ホーム > President Blog : Sophia Cradle Incorporated

Sophia Cradle IncorporatedPresident Blog : Venture Spirits

2007 年 01 月 17 日 : 量りしれない価値

モノやサービスを創って販売する、というのがベンチャービジネスの基本だと思うのだけど、この基本を学べる場は意外と少ない。

あるいは、このことをあまり重要と思わないだけかもしれない。

ベンチャーのモノやサービスには、独自性というものが要求される。

そういう創造力を養う教育はどれくらいなされているのだろう。

販売というものは商学部で学べるのだろうか。

自らモノ、サービスを創って販売した経験のある教授はどれくらいいらっしゃるのだろう。

社会にひとりで放り出された場合、モノやサービスを創って販売するというスキルが真っ先に要求される。

生まれながらにして才能に恵まれている人も確かにいるけれど、経験によって学ぶことも可能であり、そういうスキルは人生を切り拓くための大きな推進力になると思う。

ある意味では、学位こそ授与されないものの、その価値は大学で学ぶ専門知識以上に有益に思えることもあるかもしれない。

その価値は何かと問われれば、誰の思惑によらないで、100 % 自分の思うままに未来へ前進できることと言えるだろう。

ベンチャーで働く最大のメリットである。

  

2006 年 06 月 09 日 : IT 革命の予感

10 年ほど前から、「IT 革命」というキーワードをよく聞くようになった。

この言葉をどう受け止め、解釈するかは人それぞれであろう。

本当に革命的な出来事になるのかどうかは、何百年か先に待つ未来から現代を振り返るしか確実なことは言えないけれど、僕自身は滅多にないチャンスが到来したと感じている。

昔、英国を起点として産業革命が起こった。

それが世界へとひろがっていき、いろんな経路・道筋を経て、今日の文化・文明へと繋がった。

徒歩ならば時速 4 〜 5 km に過ぎないのに、新幹線に乗れば桁違いに速いスピードを獲得できる。

トラックが運転できれば、自分の体重の 50 倍以上の荷物も楽に運べる。

言ってみれば、産業革命によって、僕たちは肉体の物理的限界を大きく超えることできた。

その結果、必ずしも全てを肯定するわけでもないものの、快適な生活空間を獲得できた。

同列に扱うべきものかどうか議論は分かれると思うけれども、IT 革命も産業革命に匹敵する、或いはこれを凌駕するインパクトを持ちうるのではないかという仮説がこれからの未来で重要になりそうだ。

コンピューターやインターネットというものは、人の創造的な活動を支援し、知性、感性の限界を飛躍させてくれる存在だと思うからである。

単純な話ならば、数学的計算や情報検索など方法が定まった内容であれば、スピードとボリュームの観点から人の知的能力を格段に拡大してくれる。

思考のスピードを速める以外に、発想力や創造力も IT というものを駆使するスタイルで何倍、何十倍、・・・ と際限なく高まり、あたかも別次元の世界にいるかの如く、特殊な才能や能力を身にまとえるのかもしれない。

明確な予想図を絵に描くことは叶わないが、個人的には自分の全ての人生を捧げてもよいと思うほどコンピューターやインターネットというものに期待感を寄せている。

人の知的能力が 50倍、100倍、 ・・・ と増幅されることで、世界は如何なる空間へと移り変わってゆくのだろうか。

それに対する興味は尽きない。

最近は、そんな日々を過ごしている。

  

