2006 年 06 月 16 日 : Marketing innovation
イノベーションというキーワードには何となくテクノロジー的な雰囲気がするけれど、手掛けているビジネスをブレークさせようものならば、マーケティングイノベーションというものも絶対に外せないということが分かってくる。
それでは、一体、マーケティングイノベーションとはどういう概念なのだろうか?
人によってその解答は勿論異なると思うけれど、僕はこんな風に理解している。
コンピューター業界においては、いまでは IBM や マイクロソフトは偉大な大企業であるが、最初からそうだった訳ではなく、ある切っ掛けで飛躍したことが歴史を紐解けば分かる。
IBM にしても、マイクロソフトにしても、優れたテクノロジーを持つ企業であったことに変わりはないけれども必ずしもナンバーワンであった訳ではない。
寧ろそれよりもテクノロジーの面ではもっと素晴らしい企業が存在していたのも事実なのだ。
IBM の場合、UNISYS(旧ユニバック)。マイクロソフトの場合、デジタルリサーチやアップルコンピューターである。
何故 IBM や マイクロソフトがそういう企業を凌駕しえたのかということが重要なポイントになるだろう。
IBM は、それまで科学技術計算の用途が主体であったコンピューターを商業分野へと応用し、 マイクロソフトは個人の趣味の対象に過ぎなかったパソコンをビジネスで使えるようにした。
IBM もマイクロソフトも最初から戦略を持ってそれを為したのではなく、偶然の機会を発展的に拡大していったに過ぎない。
元を辿れば事の始まりは依頼した顧客の発想が原点であったことが分かる。
意図的に目論んでビジネスを展開する以前に、自社だけでは思いも付かぬ発想をする人が外部にいて、それを自社に取り込んでビジネスとして育てていったと解釈できる。
研究開発型ベンチャーで飛躍を遂げた企業を研究すると、そんな些細なチャンスをモノにして、マーケティングイノベーションを起こした企業は枚挙に暇がない。
テクノロジーをブレークスルーさせるためにある種の利用シーンを想定するのは必要不可欠であるけれど、そのテクノロジーが大きく育つ場は案外それ以外のところにある場合が大半である。
ベンチャーが飛躍するか否かはそれに掛かっていると極論もできよう。
そのためにも、何気ないお客様との会話に潜んでいる、「マーケティングイノベーションの発芽」をキャッチできるかが問われることになるだろう。
2006 年 03 月 24 日 : Evolution
今から 30 年余り前の、1975 年 2 月。
ビル・ゲイツとポール・アレンはアルテアという名のマイクロコンピューター用BASICを完成させた。
アルバカーキという砂漠の地にて、 ポール・アレンはアルテアに
"print 2 + 2"
というメッセージを送ると、
"4"
という返答のメッセージがアルテアから返ってきたという。
事実上、今日の「マイクロソフト社」が生まれた瞬間である。
" 2 + 2 = 4 "
至極当たり前のことで、何ら特別な感情を持ち得ない出来事と思うかもしれない。
当然の結果じゃない?
どこが凄いの?
ちょっとショボイね。
………
一般的な見方というのはきっとそんなところに落ち着くであろう。
でもベンチャーというのはそんなにも小さなところから出発し、時と共に進化発展してゆくのが真実の姿である。
どんな偉大なものにしても、創世記の実態というのは全然大したこと無いかのように見える。学ぶべき教訓は、数十年、数百年後にそれがどんな風に大変貌を遂げるのかというビジョンである。
恐らく、質問 "print 2 + 2" に対するアルテアの回答 "4" という数字記号に、ビル・ゲイツとポール・アレンは今日のパソコンの姿を思い浮かべたに違いない。
目前の現実を直視するよりかは、イマジネーションを全開させてその先に待っているものをビビッドに観ることもベンチャー起業家には欠かせない才能と思う。
* evolution : the gradual change and development of an idea, situation, or object
2006 年 03 月 24 日 : マーケティング
「企業は、その目的が顧客を創造することであるがゆえに、二つの、いや二つだけの基本的な機能をもっている。それはマーケティングとイノベーションである」とP.F.ドラッカー氏はいう。
たった二つの基本機能しかないにも関わらず、冷静に周囲の企業を見渡せば、二つがバランスの取れた企業は滅多に見掛けない。
マーケティング、もしくはイノベーションのどちらかに甚だしく傾いているのが現状ではないだろうか。
P.F.ドラッカー氏のいう、マーケティングとイノベーションのバランスを僕は何よりも大切にしている。
根本的な原理原則にも拘らず等閑にされていることは、他と比較して相対的に百戦百勝の勢いで経営するための能力を獲得したに等しいからだ。
ソフトウェア業界では、技術志向の企業はイノベーションに没頭するあまり、マーケティングが貧弱である場合が多い。
ソフトウェア業界のサイトについて、デザイン、文章、構造、ナビゲーションなど、どうだろうか?
