2005 年 11 月 05 日 : スタンス
音楽や映画、スポーツなど、プロフェッショナルな世界に憧れる。たとえ僅かな時間であったにしても、競技場やライヴの空間では、生きる感動や癒し、エネルギー・・・がリアルに感じとれる。
反面、内容(コンテンツ)そのものが問われる、人びとの感性によって自然淘汰され、本物にしか居場所がない厳しい領域でもある。だからこそ憧憬の対象として映し出されるのかもしれない。
そんな領域に自分を置いてみる。生まれて初めて自分の限界を知りもすれば、未知の可能性を発見する喜びもある。幻と思っていた夢が現実になったりもする。それは、確かに自ら人生を切り拓いて生きていると実感できる、感動体験の綴れ織のようなもの。
超一流と言われる大学や組織での経験や著名人とのコネクションがあるからと言って、それだけは全然通用しない。本質が問われるプロフェッショナルな世界は甘くない。ある意味ではフェアな世界である。
サラリーマンや公務員の世界はアマチュア的な空間の典型的な例だ。学歴や職歴など過去の栄光を身にまとって自分のポジションを確固たるものにしようとする者も少なくない。
たとえばミュージックシーン。超一流の経歴だから、有名人とのコネがあるからという理由で、人はその曲を買うわけじゃない。問われるのは中味の内容そのもの。
プロフェッショナルな観点から言えば、過去の華々しい経歴もしくは己の外にあるブランドで自分を飾る人って「?」である。もっともっと自分そのものに自信を持つスタンスが大切だと思う。