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Sophia Cradle IncorporatedPresident Blog : Entrepreneur

2005 年 11 月 09 日 : タイムパラドックス

プロデューサーとして、経営者の最も重要な役割は時の流れを読んで波に乗ることだと思う。そのイメージが鮮明に脳裏に浮かんだ瞬間、成功は約束されたに等しい。

空間みたいに時間を自由に行き来できる架空の乗り物としてタイムマシンがある。しかしタイムマシンで時間旅行するプロセスにおいて起こる様々な出来事が、現在、過去、未来の全空間に矛盾を引き起こすというタイムパラドックスが発生してしまう。

ベンチャーは現在、過去、未来という時の流れの中での変化がすさまじい。それだけに、たとえ半歩先にしても思った未来を俯瞰し、見極めたチャンスに乗じれるかどうかでエンディングは天と地ほど違ってくる。

未来を予測する代表例として、天気予報を挙げることができる。天気予報とは、地球上の各地点の天気・気圧・風向・風速・気温・湿度などの現在の気象データをインプットして偏微分方程式数値解析して未来の天候を予測するというものである。

空間のポイントは無数にあるから、定められた時間内にコンピューターで計算して未来の天候を得るには代表的なデータをサンプリングするしかない。データの精度に応じて天気予報の的中率も左右されるのである。

経営者が未来を予測する姿は正にそれに近いと思った。社会のこと、業界のこと、自社のこと・・・様々な情報をインプットし、時間をステップバイステップに進めつつ、未来を予測する。無限にある情報の中から限られた情報で予測するので誤差が生じる。正確に予測しようとすればするほど未来シナリオの構想に膨大な分析が必要になる。また、自分自身が未来へと旅する結果生じるタイムパラドックスも考慮せねばならない。

いろいろと複雑な事情が絡むだけに未来の領域を正確に見渡すのは不可能だけれども、敢えて意識して未来を予測する習慣があるか否かで結果は大きく異なってくるだろう。 

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2005 年 11 月 08 日 : Energy

"天文学的な・・・"といういわれるこの広大な宇宙も137億年前はただの"点"に過ぎなかった。137億年前の"ビッグバン"と呼ばれる大爆発を契機にして、今日の宇宙は生まれたらしい。

アルベルト・アインシュタイン特殊相対性理論によれば、

 エネルギー = 質量 × (光速の 2 乗)、 即ち E = mc2

という方程式で、エネルギーと質量は等価交換可能である。

何も無いところから、エネルギーが集中して今日の宇宙ができたとすれば、想像し得ないほどの巨大なエネルギーが宇宙の始まりであり、"ビッグバン"が発生したその 1 点に吸い寄せられたのであろう。それだけのエネルギーがあったからこそ、今日の宇宙があり、それ以下のエネルギーでしかなかったらまだ"点"の存在に過ぎなかったのかもしれない。

ある意味では、ベンチャー事業というのは"無"から"有"を創り出す、宇宙の"ビッグバン"に似た現象にも思える。アインシュタインの方程式から分かるのは、エネルギーを質量のあるものへ変換するには、膨大なエネルギーを 1 点に注ぎ込む必要があるということだ。

果てしない広がりを持つ宇宙ですら始まりは 1 点に過ぎない。限りあるベンチャーであれば尚の事。2 点以上で勝負はできない。精力が分散されるために、1 点にエネルギーを集中させれば起こっていたであろう"ビッグバン"を目の当たりにすることなく終わってしまうかもしれない。

"無"から"有"を生み出す最善の方法は、あらん限りの情熱、エネルギーをその 1 点に注ぐという強い意志を持つことである。集約されたエネルギーがある閾値を超えた段階でビッグバンは起こり、かたちあるものが生まれるのではないだろうか。

  

2005 年 10 月 26 日 : 瞬発力

世界にひとつしかない何か最高のものを創り出そうとすると、そこにはある種の壁が必ず立ちはだかる。その壁を乗り越えない限り、そんなに素敵なものを創造する夢なんて叶いはしない。