2006 年 06 月 07 日 : Balance of game

いつの頃からなのだろうか。

明言できないけれど、自分への投資は意識的に惜しみなく行なってきた。

ソフィア・クレイドルという会社を創業したのも、自分自身の可能性を探るための、あるいは隠された才能や能力を見出すチャンスに賭けた投資と言えるかもしれない。

求めるものを得るためには、投資という行為は欠かせないものである。

何故なら、何も無いところから有を見出そうとするよりも、元にあるものがあってそれを自分の想い描くものに転換する方がきっと着実だろう。

確かな着地点をリアルにイメージして、理想の世界を実現するには、時、想い、お金、モノ ・・・ いろんな投資が必要だ。

ただ一つの資源だけが潤沢にあるのもダメで、さまざまな要素のバランスというものも不可欠だ。

音楽、絵画、スポーツ ・・・ どのような業界においても超一流の域ともなれば、バランスこそが外せない軸なのかもしれない。

コントロール可能なパラメーターもあればそれがまったく叶わぬものもある。

それ故に確率的な世界に無力感を抱くこともあるけれど、実は世界というものはほんのちょっとした違いに過ぎないものが夢幻の如く華やかなものに見えるだけなのかもしれない。

この地球には数え切れぬほどの人が暮らしている。

ある人には些細に思えるものが別の人には一大事というのが現実でもある。

ひょっとしていかなる偉大なものもそんなところから出発するのかもしれない。

先ずは自分で納得できるアウトプットを出して、そのアウトプットを一人でもいいから、評価してくれる人が現れるまで高める努力を継続する。

であればあとは順風満帆になるのだろう。

  

2006 年 03 月 24 日 : Motive

『何故そのベンチャーを創めたの?』

簡単な質問ではあるが、論理的な矛盾で破綻しないためにも押えるべきはこの質問に対する単純明快、シンプルな答えであろう。

     「自由に生きたい」

     「才能を伸ばしたい」

     「人の役に立ちたい」

     「金持ちになりたい」

     「社会貢献したい」

     「人を驚かせたい」

     「人を楽しませたい」

     「有名になりたい」

     「大きなことを為したい」

        ………

人それぞれに起業の理由はさまざまで、一概にどれが正しいと言えるものではない。

それは、もしベンチャーに人格があるとするなら、人格を定める類の質問なのだと思う。

日によって人格が変わる人は精神的に病んでいるように、それは法人である企業にも当てはまることである。

考え方やポリシーが首尾一貫しているから、企業は安定的に成長するのだと僕は思う。

その意味において、統一感のある企業コンセプトはとても重要で、その発端は冒頭に記した質問である。

自分が確かに生きている実感を得るために僕は起業した。

残念ながら、「世のため、人のため…」というような大それた目標の域にまで全然達していない。

個人的に思うに、先ずは自分が自立し、己の人生の目的を達成出来たとして、それは考えるべき命題と見なしている。

ただ、独りで生きている訳ではないので、世界全体を俯瞰し時代と共に移り変わる世の中を眺め、一歩でも良き方向に自分が持てる才能をできる限り発揮するようには努めている。

僕の起業の動機は極めて個人的なものである。自由に思うままに自己の才能が最大限活きる場で自分を試してみるということである。

たまたまそれに共感して価値を見出す人がいれば、その人が行動を共にするスタッフになっているかもしれない … というような極自然なスタイルが理想である。

ベンチャーは、動機に始まり、そして動機によって完成されるように思う。だから、それはいつも大切にすべきであるし、真剣に考えるべき事柄でもある。

* motive : the reason that makes someone do something, especially when this reason is kept hidden

  

2006 年 03 月 23 日 : Absorption

平凡なモノを作っている限りずっと零細のままである。何か一点でも良いから非凡なモノが欲しい。そして新しい世界へテイクオフしたい。

いつもそういう願いを心に秘めて仕事に臨んでいる。

「これってひょっとして凄いんじゃないの?」というような、知る人ぞ知る、意外な驚きを創造したい。しかも、ナチュラルに、自然なスタイルで。

その方法論が会得できれば、主観的な世界も違って見えてくるような気がする。

外せないポイントはその仕事に「熱中」できるかどうかにあるだろう。

英語でコミュニケートする海外のスタッフもいたりするので、いろんなキーワードについて、「それって英語で何というのかな〜?」と気になる習性が身についてしまった。

「熱中」という単語は、和英辞典で調べてみると、 "absorption", "enthusiasm", "craze", "mania", "passion" など様々な訳語があるようだ。日本語だと、「夢中」、「熱狂」、「集中」、「熱心」とかが同義語である。

