ホーム > President Blog : Sophia Cradle Incorporated

Sophia Cradle IncorporatedPresident Blog : Entrepreneur

2005 年 03 月 18 日 : 大企業とベンチャー

ここ5〜6年ほぼ毎日といってよいほど学生さんと接している。ときどき彼らから将来の進路の話なども聴いたりする。

いつか起業したいが失敗したくない。きっと大企業であれば教育体制がしっかりしてそうだ。だから、最初は大企業でちゃんとした経験を積みたい。そんな学生さんも多いのではないだろうか。ドリームゲート・インターンシップでもそんな学生さんが多かった。

この話を聴いて私も昔はそんなところがあったかなと自分の昔の姿を懐かしんだ。学生であった頃、自分の想い描くように何でも事がスムーズに運ぶように主観的に世の中を甘く見ていた。実際は、それとは逆でものごとは自分の思いとは裏腹に推移することが多くいろんな失敗を積み重ねた。

典型的な日本人の考え方からすれば、「一流大学→大企業→ベンチャー起業→人生における成功」というような図式もあるのかもしれない。しかし、実際に生き残って成功しているベンチャー起業家たちの大半は大企業の出身者でなかったりする。なぜ大企業出身という経歴を持つベンチャー起業家が少ないのだろうか?

そもそもベンチャー起業にチャレンジする人が少ないという説にも一理ある。ベンチャー起業に求められる最も大切な要素が大企業では学べないところにその原因がありそうな気がする。逆に大企業で覚えたやり方や習慣が禍したりする。

私自身大企業で勤務していた経験がある。それがベンチャー起業とどう関わってくるのか個人的な見解をまとめてみたい。

どんなものにも必ず裏と表がある。大企業での経験がベンチャー起業にどんなメリット、デメリットを与えるのかゆっくり考えてみるのもたまには良いだろう。

確かに大企業は教育体制がしっかりしているといえる。教育は巨大な組織の一員として働く上で生産性をアップする目的でなされている。大企業は組織が巨大であるだけに、職務内容は細かく分類されている。そのため、その教育内容は細分化された専門性をより伸ばすようにカリキュラムは組まれているものだ。なので、自分の専門性を伸ばすためには大企業はもってこいの組織といえる。

一方ベンチャーの場合、創業期の頃は何から何まで自分がしなければならない。ITベンチャーだからといってプログラミングだけで済ますわけにはいかない。創業の頃は、資金繰り、経理、マーケティング、営業、受注・出荷、契約、人材採用、社会保険、備品の整備などいろんな多岐に渡る内容の仕事を一人でこなせすことが要求される。専門性も大切であるが、一種ゼネラリストとしての能力が要求されるのも事実だ。

勿論、会社が成長すればそれらの仕事も少しずつスタッフたちに権限委譲し、自分の手から離れてゆく。現実はそれ以前に立ち行かなくなるベンチャーが圧倒的に多いのではないだろうか。逆にそこさえ乗り越えると、その後は集中力で必要な知識を学べばなんとかなる。とにかく最初の難関をどうやってのりきるかがベンチャー起業の最大のポイントなのだ。

大企業の教育で学んだ専門知識や業務の進め方、組織などのノウハウも確かに役に立っているけれども、ベンチャーに必要な実務の8割方は未知の分野だった。オーナー社長という立場になって初めてそれを実感する方が寧ろ多かった。水泳にしても頭で学ぶよりも、実際にプールに出かけて練習する方がその習得は早いし、より確実だ。頭だけで考えていても到底泳げるようにはならない。ベンチャー起業も実践の場でしか学べないことが多く、それこそが成功に向けた大きな手がかりとなることが多い。

ベンチャー起業を成功させる上で最も苦労するのは、「顧客の創造」であろう。知名度も実績もゼロの状態でスタートすることの意味は大企業では決して学べない内容であり、ベンチャー起業家にとって最もよく理解しておかなければならないポイントだ。「顧客の創造」という難関を突破しない限り、ベンチャーの未来は絶対に有り得ない。

大企業の場合、その本人に実力がなくともそのブランドだけでモノが売れてしまう。それを自分の才能や能力であると錯覚する人が大企業出身者に意外と多い。

どうやって顧客を創造するかに関しては悩みつつ、いろんな試行錯誤を繰り返した。結局のところ、大企業の教育で学んだことからその解決策を見つけることはできなかった。実際にやってみて、プレッシャーを感じつつ当事者意識をもってやることでブレークスルーできた。

