2006 年 01 月 25 日 : スイング
野球のバットをスイングするだけならば、それは容易い。
けれども、大リーグで活躍しているイチロー選手や松井秀喜選手のようなスイングは類稀な存在であり、物真似すら叶わない。
ローマは一日にしてならず。
超一流といわれる天才スラッガーのバッティングフォームも生まれながらのものではない。
長年の研鑽と努力の賜物に違いない。
バットをスイングするという単純な動作故に、大抵の人にとって等閑になり勝ちな何かがきっと超一流のスラッガーには分るのだろう。
それと同じようなことは日常の仕事の局面でも数多くあると思う。
例えば、お客様へのメール一つとってみても、プロフェッショナルなスラッガーがバット一振りに架けるのと同じような行動が採れるはずである。
メールの場合、今更に思うのは言葉の楽しさ偉大さである。
同じ言葉なのに、言葉は置かれるシーンによって全く違う意味を持ちうる。
だからこそ、最新の注意を払ってメールに刻まれる文字の並び、組み合わせ、音にしてみた時のリズムなど、短い文面のメールでも数え切れないほどきり口が有るものだ。
メール一本にしても、常により良い内容にしようとすると、さまざまな発想やアイデアが思い浮かんでくる。
そんな創意工夫の積み重ねが偉大な結果に繋がるような気がする。
2006 年 01 月 24 日 : Web 2.0 & Database ?
たまたまネットサーフィンしていたら、
"Web 2.0 の時代ではデータベースが重要だ"
という至極当然なことが書かれていた。
コンピューターが情報システムと呼ばれることになった 1960 年代から今日に至るまで、コンピューターシステムにおいて、データベースはずっと変わることなく根幹を成すものである。
だからデータベースのハイテクベンチャー、米国オラクル社は急成長を遂げた。
むしろ大切な発想は、もっと掘り下げて洞察し、データベースという概念をどのように位置付けるかだろう。
人の心に触れる出来事は、人それぞれの視点や感性によって天と地ほどの開きが生まれる。
それは、同じ出来事でも、あるフィルターを通すことで全く異なる新たな価値が生まれるということを意味する。
世界中でネットが広く普及し、以前にも増してさまざまな人々が利用するネット社会では、データに対する解釈やさまざまデータの組み合わせの中に偉大な価値を見出せるようになるだろう。
それこそが新しい Web システムにおけるデータベースのエッセンスだと思う。
2006 年 01 月 22 日 : Try
はっきりとカタチになって見えるものは確かに安心できる。
でも僕たちの前にカタチとなって現われている存在は有限なものに過ぎない。
それ故に、そんなものだけを目標にして追いかけていれば、時間の問題で有限な世界の上限の壁に跳ね返されてしまう。
それは記録に残っている何千年もの歴史が証明している自明の理なのである。
だからベンチャーの起業では、売上とか利益とか時価総額など、上限のある世界ではなくて果てしなくひろがる世界をイメージして、事業を展開することが何よりも優先されるだろう。
ベンチャーの存在意義は、新しい価値を創造するところにあると信じている。
数値として表現できないほど、無限の価値を持つものを創造する。そして未来にわたって世界の人びとに、それを伝えることができたなら、そのベンチャーは真に成功したといえるのではないだろうか。
それは創業して 5 年以内に株式上場するという目標よりも、遥かに高い志だと思う。
僕たちは地球という有限な空間の存在でしかないけれど、時間の軸は無限に伸びている。
無限に伸びる、自己を超越した遥か彼方にある世界において、自分の創造するいまはインビジブルな新しい価値を、どう位置づけてゆくかが大事なことなのだ。
2006 年 01 月 21 日 : 刻まれた歪な曲線
"掌に刻まれた歪な曲線
何らかの意味を持って生まれてきた証 ・・・ "
( Lyric by Kazutoshi Sakurai 2003 )
この一週間は久々の忙しさだった。
ある意味では、ようやくエンジンが動き出したのかもしれない。
当分の間こんな日々が続きそうだ。
束の間の休息は、冒頭に記したメッセージで始まる曲の DVD の映像を眺めつつ、新たな発想を求めてさまざまな幻影が頭を翳める。
中学生の頃、最も関心を強く抱いたのは数学だった。
さまざまな関数を組み合わせることで出来る曲線がただ面白かった。
次第にそんな数学の関数に興味を持ち、その意味を探るべく、大学では数学を世の中に活かす術についての研究を志した。
大学を卒業して社会に出てからは、数学とは全く無縁の世界に身を置いていた。
でも、いまでは数学と関係のあるビジネスができているのでワクワクしている。
それは携帯電話のアプリで
y = sin x
を始めとする、さまざまな数学的な関数を利用可能にする技術を具体的な例として、世界に情報発信できる日が間もないからである。
以前からソフィア・クレイドルの WEB では、その技術を情報発信していたが、実際のプログラムコードの発表は世界で初めてだ。
では、携帯での y = sin x がどんな意味があるっていうの?
