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President Blog : Sophia Cradle Incorporated

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2006 年 04 月 11 日 : 時空

昔、宮本武蔵は素手の柳生石舟斎に挑んだものの、全く歯が立たなかったという。

その時、石舟斎は武蔵に訊ねたらしい。

「鳥のさえずり、小川のせせらぎ、風の奏でる音 ・・・ これらの音が聞こえていたか」と。

武蔵には石舟斎しか眼中に無かったけれども、石舟斎は二人を取り巻く空間全体を把握していたということである。

石舟斎は大自然という偉大な力をも自分のものとしていたのだろうか。

これは、たとえば 2 次元と 3 次元の差に近い概念なのかもしれない。 3 次元の世界は 2 次元のそれを完全に覆い尽くし、遥かに広々としたイメージがある。

平面内では線で遮られていて向こう側に行けなくとも、3 次元空間ならば、その線をちょっとジャンプするだけでいとも簡単に向こう側に行けるという寸法だ。

何か素敵なモノを探している時。

次元を一つ増やして時空の場をぐっとひろげるなら、新しい発想というものはどこからともなくきっとやってくるだろう。

2006 年 04 月 10 日 : アプローチ

起業した当初最も思考を巡らせたことは、どうすれば如何なる競合が現れても生き残れるかという戦略と戦術であった。

自然界と同じくビジネスの世界も弱肉強食の厳しいルールに従って動いている。

強くなければ生きていけないのである。( 優しくなければ生きる資格がないとも言われるが … )

そのために己の力を付けなければいけないし、戦い方も裏の裏まで見通して考え抜かなければならない。

基本的な戦法というのは、競争相手が現れても一対一の戦いに持ち込むあたりにあると考えた。

ソフトウェア業界でのそれに相当する発想は、音楽の例から示唆される、曲のトータルなイメージが一人の作曲家から創られるごとくトータルな設計思想のようなもので勝負するということだ。

それで、多人数よりも一人で作業する方が圧倒的に秀でた結果が生まれるイノベーションとマーケティングのコンセプトにかかわる分野に集中特化した。

こうすればベンチャー企業以外は基本的に競争相手はいない。

何故ならば、大企業には僕と同じくらい土日もなく寝食を惜しんで働いている者も滅多にいない。そもそもそんなモチベーションも持ち得ないだろうし、自分の身に迫る危機や危険を感じることも少ないと思うからだ。

ベンチャー企業だけは競争相手として注意を払うべきである。

けれども全体的な傾向として言えるのは、直ぐに現金化できるビジネスに走るベンチャーは多いが、3 〜 5 年しないと結果が見えない気の長い事業に取り組む者は少ない。

そのような背景から僕が狙ったのは、世間で持てはやされる短期間で株式公開するようなベンチャーではなく、長期的なスパンで永遠の発展が望める堅実な事業であった。

2006 年 04 月 09 日 : Shield

村上龍氏の「シールド(盾)」という本が話題らしい。読んでいないけれど、TV で紹介されている様子を興味深く観ていた。

起業すれば何でも自由に決めれる代償として、自分の身は自分で守らなければならない。

大企業で働いていると、自分に迫る危険や危機は全くといっていいほど無頓着になる。

何故なら、大企業という SHIELD が安全地帯を形成して自分を守ってくれるからである。

それでは自然界はどうだろうか?

あらゆる生き物は自分の身は自分で守っていると言えないだろうか。

外敵から身を避けて命を守らねばならない、厳しい環境にある野生の生き物ほど周囲のあらゆる動きや気配に鋭敏である。心であらゆることを察知しているようにも思える。

21 世紀の高度情報化社会では、人の心に深く共鳴する何かが求められるに違いないと思う。そもそも僕自身がそんなモノを求めている。

それを実現するのに絶対に必要なのは、研ぎ澄まされた感性そのものであると考えている。

どうすればそんな感性を自分のものにできるのだろうか?