製品やサービスが売れて実績が出てくると、その後はだんだんと売上や利益も伸びてくる。創業時ほどいろんな奇抜な発想をしなくとも売れるようになる。そうなった時にその販売システムの効率化をする段階がやって来る。そんなフェーズで初めて大企業で経験したような知識や技術が活きてくる。いろんな業務をマニュアル化し、システム化する。それらの仕事は大企業では当たり前の話だ。

大切なことはベンチャー起業の最初をどう乗り切るかであり、それを達成できない限り大企業での経験を活かせる場はないのではないだろうか。そのためにもベンチャー起業の肝心要なノウハウをまず知っておくことがベンチャー起業家として成功するための必要条件なんだと思う。

世の中を見渡してみて感じるのは、ゼロから1を創りだす人よりも、どちらかといえば1を10にするような人の方が多そうなことだ。ゼロから1を創りだすのが起業家で、1を10にするのは実務家である。実務家を目指すのであれば、大企業で多くを学べるだろう。

もし自分が起業家タイプを目指したいならば大企業に答えを本当に見出せるかよく考える必要はあるだろう。ベンチャー起業について学びたいのであればできるだけ創業前後のベンチャーで最初から働いた方が多くのことを収穫できるというのが私の個人的な見解だ。ベンチャーの創業が成功して事業が軌道に乗れば、実務家としての知識が少なくて心もとない場合は、外部のコンサルタントや人材を雇ったり、ヘッドハンティングして実務能力を補強すればよい。ベンチャーを立ち上げるよりもずっと簡単なことだ。

起業家であり、実務家でもあるという人は更に少なくなるが、起業家からスタートすればそのような道も目指せるし、また新たな別の事業の起業もあり得るだろう。

どんなオプションを選んだとしてもそれなりの人生が待ち構えているだけだと思う。私個人はずいぶんと廻り道をしてしまった。過去を振り返らないので後悔なんて滅多にないのだけれど、挑戦すべきタイミングを逸していたり、選択を誤まったことも多かった。端的にいってみればそれこそが人生なのであるが、いろいろと紆余曲折があって興味深い話ではある。

  

2005 年 02 月 25 日 : セレンディピティ

セレンディピティ』という言葉をご存知だろうか。Webster's Dictionaryによれば、「セレンディピティ(serendipity)」には「求めてもいないのに偶然に幸運な発見をする能力(the faculty of making fortunate discoveries of things you were not looking for)」という意味があるらしい。何だかベンチャーにも必要な才能みたいだ。

母から薦められた同名のタイトルの映画を観て、『セレンディピティ』という言葉の響きに憧れを抱いていた。偶然に出会った見知らぬ男女が、数年後、それぞれの電話番号が記された書物と紙幣を偶然に手に入れることで物語が展開するというのが、軽妙でロマンティックなこの映画のストーリーだった。

『セレンディピティ』の語源は『セレンディップの3王子(Three Princes of Serendip)』というおとぎ話にあると謂われている。この物語は、セレンディップという国(現在のスリランカ島)の3人の王子の冒険にまつわるお話だ。綿密に計画をたてて出発した王子たちであるのだが、旅は思い通りに運ばなかった。でも、さまざまな困難な出来事や災難に巻き込まれつつ、叡智を振り絞ることで予想外の貴重な体験をし宝物の発見をするというアドベンチャーな話だった。この物語から、幸運を神頼みするのではなく「不思議なことを追求する心的能力」ということを意味するようになったらしい。

実際のところ、ベンチャー企業で起こるさまざまな出来事もこれに近いところがあるように思う。事業計画書の緻密な計画や研究開発がその通りに進まないケースが圧倒的に多いのではないだろうか。その中にあって、計画が当初の予定以上に発展できるかどうかは、予想外の発見や発明をする『セレンディピティ』の才能によって運命付けられるように感じる。

『serendipity』という英単語にしても、何の関心もない人からすれば単にアルファベットが並んでいる単なる文字列に過ぎないが、これに興味を持って何らかの知識や教訓を得ようとする人にとっては学ぶことが多いだろうと思う。日常生活において存在していたり発生するさまざまな事象に、どれくらい深くそんな姿勢でいられるかが『セレンディピティ』という才能をのばす鍵となるのかもしれない。レイチェル・カーソンの『センス・オブ・ワンダー』にも通じるものを感じたのだが・・・。自然界や宇宙の不思議に敏感であった科学者や詩人たちにもこの能力が見出せそうである。