というのがほとんどの人々の感想かもしれない。
それ故にだからこそ、そんな仕事はベンチャーに似合ってるんだと思う。
多くの人は y = sin x が波形の曲線を描くのは知っているけど、それが何なのかということを想像するものは少ないだろう。
波形の曲線は"強"と"弱"の繰り返しをイメージさせる。
音声や画像、株価の変動など日常生活で数え切れないほど、"強"と"弱"のリズムが繰り返される。
要するに 携帯での y = sin x が意味するものは、それが携帯電話で現実となることなのだ。
人の声の認識や顔の認証、画像の圧縮・伸張、株価の変動、高度な暗号化などでは y = sin x が不可欠なのである。
たったこれだけに過ぎないのだけれども、その威力は偉大である。
空気に含まれる酸素は、単にひとつの元素でしかないけれど、地球上の生命にとって欠くべからざる存在である。
そんなものを捜し求め、そして発見するのが研究開発型ベンチャーの最高の喜びかもしれない。
2006 年 01 月 15 日 : エコロジカルな発想
エコロジーがトレンドの 21 世紀。
そんな時代だからこそ、大切な発想は小さいけれど驚くほど速いというソフトウェアの実現である。
ポケットに入れて持ち運びできる、携帯端末向けソフトウェアのインフラに関する研究開発。
これがいま最も力を入れて営んでいる事業。
携帯端末に組込まれたハードウェア資源は、パソコンと比べれば桁違いに制約条件が厳しい。
けれども、そんなにも厳しい世界だからこそ、かえってある意味でオーソドックスながらも新しい発見がある。
それは何かといえば、パソコンも携帯端末も、ジョン・フォン・ノイマンという人物が発明したコンピューターの基本原理に従って動いているという事実である。
ソフィア・クレイドルで研究開発しているソフトウェア技術は、パソコンにも適用できる代物なのだ。
近い将来、ソフィア・クレイドルのソフトウェア技術を使えば、旧式パソコンでも最新式のパソコンと同じ速度で利用できる日がやって来るだろう。
ハードウェアの分野では、我先にと皆が競うようにして省スペースや高速化に関する研究に熱心に励んでいる。
しかしソフトウェアの分野では、如何にして小さく速くそして美しくプログラミングすれば良いかと徹底的に追究する者はほとんどいない。
事実上競争という概念が無いに等しい。
自ずと世界 No.1 なのだ。
ベンチャービジネスのチャンスはそんなところに潜んでいるのではないだろうか。
2006 年 01 月 14 日 : 逆光に輝くもの
逆光による撮影では被写体は黒ずんでよく見えない。だから通常は逆光を避けて撮影する。
ネットで調べると、逆光の中にある被写体をうまく撮影するテクニックもあるらしい。
広葉樹の葉を逆光で撮ると、透き通るような緑の美しい葉が撮れたりもするという。
ベンチャー経営もなんとなくそれに似ているなと思った。
世界広しといえども、ソフィア・クレイドルと同じ事業を営んでいる企業は見当たらない。
敢えて逆光が射すような事業を選択したのだから、当然といえば当然なのではあるけれど・・・。
たとえるなら、これはある種の不治の病の治療法を探究している医師の姿に近いかもしれない。
仮に治療法が発見された時、その難病に苦しんでいる世界の人々の喜びは如何ほどか想像に難くない。
そんな風に、僕たちの事業が世界の人びとに受け入れられるのは想像するだけでも愉快なことである。
2006 年 01 月 12 日 : 象牙の塔
いつの間にかベンチャーを立ち上げて、何か新しくて世の中に役立つものはないかと探し求める日々が続く。
昔は大学みたいな研究機関で、研究者として一生を過ごす選択肢を目指したこともあったのだが …
分岐点がいつだったのかはっきりと答えることは叶わない。けれども、ひとつだけ確かなことは、僕にとって大学は象牙の塔だった、ということである。
何となく現実社会から遊離していて、ひとつの研究に人生を捧げたとしても、真に社会に貢献できるだけのアウトプットを創造しえるか疑問だった。
いまから思えば大学へ通う必要も無かったのかもしれない。でも、今日あるのは、大学で様々なことを学んだ礎があるからだろうということで肯定的に考えている。
日本では中学から大学に至るまでの長きに渡って英語教育がなされる。けれど、それだけで英語が完璧に話せる人に出会ったことはこれまでに一人もいない。
実際に生活で英語を使うためには、必然的に英語が使われる場に身を置くのが最も効率的であり、効果的でもある。
大学で学んだり研究している学問もそれに似ているのではないか。
大学の中だけに閉じるのではなく、実際に大学で学んだり、研究している内容を現実の社会で実践的に試すというアプローチが必要であると思う。
僕が経営するソフィア・クレイドルというベンチャーは、そんな大学のアカデミックな雰囲気を併せ持った企業というのを理想にしている。
常に新しい発想で何かを創造し、実践し、真に世の中で使われるものをかたちにしたいと願っている。