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2005 年 10 月 20 日 : 掛け算のビジネス

"100" という数字を "100" 回繰り返し足しても、"100" という数字に "100" という数字を掛けても、その結果は等しく "10000" である。ビジネスの場合も、結果としての売上とか利益の数字があってそこに至る道筋には様々な出来事がある。

会社を経営していると予期するしないに関わらずいろんな岐路に立たされる。その選択の仕方には個々の人ごとに経営者としての思いが込められている。たったひとつのある分岐点がその企業の行く末に決定的なインパクトを及ぼすこともある。

起業するときの最初の分岐点は、足し算もしくは掛け算か、どちらのスタイルを選択するかという決断だったと思う。足し算のビジネスというのは一件一件個別に異なる案件をこなしてゆくスタイルであり、掛け算のビジネスというのは一つの案件を複数に横展開してゆくスタイルである。

単純に考えると明らかに掛け算のビジネスの方が儲かる。だが、それは横展開できた場合の仮の話である。先ずは、一件一件着実に仕事をこなす足し算のビジネスの方がその先に待つ未来ははっきりと見える。

"100" という数字を "100" 個並べて書くのは手間がかかるが、同じ結果をもたらす "100" × "100" という式は一行で簡単に書けてしまう。この 100 個の "100" という数字が 1000 個、10000個、・・・ という風に桁違いに増えていったらどうなるの、という問いに対する解答こそが本質といえるかもしれない。

掛け算のビジネスであれば、それが1億の数になったとしても単純に
   100 × 100000000
と書くだけである。この"×"という記号には、スケーラビリティのあるシステム的な性質がある。直ぐにその解が分からないだけに、いろんな意味でチャレンジャブルだ。

足し算と掛け算、どちらにしても一長一短がある。最終的に選んだ道は掛け算のビジネスだった。簡単に先は読めないけれど、読みきれた瞬間に明るい未来への展望が拓けてくる。そんな期待感を抱いて、未知の世界をじっと見つめる日々が幾日も続いた。今も進行中だが、視界は次第に開け良好になっている。

Windows のように、複数の任意の人びとが全く同じものを何度も繰り返し使うことになる必然性とは一体全体何なのか?掛け算型ビジネスの起業が成功するかどうかはこの問い掛けの答えを見出すことに掛かっているように思う。

  

2005 年 10 月 19 日 : S( n+1 ) > S( n )

仮に時刻 x における企業の総合的な指標があるとして、それを S( x ) としよう。企業が永続するには究極的に全ての n に対して 
     S( n+1 ) > S( n )   n = 0, 1, 2, 3, 4, 5, ・・・
が成立するように心がけて経営すれば良い。

関数 y = S( x ) がどこまでも単調増加の軌跡を描くことを目標にしている。勝負に出ることである時刻 t から時刻 t + 1 に移り変わる瞬間に S の値をジャンプさせることも狙えると思う。その見極めこそが経営者のセンスともいえる。

肝心なのはその勝負の内容ではないだろうか。自然の流れに逆らって力まかせのスタイルで成果をあげる道もあればその逆もあるだろう。老子や荘子の思想を学んでいるせいかもしれないが、どちらかと言えば自然に任せてうまく回る経営を理想としている。

大切なのは、どうすれば時代の潮流に自然に乗れるかということだろう。大きなジャンプを捉えるには断層のようなものを正確にきちんと読み取れるかどうかが重要である。それさえ間違えなければ企業の経営というものは安泰である。それこそが経営者に課せられた最大の使命かもしれない。

それはインビジブルな世界であり難航を極める。しかし感性を研ぎ澄ませることで道は拓けると信じている。

  

2005 年 10 月 18 日 : 営業戦略

トップセールスと称されるスーパーマンもいるが、一般に営業ほど生産性が低く不安定な企業活動もないのでは、と常々思っていた。ベンチャーは社長が先頭に立って精力的に営業活動を展開すべしと指南するコンサルタントも多い。

実際、世の中の傾向としてよく見受けられるのが、社長自ら現場に出向き営業活動を推進する姿である。さすがに創業初年度は経常黒字を死守するためにそんな風に営業する日もあった。