ソフィア・クレイドルは「未来社会におけるクールな携帯電話向けの電話帳」を研究開発するところから出発したが、未だそれは達成できていない。いろんな条件、制約や業界環境などに左右され当初の計画からすれば必ずしも思い通りに進んでいない。しかし、いろんな困難な事態や問題をスタッフ全員の知恵を働かすことによって、壁を乗り越える度に自ら成長すると共に予想もしなかった新しい技術開発に成功してきた。そして、それらが製品となり売上があり、幸いにも会社自体が生存しかつ進化を続けている。

苦しく厳しい経験や体験が存在するのなら、そこで得られるものにもそれだけの価値があるのではないだろうか。誰にも備わっていると思われる『セレンディピティ』を養うことができたら、獲得できるものも珍しく美しい宝物となるだろう。だから、そのためにも何よりもまず、『創める』というスタンスが大切になってくるように思える。

続きを読む "セレンディピティ" »

  

2005 年 02 月 16 日 : 講演のご案内

海外インターン生でいつも大変お世話になっているアイセック同志社大学委員会様の主催の起業家講演会で話します。ご興味のある方は是非ご来場ください。

題目:「ベンチャービジネスの立ち上げ方」
日時:平成17年2月19日(土)14時〜16時
場所:同志社大学今出川キャンパス 講武館106
開場:13時30分

<講演概要>

ベンチャービジネスの中にあって、イノベーションとマーケティングで勝負をしなければならないハイテクベンチャーを立ち上げるのは並大抵のことでないように実感します。何の知識も持ち合わせず、勢いやノリといった感覚で始めるとすれば、そこには大苦戦が待ち構えていることでしょう。それはそれで良い経験にもなるのですが、その先にはもっと多くの難関があるのだから、最初から分かっている問題は事前に対処するのがベストです。

多くのベンチャーが廃業したり、M&Aされたり、当初の思惑と違ってやりたくないことを仕事にしていたりします。そんなことになれば、何のために一大決心をしてベンチャーを始めたのか、その意味が分からなくなります。

ほとんどのベンチャーは立ち上げの時に、最初から組み込まれた問題に起因して、立ち行かなくなったり、思うように事業が運ばなくなったりします。何故、そのような事態が発生するのかを自分なりに考えることもよくあります。私が思うには、全てはベンチャー起業について学ぶ場が皆無に近い状況が今日の事態を招いているように思えてなりません。

私自身、右も左も分からないままに起業したのですが、しなくてもよいことをしていたり、悩まなくてもよいことに悩んだり、やるべきことをせずに苦労することが多かったように思えます。事前にそんなことを少しでも知っていたら、もっとスムーズに事業を軌道に乗せられたのにというような反省も数多くあります。

創業して3年という年月が経過しました。最初は売るべき製品も存在しなくて、それを凌ぐために廻り道しつつ、いろんな創意工夫をしました。そのような経験を通じて、私たちも成長すると共に会社も次第次第に良くなってきました。現在では、既存製品の売上だげで月間固定費を充分に上回っていますので、売上の全額を新規の研究開発に当てることもできれば、何も働かなくとも暫くは安泰というようなところまできています。実際には、会社をもっと伸ばしたいので働かないというのはありえないことなのですが…。

ソフィア・クレイドルは、スタッフたちも含め、短期的な成長ではなく、長期的に想像もつかないほど成長することを目指している会社です。だから、最初から猛ダッシュすれば短期的には大きく成長するかもしれません。しかし、長期的には息切れしかねないため、研究開発は他のベンチャーでは類を見ないほど、ゆったりとしています。スタッフたちは完全週休2日制ですし、ソフトハウスでよく見られるような不眠不休で働いているスタッフは一人もいません。

新しい何かを創造するには、我武者羅に働くのもいいのですが、それだけでは何かが不足するように感じています。いろんな模索をしつつ、ハイテクベンチャーを成功軌道に乗せるように努力しています。

ソフィア・クレイドルというベンチャーを創業してから3年の年月で多くを学びました。この過程で得た多くの気付きは、他のベンチャー起業にも少しは役に立つように思えます。少なくとも、同じような失敗をした時の対処としては参考になりそうな気がします。

学校や会社や家庭では、なかなか起業を成功させるための方法論について学べません。この日記でお話してきたことはまだまだ極僅かな気がします。他で学べないようなことを今回の講演会ではご紹介できればと思います。

