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President Blog : Sophia Cradle Incorporated

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2005 年 08 月 20 日 : Feeling

サラリーマンをしていた頃は誰もが知っているブランドを売っていた。ベンチャーはその対極にあって、誰も知らないブランドを売るところから創まるビジネスである。だからベンチャーをはじめたばかりの頃は、自社の製品やサービスを販売するのにさまざまな創意工夫を施したものだった。

その過程において思ったのは"フィーリング"という概念である。どんなものにしてもモノならば人間が作るから、それと似たものは他の人間にも作り得るという可能性を認識せねばならない。例えば、自動車にしてもテレビにしてもパソコンにしても、さまざまなメーカーが製造して販売している。

それを買う側の立場にたってみると、製品を販売する時のコツというものがつかめるような気がする。私たちはモノを買うとき、どのような価値判断で選択しているだろうか。購入するまでに少しは考えるような高価な自動車や電気製品、洋服を買う時のことを想像して欲しい。結局、何となく良さそうだから人はそれを選ぶ。

自動車なら、移動するという意味ではどんな車も変わりない。けれども、買う車はどれでも良いと言うわけでなくその車でなければならないのだ。その車に乗ってハンドルを握った瞬間に感じる"フィーリング"がきっと決定的なんだと思う。

消費者は製品に触れたとたん、本能的に作り手の思いとシンクロしそのフィーリングで購入の意思決定をしているのではいないかと思う。購入者と開発者は直接話をするわけではないけれども、製品というものを媒体にしてコミュニケーションしているように。

そんなこともあって、スタッフがどんな思いで製品を開発しているのかということはとても大切と考えている。だから夢や希望や憧れを抱いて創られた製品にはそんな想いがきっと込められるから、それは人々から選ばれるのだろう。

2005 年 08 月 18 日 : Leading company

創業以来ずっと、業界の"リーディングカンパニー"と称されるお客様に選ばれる製品を企画し開発し販売してきた。いま対象としている業界は、コンテンツ、ゲーム、システムインテグレーター、情報通信。今のところ、それぞれの業界のリーディングカンパニーがソフィア・クレイドルの製品を採用して下さっている。どちらかといえば順調である。

なぜ"リーディングカンパニー"なのか?

その企業が"リーディングカンパニー"となり得た理由を考えればそれは明らかである。原因があるから結果があるというロジカルシンキングは極めて重要。その企業がお客様の期待を遥かに超える"超一流"の商品やサービスを創造できたからリーディングカンパニーとなったのだ。

業界のリーディングカンパニーともなれば、資金も潤沢である。それ故にありとあらゆる企業からさまざまな企画提案を受けていることは想像に難くない。同じようなものであるならば、"No. 2"以下よりは"No. 1"を選ぶというのが業界トップの当然の結論だろう。時代の変化が激しい世の中である。"リーディングカンパニー"といえどもいつ何時何が起こるか知る術を持たない。

だから業界トップであるばあるほど、自社のサービスに必要なものであれば最も優れたものを選択する傾向にある。即ち、リーディングカンパニーと呼ばれる企業に製品が選択されるということはその製品がそれなりに高く評価されたということなのだ。

最近顕著に思うことがある。それは業界において生き残れる企業というものは極めて限定されるということである。パソコンのオペレーティングシステムであれば Windows と MacOS と Linux くらいしかなく Windows が大半のシェアを占めている。しかしニッチで構わないから、業界でトップであるためにはどうすべきか。創業期の初めの頃から、"リーディングカンパニー"へのマーケティングにこだわって戦略的に発想し行動するように心がけた。

2005 年 08 月 17 日 : Heart & Mind

和英辞典で調べてみると、"人々の心をつかむ"を英語で表現すれば"win the hearts and minds of people"ということらしい。"heart"も"mind"も心であることに違いは無いけれど、"heart"は喜怒哀楽など感情の宿る心、"mind"は知性・理性の宿る心という風に使い分けがあるようだ。個人的に興味深いと思ったのは、"win the minds and hearts of people"ではなくて、"win the hearts and minds of people"であるという点である。先ずは感情の心"heart"が先に来て、それから知性や理性の心"mind"と続く。

