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Sophia Cradle IncorporatedPresident Blog : 2006年03月

2006 年 03 月 31 日 : アシンメトリ

モノやサービスを売る人がいて、モノやサービスを買う人がいる。

概して、「売る」のと「買う」のはどちらが大変だろうか?

お金さえあれば「買う」のは誰にでも容易い朝飯前の話だ。

「売る」というのはそんな訳にいかない。「買う」の同じくらい簡単なら誰もベンチャー起業で苦労はしないし、きっとドリームゲートの存在も有り得ないだろう。

けれども、よく考えてみると、買った時に支払われるお金の総計と売った時に得られるお金の総計はイコールなのである。

この事実は一体何を意味するのか?

恐らくは、世の中の経済原則のひとつである、富の一極集中という現象の本質なんだろう。

「お金を稼ぐ」という観点から考察するならば、「モノやサービスを買う」のと同じ感覚で、ナチュラルに「モノやサービスを売る」という流れも創り出せるという意識は外せないかもしれない。

2006 年 03 月 30 日 : 綴れ織り

絶え間なく意識するのは未来にひろがる雄大な空間のイメージ。

想像したとおりに事が運ぶと良いのだけど、これが意外と難しい。

アタマの中でイメージしていることは言葉や絵やリズムで 100 % 再現するのは不可能に近く、行動を共にするスタッフに完全に伝えることができなくて歯痒い時もある。

でも問題意識があるかないかで結果も違ってくると思う。

電話にでることもなく、外出して人に会うこともない。来客のアポイントメントも滅多に受けない。

僕にとって、いまはそんな時期なのだ。

できるだけ独りになって自分の魂と向き合い、世の中で種種雑多に起こる出来事の本質を捉えることがいまの僕の課題である。

とりわけ、インターネットをどのようにドライブするかが関心の的である。

創業して 5 年目ともなると、振り返ればこれまでに作成した Web のページの量に達成感はあるが、質という面で改善の余地がまだまだ充分ある。人の心や美意識にかかわる何かを補強したい。

極論を言えば、理想と現実とのギャップを如何にして埋めるかだけで忙殺されている毎日だ。

段々と分かってきたのは、僕がプロデュースしようとしているビジネスは Web をメディアとして、お客様と僕たちの心と心が紡ぎだすタペストリーのようなものなんだということである。

肝心なのは、出来上がったタペストリーの美しさにあると考えている。

自分たちと見知らぬ誰かと奏でるハーモニーとも言える。客観的には偶然の産物と思われるかもしれないが、この上なく調和がとれて至上のものを意図して創り上げたい。

妥協することなく自分たちの主張を情報発信すれば、世界にいると言われる 64 億人の誰かにはきっと届くに違いない。

最高のお客様はどことなく僕に似た人。だから自分の信じるものについての情報発信が大切になってくると思う。

友達の友達を辿れば 6 ステップで世界中の人々に繋がるという。だから最初から全ての人々を対象にする必要はない。自分自身が最大の顧客であるとして行動するのもきっと間違いではない。

Winny 事件を発端として、ネットに発信した情報は永久に物理的に消去することのできない事実が常識となりつつある。

今は理解されなかったりしても…。

間断なく永遠に続く未来の広大な空間で何が起こるのか?

それは誰も単純明快に決して断言し得ない世界でもある。

インターネットというものは時空を超えて、人と人を繋ぐ役割を担うという認識が新たな発想を導いてくれる。

お金は使えば消滅してしまうが、情報は使われれば使われるほど、そして他の情報と重層的につづれおりを成して美しく洗練される永遠の性質を帯びている。

たぶん、僕が目指している世界というものはそんな方向に進んでいる。

2006 年 03 月 28 日 : Chain reaction

いま眺めているパソコンはネットに接続され、その向こう側には何十億台ものパソコンがシンメトリックにネット接続されている。

こんな幻想的な世界は 10 年前は想像すら出来なかったと言えよう。

たった 10 年というスパンで世界全体が変貌を遂げ、別の方向へと進みだした感がある。

何十億もの世界の人々とネットで繋がっている認識があるかないかで、主観的な世界の広がりも全然違ってくる。

生涯で勝負できる、数少ない絶好のチャンスである。

いまだにネットが珍しかった時代と同じスタイルでビジネスをしている経営者が多いように思える。

自分独自の考えを客観的な方法で表現し、ネットに情報発信するスタイルが何よりも優先されるとして僕はポリシーを曲げることなく行動している。

ここ数年というもの、営業で外出することもなければ、資金繰りで奔走することもない。セミナーや勉強会、業界団体の集会に出席することもない。講師として参加したことはあるけれども。

いまは、ただ自分と向き合って、これから激変する未来を主観的に構想しネットを通じて世界の何十億人もの人々に伝えることが肝要だと考えて、只管そればかりしている。

世界には「何十億人もの人々がネットに繋がっている」という事実をどのように捉えるかである。

アタマに想い描く世界観が極めて個人的であって、1000 人に 1 人しか熱狂的に賛同しないにしても、世界全体では数百万人もいることになる。

従来であれば、己の足で接触できる人の数に限りがあったため、どうしてもお願いして賛同してもらう必要があった。

ネットの世界では、それが全く逆になって、好きな考え方やモノが存在していたら好んでそれを選ぶという流れになる。売り手も買い手もどちらも好意的に納得する形でビジネスは進んでゆく。

