2006 年 06 月 29 日 : 検索エンジンにおける人と時間と空間の軸
ソフィア・クレイドルが関わっているビジネスで、最も重要なキーワードの一つが ” BREW ” である。
” BREW ” をキーにして Google で検索してみると、タイミングによって変動するけれども、約 37,700,000 件中 の 6 番目と 7 番目の位置にソフィア・クレイドルのページがある。
最初から、このポジションにあったわけではなくて、Web 制作のとき、コンテンツの質と量において様々な創意工夫が功を奏しての結果なのだろう。
最近、” BREW ” をキーにしてた Google での検索結果の 1 ページ目を何度も何度も眺めていて、あることに気が付いた。
それは 1 ページ目に表示される、Web サイトの顔ぶれに変動がほとんどないという現象である。
逆に言えば、実は 2 ページ目以降に控えた、膨大な Web ページの中に、検索エンジンを使う人が真に探し求めるものが隠されているのではないかという考え方もできる。
Google の検索結果を見ていると、何年間も何のアップデートもなく、もはや情報価値が消失してしまったといえるようなページが 1 番目に表示されている例も珍しくない。
いま、BLOG で情報発信する人が急激に増え、インターネットにある情報は玉石混交であり、一体どの情報が自分が必要とするものなのかが難しくなってきているのではないだろうか。
検索した結果、たまたま上位に表示されている情報を読んだだけで、すべてを分かったつもりになっているかもしれない。本当は、その後に表示されている情報の方がもっと価値があるのにもかかわらず ・・・ 。
実際のところ、これだけネット上に情報が氾濫している状態では、検索エンジンにしても情報発信にしても、新たなアプローチを組み込む必要性が高くなってきている。
携帯電話はフルブラウザや GPS などが標準で搭載されたりして、今後ますますネット端末としての地位を高めて行きそうだ。
元々、携帯電話はパーソナルなもので、家庭や職場で共有して使うものではない。誰がどうしたというのを特定できるツールでもある。
その携帯電話に GPS が標準で搭載されれば、特定の人物が何処でいつ何を情報発信したかという属性を情報に持たせることは可能である。
情報に時刻と場所と発信者という属性を自動的に持たせて、検索エンジンも単なる「キーワード」だけの検索機能をそういった軸にひろげてゆくことで、氾濫する情報の波をある程度まではうまくコントロールできるかもしれない。
そして、膨大なデータの山に埋れていた、ダイヤモンドの原石といえるような希少価値のある情報を組み合わせることで、新たなる価値のある情報が生成されるかもしれない。
指数関数的に増殖し続けるネット情報をいかにコントロールするかで、次世代の検索エンジンは自然淘汰されるし、Google を遥かに超えるものが誕生する余地も充分あるに違いない。
2006 年 06 月 23 日 : Predict the future
矛盾するように思えるかもしれないけれど、実は 1 〜 2 年先よりも 50 年後、100年後といった遠い未来の方がイメージしやすい。
1 〜 2 年先が読み難いとはいっても、これはベンチャーに限っての話で、大企業の場合は寧ろ遠い未来が見えないというのが真実なのだろうか。
昔、大企業に所属していた頃は、来年、再来年 ・・・ の自分はだいたい見通せた。
ベンチャーを創めた当初もそんな雰囲気でいたけど、良きに付け悪しきに付け 1 年前の予想と実際は大きく食い違っているのが実態とも言える。
けれども、何十年先とかいった長きに渡る未来の領域を展望するならば、その枠内に収まっているから実際のところ不思議ではある。
50 年先の未来はどのように想い描けば良いのだろうか、と思われるかもしれない。
以前の日記にも記したが、僕のイメージの仕方というのは 50 年先の未来は 50 年前の過去に遡って発想するという類のものだ。
そんなイメージトレーニングで確かだと分かってきたのは、これからの未来で重要な事柄は、間違いなく下記の 3 点に集約されるということだ。
1. デザイン
2. オリジナリティ
3. ワールドワイド
言うまでもないことかもしれないけれど、昔と比べて人々の装いはファッショナブルであるし、建物もなんとなく洒落たものが増えてきている。
また、他人と違うことが称賛される時代になってきた。日本人の活動も、プロフェッショナルなスポーツに限らず、様々な分野で世界的に顕著な成果が毎日のように生まれている。
けれども世の中をよく観察してみると、デザインされてないものは多いし人の物真似する人も後を立たない。世界に向けて情報発信する人も少数派だ。
そんな状況を踏まえて考えるならば、デザイン、オリジナリティ、ワールドワイドといった 3 軸で繰り広げられる未来の空間は依然として未開拓のままであり、僕たちベンチャー企業が入り込める余地は無尽蔵にあることを意味する。