今、ホームページのリニューアルプロジェクトを精力的に進めている。これまでのソフィア・クレイドルのホームページは、ただ製品や技術、会社に関する情報を提供するので精一杯だった。それでもそれぞれのデザイナーが表現していたイメージはずっと"水"と"空"だった。その解釈は自由と思う。

お蔭さまで開発した製品は売れ、余裕もある。次の展開に備えて、その余力をどう活かすか。ベンチャーの成長はその意思決定に左右されると思っている。光速のスピードで世界に張り巡らされたネットの存在は、自分達にとって遠近関わらず雑多な情報で溢れんばかりで無視できない故に、ネットへの正当な対策を早めにやっておいた方が良いと考えている。

"お客様の心をつかむものにしたい"

"win the hearts and minds of our customers"

ホームページリニューアルプロジェクトに描く私の思いだ。英文表記にもあるように感性の世界である"heart"が最初。それから論理の世界である"mind"。この順番は絶対に誤ってはならないと思う。

ホームページで"感性"って何なんだという疑問に突き当たってしまうのだが、個人的な感覚からすればそれは"色"ではないかと思う。少々高価な洋服を選ぶ時は、その服が光線の具合によってどんな色に見えるかというところが最重要ポイントではないだろうか。初めて会う人には形よりもその色の雰囲気で第一印象をずっと持たれてしまうことも多い。だから色については敏感になる。ホームページもそれと同じでどんな色の組み合わせで演出するかというのはきっと大切なことだ。

売れる色・売れるデザイン』(高坂美紀著)によれば、「明るく澄んだ色」と「暗く濃い色」を組み合わせるとたいていの人を癒せるとのこと。"DEEP BLUE"という美しい映像で評判の映画がある。今年最も売れているDVDの一つらしい。この映画では果てしなく続く海を背景にそんな色が随所に見受けられる。色以外の要素もあるかもしれないけれど、どんな生き物でも癒される色には魅力を感じるように思う。

それではどうやってそんな色を創り出すか――が最大のポイントになってくると思うのだが、空(その先にある宙)や海、山、川、森、私たちの周りを取り囲んでいる自然は人間を癒してくれる色で満ち溢れているように感じる。そこにヒントが隠されているような気がする。

2005 年 08 月 16 日 : Eternal

文化の香り高きものはその息が長い。それは音楽、絵画、文学など何百年、何千年にも渡っていまだに生き続ける作品で確かめることができる。でも「文化」と気軽に言うものの、これについて正確に定義することができるだろうか。

三省堂の新明解・国語辞典には次のようにあった。

『その人間集団の構成員に共通の価値観を反映した、物心両面にわたる活動の様式(の総体)。また、それによって創りだされたもの。〔ただし、生物的本能に基づくものは除外する。狭義では、生産活動とは必ずしも直結しない形で、真善美を追求したり、獲得した知恵・知識を伝達したり、人の心に感動を与えたりする高度な精神活動。すなわち、学問・芸術・宗教・教育・出版などの領域について言う。…… 〕』

この「文化」の定義を読んで個人的に思うのが、"真善美"とか"感動"、"人間に共通する価値観"といったような"質的な"キーワードである。「文化」というものが量的な尺度で測るものではなく、質的に評価されるものであるが故に「文化的なもの」ほどその寿命は長く永遠を保つのだろう。

ベンチャーの唯一にして最大の弱点は、その基盤の不安定さにあると思う。だからベンチャー起業家は、先ずは生まれながらにして持つ不安定感をどうやって拭い去るかに最も力を入れねばならないと思う。そういう意味において、ベンチャーにおいて創るべき商品やサービスに何らかの文化性があるかがポイントであるような気がする。

