2005 年 10 月 12 日 : プログラミングのかたち
近頃、何千年もの時を経て現代にまで伝わる中国古典をよく読む。流行のビジネス書を読む感覚では全然進めない。一字一字、象形文字のかたちに込められた趣向を凝らした文章は読んでいて味わい深い。読む度に新しい発見がある。今の時代にも通用する中国古典には想像を超える何かがありそうだ。
ソフィア・クレイドルで創っているのはコンピューターへのメッセージであるプログラムである。プログラムも一種の著作であり読み手がいるとするならば、その中には中国古典のようにクラシカルなものとして永続性を保つものもあるかもしれない。そんなものを創造できたら最高だろう。
中国古典を読んでいて気付くのは、時を超えて通用する普遍性、様々な場面に適用できる汎用性、無駄な部分が一切ない簡潔性、首尾一貫した論理性、面白いストーリー性、そして何よりも文章に美と調和がある。論理性などは文学作品や詩と違いプログラミングと共通する要素であるかもしれない。
プログラミングの世界においてもこんな風にクラシカルな存在として次世代に遺すことができればと願う。様々な分野において真にプロフェッショナルな仕事にはそういった雰囲気があると思える。
2005 年 10 月 10 日 : ハイテクベンチャー
「マイクロソフトシークレット―勝ち続ける驚異の経営」(日本経済新聞社)に、マイクロソフト( 1975 年創業)の 1975 年から 1995 年までの成長の軌跡が記載されている。その中でも注目すべきなのが最初の 5 年間のデータではないかと思う。最初の 3 年間の数字を見る限り、ごく普通の零細中小ベンチャー企業に過ぎない。しかしマイクロソフトはいまや押しも押されもせぬ時価総額世界 No. 1 の大企業である。
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年度(年) 売上高(千ドル) 伸び率(%) 従業員数(人)
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1975 16 − 3
1976 22 38 7
1977 382 636 9
1979 1,356 256 13
1980 2,390 76 28
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※ 売上の伸びと比較して、従業員数の伸びは著しく低い。
一般に、マイクロソフト 、オラクル、アップルなどハイテクベンチャーの場合、ひとつの製品の研究開発に 18ヶ月、そしてマーケティングに 18ヶ月、少なくとも計 36ヶ月の時間がかかるといわれる。マイクロソフトもその例に漏れず、創業 4 年目以降、破竹の勢いで業績を伸ばしていった。
ハイテクベンチャーの場合、事業の着想を得てからそれが現実のものとなるまでに、少なくとも 36ヶ月の期間が必要であると想定して起業するのが重要なポイントだと思う。気長な話かもしれない。ネット系の IT ベンチャーであれば 36ヶ月もあれば株式上場すら不可能な話ではない。しかしハイテクベンチャーでは 36ヶ月経って初めてそれが事業として成立するか否かが実証されるといった状況なのである。
しかも 36ヶ月経つまでに事業が立ち行かなくなるベンチャーも多い。また持ちこたえたとしても、飛躍的に成功を遂げるものは指折り数えるほど珍しい存在でしかない。一方、ネット系 IT ベンチャーの場合、結果は数ヶ月で出るものも多く 12ヶ月もあれば概ね結果は見えてくる。創業して 36ヶ月以内の株式上場も全然夢ではない。
そんな背景もあってか、世界マーケットを視野に入れたハイテクベンチャーを志す起業家が周囲に極めて少ないと感じる。時間を要し成功率も低いのであればそれが最大の参入障壁になるのだろうか。現在の事業を創めてまもなく 4 年になろうとしているがいまだにソフィア・クレイドルと競合するベンチャー企業は現れていない。
ネット系 IT ベンチャーを創めて手っ取り早く稼ぐのもひとつの手段であり、実際のところその道の選択もあり得た。敢えてその道を選ばなかった。その理由ははっきりしている。客観的な成功確率は低く時間はかかるかもしれない。けれども自分の思いが実現したとすれば、マイクロソフトのごとくテクノロジーは世界中にひろく影響を及ぼすことができるだろう。それは人生において一度経験できるかどうかといえるほどのワクワク&ドキドキ感なんだと思う。
2005 年 10 月 09 日 : チャレンジング
大学受験を目前にした頃、どの学部に入学すべきかについて迷っていた。結局その選択が今の自分を運命付けた。その時違う道を進んでいたら今頃…という想像もできるけど、個人的に最善の決断をしてきたと思っている。
今でこそコンピューターは子供の時からの身近な存在であるが、当時、大抵の人にとっては大学でコンピューターに触れるという感じだった。初めてコンピューターに 2 進数で記述された自分のプログラムをインプットしそれは問題なく動作した。その時に味わった感動は今でも忘れられない。プログラミングに深い興味を持ったのもその瞬間で、それからずっとプログラミングの仕事をしている。
プログラムとは、人がコンピューターへ送るメッセージを表現するものである。コンピューターが発明された当初は文字通り 0 と 1 からなる 2 進数で記述するしかなかったので専門家にしか使えない代物だった。ほどなくして日常の言葉に近いプログラミング言語が発明された。コンピューターが止め処無く進化発展を遂げている理由のひとつはプログラミング言語の発明によるものだ。
日常生活において当たり前に使っている電気製品。そのほとんどはプログラミング言語で記述されたプログラムに従ってコントロールされていている。それを考えると、プログラミング言語の果たす役割は偉大である。