これはよく出来ているということで、それを参考にしてサイトを設計し構築したいと思えるのはごく僅かではないだろうか。
昨年サイトリニューアルのためにいろんなサイトを研究していた頃、僕はそんなサイトをソフトウェア業界に見出せなかった。
デザインが良かったり、製品情報以外に役立つ情報を発信をしていたり、製品マニュアルを公開していたり、製品価格を公開していたり、日本語だけでなく英語のサイトを公開している例はあまり見当たらない。
この業界はそのような切り口では競争レベルが極めて低いと言えるかもしれない。
確かにプログラミングを趣味とし得意とする者にとって、テクノロジーの追求は楽しいものである。だけど、たとえ世界に誇れるほど、もの凄い技術が生まれたとしても、それが売れなければそれは自己満足でしかない。
人々に好んで選ばれ売れ、そして使われることに意味があるのであって、未来への飛躍はそれを起点にして創まるのである。
ソフトウェア業界では、他の会社がマーケティングが等閑になっているだけに、ほんの少しそれに努力を傾けるだけで収穫は予想以上にあると思う。
それはこんな例えが分かり易いかもしれない。100点満点で、数学が 90 点、英語が 5 点であったとする。
上限が 100 点であるだけに、数学を 95 点にするには大変な努力が要求されるが、英語を 10 点にするのは容易い。しかも前者は相対的に5%弱の点数の上昇に過ぎないけど、後者は 100 %の点数の上昇なのである。
5 点であるマーケティングに少し注力し、10 点にまで向上させる努力で得られる成果は桁違いに大きい。
2006 年 03 月 22 日 : プラスアルファ
弊社にジョインしているスタッフは京都の大学・大学院に通う学生が多い。
何らかの切っ掛けで偶然出合った間柄である。
茶の湯の「一期一会」という言葉を大切にしている。
人生において時間ほど貴重なものはない。一瞬たりとも無駄にすることなく常に生産的でいたい。
働いた時間だけ小遣い程度の報酬を得るというよりは、もっと貪欲になって生涯に渡って文字通り「ツカエル」計り知れない何かを身に付けてもらいたい。
だから、仕事を提供する経営者として考えるべきは、単に労働に報いる対価以上に、僕にしかスタッフに与えることができない「+ α 」って何かという問題意識だ。
段々と分かったきたのは、学生はビジネスの素人だということ。
十中八九、世の中で価値あるモノを見出し創造して、その価値に応じてお金を得るというプロセスに疎い。
高校や大学で全く習わないのだから至極当然の話ではあるけれど…。
けれども社会に出て独りで生きていくためには、これほど必要とされ涸渇しているスキルも少ない。
要するに希少価値があり、金銭では計ることすら不可能なコンセプトなのだ。
ベンチャー企業では、そんな能力がなければ間違いなく倒産の憂き目に会う。逆に言えば、ベンチャーが曲がりなりにも存続しているのは、多少なりとも自立しうる力が内在しているということなのである。
世の中、成功する人もいれば失敗する人もいる。圧倒的に多いのは失敗する人たちである。
違いは何か?