ソフトウェアの場合、ソースコードのエレガントさや操作の心地良さなどの感動がアートといわれる域までに達しているかどうか、作者自らが自問自答する姿勢が必要だろう。もうこれ以上のものを創り出すのは不可能に思える段階になって、やっとそれは文化となり永遠の生命も持つ作品として後世に残るのかもしれない。

2005 年 08 月 15 日 : Mechanism

飛行機は自動車と比較しておよそ10倍程度のスピードで空を飛んでいる。"仕組み"が根本的に異なっているからそんな桁違いのスピードも実現可能となるのだ。ビジネスでも業績を10倍に伸ばそうとすれば、"仕組み"そのものを変革しなければならない。

ビジネスの場合、"仕組み"を決定付ける可変のパラメーターは無限にあり、かつ個々のパラメーターも如何様にも設定可能である。だからこのパラメーターチューニングはアートの領域といえるかもしれない。それほど微妙なバランスの上に成り立つ世界なのである。

業績を10倍に伸ばすためには人員を増やすというアプローチがまず考えられる。スタッフへの平均給与というものは人件費の総額を人数で割った数字である。また何時如何なるときも業績が好調ということはあり得ない。だから増員のアプローチはできるだ避けたい。

"現有スタッフでどうすれば業績が10倍になるだろうか?"言い換えれば"10人分の仕事を1人でやるにはどうすればよいだろうか?"こんな風に問題意識を持って真面目にこの問題に取り組んでいる人は少ないかもしれない。けれども個々のスタッフの生活の安定や充実、そして会社の存続のための本質はこんなところにあると私は考えている。

一つの答えは、定型的な業務は出来る限りコンピューター化するところにあると思う。その中でもお客様とのコミュニケーションをどのようにバランスよくコンピューター化するかが重要なポイントであり、最大の難関である。そのノウハウは未来の企業経営の根幹の役割を担うようになると考えている。

インターネットがブロードバンド化し、パソコンも高機能、高速化した今、文章だけでなくマルティメディア的な WEB 表現で、いろんな事柄や物事をお客様に伝えることができる時代となった。

例えば「"業績"="受注の数"」とすれば、"業績"を10倍にするということは注文の数を10倍にするということを意味する。Web 経由のみでビジネスを展開しているとすれば、これを達成するにはいろんなアプローチがある。

Web サイトにやってくるお客様の数を10倍にする方法。注文に至るまでのクリック回数を10分の1にする方法。1000名中1名の注文を100名中1名の注文とする方法など……

Web サイトによる販売のメリットは売上が安定するということと、365日24時間年中無休で全世界に販売できるポテンシャルがあること、それから何よりも費用が無視できる点にある。弱点は、コンテンツ自体は現代のコンピューターでは創り得ないことである。それだけは人間にしかできない仕事であり、人間がコンピューターに勝る点だ。それはソフィア・クレイドルのソフトウェア製品と類似した性格を帯びている。

インターネットで調べてみると、フェラーリ F430 という自動車は 490 馬力のエンジンを持っているらしい。他の自動車のエンジンにも同じくそれぞれに決められた馬力数の性能があって、その自動車を運転する人はその馬力でその自動車は走るものと見なす。ところが、人間にはそんな風に何馬力といったような定量的な数値で測れるものは存在しない。これは人間というものは如何様にでもパフォーマンス自体が変化してしまうから、測りようが無いからもしれない。

どんな時に仕事のパフォーマンスが最大化されるかは言うまでもないことかもしれない。敢えて言うならば「自ら仕事を計画し自らその仕事を実行する時」にのみ最高といえる仕事を達成しうるものである。大企業であればあるほど、自分や周囲の人々を見ていて、こんな当たり前なことが為されていないように思った。ベンチャーが大企業に互して世界に誇れる商品やサービスを提供するためには、少なくともスタッフが自ら自発的に仕事に取り組んで、桁違いのパフォーマンスを発揮するワーキングスタイルも欠かせない。

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2005 年 08 月 14 日 : Grassland