ベンチャーはニッチを目指すのが常道とされるけれど、顕在化されているものがニッチであるに過ぎず、それはあたかも氷山の一角に等しい。
50 年後に姿を現す、氷山の全体像を如何にしてリアルな映像としてイメージするかが問われるだろう。
2006 年 06 月 21 日 : Connectivity
オープンソースという言葉がITの世界で流行っている。
けれども、この先、ソフトウェア産業の発展を望むならば、オープンソース以上に大切になってくるコンセプトというものがありそうな気がする。
それは「コネクティビティ」というごく有り触れた考え方である。
オープンソースは、ネット上にソースコードを公開し、さまざまなプログラマがソースコードをシェアながらソフトを開発してゆくアプローチである。
ひとつ疑問に思うのは、ソースコードをシェアすることが果たして本当に生産的かどうかなのだ。
プログラムというソフトは日本語や英語と比べると、プログラマーによって記述される内容は厳密そのものであるが、その意図を理解しようとするならば少なからず苦痛や努力が伴うものである。
ソースコードを読んでワクワク&ドキドキな体験をする方が稀と言えるかもしれない。
オープンソースのアプローチでは、少なくともソースコードを理解するための時間と労力が非生産的なのではないだろうか。
勿論、自分より才能や能力のある人のソースコードを読むことで自分のプログラミングスキルを伸ばすという有意義な一面もあるけれど、それはオープンソースの主たる目的ではない。
オブジェクト指向のカプセル化、日本語では「情報隠蔽」なる言葉で翻訳される概念こそが重要ではないかと思う。
それはソースコードをオープンにするのではなくて、寧ろクローズなものとし、必要なアプリケーションプログラミングインターフェース(API)のみを公開するというアプローチである。
今現在、"Web 2.0" というキーワードで説明されるインターネット業界は、この方向に動いているような気がする。
インターネット上のデータベースをアクセスするための API を公開し、ネットの人々が自由に使える世界である。
データは何も商品やニュース、個人情報に限らなくとも良いと思う。
プログラムも一種のデータであり、それらの API がひろくネット上に公開され、かつあらゆるプログラム間で自由自在に接続可能となり、そのバリエーションによってアプリケーションがインプリメントされるとすればどうだろうか?
同じ種類のプログラムモジュールを複数の人間でシェアして開発するよりも、その人が世界一才能を発揮できる分野のモジュールを一人で開発し、同じようにして創られた他のモジュールを接続しながら動作する世界の方が躍動感がありそうだと感じるのは僕だけであろうか。
オープンソースの先にあるもの。
それは、プログラムを構成するモジュールが自由自在にネット上にあるモジュールと柔軟に、そして簡単にコネクトできる世界である、と感じる。
2006 年 06 月 21 日 : Abstract
ソフィア・クレイドルの研究開発しようとする対象は抽象的なものが多く、取っ付きにくいかもしれないと我ながら思う。
単純にこれで全てです、というような端的で分かり易い説明は難しいのだ。
幾通りにも解釈できるが故に、混乱されるお客様もいらっしゃるのも事実だろう。
逆に言えば、ひょっとして僕たちも全てを理解しているわけではないのかもしれない。
何故なら、ストーリーは僕たちの範囲で完結するものではなく、お客様のソフトと一体となって初めて完成するもので、ドラマティックな展開がその先に待ち構えているからである。
ソフィア・クレイドルの製品はそれだけでは携帯電話の最終利用者に何の付加価値ももたらさない。
お客様が彩りを鮮やかにしてゆくプロセスがあって初めて意味をなすものなのだ。
それだけに、いつもお客様はソフィア・クレイドルの製品を使って、どんな付加価値を創造されるのだろうということに関心が尽きない。
いろんな発見、驚き、ワクワク&ドキドキな体験の連続である。
お客様の創造される世界初の新しいアプリケーションが引き金となって、他の誰かがインスパイアされる。
そして、いっそう素敵なアプリケーションが誕生するというポジティブなフィードバックを醸成できばと願いたい。
抽象的なという言葉は、分かりにくいというネガティブなイメージもあるけれども、よく分からなくて想像的で内容に深みがあるという風にも解釈できる。
それは解釈する人の想像力のひろさに委ねられることになり、最初イメージしたものから弁証法的な進化発展のようなものが生まれるのではないかと期待している。
vice versa。
2006 年 06 月 16 日 : Marketing innovation
イノベーションというキーワードには何となくテクノロジー的な雰囲気がするけれど、手掛けているビジネスをブレークさせようものならば、マーケティングイノベーションというものも絶対に外せないということが分かってくる。
それでは、一体、マーケティングイノベーションとはどういう概念なのだろうか?
