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2005 年 04 月 02 日 : 起業の動機

ソフィア・クレイドル」というベンチャーを創業してから早3年が経過している。「光陰矢の如し」にしみじみ感慨を抱く今日この頃。事務所は同じなんだけれども、創業の頃と比べて、経営の安定について隔世の感がある。その源は曲がりなりにも売れている商品の存在とマーケティングの仕組みにあるのだろうか。

ベンチャーを創める前は、「倒産」なんていう言葉とは全く無縁の大企業に所属していて、生活の面では何も心配することなく無為に日々過ごしていた。客観的な視点に立てばこんなリスキーで無謀そうに思えるプロジェクトをどうして創めたんだろうか。その理由についてまとめるのはそれなりに意味があるだろう。

何をリスクと定義するかが肝心なことなんだけれども、世間一般の人のリスクの定義からすればベンチャーってヤバイ在り方なのかもしれない。ところが、私の場合、大企業の環境にずっといることにリスクを直感してこうしてベンチャーを経営している。大企業と違って、ちょっとしたボタンの掛け違いが致命的な結末になるのがベンチャーのように思われたりする。しかし、結局のところ、それは高速道路で車を運転するのと同じこと。ある一定の基本的なルールともいえる原理原則に従って経営すればリスクをヘッジするのは十分可能だ。

個人的な経験からいえば、大企業で働くというのはその会社の長年の歴史から培われてきたフレームワーク(枠組み)の中で生きてゆくことなんじゃないだろうか。それに対して、ベンチャーとは過去に存在し得なかった、新しいフレームワークそのものを創るのが最初の重要な仕事で、知性や理性、感性など本来的に人に備わっている優れたものを総動員し、駆使し、紆余曲折しつつも想いのままに築き上げてゆくプロセスなんだと実感する。

大企業じゃなくて、ベンチャーのような組織の方が持てる力を遺憾なく発揮できる人が実際にはもっとたくさんいるような気がする。仕事の種類が違うわけだから。何も皆が皆、完成されたフレームワークで仕事をする必然性もない。世の中の進歩発展のために新しいフレームワークのレゾンデートルは測りがたいほどにある。TOYOTAHONDAPanasonic等など、いまや偉大な存在になってしまった企業もその昔はベンチャーだったのだから。

何も無いところから、そういったものを創るのは確かに困難や苦労は伴う。しかし、その想いがビジョンとしてイメージする理想形に向けてステップバイステップに少しずつ成長してゆく。そんな姿を目の当たりにするのは他に代え難い感動だ。これだけはベンチャーをやった人にしか味わえない現実であり、できれば多くのスタッフと共有したい出来事でもある。

既に確立された、立派なフレームワークで活躍する行動も尊敬すべきだろう。でも、新たなフレームワークを自分たちの色彩を添えて創り上げることができれば、社会にとって必要な異なった新しい付加価値をもたらすことになるんじゃないかと考えたりする。ソフィア・クレイドルという会社は世界広しといえども唯一無二の存在であり、他の組織と違ったアイデンティティがある。このフレームワークからしか生み出すことのできないような価値を永続的に創造してゆくプロセスこそが究極の目標といえる。

最近、個人的な趣味もかねてミュージックシーンを俯瞰していると、目まぐるしく新しい音楽が登場し、それらは確実に人びとの心を奮わせたり癒したりしているように感じる。何故かベンチャーを創めてからは、学生時代の頃のようにCDを買い求めて音楽を聴くこと多い。(CDはそれ一枚でそのアーティストのその音楽の世界を表現しているように感じるので買うことが多い。)それでこうやって日記を書いているときも音楽を流していたりする。

仕事といえばなんとなくルーチンワーク的なもののように見なしがちだが、ベンチャーでそのフレームワークを構想するには創造性がとても要求される。それだけにやりがいがある仕事だと思える。そんな意味において、きっとベンチャーの仕事は芸術家のような感性が必要なんだろう。お気に入りのミュージシャンの音楽を聴きながら、彼らからインスパイアされつつ、日々愉快に過ごしている。

自分のたちの思いの全てをフレームワークとしてかたちあるものに築き上げ、その手応えを実感するのは、ベンチャーに携わり経営する過程で最大の喜びを確かめられる瞬間だ。

追記:

『音速の壁』をご存知だろうか?

半世紀以上も昔の話なのだが、『飛行機は音速を超えて操縦できるだろうか?』という未知の問いに応えるべく、『音速の壁』に挑む、命知らずのパイロットは後を絶たなかった。

音速は時速に換算すれば 1225 km/h ものスピードになる。そこには一種の壁が確かにあった。それを乗り越える時に衝撃波のようなものが発生し、音速の壁に挑んだ数多くの飛行機はその瞬間機体そのものが破壊された。そして、あまたの勇敢なパイロットの命が失われたそうだ。

米国の高速実験機X-1に乗り込んだパイロット、チャック・イェーガーの操縦により初めて『音速の壁』が突破されたのは1947年10月14日のことだった。予想された衝撃波の影響もほとんど受けることなく意外とあっさりとその壁は破られたらしい。

そのとき、チャック・イェーガーが一望した景色(と呼べるもの)はどんなものだったのであろうか。

ベンチャー創業の壁を乗り越える話にも繋がるような不思議な気がした。