自分が突き当たった壁を乗り越えるには、その壁の高さに応じての瞬発力が必要だ。実際のところ、それを鍛えるだけの話なのだけど大抵の人はその道を避けて通る。

肉を切らせて骨を絶つという言葉がある。真に偉大なことを成し遂げようと志したとする。真剣で戦うときに勝利するためのこの秘策はこの場合も有効だと思う。

自分を極限の世界にまで追い込んで、人生を賭けるだけの価値ある仕事に没頭してみるとよい。それは厳しい修行かもしれないが、自分の人生における最高傑作を生み出す上では避けて通れない道のような気がする。

人生における壁は階段みたいな形状をなしている。渾身の思いを込めた瞬発力で一段一段その階段を登り上がるたびに、自己実現の真髄を実感できるのかもしれない。

  

2005 年 10 月 17 日 : 興亡

最近、旺盛な資金調達力を背景にした M & A が活発である。買収される側が東証一部上場の大企業の場合マスコミはその話題で活況を呈する。

世界でも有数といわれる大企業に所属し、弱小の零細ベンチャーからスタートした身の上なので言えそうなことがある。

ベンチャー起業家の中には大企業の経営者であったとしてもおかしくない人物も多い。もし大企業の経営者も務まるベンチャー起業家が存在するとすれば、という仮定法を考えてみる。その人物は大企業しか経験しえぬ経営者よりも能力面や実務面で桁違いのパフォーマンスを披露することだろう。マイクロソフトのビル・ゲイツ氏などはその典型的な例ではないだろうか。

実績や知名度がゼロのベンチャーを立ち上げるのは、温室みたいな大組織で過ごすのとでは格段の差がある。多くのベンチャー起業家は全財産を事業に費やし命がけで経営を実践している。自然淘汰の厳しい環境に自らを置くことによって洗練された経営力というものが自ずと磨かれてゆくからだ。

大企業のトップたるものは優秀であって当然である。さらに、その人物がベンチャーという厳しい環境で鍛えられたならばと想像してみるとこれからの産業界の激動の動きが読めてくるかもしれない。

設立間もないベンチャーが既存の大企業の基盤を揺るがす勢いにあるのは、経験は浅いかもしれないが大企業では決して経験しえないような数々の修羅場を潜り抜けてきた結果としての経営力にあるような気がする。

これから潜在的に有能な人材がベンチャー企業を起こし自らの経営力を伸ばす傾向が加速し、ベンチャーが経営力という観点で大企業を遥かに凌駕する例が顕著になるだろう。

そうなれば経営力のあるベンチャーの中には、経営力は乏しいが資産価値ある大企業を飲み込もうとするものも出て来るだろう。それが自然の流れになろうというのが個人的な見解である。

  

2005 年 07 月 16 日 : 最高の決断

少し前の話だけれど『ジョブズCEO、スタンフォード大学で波乱の半生を語る』と題した Hotwired の記事の言葉が記憶に残っている。それは、米Apple Computer社の最高経営責任者であり、創業者でもあるスティーブ・ジョブズ氏の「最高の決断」に関わる内容である。

スタンフォード大学の卒業生5000名を対象とした講演だったそうだが、そこでスティーブ・ジョブズ氏はそれまでの人生において最高の決断と呼べるものは「大学中退」であると述べた。そのことによって、生きるためには必然的に創造的にならざるを得なかったという。また、その過程において『細かい部分にとことんこだわること』を信条とし、Apple Macintoshを唯一無比の存在へと昇華させた。

ベンチャーを創業して痛感するのは、『創造性』という概念の必要性である。これはどうすれば確実に導き出せるのかというのは永遠の課題かもしれない。その一つの解は、背水の陣を敷いてでも自分を追い込んで集中するということではないか、と考えたりもする。

私の場合、『最高の決断』と呼べるのはサラリーマンを辞めたことに尽きる。それによって自分の力を信じて生きざるを得ない身の上となった。最終的に頼れるものは、自分の努力や情熱、才能、考え方でしかないけれど、これこそが大きなパワーを生み出す源にように今にしてそう感じる。勿論それは一人だけで形成されたものでもなく、自分のためだけに在るものでもない。

振り返れば、起業してから実際にその立場でなければ想像できない、実にたくさんの経験や体験を繰り返してきた。最近ようやく、その度にステップバイステップに着実な成長を遂げている自分を客観視できるようになってきた。