そのヒントは、 SHIELD が外された大自然に生きる生命と同じ境遇にこの身が置かれるあたりに隠されていると思う。

2006 年 04 月 09 日 : Chemistry

「大きな仕事は小さく分割して一つ一つ片付けて全体を完成させる」という方法論を、多くの人が当たり前のように捉えるかもしれない。

この逆の思考回路から"イノベーション"や"ブレークスルー"といった革新は生まれると僕は考えている。

簡単に言えば、異なる 2 つを"組み合わせる"ことで、オリジナルとはスガタ・カタチを全く別にする、想いもしない新しい何かが誕生するという発想である。

ナトリウム(Na)と塩素(Cl)から食塩(NaCl)が化学反応によって生成されるのと同じである。

これは何も化学の世界に限った話ではなく、ビジネスでも、スポーツでも、ミュージックでも ・・・ あらゆる日常生活で実感できる現象なのだ。

そもそも、ごく限られた種類の素粒子から創まった宇宙がそんな風にして進化発展を遂げているのだから、当たり前と言えば当たり前かもしれない。

けれども、こんな問題意識をもっている人ってどれくらいいるのかと思ったりもする。

仕事を分割してゆくアプローチは既にカタチが見えている世界でもあり、それ故に誰もがそれに取り組みたがる。

何故ならば、なんとなく安心できるからである。

過去の歴史を振り返れば、「セレンディピティ」と言われたりもするが、偉大な発見や発明は例外なく予想もしなかった出来事から生まれている。

それは異質のモノ同士を組み合わせて新しい世界を探るアプローチである。結果が見えないだけに人生を賭けるとすれば多少の勇気や決断力は要求されるだろう。

でも、人生の妙味は意外性にあるんじゃないだろうか。

2006 年 04 月 06 日 : Hypothesis

先日の日記にも記したが、地球上の物質を分解していくと、6 つのクオークと 6 つのレプトンと言われる素粒子に辿り着く。

これらの素粒子はいつから存在していたのかと考えてみると面白いことに気付く。

確かに言えるのは、素粒子から構成される生命の創まり以前から既に存在していたという仮説である。

換言すれば、より単純で根源的なモノの方が永遠に近いということだ。

ゴーイングコンサーン、企業会計の世界では「企業活動は永遠に続く」という仮定の下に理論が展開される。

それは取りも直さず企業そのものの根本的な何かを求める活動にヒントが隠されている、と僕は考えている。

2006 年 03 月 31 日 : アシンメトリ

モノやサービスを売る人がいて、モノやサービスを買う人がいる。

概して、「売る」のと「買う」のはどちらが大変だろうか?

お金さえあれば「買う」のは誰にでも容易い朝飯前の話だ。

「売る」というのはそんな訳にいかない。「買う」の同じくらい簡単なら誰もベンチャー起業で苦労はしないし、きっとドリームゲートの存在も有り得ないだろう。

けれども、よく考えてみると、買った時に支払われるお金の総計と売った時に得られるお金の総計はイコールなのである。

この事実は一体何を意味するのか?

恐らくは、世の中の経済原則のひとつである、富の一極集中という現象の本質なんだろう。

「お金を稼ぐ」という観点から考察するならば、「モノやサービスを買う」のと同じ感覚で、ナチュラルに「モノやサービスを売る」という流れも創り出せるという意識は外せないかもしれない。

2006 年 03 月 30 日 : 綴れ織り

絶え間なく意識するのは未来にひろがる雄大な空間のイメージ。

想像したとおりに事が運ぶと良いのだけど、これが意外と難しい。

アタマの中でイメージしていることは言葉や絵やリズムで 100 % 再現するのは不可能に近く、行動を共にするスタッフに完全に伝えることができなくて歯痒い時もある。

でも問題意識があるかないかで結果も違ってくると思う。

電話にでることもなく、外出して人に会うこともない。来客のアポイントメントも滅多に受けない。

僕にとって、いまはそんな時期なのだ。

できるだけ独りになって自分の魂と向き合い、世の中で種種雑多に起こる出来事の本質を捉えることがいまの僕の課題である。

とりわけ、インターネットをどのようにドライブするかが関心の的である。

創業して 5 年目ともなると、振り返ればこれまでに作成した Web のページの量に達成感はあるが、質という面で改善の余地がまだまだ充分ある。人の心や美意識にかかわる何かを補強したい。

極論を言えば、理想と現実とのギャップを如何にして埋めるかだけで忙殺されている毎日だ。

段々と分かってきたのは、僕がプロデュースしようとしているビジネスは Web をメディアとして、お客様と僕たちの心と心が紡ぎだすタペストリーのようなものなんだということである。

