2006 年 03 月 08 日 : Paradise theater
昨日は早朝から今しがたまで多忙な日々だった。
Styx の "Paradise Theater" に収録されている "Half-Penny, Two-Penny"。
大学生の頃、何回聴いたことだろうか。
Rock というジャンルの音楽に関心を持った初めての曲である。
Lyrics にある、
"Half penny, two penny, gold krugerrand
He was exceedingly rich for such a young man
Sad story, old story"
というメッセージがそこはかとなく印象的だ。
今夜は、この曲を聴きながらクールダウン。
フィナーレにかけてのメロディがこれほどまでに切なく美しいアルバムも少ないと思う。
2006 年 03 月 04 日 : 傘
"テレビでは我が国の将来の問題を
誰かが深刻な顔をしてしゃべってる
だけども問題は今日の雨 傘がない"
井上陽水の最高傑作のひとつ『傘がない』の中でも、いまでも僕の脳裏に深く刻まれたメッセージ。
人々の心理をシンプルに深く描いていると感じる。
ハイテク関連のベンチャービジネスを軌道に乗せる最大の難関はマーケティングだと思うんだけど、投資家向けの事業計画は"国家の問題"を扱う感じのものが多いのではないだろうか。
でも、世の中では「傘がない」ということが問題なのだ。
言うまでもなく解決策は簡単である。
大半のハイテクベンチャーはいわゆる"死の谷"を乗り越えることができずに沈んでゆくと言われる。
ハイテクベンチャーを経営する者として、非常に大切にしなければならないことはこの"傘がない"という問題である。
実は、ごく身近で簡単なところに"死の谷"を越える鍵が隠されているものなのだ。
2006 年 02 月 26 日 : ココロ揺さぶるモノ
学生の頃、よく聴いたユニット U2 が"How to Dismantle an Atomic Bomb"という CD で、2006 年グラミー賞 "Album of the Year" を受賞した。
仕事が忙しくて、実はこのことを知ったのは昨日のことなんだけれど、その CD を手にした瞬間、買ってしまっていた。
昨日から何度も繰り返し聴いているのだが、20 年前の音のクオリティを維持しつつも、そこにココロを強く揺さぶられる何らかの新しい要素が感じられたのは確かだった。
数え切れぬほど数多のアーティストがいる中でも、実際のところ、評価され売れているアーティストはほんの一握りである。
その分かれ目って一体なんなのか?という問い掛けは重要だと思う。
僕たちのビジネスでも、ソフトウェア製品を創ること自体は全然難しくもなんともない。
しかし、その製品がマーケットから評価され売れるのとは別問題である。多くのミュージシャンと同じ99%以上を占める大半のソフトウェアは時の経過と共に人々の記憶から跡形もなく姿を消してゆく。
「人々の記憶に残る」っていうのが最大のハードルじゃないかと、このビジネスをやっていてしみじみと実感する。
それでは「人々の記憶に残る」とは一体全体なんなの?という疑問が沸いて来る。
大学でロジカルに学んだ高度な理論は微かに記憶に残る程度だけれども、友達と楽しかった懐かしい思い出はいまでもリアルに記憶の中に残っている。
振幅の激しい「喜怒哀楽」に纏わる感情というものは、強ければ強いほど良くも悪しくも記憶の中に残るものである。時の経過と共に記憶の変容もあるかもしれないがその原点は変わらないだろう。
ロジカルでなくてエモーショナルなことっていつまでも人々の記憶に残る。
だから、日々リリースされる数え切れないほどの製品の中で、その製品がマーケットで健在であるためには、その製品の原点が人々の心を揺さぶるところにないといけないし、マーケティング活動にしても人々のココロとシンクロしながら進めなければならない。
今日は、U2 の"How to Dismantle an Atomic Bomb"を聴きながら、そんなアプローチの重要性を再認識させられる、そんな日であった。
2005 年 12 月 21 日 : ライヴ映像を観て
最近、功なり名を遂げた、ミュージシャンのライヴ映像を何度も繰り返し観る。
"何故超一流となり得たのか?"
映像を観た瞬間、その理由がリアルに分かる。
真剣さ、集中力、情熱、熱意、思いのオーラ…が明らかに普通とはかけ離れて違うのだ。
そこには異次元の世界があるのかもしれない。しかしそれは手が届かない程遠くにあるわけでもない。
最終的には単なる"意識の問題"に帰着されると思う。言い換えれば、目標設定のレベルの差である。
目標とする"夢"や"希望"が、高ければ高いほど、大きければ大きいほど、己を絶体絶命の崖っぷちに晒す機会も多い。
けれども、人というものはそんな逆境をバネに成長し、""超一流"へと雄飛するのではないだろうか。
2005 年 12 月 18 日 : 蘇生
最近、"IT'S A WONDERFUL WORLD : MR. CHILDREN"に収録されている"蘇生"をよく聴く。
二車線の国道をまたぐように架かる虹を
自分のものにしようとして
カメラ向けた
光っていて大きくて
透けてる三色の虹に
ピントが上手く合わずに
やがて虹は消えた
胸を揺さぶる憧れや理想は
やっと手にした瞬間に その姿消すんだ
でも何度でも 何度でも
僕は生まれ変わって行く
そしていつか君と見た夢の続きを
・・・・・・・・・
何度でも 何度でも
僕は生まれ変わって行ける
そうだ まだやりかけの未来がある
(Lyric by 桜井和寿 2002)
この部分に妙にシンクロしてしまう。
ソフトウェア製品を研究開発し販売する事業を展開しているのだけれども、ソフトウェアというのは蘇生の繰り返しとも言える。ハイセンス、ハイクオリティを求めて、これまでに幾度となく製品を蘇生させてきた。
2005 年も例に漏れずそんな 1 年だった。
ほとんどの仕事は、現在ではなく 2006 年以降の未来への"夢"と"希望"を託した、過去のソフトウェアの蘇生そのものだった。
創業以来、製品は 3 回、ホームページは 5 回も繰り返し蘇生している。
ひとつだけ確かに言えるのは、蘇生の度にハイセンス或いはハイクオリティの方向に向かって飛躍している実感である。
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2005 年 11 月 05 日 : スタンス
音楽や映画、スポーツなど、プロフェッショナルな世界に憧れる。たとえ僅かな時間であったにしても、競技場やライヴの空間では、生きる感動や癒し、エネルギー・・・がリアルに感じとれる。
反面、内容(コンテンツ)そのものが問われる、人びとの感性によって自然淘汰され、本物にしか居場所がない厳しい領域でもある。だからこそ憧憬の対象として映し出されるのかもしれない。
そんな領域に自分を置いてみる。生まれて初めて自分の限界を知りもすれば、未知の可能性を発見する喜びもある。幻と思っていた夢が現実になったりもする。それは、確かに自ら人生を切り拓いて生きていると実感できる、感動体験の綴れ織のようなもの。
超一流と言われる大学や組織での経験や著名人とのコネクションがあるからと言って、それだけは全然通用しない。本質が問われるプロフェッショナルな世界は甘くない。ある意味ではフェアな世界である。
サラリーマンや公務員の世界はアマチュア的な空間の典型的な例だ。学歴や職歴など過去の栄光を身にまとって自分のポジションを確固たるものにしようとする者も少なくない。
たとえばミュージックシーン。超一流の経歴だから、有名人とのコネがあるからという理由で、人はその曲を買うわけじゃない。問われるのは中味の内容そのもの。
プロフェッショナルな観点から言えば、過去の華々しい経歴もしくは己の外にあるブランドで自分を飾る人って「?」である。もっともっと自分そのものに自信を持つスタンスが大切だと思う。