2005 年 08 月 16 日 : Eternal
文化の香り高きものはその息が長い。それは音楽、絵画、文学など何百年、何千年にも渡っていまだに生き続ける作品で確かめることができる。でも「文化」と気軽に言うものの、これについて正確に定義することができるだろうか。
三省堂の新明解・国語辞典には次のようにあった。
『その人間集団の構成員に共通の価値観を反映した、物心両面にわたる活動の様式(の総体)。また、それによって創りだされたもの。〔ただし、生物的本能に基づくものは除外する。狭義では、生産活動とは必ずしも直結しない形で、真善美を追求したり、獲得した知恵・知識を伝達したり、人の心に感動を与えたりする高度な精神活動。すなわち、学問・芸術・宗教・教育・出版などの領域について言う。…… 〕』
この「文化」の定義を読んで個人的に思うのが、"真善美"とか"感動"、"人間に共通する価値観"といったような"質的な"キーワードである。「文化」というものが量的な尺度で測るものではなく、質的に評価されるものであるが故に「文化的なもの」ほどその寿命は長く永遠を保つのだろう。
ベンチャーの唯一にして最大の弱点は、その基盤の不安定さにあると思う。だからベンチャー起業家は、先ずは生まれながらにして持つ不安定感をどうやって拭い去るかに最も力を入れねばならないと思う。そういう意味において、ベンチャーにおいて創るべき商品やサービスに何らかの文化性があるかがポイントであるような気がする。
ソフトウェアの場合、ソースコードのエレガントさや操作の心地良さなどの感動がアートといわれる域までに達しているかどうか、作者自らが自問自答する姿勢が必要だろう。もうこれ以上のものを創り出すのは不可能に思える段階になって、やっとそれは文化となり永遠の生命も持つ作品として後世に残るのかもしれない。
2005 年 08 月 15 日 : Mechanism
飛行機は自動車と比較しておよそ10倍程度のスピードで空を飛んでいる。"仕組み"が根本的に異なっているからそんな桁違いのスピードも実現可能となるのだ。ビジネスでも業績を10倍に伸ばそうとすれば、"仕組み"そのものを変革しなければならない。
ビジネスの場合、"仕組み"を決定付ける可変のパラメーターは無限にあり、かつ個々のパラメーターも如何様にも設定可能である。だからこのパラメーターチューニングはアートの領域といえるかもしれない。それほど微妙なバランスの上に成り立つ世界なのである。
業績を10倍に伸ばすためには人員を増やすというアプローチがまず考えられる。スタッフへの平均給与というものは人件費の総額を人数で割った数字である。また何時如何なるときも業績が好調ということはあり得ない。だから増員のアプローチはできるだ避けたい。
"現有スタッフでどうすれば業績が10倍になるだろうか?"言い換えれば"10人分の仕事を1人でやるにはどうすればよいだろうか?"こんな風に問題意識を持って真面目にこの問題に取り組んでいる人は少ないかもしれない。けれども個々のスタッフの生活の安定や充実、そして会社の存続のための本質はこんなところにあると私は考えている。
一つの答えは、定型的な業務は出来る限りコンピューター化するところにあると思う。その中でもお客様とのコミュニケーションをどのようにバランスよくコンピューター化するかが重要なポイントであり、最大の難関である。そのノウハウは未来の企業経営の根幹の役割を担うようになると考えている。
インターネットがブロードバンド化し、パソコンも高機能、高速化した今、文章だけでなくマルティメディア的な WEB 表現で、いろんな事柄や物事をお客様に伝えることができる時代となった。
例えば「"業績"="受注の数"」とすれば、"業績"を10倍にするということは注文の数を10倍にするということを意味する。Web 経由のみでビジネスを展開しているとすれば、これを達成するにはいろんなアプローチがある。
Web サイトにやってくるお客様の数を10倍にする方法。注文に至るまでのクリック回数を10分の1にする方法。1000名中1名の注文を100名中1名の注文とする方法など……
Web サイトによる販売のメリットは売上が安定するということと、365日24時間年中無休で全世界に販売できるポテンシャルがあること、それから何よりも費用が無視できる点にある。弱点は、コンテンツ自体は現代のコンピューターでは創り得ないことである。それだけは人間にしかできない仕事であり、人間がコンピューターに勝る点だ。それはソフィア・クレイドルのソフトウェア製品と類似した性格を帯びている。