肝心なのは、出来上がったタペストリーの美しさにあると考えている。

自分たちと見知らぬ誰かと奏でるハーモニーとも言える。客観的には偶然の産物と思われるかもしれないが、この上なく調和がとれて至上のものを意図して創り上げたい。

妥協することなく自分たちの主張を情報発信すれば、世界にいると言われる 64 億人の誰かにはきっと届くに違いない。

最高のお客様はどことなく僕に似た人。だから自分の信じるものについての情報発信が大切になってくると思う。

友達の友達を辿れば 6 ステップで世界中の人々に繋がるという。だから最初から全ての人々を対象にする必要はない。自分自身が最大の顧客であるとして行動するのもきっと間違いではない。

Winny 事件を発端として、ネットに発信した情報は永久に物理的に消去することのできない事実が常識となりつつある。

今は理解されなかったりしても…。

間断なく永遠に続く未来の広大な空間で何が起こるのか?

それは誰も単純明快に決して断言し得ない世界でもある。

インターネットというものは時空を超えて、人と人を繋ぐ役割を担うという認識が新たな発想を導いてくれる。

お金は使えば消滅してしまうが、情報は使われれば使われるほど、そして他の情報と重層的につづれおりを成して美しく洗練される永遠の性質を帯びている。

たぶん、僕が目指している世界というものはそんな方向に進んでいる。

2006 年 03 月 28 日 : Chain reaction

いま眺めているパソコンはネットに接続され、その向こう側には何十億台ものパソコンがシンメトリックにネット接続されている。

こんな幻想的な世界は 10 年前は想像すら出来なかったと言えよう。

たった 10 年というスパンで世界全体が変貌を遂げ、別の方向へと進みだした感がある。

何十億もの世界の人々とネットで繋がっている認識があるかないかで、主観的な世界の広がりも全然違ってくる。

生涯で勝負できる、数少ない絶好のチャンスである。

いまだにネットが珍しかった時代と同じスタイルでビジネスをしている経営者が多いように思える。

自分独自の考えを客観的な方法で表現し、ネットに情報発信するスタイルが何よりも優先されるとして僕はポリシーを曲げることなく行動している。

ここ数年というもの、営業で外出することもなければ、資金繰りで奔走することもない。セミナーや勉強会、業界団体の集会に出席することもない。講師として参加したことはあるけれども。

いまは、ただ自分と向き合って、これから激変する未来を主観的に構想しネットを通じて世界の何十億人もの人々に伝えることが肝要だと考えて、只管そればかりしている。

世界には「何十億人もの人々がネットに繋がっている」という事実をどのように捉えるかである。

アタマに想い描く世界観が極めて個人的であって、1000 人に 1 人しか熱狂的に賛同しないにしても、世界全体では数百万人もいることになる。

従来であれば、己の足で接触できる人の数に限りがあったため、どうしてもお願いして賛同してもらう必要があった。

ネットの世界では、それが全く逆になって、好きな考え方やモノが存在していたら好んでそれを選ぶという流れになる。売り手も買い手もどちらも好意的に納得する形でビジネスは進んでゆく。

そんなスタイルのビジネスが成功するか否かは世界の人々がそれを選ぶかどうかだろう。

人々から選ばれるものはどのような発想から生まれるのかが最も重要かもしれない。

宇宙全体はいまも膨張していて、僕たちの地球を包む銀河系は猛烈なスピードで宇宙空間を移動していると言われる。

けれども、僕たちにはその実感は全くない。辛うじて、地球が自転していることや太陽の周りを公転していることを、朝昼晩或いは春夏秋冬という時の流れから理解できる程度である。

空を飛んでいる飛行機や道を走る自動車はどうだろうか?

明らかに、どちらからどちらの方向へどれくらいのスピードで移動しているか自分の目で確認できる。

目隠しをされて外界が全く見えない乗り物の中にいたとすればどうだろうか?