  

2005 年 02 月 14 日 : アントレプレナー

既に完成されている企業で働くということは、確立されたフレームワークの中で行動することを意味する。自分の意志に反して無理してその枠組みに合わせて働くなら、その人が潜在的に本来秘めている可能性が発揮されずに終わってしまうことだってある。逆に、フレームワークが存在していてそれが素晴らしいものなので、適する方向に向けて自分の才能をもっと発揮することもある。

要は自分の適性に合わせて、会社を選べば良いのだけれど、優秀といわれている人ほど、自分の力が十分に発揮できる場について、真剣に考えずに重要な人生の選択をしてしまっている。厳しい局面に自らを置くことによって初めて自分の才能に気付くことは意外に多い。それをきっかけにして世界が変革されることも充分にありうる話だ。

未来が見通せる安定した組織は見かけは良いかもしれない。しかし、仮に自分が本来やりたかったことがそこでは実現不可能であるならば、人生を嘆くことにもなりかねない。「自分の人生について」は意外と自分では分かっていないことが多い。例えば、受験で滑り止めのつもりで受けたところのほうが、自分に合っていて幸せに過ごせることもあるものだ。

テレビCMで頻繁に流れるような大企業というのは確かに素晴らしい会社である。しかし、どんな組織にも始まりがあって、終わりというものが存在する。そんな大企業でさえいずれ崩壊することだけは確実だ。世界的なローマ帝国にしても、モンゴル帝国、イスラム帝国などなど、全ての組織にはかならず終焉がある。そして、同時に新しい偉大な組織の萌芽が生まれている。

だから優秀な人ほど、崩壊してゆく合わない組織にしがみつくのではなく、新しく次の時代を切り開く組織を創る仕事に打ち込むべきだろう。新しい偉大な組織が生まれない限り、日本は時間の経過と共に衰退の道を辿るのではないだろうか・・・。

第二次世界大戦直後こそ、SONY、HONDA、京セラなどの世界的に巨大なベンチャーが日本においても育った。しかし、それ以来、それらを凌駕するようなベンチャーが生まれていない。そういうこともあってか、90年代以降日本においては全体的に不景気である状態をずっと脱していない。

今後、日本がもっと大きく発展するためには、高い志を持つたくさんのアントレプレナーが育つような環境を整備することが重要であろう。そして、日本を代表し、広く世界でも活躍するようなスケールの大きなベンチャーが、昔のようにもっとたくさん生まれることを願いたい。

自分の貴重な才能を自ら伸ばすために、大切な時間を費やすべきであろう。実質的に社会に役立てるためには何をなすべきかということを、他者に頼らずもっと自分自身に問うべき時代にきている。それこそが、幸福な人生を送り、そして希望と夢のある未来を創るためのキーになるように思えて仕方ない。

  

2005 年 02 月 12 日 : チャンス

ソフィア・クレイドルというベンチャーで携帯電話向けのソフトウェア事業を展開している。数え切れないくらい、たくさんのいろんな事業がある中で、自分がなぜそれを選択したのかという理由を明らかにしておくことは、ベンチャーを始める上で極めて重要なことではないかと思う。

この起業家100人挑戦日記を連載している起業家にしても、誰一人として同じ事業をしている人がいないくらい、世の中には様々な事業が存在している。けれども共通して、そのベンチャーが成功するかどうかは、その最初の選択によって決められているようにも思える。何故なら、自分の原動力の問題だからだ。

周囲のベンチャーを見ていて思うのは、なんとなく儲かりそうだから、たまたまチャンスが転がっていたからという理由でそのビジネスを始める人が多いようだ。だが、経営というものはそんなに甘くはないので、必ずと言っていいほど悪いときがやってくる。その時にどのようにして凌ぐかというのが、重要なポイントになる。それこそが試練であり、同時に真のチャンスと言えるのかもしれない。そしてその壁を乗り越えることによって、自らも脱皮しスタッフたちと共に会社は成長してゆくのだろう。

チャレンジすることは良いことだけれど、明確な理由無くなんとなくで始めたベンチャーは、事業の環境が悪くなった時にそれを乗り越える力が弱いのではないか。

大切になってくるのは、心の底からその事業をやってみたいと思えるかどうか、それから一緒に事業をやるスタッフたちにすべてを賭けることができるかどうかをよく問うことであろう。これらは、数理科学がシンプルな美しい数式で複雑な事象を表したり、帰納と演繹の繰り返しによって学問が発達するように、自らの心の中で、延々と語り尽くすことの出来ないくらいのことがらに、たったひとつの単純な答えを見つけ出せるかどうかに掛かっているのかもしれない。

