2005 年 08 月 14 日 : Grassland
製品やサービスがお客様に選ばれるから企業は存続し、製品やサービスは企業に在籍するスタッフによって創られる。だからスタッフの才能や熱意、努力が全てともいえる。有能な人材がその企業にジョインし、ポテンシャルを発揮すればするほど間違いなくその企業は発展し繁栄するだろう。
最近、競走馬の育成についての本を読んだ。"ミホノブルボン"というダービー馬の調教師であった、故・戸山為夫氏が記した遺作である。サラブレッドでもミホノブルボンには血統的な魅力が全く無かった。それで他の馬の何倍もの調教を日々こなしたという。このような鍛錬によって無名の血脈に眠っていたポテンシャルが顕在化したという。
競走馬は牧草を食べる。牧草は大地に根を下ろす植物である。だから決め手は大地が原点と言えるだろう。大地に生える牧草も最初は大地の栄養分が潤沢にあるから質も高い。しかし大地は年々やせ細って栄養価に劣る牧草しか生えなくなっていく。その結果、競走馬の運動能力にも影響を及んでくるという。だから、青々とした牧草が生い茂る、広々とした大地で育った競走馬のスピードとスタミナは他よりも勝る。
それはその競走馬だけの問題でもなく、その競走馬を産むことになる母馬にまで遡って影響があるらしい。競走馬の訓練にしても早く始めれば始めるほどその才能の開花も早く、能力も最大化されるという。"競走馬"という一言では片付けられないほどの様々な努力がなされている。
どんな環境を用意すればスタッフが自然に育っていくのかと考えることも多い。この「鍛えて最強馬をつくる」という方法に何らかのヒントが隠されているように思った。
ベンチャーの場合、創業の頃であればあるほど、やるべき仕事の範囲も広い。それから毎年仕事自体がダイナミックに変化しひろがってゆく。しかもそれは年々スケールアップ、高度化する。それはあたかも競走馬が食べる栄養価の高く瑞々しい牧草の如くだ。
危機的な状況に遭遇することがあり、その都度ギブアップして脱落するものもあれば、留まるものもいる。それがその人間が次のステップに向けてステップアップするための脱皮のように私は考えている。その壁を乗り越え続けることこそがきっと成長の糧なんだろう。
自然淘汰という言葉があるように、人間社会もビジネス地帯は砂漠であり競争によって適者しか生存できないくらい厳しい。生き残るためには、厳しい環境に自分自身を置き続ける勇気と強い意志が必要で、それこそが"超一流"への最短経路だ。
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2005 年 08 月 08 日 : Time is money
地球は今から50億年前という遠い昔に誕生したらしい。すると人間の生命なんて数千万分の1にしか過ぎず、ほんの一瞬微かに輝く流星のような存在かもしれない。だからこそ人生の時間を大切に生活することに意味がありそうだ。
"時間の価値って一体何なんだろうか?"
会社を経営していると、いろんな資源のうち時間という概念は空気のように見えて疎かにする人が多いように思ってしまう。しかし時間というものは誰にも平等に共通して天から与えられる唯一にして最も貴重な経営資源とも言える。
"Time is Money"なんていう言葉もよく聞くけれど、実際のところ、常にそんな風に考えて生活を過ごしている人って何%くらいいるのだろうか?そもそも"Time is Money"的な生活ってどんなものだろうか?
年収1億円以上の収入を得たいと思ったとする。大抵の人はその願望を抱いたまま無駄に時を過ごすだけというのが現実ではないだろうか。ではどうすればその思いを実現することができるのだろうか?私はその答えの一つとして、"Time is Money"的な発想が重要だと考える。
"Time is Money"的な発想とは…?
