ホーム > President Blog : Sophia Cradle Incorporated

Sophia Cradle IncorporatedPresident Blog : Software Technology

2005 年 03 月 16 日 : BREWとは

この日記に頻繁に登場する『BREWBinary Runtime Environment for Wireless)』について、携帯電話の動向も交えてまとめてみよう。

プロモーション活動があまり推進されていないので、KDDIの『EZアプリ(BREW)』が利用できる携帯電話のユーザーでもない限り、『BREW』と聴いてもピンとこない人が多いような気がする。NTTドコモの『iアプリ』なら携帯電話でゲームができるプラットフォームとして、きっと大半の方がご存知だろう。

『iアプリ』と同じように、『BREW』はインターネットのサーバーに置かれたアプリケーション(ソフトウェア)を携帯電話にダウンロードして利用するシステムだ。現在はゲームなどのアプリケーションが中心だが、将来的には電話帳やメーラー、ブラウザといった携帯電話に組み込まれるようなソフトウェアまでもがダウンロードして入れ替え可能になる。『iアプリ』は『Java』、『BREW』は『』や『C++』というプログラミング言語をベースにしている点が構造上の目立った違いである。(『BREW』上で『Java』も利用可能なので、『BREW』と『Java』を単純には比較することはできないのだが…。)

『日本語』、『英語』、『スペイン語』・・・、世界にはいろんな言語が存在し、日常生活で使っている言語によって生活や仕事の環境が影響され言うまでもなく言語は重要な位置付けにある。それと同じようにコンピューターの世界においても、どのプログラミング言語によってソフトウェアを開発し運用するかはとても重要な要素だ。

ソフトウェアの致命的な弱点は、それが人手によってしか開発できない点にある。携帯電話はiモードが発表された1999年を境にして、コンピューターとしての側面から急激にハードウェア機能が進歩している。コンピューターの場合、ハードウェアとソフトウェアは車の両輪もいえるくらい両者のバランスは大切だ。ハードウェアが進歩すればそれにあわせてソフトウェアも進歩しなければトータルとしての携帯電話の価値が損なわれてしまう。

だから、ハードウェア機能がハイエンドなものになれば、それだけソフトウェアも大規模化し複雑化する。機械的な仕組みによって「ソフトウェア」が開発されるのならば何ら問題ないのだが、現実は科学技術が発達した今でも、ソフトウェアは高度であればあるほど職人技を駆使して開発される傾向にある。

そんな風にして携帯電話のソフトウェアが開発されるとするならば、それが大規模化し複雑化すればするほどソフトウェア開発費が膨らむことになる。現在では携帯電話の総開発コストの80%はソフトウェアが占めるようになってきているという。でも開発費が高くなったからといって、製品価格を高くして利用者にしわ寄せすれば今度は売れなくなってしまう。

『Java』や『BREW』以前は、携帯電話のソフトウェアというものは、携帯電話のメーカーごと機種ごとに個別に開発されてきた。膨大な費用をかけて開発されたソフトウェアがその機種だけでしか動かないとすれば非常に効率が悪い。しかし、この問題も携帯電話の機種やメーカーによらず、ソフトウェアのプラットフォームを統一すれば、多種多様なたくさんの携帯電話でそのソフトウェアが利用可能になる。従って、たとえソフトウェアの開発費が膨大になったとしても、それだけ多くの携帯電話で利用可能になれば1台あたりのソフトウェアの費用を妥当なレベルにまで逓減できるのだ。

そのような背景から生まれたのが、『BREW』であり『Java』という次世代携帯電話向けの統一されたソフトウェアプラットフォームである。基本的な思想としては、『BREW』や『Java』というプラットフォームの標準に準拠して開発されたソフトウェアは、世界中の携帯電話で同じように利用できる、というのが大きなメリットだ。

『Java』は10年ほど前に登場した比較的新しい高機能なプラットフォームであるが、『BREW』の要素技術となっている『C/C++』は30年ほど前に登場したプログラミング言語である。『C/C++』はコンピューターのCPUメモリーに速度的、容量的な制約があったとしてもハードウェアを直接制御することで、『Java』に比べて小さくて速いソフトウェアを開発できる。(同じ処理内容のプログラムでもJavaとCを比較すれば速度的に数倍、場合によっては10倍くらいの開きがでるという。)