何も知らされていないとすれば、きっとどこに向かって進んでいるのか皆目見当も及ばないと思う。

これは何を意味するかというと、世界を自分の中からだけ除いていれば世の中の潮流から外れて行動してしまう失敗をしてしまう危険性があるということである。

自分の外から世界全体を眺めることができれば、世の中の潮流に素直に乗ることができて、自分の主張がすんなりと受け入れられる確率も高まる可能性が高くなるということである。

インテルのCPUを直接自由に使いこなせる人は何人いるだろうか?1000人に1人とか、1万人に1人とか、…ってな感じで、そんな人は珍しい。

でも、インテルのCPUが入っている Windows パソコンは誰にでも使えるくらい至極簡単である。

自分が主張するものが0.1%の人にしか受け入れられなかったとしても、それを理解してくれた人がその考え方を加工、編集し、付加価値を与えることで、次の段階では全体の1%に増えることだって珍しくないのがネットである。

ネットの良さは情報が融通無碍に人から人へと伝わり、かつそのプロセスにおいて付加価値が高まることも有り得るし、そのスピードが光速である点だろう。

僕が狙っているビジネスというのは、自らが発信する情報に人々が重層的に付加価値をアドオンして、次第次第に理解する人々が増えてゆく自然な流れを創り出すことである。

2006 年 03 月 28 日 : 時は流れて

質量をもつ物質を、細胞→分子→原子→ … と分解してゆくと、確かな存在は確認されていないのだけれど、6 つのクオークと 6 つのレプトンと言われる素粒子に辿り着くらしい。

この世界に存在する、数え切れぬほどのさまざまな物質とは対照的に、極めて限定され共通する基本要素から宇宙は構成されているということである。

もし仮に全ての物質に宇宙を形作っている 6 つのクオークと 6 つのレプトンが備わっているとするのならば、ひょっとすると僕たちは何にでもなれる可能性を秘めているのかもしれない。

何が自分を自分たらしめているのかという考察も面白い。

僕のアタマの中に描かれるイメージというのは、宇宙が時空であるとするなら、たまたまそんな場に置かれたから自分というものが存在するという考え方である。

すなわち、周囲の環境が僕そのものを創っているのではないかという仮説である。

それ故に、人にとっては環境というものが全てのようにも思えてくるのだ。

とりわけ興味深いのは、人には意志というものがあり、どういった環境に自分の身をさらすのかを選択できる点である。

ベンチャーを起業すれば、大きな組織では想像することさえ叶わない自由を手に入れることができる。

あらゆる人生における岐路を他者に頼らずに自らの意志で決断し選択し行動するのが起業家の宿命であり、唯一最大のメリットであると僕は信じている。

宇宙における物質の原理から発想すれば、環境によって僕たちは何にでも変われる。

ベンチャーを経営していて常々思うのは、短期的な結論を求めようとする誘惑が余りにも多いという事実である。

宇宙とは永遠の時間軸上に展開される時空であるという認識が大切であると思う。時が流れても、なおも一層何か光る存在であるためのはどのような決断が最適なのかロングレンジに渡って展望せねばならない。

*「往古来今これ宙という、天地四方上下これ宇という」(淮南子)

2006 年 03 月 27 日 : Enthusiast

昨年末リニューアルしたばかりだけど、今年も装いを一新するサイト企画をそろそろ始めるつもりだ。

「どんなサイトを創ればいいのかな〜?」

とスタッフに訊くと、必ずと言って良いほど返ってくる回答は

「分かりやすいのがいいじゃないですか〜?」

という類のものだ。

実は僕が密かに期待する答は、

「訪れた瞬間、自ずと魅了され虜になってしまうほどの鮮烈なサイトがいいネ!」

だったりする。

ようするに、ソフィア・クレイドルの熱狂的なファンが生まれるサイトにしたい。

星の数ほどIT企業が破綻する中にあって、何故アップルコンピューター社は幾多の経営危機を乗り越えていまもなお健在のなのか?

明らかに、信者と言ってもよいほどの熱狂的なアップルのファンがいたからである。それなくして、今日のアップルコンピューター社は有り得ない。

それでは熱狂的な信者はどのようにして生まれるのであろうか?

「分かり易さ」だけでは余りにも弱すぎる。

喜怒哀楽、人の感情や感性に深く根ざしたものでなければならないと思う。

その際、成功に繋がる手掛かりは、サイトを"訪れる前"と"訪れた後"で人の感情がどのように移ろいゆくのかという「心のシミュレーション」にあると考えている。

今年はもう一歩掘り下げて情感を込めたサイト創りに全力を注ぎたい。

* enthusiast : someone who is very interested in a particular activity or subject

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