マイクロソフト、Yahoo!、Googleなどのいまや巨大な企業へと成長した米国の偉大なベンチャーにしても、創業当初は、誰も見向きもしないような馬鹿げた事業だと思われていたものが、今日のように成長しているのである。

不思議な話だが、最初は期待されていない事業ほど将来的には大きなものへと成長する可能性が高いようだ。そんなに期待されない事業だけに、大成功といえるようなポジションに到達するためには、多くの時間と労力が要求される。そこに辿り着くためには、事業そのものが大好きであること、それからそれによって、世の中が良い方向に変革されることに喜びを見出せるような姿勢が大切になってくるだろう。

  

2005 年 02 月 01 日 : オリジナリティ

受験勉強なんていう例外もあるのかもしれないが…。多くの人は学校を卒業するまでは比較的自由にのびのびと好きなことをして楽しく過ごす。しかし、社会人として一歩世の中に踏み出した、その瞬間から次第に笑顔が無くなってゆく人が多いのではないだろうか。

旧態依然とした大きな組織ほど融通が利かないものだ。その組織の都合に合わせて人が働いているという、本末転倒な矛盾がよく発生している。そんな事情があるから、仕事に生き甲斐を見出せず、現代社会にも完全燃焼できない、ニートやフリーターといった若者が増えているのかもしれない。

けれども充実した人生を送っている人がいるのも事実だ。そんな人たちはきっと自分の好きなこと、得意なことができる恵まれた環境にあるのだと思う。

そんな天職というものに就いて生涯にわたってずっと楽しく愉快に暮らせれば、どれほど素晴らしいことか。そんな希望を描いて、私はソフィア・クレイドルというベンチャーを起業した。だから、原則としてソフィア・クレイドルのスタッフたちは、好きなことや得意なことを仕事にする。そうすれば、きっとそこから生まれる商品やサービスは人の心に響くに違いない。これからの未来は「感性」というものが主役になる時代だ。これこそが、ソフィア・クレイドルという会社のレゾン・デートル、存在理由でもある。

実際のところ、それでちゃんと生活できるのかという疑問が生じるかもしれない。だが、経営者の責任は、それが確実に実現できるように、慎重でありながらも大胆に事業の領域を定めて計画し展開することではないだろうか。勿論、さまざまな障害や問題も発生するかもしれない。そんなことも楽しむようにできなければベンチャー起業は適わない。

いろんな壁を乗り越えるたびに、それだけ自由を獲得し、達成感や充実感といったものが増してゆく。自分自身の成長を実感し、確かめながら限られた貴重な人生を生きる。私たちはそんな生き方の価値感を大切にしている。

趣味でも、スポーツでも、仕事でも、どんなものでもよい。寝食を忘れて心の底から没頭できるものに打ち込んでいるときの自分を想像してみて欲しい。何の苦痛も時間の経過も努力しているとすら感じない。やりたくないことをやらされているときの対極の姿がそこにあるはずだ。

京セラという会社は 1959 年に稲盛和夫氏によって創業された。しかし、国内では、それ以来 40 年以上にわたって、京セラに匹敵する或いは凌駕するくらいの、偉大なベンチャーは誕生していないのではないだろうか。

その意味において、稲盛氏の経営哲学というものは極めて貴重であり、それを 21 世紀風にカスタマイズできれば、そのベンチャーは大いに発展できる余地があるのではないかと考えている。

いろいろと勉強した結果、その経営の神髄は経営の原点 12 ケ条にあると思った。この 12 か条の中で、最も注目すべきなのは第 4 条ではないだろうか。

第 4 条 誰にも負けない努力をする

この上なく含蓄のある言葉のように思える。多くのベンチャー起業家は全財産を己の事業に賭けるわけだから、当然、サラリーマンの何倍も、何十倍も、真剣に必死に努力する。しかし、現実問題として 10 年以内に 94 %のベンチャーは経営破綻しているのだ。この事実から分かるのは、絶対に成功するという、強靭な精神力や信念、気概を持って真摯に努力をしない限り、無限に成長しつづけるようなベンチャーを創り得ないということだろう。