同じ内容の言葉でも、実に様々な単語があるものだと感心してしまう。

英英辞典を調べば、更にそれぞれの言葉のニュアンスの違いとかが解説されていて興味深い。

正確な意味としては確かに異なるのだけれど、言葉を使う瞬間というのは感情を込めて、それは発せられるように思う。

微妙に似た言葉でも、その文字の形や発音した時の響きから、人はその雰囲気を本能的に悟るのかもしれない。

「熱中」することで最高の結果を導き出すことができると思うのだけど、それでは「熱中するってどんな風に?」と時々考えたりする。

それは対象とするものが自分の体の一部のように思えるかどうかだろう。

"absorption"っていう英単語は、そんな雰囲気を意味する「熱中」らしい。

ロングマン英英辞典によると、"a process in which people or things become part of something larger"とある。

手、足、頭、… 人の体は多種多様な器官から構成される複雑系の世界である。どれひとつ取ってみても、メカニズムは複雑難解で人知を超える領域も多い。

不思議なのは、そんなにも神秘的なモノを実際に機能せさているのが人であるという点である。

仕事もそんな風に、自分の体の一部と錯覚するくらいに無意識のうちに取り組めば、何か素敵なモノが生まれるかもしれないと期待している。

  

2006 年 03 月 22 日 : プラスアルファ

弊社にジョインしているスタッフは京都の大学・大学院に通う学生が多い。

何らかの切っ掛けで偶然出合った間柄である。

茶の湯の「一期一会」という言葉を大切にしている。

人生において時間ほど貴重なものはない。一瞬たりとも無駄にすることなく常に生産的でいたい。

働いた時間だけ小遣い程度の報酬を得るというよりは、もっと貪欲になって生涯に渡って文字通り「ツカエル」計り知れない何かを身に付けてもらいたい。

だから、仕事を提供する経営者として考えるべきは、単に労働に報いる対価以上に、僕にしかスタッフに与えることができない「+ α 」って何かという問題意識だ。

段々と分かったきたのは、学生はビジネスの素人だということ。

十中八九、世の中で価値あるモノを見出し創造して、その価値に応じてお金を得るというプロセスに疎い。

高校や大学で全く習わないのだから至極当然の話ではあるけれど…。

けれども社会に出て独りで生きていくためには、これほど必要とされ涸渇しているスキルも少ない。

要するに希少価値があり、金銭では計ることすら不可能なコンセプトなのだ。

ベンチャー企業では、そんな能力がなければ間違いなく倒産の憂き目に会う。逆に言えば、ベンチャーが曲がりなりにも存続しているのは、多少なりとも自立しうる力が内在しているということなのである。

世の中、成功する人もいれば失敗する人もいる。圧倒的に多いのは失敗する人たちである。

違いは何か?

間違いなく言えるのは、目に見えないチャンスを自分のものにできた人だけ成功するという冷徹な原理である。

ブランドが華々しく一世を風靡している場所に、チャンスって多そうに見える。実際のところは、順境の局面において、ものごとの本質を見極めるはとても難しい。

皮肉かもしれないけれど、ブランドがその輝きを世に見せる夜明け前の方がはっきりと目視できる。

統計学的に言えば、何らかの才能である一定水準以上の人物は必ず存在するものである。

その人が創ったものが人々に選ばれるかどうかというのは、確率で計れるものではなくて、原理原則に基づく行動をしているかどうかの問題に過ぎない。

だけど、この原理原則というのものが簡単なようで難解なのだ。

ソフィア・クレイドルで働く意味はどこにあるのか?

仮に自分が何らかの才能で人よりも秀でているとする。

自分でその才能をどのようにプロデュースすれば、他者に頼るでもなく、確実に成功できるのかというノウハウを体得できること。

そこに弊社のようなベンチャーにジョインする意義を見出せる。それこそが得られる最大の価値であると僕は考えている。

  
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9  |  次のページ>