製品やサービスがお客様に選ばれるから企業は存続し、製品やサービスは企業に在籍するスタッフによって創られる。だからスタッフの才能や熱意、努力が全てともいえる。有能な人材がその企業にジョインし、ポテンシャルを発揮すればするほど間違いなくその企業は発展し繁栄するだろう。

最近、競走馬の育成についての本を読んだ。"ミホノブルボン"というダービー馬の調教師であった、故・戸山為夫氏が記した遺作である。サラブレッドでもミホノブルボンには血統的な魅力が全く無かった。それで他の馬の何倍もの調教を日々こなしたという。このような鍛錬によって無名の血脈に眠っていたポテンシャルが顕在化したという。

競走馬は牧草を食べる。牧草は大地に根を下ろす植物である。だから決め手は大地が原点と言えるだろう。大地に生える牧草も最初は大地の栄養分が潤沢にあるから質も高い。しかし大地は年々やせ細って栄養価に劣る牧草しか生えなくなっていく。その結果、競走馬の運動能力にも影響を及んでくるという。だから、青々とした牧草が生い茂る、広々とした大地で育った競走馬のスピードとスタミナは他よりも勝る。

それはその競走馬だけの問題でもなく、その競走馬を産むことになる母馬にまで遡って影響があるらしい。競走馬の訓練にしても早く始めれば始めるほどその才能の開花も早く、能力も最大化されるという。"競走馬"という一言では片付けられないほどの様々な努力がなされている。

どんな環境を用意すればスタッフが自然に育っていくのかと考えることも多い。この「鍛えて最強馬をつくる」という方法に何らかのヒントが隠されているように思った。

ベンチャーの場合、創業の頃であればあるほど、やるべき仕事の範囲も広い。それから毎年仕事自体がダイナミックに変化しひろがってゆく。しかもそれは年々スケールアップ、高度化する。それはあたかも競走馬が食べる栄養価の高く瑞々しい牧草の如くだ。

危機的な状況に遭遇することがあり、その都度ギブアップして脱落するものもあれば、留まるものもいる。それがその人間が次のステップに向けてステップアップするための脱皮のように私は考えている。その壁を乗り越え続けることこそがきっと成長の糧なんだろう。

自然淘汰という言葉があるように、人間社会もビジネス地帯は砂漠であり競争によって適者しか生存できないくらい厳しい。生き残るためには、厳しい環境に自分自身を置き続ける勇気と強い意志が必要で、それこそが"超一流"への最短経路だ。

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2005 年 08 月 13 日 : Goal

ハイテクベンチャーにて、過去に存在し得なかった新しいテクノロジーを研究開発し、マーケティングし、そしてグレードアップするサイクルを繰り返すのはマラソンのレースに参戦するようなものなのかもしれない。最終的に研究開発したテクノロジーが売れ、お客様の期待を上回る満足感が生まれる瞬間がマラソンでいうところのゴールインである。

マラソンでは自分の体力や能力に合ったペース、最適化されたランニングフォーム、強靭な肉体と精神力が思い描くフィナーレを飾るためのポイントとなるという。何よりもゴールインそのものの価値はランナーにとって他に代え難い。

直ぐには決着の付かない長期戦のレースは、序盤、中盤、終盤などの局面に応じた戦い方をしなければならない。それが最終的なゴール地点での栄冠獲得への決定的な要因となる。

手掛けるものが大きければ大きいほどゴールに辿り着くまでの道程は遠く、そして険しい。ゴールインできるかどうかさえ客観的な視点からは定かでない。ゴールに到達できなければ社会的に全く意味が無い。しかし、ビジョン、戦略・戦術、冷静な意思決定と絶対に達成する強い意志というような条件が揃えば、100%に近い確率でゴールインできると信じている。

マラソンは郊外の街並みを駆け抜けてゆくレース。ランナーたちの目にはその地点、その地点の美しい景色や応援する人々の姿が入ってくるらしい。ゴールまでの距離というものは最初遥か彼方にあったものが徐々に近づいてくる。それもゴールに近づけば近づくほど加速する勢いなのではないだろうか。トップでゴールを切るランナーの場合はそんな感じであるように思う。同じ往路の景色も、折り返し地点からの復路の景色とは違った映像として観えてくるに違いない。

