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2005 年 01 月 03 日 : Amazing story

稀に「奇跡」と言いたいような凄い事実や光景を見たり、聴いたりすることがある。

そんな出来事は一体どういった背景があって発生するのだろうか?

たまたま起こった偶然に過ぎないのだろうか?或いは、起こるべくして起こったのだろうか?

それが起こる理由や原因というものがあったからこそ、「現実」になったのだと信じたい。

ソフィア・クレイドルというベンチャーを経営する起業家である。将来的には自社の製品が、世界のあらゆる人に、良い意味において大きな影響を及ぼすことを、できるだけ鮮明にイメージしている。

客観的に考えれば、創業して 3 年の会社がそんな壮大なことを成し得るのは、それこそ「奇跡」かもしれない。

ベンチャー起業家として、それを確率的に稀な話で済ますわけにはいかない。必然となるようにしなければならない。

無名の時から、ソフィア・クレイドルの製品を支持してくださったお客様への責任であり、製品の研究開発に、献身的に打ち込んできたスタッフたちへの責任でもある。

どんなに偉大な発見、発明、事業にしても、最初はゼロからスタートである。「不可能」はあり得ない。私たちにも偉大なことを成し遂げる資格はある。

自分たちの可能性を信じることはとても大切なことだ。

最初から諦めている人が多いのではないだろうか。歳を重ねる毎に夢も膨らませてゆきたい。

一般に奇跡的な出来事といわれるようなことを、達成する能力とは何なのだろうか?

こんなことを真剣に考える人は本当に少ない。実践している人となればもっと少ない。

成功者の大半は、偶然という要素よりも、そんな能力の追い風を受けて成功しているのが事実だ。

人間の意識には「顕在意識」と「潜在意識」がある。

「顕在意識」とは、ごく普通に私たちが「意識」と呼んでいるもののことだ。

「潜在意識」とは、私たちが意識しえない意識のことであり、呼吸や消化、循環などの人間が生きていくのに欠くことのできないことを司っているような、存在しているにも関わらず、はっきりとその正体が分からない不思議な領域である。

偉大なことを成しえるか否かは、自分の「潜在意識」というものに秘められた力を使いこなせるかどうかにかかっている、と思っている。

偉大な功績を成し遂げた人の書物や話では、大抵この話が出てくる。例えば、モーツアルトは、作曲するときに無意識に、頭に浮かんだメロディーを超人的なスピードで次々と楽譜に落としていった。

昔から、「潜在意識」という不可思議な実体に強く惹かれていて、いろんな書物を読みながら、どうすればその力を自分のものとすることができるのか、などと思いめぐらせたりしていた。

科学的根拠に基づいた、定量的な評価結果というものは存在しない。人の行動というものは全体の90%以上が「潜在意識」というものから生まれ、「顕在意識」によるものはほんの数%だという。

人間が自分で解明することさえできない、生命の仕組みを司っているだけに「潜在意識」の力は目に見えないくせにそんなにも偉大である。

通常、学校教育の試験などで量れるのは、「顕在意識」から生み出されるほうの能力であり、それは全体の意識からすれば氷山の一角に過ぎないことになる。

勿論、学業優秀だった人も偉大な業績を残すこともあるが、学業優秀であっても、社会に出ると平凡な業績しか残せない人は、意外にも多いのではないか。

逆に、学業面ではそんなにたいしたことないのに、社会に出たとたん大きな業績を出している人が案外多い。

いろんな人を見て思うのは、恐らく、成功している人の多くは、「潜在意識」というものをうまく活かしているのだろうという仮説を私は持っている。

「潜在意識」というものは、無意識な意識なのだが、それは「顕在意識」に認識されたものが自分の頭の中にイメージされるものらしい。

いわば、最初は自分の顕在的な想像力から始まるわけだ。だから、最初に「潜在意識」に込める思いやイメージというものは極めて大切だ。

どれだけ真に良きことを前向きに、イメージできるかできないかで、自分の人生そのものが決定付けられる。

これは一つの真理であると、あえて受け止めて、会社や自分や家族のことを、前向きにイメージして思い描くようにしている。

イメージが「潜在意識」に透徹するまでには、寝ても覚めてもそれこそノイローゼになるくらい、思いをイメージし続けねばならない。

簡単なことではなく、根気のいるプロセスである。

質や量の問題もあるけれど、これを実践しているだけでも、実践しない人生と比べれば、異なってくるのではないだろうか。