次第に分かってきたのは、社長が営業活動する限り社長の営業力以上に売上が伸びるのは難しいという仮説であった。普通のレベルで営業をこなせるとは思う。しかしそれ以上に自分が目指したい仕事が他にあった。時代の先を読み、それに基づいてシステムを構想し計画し実現するというような類の仕事である。

たとえ私がいなくとも何十年にも渡ってオートマティックに通用するビジネスモデルを構想しシステムとして実現すること。長期的な視点に立てば、目先の現金を追いかけるよりも、このアプローチが先決であると考えた。

創業3年目からは営業部を解散し、社としての営業活動はゼロとなった。その分、スタッフが持っているノウハウをできる限り Web のシステムとしてプログラミングした。現在も進行中ではあるが、ありとあらゆる創意工夫を凝らした結果、営業活動をしなくとも Web 経由で世界中から問い合わせや注文が自動的に入ってくるようになった。

インターネットというチャネルを通じて、これなくして築けなかったお客様との関係が時と共に深まり増えている事実に不思議さを感じる。営業解散という宣言をしなければ、今とは違う展開になっていたことは想像に難くない。

ベンチャーにも関わらず、営業活動をしないというコミットメントには一種の勇気が伴うものである。けれどもそういった決断から新たなる活路が拓かれるのも事実であり、ベンチャー的な行動として評価できると思う。

営業をしなくても十分に回るシステムを創った。ソフィア・クレイドルの企業活動の生産性は高いほうではないだろうか。完全週休二日制であるし、休日に出勤する者、徹夜して働く者は誰もいない。それに乗じて、受注、出荷、サポート業務のコンピューターによる自動化もいま進めている。

全自動洗濯機みたいにコンピューターとインターネットを用意するだけで、商品が自然に売れる仕組みを考案し、システムとしてインプリメントしようと心掛けた。簡単な仕事ではない。けれども、そういったことができるんだという思いから何ごとも始まる。

営業のために外に出向く必要がないということは、それだけ余分に物理的な時間と精神的な余裕があるということを意味する。時間は地球上の誰にも平等に与えれる資源である。時間という限られた経営資源をどうやって有効活用できるかで運命が決定付けられるとも思える。

  

2005 年 10 月 17 日 : 興亡

最近、旺盛な資金調達力を背景にした M & A が活発である。買収される側が東証一部上場の大企業の場合マスコミはその話題で活況を呈する。

世界でも有数といわれる大企業に所属し、弱小の零細ベンチャーからスタートした身の上なので言えそうなことがある。

ベンチャー起業家の中には大企業の経営者であったとしてもおかしくない人物も多い。もし大企業の経営者も務まるベンチャー起業家が存在するとすれば、という仮定法を考えてみる。その人物は大企業しか経験しえぬ経営者よりも能力面や実務面で桁違いのパフォーマンスを披露することだろう。マイクロソフトのビル・ゲイツ氏などはその典型的な例ではないだろうか。

実績や知名度がゼロのベンチャーを立ち上げるのは、温室みたいな大組織で過ごすのとでは格段の差がある。多くのベンチャー起業家は全財産を事業に費やし命がけで経営を実践している。自然淘汰の厳しい環境に自らを置くことによって洗練された経営力というものが自ずと磨かれてゆくからだ。

大企業のトップたるものは優秀であって当然である。さらに、その人物がベンチャーという厳しい環境で鍛えられたならばと想像してみるとこれからの産業界の激動の動きが読めてくるかもしれない。

設立間もないベンチャーが既存の大企業の基盤を揺るがす勢いにあるのは、経験は浅いかもしれないが大企業では決して経験しえないような数々の修羅場を潜り抜けてきた結果としての経営力にあるような気がする。

これから潜在的に有能な人材がベンチャー企業を起こし自らの経営力を伸ばす傾向が加速し、ベンチャーが経営力という観点で大企業を遥かに凌駕する例が顕著になるだろう。

そうなれば経営力のあるベンチャーの中には、経営力は乏しいが資産価値ある大企業を飲み込もうとするものも出て来るだろう。それが自然の流れになろうというのが個人的な見解である。