独創的なテクノロジーの研究開発を創めた段階では、それが本当に実現するのかどうかゴールさえも見えないままにただ闇雲に走っている姿に近い。ずっと黙々と走っている時、突然光が差し込んできてあっけないほど新テクノロジーが実現してしまう。それまでは強い意志力で只管走るしかないのだ。

それ故に、新しいテクノロジーというものは、最初は実現するという一点にのみフォーカスが当てられているのだ。実際に利用する人の視点には立っていないのが実情だ。何しろ実現できるかすら分からないのに、使い勝手や利用シーンまでイメージする余裕は無い。

けれども、そのテクノロジーが現実のものとなれば、次は完成に向けて折り返し地点を回って油断することなく栄光のゴールを目指すのみ。多くのハイテクベンチャーが失敗する原因はテクノロジーの実現をゴール地点と錯覚してしまう油断にあると思う。その先にはまだ進むべき道があるのに…。

いくら画期的で革新的なテクノロジーを実現したとしても、期待を超える満足感や感動のイメージを利用者の心に描けなければ無駄骨としか言いようがない。そのためには先ずは利用者に使ってもらわなければ始らない。

長丁場の前半戦はどちらかといえば自分とテクノロジーとの戦いである。希求していたテクノロジーが実現された後、即ち折り返し地点を過ぎてからの後半戦ではそのテクノロジーを利用するであろうお客様の視点が大切になってくる。開発者の立場や都合で創ったものをお客様の軸に座標変換してテクノロジーを昇華させて初めてそれは真の意味でエンディングを迎えることになるのだ。

2005 年 08 月 12 日 : ある数学的な考察

公理とはそれが自明であることにしようという一種の前提条件のようなものである。数え切れない程の定理によって構成される、計り知れない数学の理論体系も創まりはほんの数個の公理の集まりに過ぎない。公理系に正しいと証明された命題を定理として追加し、その定理によってより複雑な内容の定理が証明されてゆく。それはソフトウェアを理論的に構成してゆく様に何となく似ている。

元を正せば、コンピューターは 0 と 1、そしてその 2 進数による加算からなる公理系から様々な定理のような機能が追加されて、今日のような誰にでも簡単に使える、日常の仕事や生活において欠かせないツールになった。

具体的なたとえで言えば、多くの方が斜辺の長さを C として、そのほかの2辺の長さを A、 B とすれば、

  A × A + B × B = C × C

というピタゴラスの定理を覚えているのではないだろうか。この定理を使えば A = 3, B = 4 の時、容易に C = 5 というように C の長さを導き出せる。

レオナルド・ダ・ヴィンチによるエレガントな証明が存在したりする。一見簡単そうに見えるピタゴラスの定理を 10 分以内で証明できる人は 100 人中 1 人いるかいないかというところだが、この定理を使うのは至極簡単。それ故に使われ続ける定理は偉大であって永遠の存在そのものである。

寿命の長い製品を手掛けようとすれば、その製品の時間の流れる方向を見極めるというのが肝心なポイントではないかと考えている。元来、コンピューターは数学的な発想から生まれたものである。あたかも新しい定理が次々と証明されてはそれが数学的理論体系に付け加えられて数学が進化発展を遂げているように、ソフトウェアも樹木の年輪のような薄いレイヤーが時間の経過を経て積み重ねられては新しい発明や革新が起こっている。そしてコンピューターはますます人間に近い存在になり、ユビキタス(いつでもどこでも必要な情報が取り出せる環境)といわれるようなキーワードで表現されるようになってきた。

いま創っているものが"未来のソフトウェア"の前提になり得る定理のような存在であるか否か?その見極めこそがソフトウェア系ハイテクベンチャーの製品計画の本質だ。

2005 年 08 月 11 日 : Ocean

「行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しく止まる事なし。世の中にある人と住家と、またかくの如し」