2001年1月にBREWは米国クアルコム社によって発表された。KDDIでBREWのサービスが始まったのは2003年2月末なので、国内では今年がBREWの3年目の年となる。2005年2月時点で、世界的には24ヶ国41の通信事業者が『BREW』を採用している。

NTTドコモの『FOMA』でも利用されている『CDMA』という次世代携帯電話の基本的な特許の大半を米国クアルコム社が抑えているだけに、次世代携帯電話の普及と共に『BREW』が搭載された携帯電話は世界中で急増する見通しだ。最近ではヨーロッパ、アジアで普及している『GSM』という技術に基づく携帯電話でも『BREW』は利用可能になっているし、米国Intel社の携帯電話用チップである『XScale』でも『BREW』は稼動する。

携帯電話用ソフトウェアのプラットフォームとして、『BREW』、『Java』以外にも『Symbian』、『Linux』といったOSも存在するのだが、時間の経過と共にパソコンと同様に一つに『収斂(コンバージェンス)』してゆくだろう。

『BREW』以外の『Java』や『Symbian』、『Linux』は高性能なハードウェアが前提になっているだけに、ハイエンドの携帯電話にしか搭載できない点が懸案事項ではないかと思う。世界の携帯電話市場では一年の7億台以上もの携帯電話が出荷されている。その大半が50ドル前後の携帯電話らしい。『ネットワーク外部性』でもお話したようにインターネットの時代ではテクノロジーそのものよりもそれに関わる『数』そのものに大きな価値がある。『BREW』であれば、50ドル前後の携帯電話でも搭載することが可能だ。

携帯電話が次世代へと移り変わる中にあって、世界の携帯電話市場に激変が訪れるだろう。それがどのように推移していくかは興味深いし、ベンチャーにとって絶好の参入の機会ではないだろうか。

続きを読む "BREWとは" »

  

2005 年 03 月 13 日 : ソフトウェアの未来

最近話題のSONYの飛躍のきっかけは、その当時、世界一小さかったトランジスタを核とした“ポケッタブルラジオ”「TR-63」で、これを契機にしてその後発展に次ぐ発展を遂げた。SONYのサイトによれば“ポケッタブル(Pocketable)”というのは和製英語で正式な英語ではなかったらしい。今では英語の辞書に”ポケッタブル(pocketable)”とは”ポケットに入れて持ち運べるほど小さい(Small enough to be carried in a garment pocket)”という意味の言葉として掲載されている。

SONY以前、ラジオはトランジスタではなく真空管で作るというのが常識だった。でも真空管のラジオはとてもポケットに収まる代物じゃなかったので、誰もが手軽に持ち運びできるようなラジオなんて想像すらできなかった。そこにSONYの革新があった。ポケッタブルラジオは、その当時の人々の潜在的なニーズを呼び覚まして飛ぶように売れたという。

現在、携帯電話を一種の“ポケッタブルコンピューター”として置き換えて考えてみると、さまざまな面白い発想が浮かんでくる。アップルのパソコンでは、『ワイヤレスキーボード&マウス』として『Bluetooth』により無線でキーボードとマウスが本体のパソコンと接続可能だ。将来は、ディスプレイも含めてすべてのパソコンの周辺機器が無線で接続されたとしても不思議ではない。

光ファイバーによるインフラ整備やデータ圧縮やワイヤレスコミュニケーションなどの科学技術の進歩によって、インターネットコミュニケーションもさらにワイヤレスにブロードバンド化が進む。セキュリティ技術の研究開発の進歩も目覚しいので、私たちが普段利用している大量のデータをパソコンのハードディスクに保存する必然も無くなる。安全な銀行のように情報を預けれる施設があれば十分で安心さえできるようになるだろう。

パソコンにしてもこれ以上のスピードをインテルCPUに求める人も少ないと思うのだが、数年後には、確実に携帯電話に現在私たちが利用しているパソコンと同機能以上のCPUが搭載されるだろう。そうなれば想像もできないほどの革新が社会に起こるのではないだろうか。