  

2005 年 10 月 13 日 : 定員限定

2002 年 2 月の創業以来、スタッフの定員は 16 名限定で"ソフィア・クレイドル"というベンチャーを経営している。将来、しかるべき条件が整えばその定員を増やすことは充分にありえるけれど、当分の間は定員 16 名で事業運営しようとしている。

ベンチャー事業にはその内容に応じて適正規模があると思う。要は 16 名という規模に押さえることで必然的に事業内容を絞らざるを得ない状況を創り出そうとした。そうすると一緒に仕事をするスタッフも自ずと少数精鋭となる。適正規模を維持することで、その集団が生み出すアウトプットが自然に極大化するシステムが重要だと考えた。

先日の BLOG で紹介したマイクロソフト創業時の成長の奇跡を見てほしい。著しい売上の伸びを遥かに下回るペースでしか人員は増えていない。

ソフトウェアビジネスの場合、結果が具体的な数字として現れるには少なくとも 3 年かかる。表の場合、1979 年に 1,356 千ドルの売上の数字と 1975 年の従業員数 3 名という数字。1975 年に 3 名で開発したソフトウェア( BASIC というプログラミング言語)が 1979 年に売れ始めて 1,356 千ドルと読むこともできる。 3 名で年間 1,356 千ドルの売上というのは決して悪くない数字だと思う。それにマーケティング理論の S 字形の売上曲線をたどればしばらくは何もしなくとも売上は増える一方である。これがソフトウェアビジネスの真髄といえよう。

[マイクロソフトの成長の軌跡 : 1975-1980 のデータ ]
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年度(年)  売上高(千ドル)   伸び率(%)   従業員数(人)
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 1975                     16                     −                         3
 1976                    22                    38                          7
 1977                382                  636                        9
 1979             1,356                  256                      13
 1980              2,390                 76                      28
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          ※ 「マイクロソフトシークレット」より

プロフェッショナルな世界ほど定数というものが限られている。それによってオートマティックにクオリティが維持される機構が働く。J リーグならその最高峰である J1 は 12 チームでありプロ野球でも 1 軍は 12 チームである。さらに各チームで正式な選手として登録できる人数にも定数が決められている。

だからこそ個々の選手が切磋琢磨しながら自分に秘められた潜在能力をできる限り顕在化させようとする。すると感動的なプレイが生まれ観客は満足する。そういったプロフェッショナルなメカニズムは、ソフトウェアを開発し販売するというベンチャービジネスでも有効である。

ビジネスという観点からは、ソフトウェアビジネスの儲けの本質とは一体何かという問いかけはとても大切だ。そのヒントは単純である。既にソフトウェアビジネスで成功を収めたベンチャーの歴史をたどってみると良い。

マイクロソフトはプログラミング言語( BASIC )、オラクルはデータベース、グーグルは検索エンジンといった例を挙げることができる。ソフトウェアビジネスで顕著な成功を果たしたベンチャーは何れも勝負を賭けたソフトウェアのヒットをきっかけにして飛躍した。ソフトウェアビジネスでは、まずどのソフトウェアで勝負を賭けるのかその選択と集中をする。そして決定したそのソフトウェア開発に全力投球するというのが肝要だろう。

AだけよりもAとBという複数のソフトウェアを開発し販売した方が儲かりそうな気がする。しかしBよりもAが有望であればAに集中特化する方がソフトウェアビジネスは儲かる。なぜなら研究開発が完了すればソフトウェアの原価は限りなくゼロに近いため、

粗利益 P = 売れたソフトウェアの本数 N × 単価 @

という数式が成立するからである。

AとBの両方を手掛けために力が分散しAとB共に売上本数ゼロで共倒れになるリスクもある。成功しているソフトウェア会社を見れば明らかなのだが、売れるソフトウェアは圧倒的に売れるけれども、売れないソフトウェアは全く売れない。大抵の場合は売れない。しかし上の数式のNの値がゼロでなければもっと売れる可能性は充分にある。全世界をターゲットにすれば限界のない数字に近い場合もある。

