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Sophia Cradle IncorporatedPresident Blog : 2006年03月

2006 年 03 月 16 日 : アイディアとイノベーション

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以前から、「盆栽」というキーワードがこれからの新しき時代を生きる上で外せない原点のようにも思えて、妙に気になっていた。

「京都 広樹園」さんのホームページによれば、「盆栽」は次のように定義される。

「一言で言えば、鉢(盆)の中で自然の大木を思わせる古さ、雄大さ、美しさを凝縮して表現した樹木といえるでしょう」

この説明を読んでみて、古来から日本に暮らした先人たちが大切にしてきたものが何となくではあるが感じ取れる。

先般、世の中の状況というのは、M & A とかで、拡大、拡大、拡大 … という路線があたかも正しいかのような幻想を抱かせる。

これは欧米のトラディショナルな考え方に基づくもので、その中にあってアングロサクソン流に競争に打ち勝とうとしても至難の業なのではないだろうか。

逆転の発想として、「盆栽」のように大きなものを小さな領域に写像して、その中から新たなる何かを求めて創造するスタイル。

それは日本の伝統を汲む流れであり、僕たち日本人の DNA に刻まれた、世界に誇れる数少ない独自性の一つである。

     アイディアとイノベーション、
            モバイルに新しい世界観。

最近、こんなキャッチコピーを創ってみたのだけれど、そこに込められた思いは、携帯電話のような手のひらサイズの小さなコンピューターに、「巨大なコンピューターのスガタ・カタチ」を投影したいという願いである。

2006 年 03 月 15 日 : 碁盤の目

売上とか利益というのは何かを為すための手段であり、人の体では血液のようなものかもしれない。

健康であれば血液がどんな風になっていようが、ほとんどの人は全く無関心であると思う。

僕が最も大切にしているのは、人生において何を為しえるかということ。

できることならば、永続性のある何かを創造しえたら、こんな最高なことは他にあるだろうか。

金銭的な尺度では計り知れないほどの価値が存在する。

血液が有限の存在であるように、金銭的価値も長い地球の歴史から言えば一瞬の出来事に過ぎない。

人生における自分の目標を達成するために充分なだけのものがあれば、僕はそれに関しては無頓着である。

時々、会社で会議を行うけど、最近、売上がどう利益がどうのこうの…と議論することはまず無くなった。お客様から注文をしてくださった、というおめでたいこと、これはリアルタイムに連絡してるけど。

勿論、会社の存続がかかっている時は、シビアに考えることもあった。

でもそんなフェーズも過ぎ去れば、次に考えるべきは如何にして自分の人生の目的を達成しうるかである。

永くカタチを保ちえるもの。最近、考えるのはこのことばかりである。

京都という街並みは平安建都以来1200年以上の長きに渡って、碁盤の目状の見通しの良く美しい、数学的な形を保ち続けている。

壮大なグランドビジョンがあったに違いないと思っている。

それは、自分の位置と目的地点が直感的に感じ取れる街並みなのである。

人間共通の感覚、感性、知性など、形而上学的なものをカタチにしたとも思える。

そんなフィーリングを大切にして、製品の研究開発やマーケティングに励んでいるのだけど、そこに金銭的なものが立ち入る余地はないと思う。

恐らく重要なのは、京都と同じく人間の理性に基づくグランドデザインのような気がする。

2006 年 03 月 14 日 : 借景

自然ほど雄大で永遠なものもない。

そんな自然を取り込むことができれば、という発想が京都には昔からあった。

遠くに見える山や樹木を背景にして、あたかもそれらも庭の一部であるかのようにしてしまう、庭園の思想や技法のことを借景という。

嵐山を借景にした天竜寺の庭園は、春は桜、秋は紅葉、と四季折々の自然の美しさが楽しめる。

人の創造するものは有限であるからこそ、自然を取り込むことで無限にひろがる何かが生まれる、この発想は偉大だと思う。

ソフィア・クレイドルは、世界の人々に選ばれるベーシック(クラシックでモダン)なソフトウェアテクノロジーを創り出す点に最大の目標を置いている。

素敵な何かを創り出すためには、既に出来上がっている何らかの偉大な力を借景にする考え方も大切だと感じる。

2006 年 03 月 12 日 : 京都の発想

京都の書店に立ち寄った時、たまたま「京都人の商法」(蒲田春樹著)という本が視界に映った。

〜「伝統」と「革新」を両立させるビジネス感覚に学ぶ〜

という副題が付いていた。

クラシカルなイノベーションを創造したいと思って、京都という地に起業しただけに思わず購入してしまった。

期待以上にいろんな示唆が得られる一冊だった。

「東京は逍遥するには刺激的すぎるでしょう。京都はその点では人を独創的なアイディアに導く散歩道がひじょうに多いのです。人は静かな裏町を歩くことで、自由に己の想念を羽ばたかせることができるのです」

「ひとりになるとは、情報を遮断して、自らを思索の底へと沈み込んでいく作業である。人が真に思索にのめり込もうとしているとき、他者は邪魔な存在となる。情報を交換するということが思索を妨げるからだ。
 アインシュタインが相対性理論を発見したとき、彼は三日間、自分の部屋から出てこなかったという。哲学、科学、宗教、芸術、これら知のワークは孤高の産物である。他者対応から独自へ、浅いネットワークからシンク・アローンへ、時代の新しい趨勢は孤高である」