間違いなく言えるのは、目に見えないチャンスを自分のものにできた人だけ成功するという冷徹な原理である。
ブランドが華々しく一世を風靡している場所に、チャンスって多そうに見える。実際のところは、順境の局面において、ものごとの本質を見極めるはとても難しい。
皮肉かもしれないけれど、ブランドがその輝きを世に見せる夜明け前の方がはっきりと目視できる。
統計学的に言えば、何らかの才能である一定水準以上の人物は必ず存在するものである。
その人が創ったものが人々に選ばれるかどうかというのは、確率で計れるものではなくて、原理原則に基づく行動をしているかどうかの問題に過ぎない。
だけど、この原理原則というのものが簡単なようで難解なのだ。
ソフィア・クレイドルで働く意味はどこにあるのか?
仮に自分が何らかの才能で人よりも秀でているとする。
自分でその才能をどのようにプロデュースすれば、他者に頼るでもなく、確実に成功できるのかというノウハウを体得できること。
そこに弊社のようなベンチャーにジョインする意義を見出せる。それこそが得られる最大の価値であると僕は考えている。
2006 年 03 月 21 日 : 空間ワープ
ベンチャーとは、全ては無から創まるビジネスだけに、既存の企業とは計り知れないほどのハンディがある。
けれども、これはどこの傘下に入るわけでもなく、独立独歩のスタイルでベンチャーを起業した者にしか理解し得ないことなのかもしれない…。
ハンディを乗り越えるツールはひとつだけあると思う。
誰もが持っているはずの"智慧"である。既存の企業を桁違いに凌駕するだけの"智慧"を振り絞って行動しなければ、独立系ベンチャーの命なんて一瞬のうちに潰えることであろう。
そうならないためにも、当たり前のことなんだけれど、意外に難しいのが"売れる状況"をどうやって演出するかである。
売れるものに共通する概念について徹底的に考え抜くことが大切だ。
地球の裏側にまで瞬時に空間をワープするほどの「これってなんとなくいいね!」という気持ち、感情、心の波形こそが、そんな売れる雰囲気を創り出すんだ、と僕は思う。
そんな心の波形のカタチって漠然としていて、直ぐに的を得た答も得られるわけでもなく、いろいろと想い描いているうちに儚くも時は過ぎ行く。
だけど、イマジネーションと共に流れる空間に身を委ねて時間を過ごすことで、突然アイディアというものは思い浮かぶのである。
多くの人は、ダイレクトに商品の効能を大々的にプレゼンして、成功を収めようとする。
正攻法である。
なんとなく別の方法がありそうな気がする。
曲を作ったり、絵を描いたり、文章を書くとき、心の欲するままに素直に表現するときに傑作って生まれるのではないだろうか。
事業として手掛けてるのはソフトウェア業。プログラミングの世界である。アルゴリズムとかややこしいものがあって、かなりロジカルなものに思えるかもしれない。
でもプログラムにしても、乗りに乗っているときなんかは、左脳じゃなくて右脳で直感的に創るスタイルになっている。そんなときに限っていい作品って生まれる。
いま創っているものを人々が手にした時、どんな気持ちになるのかイメージすると良いだろう。
その時、圧倒的にプラスの方向へと誘う感情を確かに見出せたなら、それは売れる瞬間がイメージできたと言えるのかもしれない。
2006 年 03 月 04 日 : 傘
"テレビでは我が国の将来の問題を
誰かが深刻な顔をしてしゃべってる
だけども問題は今日の雨 傘がない"
井上陽水の最高傑作のひとつ『傘がない』の中でも、いまでも僕の脳裏に深く刻まれたメッセージ。
人々の心理をシンプルに深く描いていると感じる。
ハイテク関連のベンチャービジネスを軌道に乗せる最大の難関はマーケティングだと思うんだけど、投資家向けの事業計画は"国家の問題"を扱う感じのものが多いのではないだろうか。
でも、世の中では「傘がない」ということが問題なのだ。
言うまでもなく解決策は簡単である。
大半のハイテクベンチャーはいわゆる"死の谷"を乗り越えることができずに沈んでゆくと言われる。
ハイテクベンチャーを経営する者として、非常に大切にしなければならないことはこの"傘がない"という問題である。
実は、ごく身近で簡単なところに"死の谷"を越える鍵が隠されているものなのだ。