そんなスタイルのビジネスが成功するか否かは世界の人々がそれを選ぶかどうかだろう。

人々から選ばれるものはどのような発想から生まれるのかが最も重要かもしれない。

宇宙全体はいまも膨張していて、僕たちの地球を包む銀河系は猛烈なスピードで宇宙空間を移動していると言われる。

けれども、僕たちにはその実感は全くない。辛うじて、地球が自転していることや太陽の周りを公転していることを、朝昼晩或いは春夏秋冬という時の流れから理解できる程度である。

空を飛んでいる飛行機や道を走る自動車はどうだろうか?

明らかに、どちらからどちらの方向へどれくらいのスピードで移動しているか自分の目で確認できる。

目隠しをされて外界が全く見えない乗り物の中にいたとすればどうだろうか?

何も知らされていないとすれば、きっとどこに向かって進んでいるのか皆目見当も及ばないと思う。

これは何を意味するかというと、世界を自分の中からだけ除いていれば世の中の潮流から外れて行動してしまう失敗をしてしまう危険性があるということである。

自分の外から世界全体を眺めることができれば、世の中の潮流に素直に乗ることができて、自分の主張がすんなりと受け入れられる確率も高まる可能性が高くなるということである。

インテルのCPUを直接自由に使いこなせる人は何人いるだろうか?1000人に1人とか、1万人に1人とか、…ってな感じで、そんな人は珍しい。

でも、インテルのCPUが入っている Windows パソコンは誰にでも使えるくらい至極簡単である。

自分が主張するものが0.1%の人にしか受け入れられなかったとしても、それを理解してくれた人がその考え方を加工、編集し、付加価値を与えることで、次の段階では全体の1%に増えることだって珍しくないのがネットである。

ネットの良さは情報が融通無碍に人から人へと伝わり、かつそのプロセスにおいて付加価値が高まることも有り得るし、そのスピードが光速である点だろう。

僕が狙っているビジネスというのは、自らが発信する情報に人々が重層的に付加価値をアドオンして、次第次第に理解する人々が増えてゆく自然な流れを創り出すことである。

2006 年 03 月 28 日 : 時は流れて

質量をもつ物質を、細胞→分子→原子→ … と分解してゆくと、確かな存在は確認されていないのだけれど、6 つのクオークと 6 つのレプトンと言われる素粒子に辿り着くらしい。

この世界に存在する、数え切れぬほどのさまざまな物質とは対照的に、極めて限定され共通する基本要素から宇宙は構成されているということである。

もし仮に全ての物質に宇宙を形作っている 6 つのクオークと 6 つのレプトンが備わっているとするのならば、ひょっとすると僕たちは何にでもなれる可能性を秘めているのかもしれない。

何が自分を自分たらしめているのかという考察も面白い。

僕のアタマの中に描かれるイメージというのは、宇宙が時空であるとするなら、たまたまそんな場に置かれたから自分というものが存在するという考え方である。

すなわち、周囲の環境が僕そのものを創っているのではないかという仮説である。

それ故に、人にとっては環境というものが全てのようにも思えてくるのだ。

とりわけ興味深いのは、人には意志というものがあり、どういった環境に自分の身をさらすのかを選択できる点である。

ベンチャーを起業すれば、大きな組織では想像することさえ叶わない自由を手に入れることができる。

あらゆる人生における岐路を他者に頼らずに自らの意志で決断し選択し行動するのが起業家の宿命であり、唯一最大のメリットであると僕は信じている。

宇宙における物質の原理から発想すれば、環境によって僕たちは何にでも変われる。

ベンチャーを経営していて常々思うのは、短期的な結論を求めようとする誘惑が余りにも多いという事実である。

宇宙とは永遠の時間軸上に展開される時空であるという認識が大切であると思う。時が流れても、なおも一層何か光る存在であるためのはどのような決断が最適なのかロングレンジに渡って展望せねばならない。

*「往古来今これ宙という、天地四方上下これ宇という」(淮南子)

2006 年 03 月 27 日 : Enthusiast

昨年末リニューアルしたばかりだけど、今年も装いを一新するサイト企画をそろそろ始めるつもりだ。

「どんなサイトを創ればいいのかな〜?」

とスタッフに訊くと、必ずと言って良いほど返ってくる回答は

「分かりやすいのがいいじゃないですか〜?」

という類のものだ。

実は僕が密かに期待する答は、

「訪れた瞬間、自ずと魅了され虜になってしまうほどの鮮烈なサイトがいいネ!」

だったりする。

ようするに、ソフィア・クレイドルの熱狂的なファンが生まれるサイトにしたい。

星の数ほどIT企業が破綻する中にあって、何故アップルコンピューター社は幾多の経営危機を乗り越えていまもなお健在のなのか?