以上のようなことから、携帯電話は本来の電話だけの機能ではなく、より汎用的な持ち運びできるコンピューターへと進化の道を歩んでいるように思える。

来年から、携帯電話に『ナンバーポータビリティー』の制度が導入されることになる。この制度により利用者は携帯電話の番号を変えずに携帯電話のキャリアや機種を自由に変更できる。携帯電話を一種のコンピューターとするのならば、そもそもコンピューターというものはハードウェアだけでは何も役に立たず、ソフトウェアがあるからこそ、その機能が果たされるわけだ。その意味で携帯電話が利用者に選ばれる理由として、ソフトウェアの位置づけが急激に重要なものになると予想される。

一方、パソコンのようなコンピューターが携帯電話サイズの大きさになるとするならば、テレビやビデオ、冷蔵庫、自動車などさまざまな機器にも超小型の高機能CPUが搭載され、しかもそれらの機器はネットに接続され協調して動作するだろう。そんなコンピューティング環境を誰もが手軽に自由自在に扱えるようにするために、今以上に大きなソフトウェア需要のムーブメントがきっと湧き起こるだろう。

これまでのように人手に頼ってソフトウェアを開発する方式ではそんな時代の要請に応えることは難しい。昨日お話した『メタプログラミング』のような手法により、使いやすく安全なソフトウェアを大量に自動生成するシステムが、今後より一層、求められることになるだろう。

  

2005 年 03 月 12 日 : メタプログラミング

ブラウザやメーラー、表計算などの便利で使いやすいプログラム(アプリケーション)のお陰で、たくさんの恩恵を受けている。

自動車や家電をロボットが自動的に製造するように、こういったコンピューターのプログラムが自動生成されるとすればどうだろうか。

プログラムを生成するプログラムのことを『メタプログラム』という。メタとは「上位の(above)」とか「超えて(beyond)」というようなことを意味するギリシャ語に由来する接頭語だ。いまソフィア・クレイドルではプログラムを自動生成するための『メタプログラミング』という概念とそのメカニズムの実現について研究開発を推進している。(携帯プログラムのサイズを半分にするSophiaCompressもプログラムを生成するという意味において一種のメタプログラムである。)

こんなに科学技術が進歩しているのに、プログラムだけは相変わらず大半の部分を人手に頼った方法によって製造されている。人間というのは必ずミスをする性質を持っている。そのため、どんなプログラムでもバグ(不具合)の存在からは免れない。大規模なプログラムであればあるほど、バグが含まれる可能性が高いといえよう。

WindowsにしてもWindowsXPになってようやく安定してきたが、WindowsMeやWindows98までは利用している最中にハングしてWindowsが立ち往生するのは日常茶飯事のことだった。もしそんなプログラムが飛行機や原子炉のような人命に関わる運行システムに使われるとすればどうだろうか。

プログラムを生成するための『メタプログラミング』の仕組みが確立されれば、それによって自動的に生成されるさまざまなプログラム(アプリケーション)も大元の『メタプログラミング』に信頼性があればすべて信頼できるものになる。

地球上には植物や昆虫、魚、鳥、哺乳類などいろんな生物が存在しているが、遺伝子の構造自体は共通していて、生物の遺伝子の中の情報のちょっとした差異がそのような多様性を生み出しているようだ。メタプログラミングの研究のヒントも見出せるかもしれない。

『メタプログラミング』によってプログラミングの世界は次のステージへと新たな進化発展を遂げるような予感がする。

続きを読む "メタプログラミング" »

  

2005 年 03 月 11 日 : コンバージェンス

無(ゼロ)』から創まる、そんなベンチャーが長きに渡り継続的に発展するにはどうすればいいのだろうか。どのようなメカニズムが必要なのだろうか。インテルとマイクロソフトは『ウィンテル』として共に「CPUの処理能力は18ヶ月で倍増する」という『ムーアの法則』に従った事業戦略を展開し、現在も堅調に成長を続けている。大抵の場合、飛躍的な成長の裏には、何らかのしっかりとしたコンセプトやトレンドが確実に存在している。生き物でいえば、骨格に相当するようなものだ。