最悪の場合、頼れるものが自分しかないという境遇はある意味では厳しい現実かもしれない。しかし反対に、全ての人生を自分の価値判断で決定できるという事実は、楽しく愉快な充実した日々を過ごす上で外せない条件ではないだろうか。

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2005 年 04 月 12 日 : 千里眼

最近、海外とコミュニケートする機会が頻繁にあり、和英辞典が欠かせない。たまたま和英辞典を開いて「先見力」について調べてみた。すると、そこには"vision"や"foresight"といった英単語が並んでいた。"The governor is a man of vision."(その知事は先見の明のある人だ。)という例文があったりする。 

ベンチャーを経営していると、以前と比較して"vision"というキーワードを聴く機会が殊更多い。時代の先にあるものを洞察する「先見力」はベンチャー起業家にとって貴重な資質であるという暗黙の了解があるかの如く。

いろんな要素が複雑に絡み合うので、一概にこれと断言することはできない。しかし、「先見力」はベンチャーを成功へと誘う一つの大切な要因であることは確かだろう。

和英辞典のその先にある情報を眺めていると、「先見の明がある」は英語で"have a long head"というらしい。日本語に直訳すれば「長い頭を持っている」ということか。「ものごとを長期的に判断できる」と解釈すれば良いのだろうか。こんなところに英語に対する知的好奇心が刺激される。

"have a long head"という英熟語には「頭が良い」という味も含まれているらしい。英語圏では「先見の明」こそが賢者の証かもしれない。文化的な背景の違いを想像するのはとても興味深い。

日本では、一般に「頭が良い」というのは「学業の成績が優れている」というような意味で捉えられることが多いように思う。だから有名な学校を卒業すると、その人は「頭が良い」と同義であるのがこの日本の一般的な風景の一コマに見える。

学生時代を振り返れば、残念ながら「先見力」と呼ばれる才能を伸ばす訓練を受ける機会にほとんど巡り会えなかった。過去の知識を詰め込み式に丸暗記し、予め答えが一つ決まっているものと同じ解答をするだけでよい。その正解率によって学生は評価される。そんな教育を受けてきた。「先見力」については自分なりに努めてそういった才能を磨くしかなかった。

確かに過去の事実を知ることは大切なことだ。しかし、時代の流れや勢いのようなものから、不確定要素が多く何通りにも答えがあり得る、未知の世界を推論する。そういった能力の方が社会に出てからは実用的で実際には役立つものだ。過去を振り返るだけでなく、そこから無限の可能性を秘めた未来を見渡せる才能がいま求められている。

ベンチャーを経営して尚更それを実感する。実際問題として、「頭が良い」といわれる人たちを100人集めたとしても、その中で「先見の明」のある人は1人いるかいなかくらいだろう。日本の教育のシステム上、そういった努力をしてこなかったから仕方がないといえばそれまでなのだが…。実はそんなところにニッチを見出してベンチャーを創める意義がある。

過去と未来の世界は、いま現在というポイントを経て確かに一つの道として繋がっている。その事実を時空のひろがりの中で連続的に俯瞰できる才能が先見力だ。それさえあれば不安に思うことなく明るい未来を展望することができる。さもなければサイコロを振るようにして不確定に生きるしかない。だから所謂「頭が良い」といわれる人の大半が確率論に従った人生を送らざるを得ない現実がなんとも皮肉に虚しく響く。

創業当初、人材や資金、設備などで恵まれなくとも、他の人には見えない未来への構想力と決断力こそがベンチャーにとって掛け替えの無い財産となる。経営学的にはそれが競争優位の源泉となる。弛まなく無限の成長を遂げるベンチャーの成功の秘訣は千里眼のような「先見の明」にありそうだ。

  

2005 年 04 月 07 日 : Capability

ベンチャーに携わって6年余りの時が経過した。その間、幾多の壁を突破し、いろんな経験をし教訓と呼べそうなものを得てきた。「突破」、英語では「ブレークスルー(Breakthrough)」という、そのベンチャーに相応しいキーワードには個人的に感慨深いものを覚える。そのテーマで何百ページにも及ぶ書籍が出版されていたりもする。