鴨長明による「方丈記」の有名な冒頭の一節である。オフィスから徒歩で数分のところに世界文化遺産として有名な下鴨神社がある。その近くを加茂川と高野川が合流し鴨川として北から南へと走っている。調べてみると、鴨長明は下鴨神社の神官の次男だったらしい。著名な文章は鴨川が合流する辺りの風景を眺めながら想い浮かべたものかもしれない。

いつも眺めている川は同じだけれど、その川を流れる水は決しては同じではないという意味らしい。何でも良いのだけれど、会社でもその存在そのものは何ら変わらないのに、それを構成するスタッフは時間の経過と共に変化する様がこんな感じである。

新しい世界を期待してソフィア・クレイドルにジョインする者もいるし、たまたま通過するものもいる。スタッフ自身も物理的に精神的に時の移ろいとともに確実に変化している。人それぞれに個人的な思いがあり、それを正確に捉えようとすれば正しく複雑系の科学なのかもしれない。複雑系の学問では、個々の構成要素をバラバラに分解しようとしても逆にますます複雑性を増すばかりで理解が困難になるが、複雑なものも全体の概念として把握に努めればその実像が明らかになると言われている。

会社についても複雑系的な発想でものごとを考えるのが良いのかもしれない。

大切なのはきっと創業以来存続している「ソフィア・クレイドル」という川のような存在が全体として何処に向かって流れているかではないだろうか。川の水が流れの方向に進んでいくように、会社のスタッフもその方向に向かって進むように。肝心なのはその川の流れの行き先は一体何処なのかという一点に集約されるように思う。

そんな事情もあって「方丈記」のこの文章は私にとってお気に入りで、ものごとの発想の原点でもある文章なのだ。名前に川のつく者も多くこれがまったくの偶然であるのも不思議な事ではある。京都には海がない。けれどもセルビアからはるばるやって来た外国人スタッフが活躍している。そのせいか流れの先にある海に共に憧れを抱いている。

2005 年 08 月 09 日 : Lifecycle

マーケティング理論によれば、製品には導入期、成長期、成熟期、衰退期といういわゆる製品寿命があって、それを前提とした戦略と戦術の策定と実践が重要であると言われる。ただ、過去の歴史を振り返れば、永遠に成長期であったり成熟期であったりするモノが存在するのも事実なのだ。音楽や絵画、或いは楽器や車などマシンも"古典"と呼ばれるような作品は、あたかも時が止まったかのように何百年もの時を経ているのに、今もって健在で生きいきとして魅力を感じることができる。

何ごとも思いから始まる。そんな"作品"と呼べるくらいの超一流の製品を創造することが出来て、それが人間の寿命を超越して永遠に近いほど存続しえるとすれば…どれくらい素晴らしいことだろう。これこそがお金に換えることすら叶わない究極の価値であり、人生を賭けて打ち込む理由もそこに見出せる。

確かにそんな偉業を成し遂げるのは簡単じゃないと思うけれども、モーツアルトやピカソのような作品が過去の事例として存在する以上、可能性は決してゼロでない。むしろ逆に無限の広がりのようなものがそこにある。

IT業界にこの身を置いて、ドックイヤーとかラットイヤーとか言って慌しく節操無く動いている業界構造そのものに何となく違和感を感じざるを得ない。日々、海岸に押し寄せては引く波間のうたかたのように多種多様なインターネットのサービスが生まれては消え去ってゆく。でもコンピューターやインターネットの原理自体は何十年間も全く変わっていないし、それを使う人間も"ニュータイプ"に革新したわけでもない。

製品とはそれを利用する人間がいて初めて用を為す。生物の進化の時間は私たちの寿命を遥かに超えてゆったりと流れている。人間そのものが変わるにはきっと何万年以上もの時が必要なのだろう。それくらい時の流れは雄大であって、製品開発のヒントも、そんな風に人類の進化を見つめたり、永遠の寿命を持つものにロマンや憧憬を感じたりするところに隠されているように思う。

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