今は誰の目にも見えないのだが、何年後かの未来社会ではユーザーにとって必要不可欠なものを、鮮明にイメージできるセンスや才能を磨かなければと思う。日常生活のちょっとした兆しや変化からその後の未来の動向を予測し、その実現に向けて全力投球する姿勢がベンチャー経営者には必要だろう。

あまり聞きなれないキーワードかもしれないが、『コンバージェンス』を意味するようなトレンドが未来の高度情報化社会では重要視される。そんな風に考えて、私は『ソフィア・クレイドル』というベンチャーを創業した。辞書で調べてみると、『コンバージェンス』は「converge」という英単語から派生した言葉でそれは「(of a number of things)gradually change so as to become similar or develop something in common」(Oxford Dictionary of English)と定義されていたりする。『元々は異なるたくさんの物事が徐々に一つのものに収斂してゆく』という意味だ。

昔は文字しか入出力できなかったパソコンが、今では文字以外にも音声、画像、映像などいろんなメディアを扱える。だから、パソコンが一台あればすべて事足りるというのも、ある意味では『コンバージェンス』だ。インターネットで、ラジオやTV、映画などをまとめてひと括りにしてコンテンツ配信するのも『コンバージェンス』。音楽が聴けて、カメラ撮影ができて、電話もインターネットもできる携帯電話。それもまさに『コンバージェンス』の一種だ。

このごろ生活の中で興味深く思っている傾向がある。それは音楽CDを買うと、その中にDVDが入っていてその音楽の映像ソフトも入っているという現象である。CDもDVDも両方再生できるプレイヤーを持っている方はプレイヤーは一台で済むが、そうでない人はDVDを観るときはDVDプレイヤー、CDを聴く時はCDプレイヤーにメディアの種類に応じてプレイヤーを変えてそのコンテンツを楽しんでいる。

次のステップとしては、そのCDとDVDも一枚のメディアに統合され、ユーザーは利用シーンに応じて音楽を音または映像、或いは文字・画像(詞や楽譜)で鑑賞する生活スタイルを予測できる。最終的には音楽のオリジナルデータは一箇所のサーバーに記憶され、ネット経由でさまざまな情報機器にリアルタイムにコンテンツ配信され、それぞれの機器の特性に合わせて再生されることになろう。

コンピューターそのものは、世の中の事象をある側面からモデリングしシミュレートする能力で社会の発展に寄与してきた。昔のコンピューターは性能も低かったので、ものごとをある側面からしかシミュレートできなかった。今日ではコンピューターとネットワークの大きな発展に伴って、一つのモデルで全方位あらゆる角度からモデリングの対象となったその事象シミュレートできるようになってきている。例えば、音楽の場合、一つのモデルで音で聴く、或いは映像で観るといったような方式である。やろうと思えば、その曲の詞や楽譜、そして解説やエピソードまでもが音楽を楽しみながら同時に閲覧することすら可能だ。

最近では、『ムーアの法則』に従って高性能なCPUが安価に大量生産され、携帯電話、テレビ、自動車など様々な機器に導入されようとしている。そうなってくると、コンテンツそのものをいろんな情報機器に合わせて開発すると膨大なコストがかかってしまう。それらの情報機器がその性質に応じて、一つのコンテンツをそれぞれ適切に解釈し、ユーザーに最適なユーザーインターフェースでコンテンツ配信することが求められるようになるだろう。

コンテンツのモデルを一つに統一し、それを多種多様な情報機器に配信するのであれば、コンテンツの送り手と受け手の両方に、ある種共通のプラットフォームがあればスムーズにゆく。

ソフィア・クレイドルでは、携帯電話という情報機器でさまざまな情報をハンドリングするユーザーインターフェースを核にした軽量でスピーディなプラットフォームを研究開発してきた。パソコンのWindowsOSそのものを携帯電話で動作させることは不可能であるが、携帯電話上のソフィア・クレイドルのプラットフォーム(SophiaFramework)をパソコンで動作させるのは何の問題もない。実際のところ、パソコン上の携帯電話のシミュレータ上で動作している。

さまざまなコンテンツのモデルが一つに収斂(『コンバージェンス』)し、それを大小、形態もバラエティに富んだ情報機器に配信するとなると、自然にそれを統合するような統一されたプラットフォームがいろんな機種に搭載されることが求められる。機能性は勿論のこととして、そこには軽量であること、スピードが速いこと、さまざまな機種で動作できるように移植性が高いことなどが大切だ。いまはそんな方向性に未来を感じてソフトウェアビジネスを推進している。