小さな壁は比較的乗り越えることも容易だが、ベンチャーをやっていると、時には巨大な壁が突然目前に出現したりする。問題はとんでもなく大きな壁をどうやって突破するかにある。(「老子」では問題が大きくなる前に些細な段階で対処すれば何ら難しいことは起こらないと指南してくれてはいるが…。実際のところ、そうなんだけれども。)

サラリーマン時代には想像すらできない大事件に、ある日初めて遭遇することはベンチャーの世界ではよくある話だ。そんな壁を幾度か乗り越えるうちに自分を含めスタッフ全員がたくましく鍛えられてぐんぐんと成長してゆくのだから、天からの貴重な贈り物のようなものでありがたいのは事実なんだけど…。辛く厳しい現実がたまに訪れる。

ベンチャーを創める以前、実態があるかどうかは別問題として一般の世間ではそれなりに評価されるレールに沿った人生を過ごしていた。その頃は世の中社会一般に対して甘い考え方を抱くことも多かったと回想する。いまでは天と地ほどに違う両極端な世界を経験していることになるのだろうか。

一流と称される大学に入学し企業や研究機関に就職し、一見安定であるかのような生活を過ごすうちに無為に年月を積み重ねる人が多いような気がする。秘められた才能が永久にお蔵入りするような話かもしれない。もしかしてその人が偉大な発見や発明をしたかもしれないとすれば、それはとても勿体無いことだろう。

そんな大学なり、企業なり、組織に入るためには人並み以上の努力が必要だったはずだ。例えば、難関大学に入学するためにはそれに相応しいだけの難しい問題を解く為の訓練をしてきたからこそ入試に合格できたのだ。スポーツの世界で謂うならば、自分のキャパシティを超えるくらいのトレーニングを積み重ねた結果として、一流と称されるような能力やスキルが増してゆくものだ。そういったポジションを獲得するまではもの凄く努力するんだけども一旦それが手に入るとその努力を辞めてしまう人が余りにも多い。新たな壮大な目標にチャレンジする優秀な人が年齢と共に減ってゆくのがとても残念に思える。

努力するペースを緩めれば、必然的にそれだけ自分の成長のペースが緩まったり、最悪の場合、退化してしまうことすら実際には多いのではないだろうか。所詮、人間とは弱い生き物なのか。恵まれた環境に入れば、それが災いしてそうなってしまう人が多いように感じる。私がサラリーマンを辞めた理由の一つにそんな退廃的な生活のペースから脱却したいという希望もあった。

どんなものであれ、隠された潜在能力(Capability)というのは、難局を乗り切った時に初めて発見されるのが常だ。ベンチャーをやっていると必然的にそんな境遇に追い込まれる(恵まれる)のだから、そこからどうやって這い上がってゆくのかというのが最大の至上命題だ。そういった命題を証明する過程において、自分のうちに潜在的に秘められた才能が発見され、育ってゆくように実際にベンチャーをやっていてそんな感触を得ている。

危機感の少ない安定した場にいると、そんな風なニッチもサッチもゆかない場に出くわすことも少ないわけで、逆説的にはそれだけ自分が成長する機会を逸しているといえる。自分から意識して、自らの成長の機会を創って生きることもできるだろうけれど、人間というのはついつい楽をしたくなく性質にあってなかなか難しい。実際のところ、画期的なもの、革新的なものが何不自由の無い恵まれた環境から生まれるのは稀なケースといえるだろう。

米国マイクロソフト社にしてもWindowsが大ヒットした結果、一般の人には想像できなくらい巨額の収益が会社にもたされたのだから、人材面にしても設備面にしてもWindows以前と比較すれば間違いなく桁違いに良くなっているはずだ。爾来、それに見合うくらい、Windowsを遥かに凌駕し、私たちを新時代へと誘うほどに脚光を浴びる新製品はマイクロソフト社から生まれたであろうか?いろんな雑多な新製品は生まれたであろうが、依然としてマイクロソフト社の収益の8割以上はWindowsとOfficeに頼り切ったビジネスモデルになっている。

これは何もマイクソフト社に限った話ではなく、多くの大企業や組織に共通していえることだ。それが何故起こってしまうのか、というような根本的な原因や傾向とその対策を、最近、私はよく考える。ベンチャーがブレークスルーし、更に飛躍を継続するヒントがそこにありそうな気がしてならないからだ。

  
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