「日本画、それも墨で描いた水墨画には、たとえば、崖とか巌頭に一羽の鳥が止まっている構図とか、枯れ柳に一羽のサギというような構図が多いでしょう。こういった構図に出合ったら、この鳥の目の向いているところを見てください。この鳥の目は画面、いわばキャンバスの範囲の外に向いていることが多いのです」

「・・・、われ、ただ、足るを知るという謙虚なよい言葉が出てきます。足るを知る。不要なものはそぎ落とし、いろんな工夫のなかに大きな世界を創造させる」

「素材をどこまでも少なくして、ついには石と砂だけで創り出す”そぎ落としの美学”が竜安寺の庭園には見てとれる。
 ・・・
 それは多くをあきらめて一つに絞っていくという、デザインにおける”レスの概念”である。エレメントをそぎ落としたときに、人は何によって美を創りだしてゆくか。答えは”人の知恵”である」

自分でも無意識のうちに行動していることが、この書籍には随所に記されていて、なるほどと思うことが多かった。

2006 年 03 月 10 日 : Google、ブラウザでワープロ文書が作成できる「Writely」を買収

以前のブログエントリー「 AJAX と BLOG」にも記したけれど、ワープロ感覚で WYSIWYG なスタイルで BLOG をインプットしたいと思う。

携帯電話向けソフトの世界もそうなんだけれど、「スピード」と「ユーザーインターフェース」がブログ提供会社の未来に影響を及ぼしそうな予感がする。

Google がブラウザでワープロ文書が作成できる「Writely」を買収したという。

WritelyはGoogleのブログサービス「Blogger」やMovableTypeAPIをサポートしているため、ブログエントリーの作成にWritelyを利用できるらしい。

きっと、ここ 1 〜 2 年で、ブログのテクノロジーにも大きな技術革新の波が訪れそうだ。

どんな風に結末を迎えるのか全く予想もつかないけれど「スピード」と「ユーザーインターフェース」がキーファクターになるのではないだろうか。

2006 年 03 月 09 日 : 選球眼

経営者ならば、誰しも自社の商品やサービスがヒットするのを望むだろう。

ベンチャーであれば、空振りが続けばいずれ会社は倒産を余儀なくされる。ヒットしなければ存続は望むべくも無い。

会社を存続させ、経営を安定させるためには、どうすれば商品やサービスが必ずヒットするのかというのが最大の命題だ。

きっと状況は野球でヒットを打つ時と似ているに違いない。

ボールをよく見て、絶好のタイミングを逃さず、思い切って最適なフォームでスイングできるかどうかであろう。

起業とは、業界、商品、サービス、一緒に働くスタッフ、場所、… あらゆるものを自分の意志で自由に選択できるということを意味する。

良くも悪くも全ての結果は責任者である起業家自身に跳ね返ってくる。

経営者にとって、日常生活のあらゆる場面は、選択、選択、選択 … というシーンの連続である。

実は個々の選択は些細な場合が多い。

一つ一つは取るに足らない問題のようにに見えるかもしれない。

けれども、それらを集積したものは想像を絶するほと巨大なものへと変貌を遂げているのが常である。

全ての瞬間において、油断することなく、卒なく、いい球ならば思い切って振り切り絶対にヒットを放って見せるという強い意志が求められる。

高打率の打者ほど、一球一球を大切にしてボールのコースを見極めてバットをスイングするように、経営者も一つ一つの意思決定を大切にして選球眼を養い、どうすればヒットする確率が高まるのかという問題意識を持って経営に望むべきだと思う。

2006 年 03 月 08 日 : パラダイム転換

サラリーマンを辞めて起業した時、働くのは同じなんだけれども世界観のパラダイムを転換する必要性を痛感した。

それはこんなことだ。

サラリーマンならば 1 ヶ月働けば、月給 50 万円とかの収入が確実に見込める。

起業するとなると、収入というものは自分の力で受注し商品やサービスを納品した瞬間にしかやってこない。

その時、 50 万円とか、何がしかのお金が入ってきたりするのだ。

そんな瞬間が永遠に訪れそうもない状況に遭遇するかもしれない。

実際には、そんなケースの方が圧倒的に大多数を占めるものと思う。

けれども、やりようによっては 1 ヶ月の間にそんな祝福すべき瞬間を数限りなく迎えることだって可能なのだ。

その限界にチャレンジするのは、ベンチャービジネスの醍醐味の一つだ。

ビジネスの結果が、サラリーマン時代の月給を上回ることもあれば、下回るこもある。

大抵の場合、創業の頃ほどサラリーマン時代の収入を下回る屈辱の日々かもしれない。特に、研究開発型ベンチャーでは、少なくとも最初の数ヶ月間というものは売上ゼロの連続である。

土壇場では強靭な精神力が要求される。

どん底からどうやって自分だけの力を信じて這い上がるかが全てなのだ。

前に進んでいる限り、昨日より今日、今日より明日なんだという認識をすべきだろう。

きっと目には見えないけれども小さな進歩の積み重ねが3年後、5年後、10年後…に活きてくるという信念を持ち続けられるか否かが肝心なんだろうなと感じる。

ベンチャーの環境は想像以上に厳しく険しい。

それ故に、ベンチャーという環境に己を置くだけで、1 年、2 年、3 年…と年を重ねる度に自分自身が加速するように成長していることに気が付くだろう。

同様に、商品やサービスも時と共に飛躍的に良き方向に向かって走り出す。

だからこそ、ベンチャービジネスでは長く続けるというポリシーが大切なんだと思う。

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