人によってその解答は勿論異なると思うけれど、僕はこんな風に理解している。
コンピューター業界においては、いまでは IBM や マイクロソフトは偉大な大企業であるが、最初からそうだった訳ではなく、ある切っ掛けで飛躍したことが歴史を紐解けば分かる。
IBM にしても、マイクロソフトにしても、優れたテクノロジーを持つ企業であったことに変わりはないけれども必ずしもナンバーワンであった訳ではない。
寧ろそれよりもテクノロジーの面ではもっと素晴らしい企業が存在していたのも事実なのだ。
IBM の場合、UNISYS(旧ユニバック)。マイクロソフトの場合、デジタルリサーチやアップルコンピューターである。
何故 IBM や マイクロソフトがそういう企業を凌駕しえたのかということが重要なポイントになるだろう。
IBM は、それまで科学技術計算の用途が主体であったコンピューターを商業分野へと応用し、 マイクロソフトは個人の趣味の対象に過ぎなかったパソコンをビジネスで使えるようにした。
IBM もマイクロソフトも最初から戦略を持ってそれを為したのではなく、偶然の機会を発展的に拡大していったに過ぎない。
元を辿れば事の始まりは依頼した顧客の発想が原点であったことが分かる。
意図的に目論んでビジネスを展開する以前に、自社だけでは思いも付かぬ発想をする人が外部にいて、それを自社に取り込んでビジネスとして育てていったと解釈できる。
研究開発型ベンチャーで飛躍を遂げた企業を研究すると、そんな些細なチャンスをモノにして、マーケティングイノベーションを起こした企業は枚挙に暇がない。
テクノロジーをブレークスルーさせるためにある種の利用シーンを想定するのは必要不可欠であるけれど、そのテクノロジーが大きく育つ場は案外それ以外のところにある場合が大半である。
ベンチャーが飛躍するか否かはそれに掛かっていると極論もできよう。
そのためにも、何気ないお客様との会話に潜んでいる、「マーケティングイノベーションの発芽」をキャッチできるかが問われることになるだろう。
2006 年 06 月 16 日 : Revolution
デジタルな情報はコピーしても劣化しない。
それ以上でもそれ以下でもない。
概念的には、デジタルなものは数字に置き換えても良いわけで、○なのか×なのか客観的な評価が下される対象でもある。
だからこそ心して掛からねばならないことがあると思う。
それは、世界中がネット接続され、デジタルな情報を光速のスピードで取得できる環境下では、同じようなものならば最も優れたものがひとつだけあれば充分かもしれないという事実である。
インターネットが普及する以前は、ベストと言えなくてもそこそこ良ければ何とかなっていた。
けれどもインターネットが急速に発展した今では、極端な話ではあるが、最も優れたものにだけレゾンデートルを見出す時代へと移り変わりつつある。
安易なモノならば、瞬時に自然淘汰されるという厳しい一面があるものの、裏を返せば、妥協を許さぬ究極に秀でたるオンリーワンにしてナンバーワンなものであれば、一気に世界を席巻し時代を変革する可能性もゼロではない。
ほんの僅かかもしれないが、そんなところに無限の可能性を感じとれる。
2006 年 06 月 15 日 : Turn the tide
20年前、インターネットを利用しているのは大学などの研究者に限られていたし、パソコンを個人で所有している人はマニアくらいであった。携帯電話に至っては、存在すらしていなかった。
インターネット、携帯電話、パソコンが急激な勢いで普及し始めたのは、今から 10 年ほど遡る " 1995 年 " ではないかと個人的に考えている。
僕が初めて当時 " マイコン " と呼ばれるパソコンを購入したのは、1985 年のことだから、その時から 10 年の歳月を経て、これらの IT が日常品化しだした。
そうなるまでは長き 10 年であったけれど、それからの 10 年というものは脱兎の如く過ぎ去っていったように思う。
いまでは形勢は大きく逆転し、インターネット、携帯電話、パソコンなどの IT と無縁な人を探す方が困難なくらいに当たり前のモノへと変貌を遂げてしまった。
20年前、10 年前、いや 5 年前でもいい。
IT がこれほどのスピードで進化発展を遂げ、人々の生活に欠かせない道具になると誰が予測できたであろうか?
恐らく、これらのテクノロジーを発見し、発明した天才ですら想像し得なかった現実ではなかろうか…サイエンスフィクション・サイエンスファンタジーを除いては。
化学実験で異なる物質を混ぜ合わせて化学反応を起こさせることで、元の物質とは全く性質の異なる物質が生成されたりする。
そんな状況に近いのかもしれない。
これから 5 年後、10 年後、 20 年後 ・・・ の未来がどんな風に連続的に変わってゆくのか、とても想像しがたい話ではあるけれど、ひとつだけ確信を持って言える事がある。
それは、いま以上にこれらの IT が進化発展を遂げて、夢のようなことが現実になっているという空想である。
だから、暫くの間はモバイルを中心とした IT に集中特化した事業を展開していても、それほど間違いはないと考えている。