インターネットで調べてみると、フェラーリ F430 という自動車は 490 馬力のエンジンを持っているらしい。他の自動車のエンジンにも同じくそれぞれに決められた馬力数の性能があって、その自動車を運転する人はその馬力でその自動車は走るものと見なす。ところが、人間にはそんな風に何馬力といったような定量的な数値で測れるものは存在しない。これは人間というものは如何様にでもパフォーマンス自体が変化してしまうから、測りようが無いからもしれない。
どんな時に仕事のパフォーマンスが最大化されるかは言うまでもないことかもしれない。敢えて言うならば「自ら仕事を計画し自らその仕事を実行する時」にのみ最高といえる仕事を達成しうるものである。大企業であればあるほど、自分や周囲の人々を見ていて、こんな当たり前なことが為されていないように思った。ベンチャーが大企業に互して世界に誇れる商品やサービスを提供するためには、少なくともスタッフが自ら自発的に仕事に取り組んで、桁違いのパフォーマンスを発揮するワーキングスタイルも欠かせない。
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2005 年 08 月 14 日 : Grassland
製品やサービスがお客様に選ばれるから企業は存続し、製品やサービスは企業に在籍するスタッフによって創られる。だからスタッフの才能や熱意、努力が全てともいえる。有能な人材がその企業にジョインし、ポテンシャルを発揮すればするほど間違いなくその企業は発展し繁栄するだろう。
最近、競走馬の育成についての本を読んだ。"ミホノブルボン"というダービー馬の調教師であった、故・戸山為夫氏が記した遺作である。サラブレッドでもミホノブルボンには血統的な魅力が全く無かった。それで他の馬の何倍もの調教を日々こなしたという。このような鍛錬によって無名の血脈に眠っていたポテンシャルが顕在化したという。
競走馬は牧草を食べる。牧草は大地に根を下ろす植物である。だから決め手は大地が原点と言えるだろう。大地に生える牧草も最初は大地の栄養分が潤沢にあるから質も高い。しかし大地は年々やせ細って栄養価に劣る牧草しか生えなくなっていく。その結果、競走馬の運動能力にも影響を及んでくるという。だから、青々とした牧草が生い茂る、広々とした大地で育った競走馬のスピードとスタミナは他よりも勝る。
それはその競走馬だけの問題でもなく、その競走馬を産むことになる母馬にまで遡って影響があるらしい。競走馬の訓練にしても早く始めれば始めるほどその才能の開花も早く、能力も最大化されるという。"競走馬"という一言では片付けられないほどの様々な努力がなされている。
どんな環境を用意すればスタッフが自然に育っていくのかと考えることも多い。この「鍛えて最強馬をつくる」という方法に何らかのヒントが隠されているように思った。
ベンチャーの場合、創業の頃であればあるほど、やるべき仕事の範囲も広い。それから毎年仕事自体がダイナミックに変化しひろがってゆく。しかもそれは年々スケールアップ、高度化する。それはあたかも競走馬が食べる栄養価の高く瑞々しい牧草の如くだ。
危機的な状況に遭遇することがあり、その都度ギブアップして脱落するものもあれば、留まるものもいる。それがその人間が次のステップに向けてステップアップするための脱皮のように私は考えている。その壁を乗り越え続けることこそがきっと成長の糧なんだろう。
自然淘汰という言葉があるように、人間社会もビジネス地帯は砂漠であり競争によって適者しか生存できないくらい厳しい。生き残るためには、厳しい環境に自分自身を置き続ける勇気と強い意志が必要で、それこそが"超一流"への最短経路だ。
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2005 年 08 月 11 日 : Ocean
「行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しく止まる事なし。世の中にある人と住家と、またかくの如し」
鴨長明による「方丈記」の有名な冒頭の一節である。オフィスから徒歩で数分のところに世界文化遺産として有名な下鴨神社がある。その近くを加茂川と高野川が合流し鴨川として北から南へと走っている。調べてみると、鴨長明は下鴨神社の神官の次男だったらしい。著名な文章は鴨川が合流する辺りの風景を眺めながら想い浮かべたものかもしれない。