そういうことがあって、あるプログラムを開発するというよりはあらゆるプログラムを記述するためのプログラミング言語に関連のある仕事に携わりたい。それが初めてコンピューターに触れたときから今日に至るまで一貫して持ち続けている自分の目標である。
プログラミング言語に求められるものとは何なのだろう。それは自然言語と比較してみると、コンピューターに自分の心の中にある思いや考えがストレートに正しく伝わるというところにありそうな気がする。しかし誰もが簡単にプログラミングできるわけではなく、ほんの一握りの人たちしかプログラマーになり得ない現実がある。それ故、ビジネスのポテンシャルも計り知れないほどに存在しているといえるのではないだろうか。
2005 年 09 月 23 日 : ビューティフル
"思い"をどうすればスムーズに実現できるかについて考えてみた。
ものごとが成就するプロセスというものは○か×という単純な二者択一の意思決定の複雑な綴れ織りのようなもの。実際、ベンチャー経営は"いばらの道"というのが現実ではないだろうか。その根底にある理由を探る思考がベンチャー起業の成功への早道のように思える。抽象化された概念を考える、というのは時間と忍耐が要求されるものであるが急がば回れともいう。
先に述べたように、経営とは二者択一の意思決定をどれくらい正しく実行したかが全てとも言える。至極簡単なものから極めて判断に迷うような難解なものまでそれは多種多様である。
けれどもどんな難題も、その発端はごく些細な問題に過ぎない場合が大半である。現実には瑣末であればあるほどそれは人の目に入りにくい。だからどんなに小さくてもそれに気付けるかどうかがあらゆるものごとを意思決定するための定石なのである。
具体的な話でいえば、メートル単位の違いは誰にでも容易に判別が付くけれどもミクロ単位の差が分かるというのはマニアックな職人技である。そのミクロの差のような微妙なものに気付ける資質や能力が重要である。
言い換えればそれは自分の感性をどうやって磨くかの問題にあると思う。感性とは人間が生まれながらに持っている感覚で自然に感じるままのことである。一流といわれる素晴らしいものを観たり、聴いたり、触れたり、味わったりすることで"感性"というものはぐんぐんのびてゆく。
目先の利益にとらわれて自分の思いとは逆の行動をすれば、生まれながら持っている人としての優れた感性を退化させてしまいかねない。結果的に悪循環に陥ってしまう。
素晴らしい企業や作品を創造できる循環は、誰にでも備わっている感性をそうやって育んでゆくところから始まるような気がする。
2005 年 09 月 18 日 : 時を超えて
創業の頃は"生存すること"が経営の主眼だった。さまざまな創意工夫と懸命な努力をしたので増収増益基調の安定が得られたのだろう。
ベンチャー起業で重要な岐路は、経営が安定した時に採る一手ではないかと思う。それから法人として根幹ともいえる重要な"人格"が形つくられてゆくのではないだろうか。
ソフィア・クレイドルが目指しているのは"時を超えうる作品"の創造である。
私たちの文化的なクオリティの高い生活は、偉大な先人たちの発明や発見、創作のお陰である。何年、何十年、何百年も前の音楽、絵画、書物から学んだり心癒されることは数知れない。インターネットにしても電気や通信、コンピューターの発見、発明なくして存在しえない。
それは過ぎし日のものがいまなおも生き続けている感覚に近い。私たちはそういったものを受け継いで快適な生活を送る恩恵に授かっている。だからこそ、私たちも、時を超えて後世に伝わる素晴らしいものの創造に取り組む姿勢が大切なのではないかと思う。
2005 年 09 月 17 日 : Think different
世に生を受けたその瞬間はみな同じようである。けれども、なぜ時の流れと共に加速するように差が開いていくのだろうか。ずっとそんな疑問をもっていた。
自分なりに考えたひとつの答えは、米国アップルコンピュータ社でも有名な "think different"という"人とは一味違った思考と行動のパターン"である。
一時に異なった視点からものごとを捉えること、ビジネスであれば”お客様と自分”という両方の座標軸で眺めて行動するような感覚である。これで大雑把ではあるけれど、人よりも2倍のパフォーマンスを発揮できるのである。
こんな姿勢も10回連続すれば、
2×2×・・・×2=1024
ということになり算術的にも圧倒的な差というものの説明が付く。
何の心配もない安定した境遇に置かれると、人は持てる100%の能力を発揮しなくなる。50%くらいの稼働率で無為に過ごしている人もいるかもしれない。
逆の意味で"0.5"という数字を10回かけるとどうなるか。掛ければかけるほどその値は限りなくゼロに収束してゆく。
2005 年 09 月 15 日 : All-in
アイザック・ニュートンはリンゴが木から落ちるのを見て"万有引力の法則"を発見した。
"万有引力の法則"はアイザック・ニュートンが創り出したものではなく、この宇宙に存在していただけなのである。
ベンチャー起業では創造した製品やサービスをマーケティングし広く普及させるのが最大の難関であると言われる。
アイザック・ニュートンの逸話が示唆するものは、もし製品やサービスが人々に受け入れられるとするのならば、そもそもそのマーケットが存在していたという事実ではないだろうか。
であるとすれば、存在するけれどまだ人々の目に触れていないマーケットをどうやって発見するかが勝負の分かれ目となるだろう。
ポーカーの専門用語で、自分の持ち金すべてを賭けて最後の勝負に挑むことを"All-In"と呼ぶらしい。ベンチャー起業というのは一種の"All-Inの連続"に近い話だな、とふと思ったりする。
何故なら、自分の財産と時間のすべてをベンチャー事業に投入する話だから。そうなれば必然的に365日24時間年中無休で、手掛ける事業のマーケットの存在を無意識のうちにも意識してしまう。
その結果、ある日突然そのマーケットが自分の前に姿を現すといったところであろうか。