明らかに、信者と言ってもよいほどの熱狂的なアップルのファンがいたからである。それなくして、今日のアップルコンピューター社は有り得ない。

それでは熱狂的な信者はどのようにして生まれるのであろうか?

「分かり易さ」だけでは余りにも弱すぎる。

喜怒哀楽、人の感情や感性に深く根ざしたものでなければならないと思う。

その際、成功に繋がる手掛かりは、サイトを"訪れる前"と"訪れた後"で人の感情がどのように移ろいゆくのかという「心のシミュレーション」にあると考えている。

今年はもう一歩掘り下げて情感を込めたサイト創りに全力を注ぎたい。

* enthusiast : someone who is very interested in a particular activity or subject

2006 年 03 月 27 日 : Newtype

『機動戦士ガンダム』が放映されていたのは、1979 年から 1980 年。

かなり昔の出来事だが、今もなおその輝きは色褪せず逆に初めて知る人には新鮮な印象さえ与えるロングセラーになっている。

人をそんな風に『機動戦士ガンダム』に釘付けにさせるものは何なのだろうか?

初めて観てから四半世紀の歳月を経た今も、鮮明に記憶に残っているのは "ニュータイプ(Newtype)" というキーワードである。

『機動戦士ガンダム』では、独自の宇宙全体に及ぶ世界観を"宇宙世紀(Universal Century:U.C.)"という言葉に込めて表現していた。

物語の設定では、人類が"地球"という狭い領域から、"宇宙"という計り知れないほど広大な領域へと生活圏を拡大した時に"変革"が起こるということだった。

古いスタイルから新しいスタイルへと変革した人類のことを指して"ニュータイプ"と定義した。

"ニュータイプ"の特長とは、動物が本来持っている直感(感性)というものに磨きが一層かかり、遥か彼方の遠く離れていても、時空を超えてテレパシーのようなものでお互いに認識し理解しえることである。

「何も言葉を交わさなくても瞬時に理解しあえる」という才能に人々はきっと憧れを感じるんじゃないだろうか。そして、その能力をどうやって身に着けるかということに空想を馳せてみたりする。

インターネットを駆使するビジネスでは、直接会って話をする訳でもないので、果ては地球の裏側にまで遠くにいるお客様の心を"ニュータイプ"の如く理解できる才能というものが今、求められている。

『機動戦士ガンダム』では、"地球"から"宇宙"へと旅立つことで、それまでは眠ったままだった頭脳の一部が活性化されることで、"ニュータイプ"は生まれるということだった。

それは架空の話ではあるけれど、現実の世界では人々の頭脳はほんの数%しか使われていないらしい。残りの 90 %以上の頭脳は眠ったままである。どうやってそれらを覚醒させるかであるが、その決め手は環境であることだけは確かなような気がする。

* 中国の古典「淮南子」(紀元前2世紀)によれば、「往古来今これ宙という、天地四方上下これ宇という」ということである。「宇宙」の「宇」は空間、「宙」は時間を意味し、「宇宙」=「時空」ということになる。

** 「世界」の場合、「世」は過去、現在、未来の「時間」を意味し、「界」は東西南北上下の「空間」を意味する、仏教の言葉であるという。「世界」も「時空」である。

*** 語源を辿れば、「宇宙」や「世界」というものに対する認識も大きく変化するから不思議である。紀元前の時代に、時空という概念が世界に先駆けて東洋の地に既に存在していたことはとても興味深く、僕たち東洋の人たちが大切にすべき思想ではないだろうか。

2006 年 03 月 25 日 : Collaboration

人の DNA (遺伝子) には、人類の過去、現在、未来が記されているという。

けれど、ほとんどの情報は休眠状態のままである。

人類の進歩や発展と言えるものが、それらの情報のいくつかの覚醒によるものであるとすれば、ひょっとすると僕たちはそんな観点から過ぎ去りし人たちと共に社会貢献ができるのかもしれない。

純粋には、ただひたすら個人的に好きなこと、得意なことをしているにも関わらず、人の役に立っているとすればそれは素敵なことだね、と思う。

心を感動や感激に導いてくれる過去の出来事が、自分の中に眠っている才能と言えるものを呼び覚ましてくれる。言い換えれば、ある DNA の情報が ON になる。

もし仮にその事実が人類の歴史が創まって以来のことだとするなら、これほど喜ばしいことも無いのではと思う。

それはどういうことかと感覚的に言えば、直接会えないにも関わらず、何百年、何千年も前に存在した人たちと対話した結果、生まれたものが、人類の DNA にも刻まれて、生命が続く限り永遠なる情報として残るということである。

生物の物理的な命は有限かもしれないけれども、DNA と呼ばれるものには何か永遠の生命があるかのようだ。

過去の出来事は DNA によって現代に伝播され、その空間で過去の人たちとコラボレーションがなされて、DNA の情報は進化し未来に伝わってゆく。

願わくば、人そのものが書き記されていると言われる DNA に何らかの情報を自分の生きた証として残したい。その鍵は過去に生きた偉人たちとの対話にありそうな気がする。

* collaboration : when you work together with another person or group to achieve something, especially in science or art

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