いつも眺めている川は同じだけれど、その川を流れる水は決しては同じではないという意味らしい。何でも良いのだけれど、会社でもその存在そのものは何ら変わらないのに、それを構成するスタッフは時間の経過と共に変化する様がこんな感じである。
新しい世界を期待してソフィア・クレイドルにジョインする者もいるし、たまたま通過するものもいる。スタッフ自身も物理的に精神的に時の移ろいとともに確実に変化している。人それぞれに個人的な思いがあり、それを正確に捉えようとすれば正しく複雑系の科学なのかもしれない。複雑系の学問では、個々の構成要素をバラバラに分解しようとしても逆にますます複雑性を増すばかりで理解が困難になるが、複雑なものも全体の概念として把握に努めればその実像が明らかになると言われている。
会社についても複雑系的な発想でものごとを考えるのが良いのかもしれない。
大切なのはきっと創業以来存続している「ソフィア・クレイドル」という川のような存在が全体として何処に向かって流れているかではないだろうか。川の水が流れの方向に進んでいくように、会社のスタッフもその方向に向かって進むように。肝心なのはその川の流れの行き先は一体何処なのかという一点に集約されるように思う。
そんな事情もあって「方丈記」のこの文章は私にとってお気に入りで、ものごとの発想の原点でもある文章なのだ。名前に川のつく者も多くこれがまったくの偶然であるのも不思議な事ではある。京都には海がない。けれどもセルビアからはるばるやって来た外国人スタッフが活躍している。そのせいか流れの先にある海に共に憧れを抱いている。
2005 年 08 月 08 日 : Time is money
地球は今から50億年前という遠い昔に誕生したらしい。すると人間の生命なんて数千万分の1にしか過ぎず、ほんの一瞬微かに輝く流星のような存在かもしれない。だからこそ人生の時間を大切に生活することに意味がありそうだ。
"時間の価値って一体何なんだろうか?"
会社を経営していると、いろんな資源のうち時間という概念は空気のように見えて疎かにする人が多いように思ってしまう。しかし時間というものは誰にも平等に共通して天から与えられる唯一にして最も貴重な経営資源とも言える。
"Time is Money"なんていう言葉もよく聞くけれど、実際のところ、常にそんな風に考えて生活を過ごしている人って何%くらいいるのだろうか?そもそも"Time is Money"的な生活ってどんなものだろうか?
年収1億円以上の収入を得たいと思ったとする。大抵の人はその願望を抱いたまま無駄に時を過ごすだけというのが現実ではないだろうか。ではどうすればその思いを実現することができるのだろうか?私はその答えの一つとして、"Time is Money"的な発想が重要だと考える。
"Time is Money"的な発想とは…?
それは古代ギリシャの学者アリストテレスが物質の根源は何かという探求で原子というものを見出したようにして、ものごとを細かく分解し具体的なレベルまでに落とし込むところにある。
例えば年収1億円とだけ聞くと曖昧でアバウトな感覚でしかない。しかし1年間で働く時間数2000で割った途端、それが現実味を帯びてくる。この例で言えば、1年間で1億円を稼ぐというのはそれを2000時間で割れば1時間に5万円を稼ぐということに等しい。
翻って考えれば、年収1億円の収入を得たければ1時間当たり5万円稼ぐ仕事をすれば良いわけだ。その時に、現実の自分の仕事の1時間当たりの付加価値と5万円を比較して、ギャップはどうすれば埋められるか考え、アクションプランを実践すればそれは不可能ではない。実際には、アクションプランを実践できないから、思いを達成できる人がほんの一握りでしかないのだ。
それでは、1時間で5万円を稼ぐためにはどうすればよいのだろうか?1人のお客様に商品やサービスを提供してその対価として5万円を得るアプローチもあれば、100人のお客様に商品やサービスを提供してその対価として500円ずつ計5万円を得るアプローチもあり、その方法はさまざまである。
仮に1人のお客様から5万円を得るアプローチを選択したとする。その時、もしお客様がその商品やサービスから時間当たり50万円の価値を見出すことができれば、それは確実に実現可能だと言えよう。千円紙幣を1万円紙幣相当に交換してくれるショップがあれば誰もが殺到するのと同じ理由で。
必ずしもお金で換算できない価値がある。
けれどもこの場合の価値をお金に換算してものごとを見つめる姿勢は、商売を仕事にする上で外せない視点ではないかと思っている。
2005 年 08 月 01 日 : Reason
"何故ベンチャーを創めたのか?"
