2006 年 06 月 09 日 : Standard
高校時代、書道の時間に、「不動心」という言葉を飽きることなく何枚も何枚も書いていた頃が懐かしい。
当時、この言葉に対する認識はいまと比較するべくもなく浅かった。
全くというほど分かっていなかったけど、記憶の中に残っているのが不思議ではあり、これが潜在意識というのだろうか。
会社を経営していると、不確実なものに対して、確かなる実感を抱いて意思決定するという局面が多々訪れる。
況して、ソフィア・クレイドルのように業界初という代物を世界マーケットに送り出そうものなら、そんな出来事の連続で、それを点と点に繋げてゆけば複雑に入り組んだ曲線にもなろうかというほどだ。
何事もなるべくしてなる、という天才がいるのは事実かもしれないけれど、そこには何かが潜んでいるような気がしてならない。
世界は意思決定し行動することによって変化してゆくものではないだろうか。
行動こそが変化の直接的要因であり、その元を辿れば、それは当事者である本人の意思決定の判断基準に帰着されることが容易に分かる。
意思決定のための判断基準とは、その人の人格そのもののと言えるかもしれない。
想い描くシナリオを実現できる人とできない人の差は何だろう。
これこそが重要なポイントである、と僕は考える。
真・善・美という、基本となる三軸を知って照らし合わせて、常にマキシマムな状態にあり、ブレはないかどうか。更に言えば、一点の曇りもないかどうか。
日頃から心掛けたいのは、そういった心の状態を不動のものにするということである。