続きを読む "コンバージェンス" »

  

2005 年 03 月 04 日 : キラーアプリケーション

キラーアプリケーション』というキーワードは、コンピューター業界ではよく囁かれる言葉で、「IT用語辞典e-Words」では「あるサービスやコンピュータの機種を大きく普及させるきっかけとなる、特別に人気の高いソフトウェアやコンテンツのこと」と定義されている。

コンピューター』にしても『インターネット』にしても、それ自体は手段であってそれだけでは普及しえない。それを利用することで得られる感動や効能が起爆剤となって人びとの間にひろがってゆく。

コンピューターの最初の利用目的は弾道の軌跡をトラッキングすることだった。その後、企業の情報システムに利用され、現在では音楽や映像、そして電話までもが、いまや持ち運びできるほどに小型になったノートパソコンで利用できるようになった。

MacやWindowsのような、コンピューターの言葉ともいえる「コマンド」を覚える必要のない、「グラフィカルユーザーインターフェース」が発明され、そしてその上に創られた「表計算ソフト」や「ワープロソフト」の存在が『キラーアプリケーション』となって、パソコンは日常にひろまっていった。

『インターネット』はここ最近10年の間に起こった技術革新のように思われている方もいるかもしれない。これにしても30年以上も昔の1970年代には生まれていたテクノロジーである。暫くは軍事や研究などの目的だけに利用されていて、一般の人の目に触れることはまずなかった。しかし、1990年代に「Mosaic」という、今でいうならば「インターネット・エクスプローラー」のような、誰もが簡単にインターネットにアクセスできる、ブラウザソフトの存在そのものが『キラーアプリケーション』となって、今日のように多くの人びとに利用されるようになった。

コンピューターにしても、インターネットにしても、それを応用したアプリケーションは星の数ほどたくさんあったわけだが、それを世界中の誰もが使うほどに決定的な効能をもたらした『キラーアプリケーション』は、5本の指で数えれるほどに少なく貴重な存在だ。そして、その『キラーアプリケーション』が全てを運命付けるほど、ソフトウェアライセンスビジネスに携わる会社にとっては生命線の一つだ。

『キラーアプリケーション』を考える上で大きなヒントとなることがある。それは『ユーザーインターフェース』が革新された時に生まれる傾向にあることだ。『2進数』ではなく、初めて『文字』ベースでコンピューターと対話できるようになった時、或いは今日のようにグラフィカルなユーザーインターフェースが利用可能になった時である。『GUI』と呼ばれる『グラフィカルユーザーインターフェース』にしてもその原点は、1970年代のゼロックスのパロアルト研究所の成果なのだが、それ以来30年間この『ユーザーインターフェース』の分野で『ブレークスルー』と絶賛されるほどの偉大な技術革新は未だ起こっていない。

しかしながら、いま久しぶりに携帯電話で、ある種のユーザーインターフェース上の革新が起こりつつあるような予感や期待がある。この分野で何らかの画期的な成果を残すことができれば、それがモバイルのキラーアプリケーションへと発展してゆく可能性は十分ありうる。

続きを読む "キラーアプリケーション" »

  

2005 年 02 月 24 日 : イノベーション

過去に存在しなかった、「新しい価値」を創造し、それを世界マーケットに広めていくのは非常識なほどの困難が伴うものだと実感する。それが無名のベンチャーであれば尚更だ。だが偉大な遣り甲斐や人生最高の目標に向かって進むことができる。

全てオリジナルな発想で事を進めることも一つの手ではあるが、歴史に学ぶのも賢明な手段だと思う。創業の時に既に所有していたものの最近になって読破した良書がある。それはクレイトン・クリステンセン著の「イノベーションのジレンマ」だ。もっと早くに読んでおけば廻り道も少なかったと思える書物だった。

この本の中でも特に注目すべきところはこんなところにあると私は思った。それは世の中に受け入れられる「新しいテクノロジー」というものは、「機能性」⇒「信頼性」⇒「利便性」⇒「価格」といった尺度の順番でそれらが実際に採用されるという箇所だった。最初はその機能があるだけで売れる。しかし、次第に信頼性が求められ、使い勝手が良いものが支持され、最終的に値段(コストパフォーマンス)の勝負となる。