集中特化するソフトウェアがひとつだけならそれを開発するための人数は少なくても良い。むしろ大切なのは如何にして数式のNを増やすかである。それはその組織を構成する人材のクオリティと関わる問題であり、その組織に合った人材をどうやって集めて維持し洗練させてゆくかという問題に帰着される。その一つの解としてその組織の定員を限定するという発想がある。

  

2005 年 09 月 23 日 : ビューティフル

"思い"をどうすればスムーズに実現できるかについて考えてみた。

ものごとが成就するプロセスというものは○か×という単純な二者択一の意思決定の複雑な綴れ織りのようなもの。実際、ベンチャー経営は"いばらの道"というのが現実ではないだろうか。その根底にある理由を探る思考がベンチャー起業の成功への早道のように思える。抽象化された概念を考える、というのは時間と忍耐が要求されるものであるが急がば回れともいう。

先に述べたように、経営とは二者択一の意思決定をどれくらい正しく実行したかが全てとも言える。至極簡単なものから極めて判断に迷うような難解なものまでそれは多種多様である。

けれどもどんな難題も、その発端はごく些細な問題に過ぎない場合が大半である。現実には瑣末であればあるほどそれは人の目に入りにくい。だからどんなに小さくてもそれに気付けるかどうかがあらゆるものごとを意思決定するための定石なのである。

具体的な話でいえば、メートル単位の違いは誰にでも容易に判別が付くけれどもミクロ単位の差が分かるというのはマニアックな職人技である。そのミクロの差のような微妙なものに気付ける資質や能力が重要である。

言い換えればそれは自分の感性をどうやって磨くかの問題にあると思う。感性とは人間が生まれながらに持っている感覚で自然に感じるままのことである。一流といわれる素晴らしいものを観たり、聴いたり、触れたり、味わったりすることで"感性"というものはぐんぐんのびてゆく。

目先の利益にとらわれて自分の思いとは逆の行動をすれば、生まれながら持っている人としての優れた感性を退化させてしまいかねない。結果的に悪循環に陥ってしまう。

素晴らしい企業や作品を創造できる循環は、誰にでも備わっている感性をそうやって育んでゆくところから始まるような気がする。

  

2005 年 08 月 21 日 : Balance

昔から不思議に思うことがある。それは果てしなく広がり続ける宇宙にあって、この地球に当たり前のよう存在にする生命。何故それは稀なのだろうかということ。地球が生まれた瞬間から存在したのではなく、50億年という永き時を経て今日の地球になったのだけれど。

太陽と地球との位置関係、地球が太陽を公転する時間、地球の自転のスピード、地軸の傾き、空気中の酸素や窒素の構成比等など、さまざまな要素が微妙なバランスを持ち得たからこそ、今日のような私たちの環境があるんだろう。恐らくそれは奇跡的な確率だと思う。その根本的な本質は微妙なバランスにあるのではないか。

駆け出しのベンチャーが、マイクロソフト、オラクル、アップルのような偉大な存在になるのは奇跡的な確率でしかないかもしれない。けれども、それを必然的に目指そうとするならば、今日の地球が存在を為し得た物理学的な法則のようなものが何かヒントとなるような気がしている。

究極、企業経営というのは人、物、金、情報という資源を与えれた物理的な制約の範囲内でどう活用するかということに尽きる。しかし個々の経営資源を分解すれば、実にさまざまな要素から構成され、しかもそれらが複雑に絡み合っている事実に気付かされる。それはあたかも宇宙における地球の関係、或いは地球そのものの存在に似ているかもしれない。

そんなこともあって、いま経営しているベンチャーが長く繁栄し発展するためには、地球を地球たらしめたのと同じように経営に関わるさまざまな要素をバランスよく保つことが重要なんだと思う。そのバランスはどのように見極めれば良いのだろうか。

スペースシャトルから送られてくる、宇宙からの地球の姿は美しい。何故美しく映るのだろうか?空気や生態系の絶妙なバランスが光線に映し出しているように思える。同じく、経営においても最適なバランスが保たれていれば、きっと外側からも美しく見えてくるような気がする。

  
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