本能的にごく自然な振る舞い、即ち、努力を努力と感じないレベルにまでに昇華させないと…。言うまでもなくこれは非常に厳しい事態だ。

しかし、自分の好きなこと、得意なことならば、いつでもどこでも、全く苦にならずにできるというものだ。自分の特性、或いは才能を潜在的なものまで含めて大いに発揮することもできよう。そんな風にしてごく自然に仕事ができるか否かが、大成功できるかどうかの分岐点になるような気がして仕方ない。

  

2005 年 01 月 19 日 : Paradigm shift

いくつかの会社でサラリーマンを経験した後に独立したのだが、ベンチャー創業の過程において、言葉では表現しつくせないほどのパラダイム変換があった。

昔、所属していた会社が世界でも有数の巨大企業だったせいもあるかもしれない。それと比較すれば、ベンチャー創業の日を境として、社会的に弱者としてゼロからのスタートだったわけで、天と地ほどのギャップに近かった。そこに自己の存在意義を見出せるというのも妙な話ではあるのだが…。

大企業であれば任される仕事というのは、こと細かく細分化されていて、全体からすればほんのごく一部に過ぎず、自分のすべての人生を賭けてまでやりたいといえるものに巡り合うことは難しい。平社員として過ごすことになる 20 代の頃はその傾向が強いのではないだろうか。しかし、若ければ若いほど仕事にかける思いや情熱は強いものである。私の場合、そこに大きな矛盾が確かに存在した。

あの頃は、社会や会社全体におけるその仕事の位置付けをよく理解することもなく、ただ只管、狭く、深く、なんとなく仕事をしていたことを昨日のことのように思い出す。

会社全体がどんな仕組みで動いているのかなどほとんど把握できていなかったし、それへの関心も全くもって希薄だった。自分でそう思わないにしても、実際のところ、大半の大企業のサラリーマンはそんなところなのではないだろうか。

そんな退廃的だった生活と決別するというのが、ベンチャー起業の理由でもある。

ベンチャーを創業するとなると、ある程度は商法、労働法、税法などの法律を知った上で、自らの力で行動しなければならない。創業当初は、本業以外のことでも、あらゆる必要なことすべてを短期間で猛勉強しながら、苦しい事業の立ち上げをしなければならない。

大企業のサラリーマンであれば、とあるシステムの研究開発をするだけでも良い。しかし、ベンチャー創業当初は、研究開発以外にも、経理や労務、営業、資本政策、資金繰り、人材採用など様々な多岐にわたる仕事を自分ひとりでやるしかないのが新しい現実といえよう。

最初の頃は、このパラダイムシフトへの対応に戸惑うことも多かった。チャールズ・ダーウィン進化論によれば、「生物が生き残るための条件は強さとか賢さとかではなく環境変化への対応力」ということらしい。ダーウィンの進化論を応用するならば、創業直後に激しい変化への対応を学習し、それをノウハウとして蓄積したベンチャーは、きっと凄まじいほどの生命力に溢れるに違いないと思ったりする。

ベンチャー的な生活も慣れてくると当たり前のようになってくる。呼吸するような感じで無意識に仕事をしている事実に、ある日、ふと気付く。仕事のON/OFFが存在しない。正月も、土日も、祝日も、この日記を書いているように、会社自体は休業なのだが、自分も家族も実質的に年中無休の状態が続く。

これが普段の当たり前の生活になっている。

これくらい仕事をしていると、会社の全体像や行く先が本能的に身体で分かるようになるのが不思議だ。また、こんな感じで仕事をしているからこそ、人生に充実感を覚えたり、遣り甲斐が持てたりするのかもしれない。このことは他に代えがたいベンチャー起業のメリットといえよう。 

ベンチャー起業を成功させる上で、大切な要素のひとつとして、「ヒラメキ」というものがあるような気がする。古来から、そういった「ヒラメキ」というものは、うとうとと眠りかけていたり、移動中、風呂などでリラックスしているときに浮かんでくるようである。ノーベル賞受賞者の談話などを読んだり、聞いたりしていると、大概はそんなふうにして革新的なアイデアが生まれているんだなと分かる。そのためには「潜在意識」の中でも仕事をしていることが前提条件になるらしく、そんな「ヒラメキ」が起こるか否かは自分の仕事への思い次第なのであろう。

ベンチャーの社長たるものには無意識の中でも仕事をしているような習慣といったものが要請されるような気がする。

  
<前のページ |  1 | 2 | 3 | 4 | 5  |  次のページ>