創業初期の頃は、慣れない営業トークでコストパフォーマンスを強調するような最悪のマーケティングを展開していた時期もあったので、挫折感を味わうことでマーケティング戦略の誤りを速やかに理解することができた。

例えば、SophiaFrameworkという製品は、米国クアルコム社BREWというプラットフォーム上で、マルチウィンドウGUIを提供する世界で唯一のソフトウェアだ。これをコストパフォーマンスでお客さまにプレゼンするのはいかなる天才であっても苦戦を強いられるだろう。

実際にこの製品を採用されるお客さまは、BREWでGUIでクールなアプリケーションを手間暇かけずにエンドユーザーに提供できそうだという理由で、コストパフォーマンスを精緻に評価せずに採用する場合が大半だった。これは新しいテクノロジーが有益であるのならば、先ずは突出した機能そのもので売れるという実際の証明と思う。

ソフィア・フレームワークも開発を始めてからまもなく3年が経過したが、この過程においてさまざまな先進的アプリケーションの開発をお客さまと共に推進してきた。そして、実際の現場からソフィア・フレームワークに不足している機能や改善すべき点、不具合、スピードやサイズに対する要求などいろんなマーケットニーズを次のバージョンに吸収する努力を欠かさずに継続した。

結果として、ソフィア・フレームワークの信頼性というものが時間の経過と共に格段に飛躍したのだった。機能だけで売れるフェーズが過ぎれば、次は信頼性の基準でその製品は売れてゆく。だからこそ、機能だけで購入されている間に、信頼性を高める努力を怠ってはならない。できれば、使い勝手といったような利便性や低価格で提供するための段取りまで含め、先回りして戦略的に事業を展開できればベストであろう。

  

2005 年 02 月 15 日 : 日本語小論文 評価採点システム

今日の朝日新聞の夕刊一面に「日本語小論文 評価採点システム」という、なんとなく面白そうな文章を採点するためのシステムを見つけた。その記事によれば、学生の小論文試験の答案の評価を人手に頼らずに客観的に公平に実施できる点が画期的だという。

インターネットでも一般公開されているから、例えば、私たちも日々の自分のブログの文章を採点したりして今すぐ試せる。将来、ひょっとすると、このような仕組みもBLOGにあれば便利かもしれない。誰にも読みやすくブログの文章が簡単に作成できる可能性を秘めている。未来のBLOGには無くてはならない必須の機能にもなるかも…。意外に、理解しやすい文章を書くのはとても難しい。そのために、自分のブログの文章を公開に踏み切れず、躊躇する人も多いのではないか。

もし分かり易い文章を容易に作成するための支援システムがあれば、自分の主張や意見を気軽に表現し情報発信することもやりやすくなる。

一体どういった基準で文章の評価がなされるのか、その詳細な論理を私はよく把握していない。しかし、研究の成果から生まれた一つの結果として、その未来がなんとなく感じ取れる。使ってみて思ったのは、意外にその評価精度は高そうだということだ。

カラオケの装置に搭載されている、歌の巧さを競うための採点システムのような感覚で楽しむこともできるだろう。文章力を向上させるために、この種のシステムがもっともっと進化発展し、いろんな人々に活用される時が来ればいいかもしれないと思った。

この「日本語小論文 評価採点システム」は下記のURLから試せる。 

  http://coca.rd.dnc.ac.jp/jess/

自分や他人のブログやホームページの文章などを採点してみたりすることでちょっとした暇潰しもできる。より良い文章を書くための励みのツールとして活用することもできる。質問文の欄のところは何でもいいから適当に文字を埋めておく。内容はともかくとして一応、文章自体の美しさや論理性についての判定はしてくれる。文章の味わいなどは分からないが、誰にとっても読みやすくはなるかもしれない。

修辞の部分に関しては、難しい漢字が少ないとか指摘されるが、どんな基準で判定しているのか定かじゃないが、そんなことまでチェックしてくれる。

  
<前のページ |  1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8  |  次のページ>