは、京都と同じく人間の理性に基づくグランドデザインのような気がする。