この問い掛けへの答えはベンチャーの未来の在り様に大きな影響を与える。個人の生活がこの上なく充実したものになるようにしたいとの願いを"ソフィア・クレイドル"というベンチャーに託して起業した。
創業以前、大企業でサラリーマンをしていた。自分を含め組織に所属する人々は必ずしも充実した人生を過ごしているわけではなかった。学んだ最大の教訓は、企業の規模や知名度は必ずしもその企業に所属する個々のスタッフの幸福に直結しないという事実だった。
"どうすれば充実した人生を過ごせるのか?"の答えはベンチャー創業の理由でもあり、現在も捜し求めて模索している。
物事の考え方には大きく分けて2種類ある。それはトップダウンに概念を展開してゆく演繹的アプローチ。もうひとつは個々の事実をボトムアップに積み上げて全体的な概念を形作ってゆく帰納的アプローチ。どちらかといえば、前者が大企業的であり、後者がベンチャー的である。
トップダウンで下位概念に展開するプロセスでは、創造性というものが入り込む余地は限定される傾向にある。決めた枠の範囲内では確実にスピーディに仕事がなされるが、意外性といったものが無いのは大きな欠点だろう。
21世紀の時代を迎え、"ワクワク&ドキドキ"というキーワードに代表されるように「感動ビジネス」がいま脚光を浴びている。個人的な見解として「感動」とは思いもしない冒険や発見の中に見出せるようなものと思っている。
四季折々のたとえば桜や紅葉などはささやかだけれども心の中に残る美しいものである。そういった情景を心の中に少しずつ積み重ねるようなプロセスが大切ではないか。偶然の産物なのかもしれない。感動的な新しい真実や真理とは往々にしてそんな風にして見出されると思う。それはあたかも万華鏡に映し出された美しい映像のようでもある。
ボトムアップの帰納的アプローチでは、時間を要するかもしれないけれど感動的な場面に遭遇する機会も多い。それは時間が掛かれば掛かるほど喜びもひとしおという感覚に近い。
2005 年 07 月 29 日 : Valuation
企業の価値はどのようにして定量的に算定すればよいのだろうか?
厳密な数値として算出するのは到底不可能である。しかしその考え方の本質を捉えることで企業のレゾンデートル RAISON D'ETRE と言えるようなものが発見できそうだ。
現在時刻 t におけるある企業の評価値を Valuation(t) という関数で表現するとする。その時、t の値が取り得る範囲は[その企業が設立された時]から[その企業が消滅する時]までである。
従って、企業価値Vというのは 関数 Valuation(t) で t の取り得る範囲で積分したものがトータルとしてのその企業価値といえるかもしれない。
[その企業が消滅した時]
V=∫Valuation(t)dt
[その企業が設立された時]
Vの値が大きければ大きいほど、その企業は社会的に存在価値がある。だから企業の経営者、特にベンチャー起業家にとって最大のミッションは、このVの値を極大化する仕組みそのものの創造だと考える。
企業の生命というものは人間のように定まった寿命があるわけではない。実際のところ、何百年以上もの時を経て現在もなお存続している企業の例は少ないがあることはある。それ故に、t が取り得る範囲を自分の寿命を遥かに超えたものとして設定することも可能なのだ。
こんなことを考えていると、企業経営で真に大切なのは人間の生命のスパンをも超越し、できる限り長く付加価値をアウトプットし続けるDNAのような仕組みを創造することだということがはっきりと見えてくる。
ある時刻 T における企業価値 Valuation(T) の値は必ず"有限(finite)"である。法人であれば、時間軸を"無限(infinite)"に延長して考えることができる。"無限"は"有限"を超越する存在である。たとえある時刻における企業価値の値が小さくとも、それが"無限"に続くようなものであるのならば、時間軸で積分した、その企業のライフサイクル全体の企業価値は計り知れないほど偉大なものとなる。
"ソフィア・クレイドル"はそんな視点から経営がなされるように努力している。
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