それは古代ギリシャの学者アリストテレスが物質の根源は何かという探求で原子というものを見出したようにして、ものごとを細かく分解し具体的なレベルまでに落とし込むところにある。
例えば年収1億円とだけ聞くと曖昧でアバウトな感覚でしかない。しかし1年間で働く時間数2000で割った途端、それが現実味を帯びてくる。この例で言えば、1年間で1億円を稼ぐというのはそれを2000時間で割れば1時間に5万円を稼ぐということに等しい。
翻って考えれば、年収1億円の収入を得たければ1時間当たり5万円稼ぐ仕事をすれば良いわけだ。その時に、現実の自分の仕事の1時間当たりの付加価値と5万円を比較して、ギャップはどうすれば埋められるか考え、アクションプランを実践すればそれは不可能ではない。実際には、アクションプランを実践できないから、思いを達成できる人がほんの一握りでしかないのだ。
それでは、1時間で5万円を稼ぐためにはどうすればよいのだろうか?1人のお客様に商品やサービスを提供してその対価として5万円を得るアプローチもあれば、100人のお客様に商品やサービスを提供してその対価として500円ずつ計5万円を得るアプローチもあり、その方法はさまざまである。
仮に1人のお客様から5万円を得るアプローチを選択したとする。その時、もしお客様がその商品やサービスから時間当たり50万円の価値を見出すことができれば、それは確実に実現可能だと言えよう。千円紙幣を1万円紙幣相当に交換してくれるショップがあれば誰もが殺到するのと同じ理由で。
必ずしもお金で換算できない価値がある。
けれどもこの場合の価値をお金に換算してものごとを見つめる姿勢は、商売を仕事にする上で外せない視点ではないかと思っている。
2005 年 07 月 28 日 : Extention
ビジネスを広げる方法には2種類ある。一方は"X","Y","Z"…といった異なるマーケットセグメンテーションに"A"という事業に絞って展開するやり方。もう一方は"X"という単一のマーケットセグメンテーションに"A","B","C"…といった異なる事業を展開するやり方である。勿論、その両方を同時にやるというオプションも有り得るが、それで成功するのは稀なケースだろう。(ビジネスがまだ小規模なうちは、ここでいう事業は商品と置き換えて考えてもよい。)
そのどちらを選択するかが、事業を拡大する時に問われる経営者のセンスではないだろうか。どちらか一方のアプローチが優れているというわけではない。自分が手掛ける事業の社会的な、或いは個人的な意味や意義から最も適した道を選択するのが良いのだろう。
私の場合、こんな風にして事業を成長させてゆく夢を抱いている。ソフィア・クレイドルという事業で最も大切にしている信念は、"シンプル・イズ・クール&クール・イズ・シンプル"という発想である。21世紀の時代では、その仕事をするだけの価値の誇らしさから自然に生じるクールさ、即ちカッコ良さというものは避けて通れない気がする。
個人的には、クールさというものはシンプルさに直結しているかのように感じている。水墨画においては"白"と"黒"という、たった2色の濃淡で全ての色を表現していたりする。実際にそれを眺めて『なるほど』と感心したりもする。実際のところ、この広大な宇宙に存在する多種多様な物質も全ては原子という共通の単位で構成されるというシンプルさである。それでいて、人間の浅はかな智慧では計り知れないほどの複雑さで満ち溢れている。生物の遺伝子も然りである。現象として複雑なものもその原因となる元を正せば、シンプルなある事実に辿り着くのが実態ではないだろうか。
そんな発想から、ソフィア・クレイドルでは何事もシンプル&クールに"Simple & Cool"、そして創造的に考えること"Think Creative"を第一にして運営しているつもりである。実際、やっている事業も、携帯電話向けソフトウェアを記述するためのプログラミング言語とプログラム圧縮という、たった2種類のソフトウェアテクノロジーでしかないというシンプルさである。
だから、この単純且つ明快なビジネスを大きく発展、繁栄させためのアプローチの基本的な考え方は「"A"という事業を"X","Y","Z"・・・という異なるマーケットセグメントに横展開する」という方法論こそ自分には最適であると考えている。
こんな背景もあり、ソフィア・クレイドルで行っている事業は"全世界で共通して使えるのか?"それから"携帯電話に止まらず、それは自動車やテレビ、エレベーターなど、全く異なるジャンルでも応用できるのか?"が究極の意思決定の判断材料となっている。製品・サービスの開発においては常に広く海外マーケットでも通用する汎用性を意識し、それをインプリメントする人材をも広く世界から募る。そんな姿勢こそが成功の秘訣ではないかと思えさえする。
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2005 年 07 月 18 日 : Image
経営者ならば「企業とは何か」について考えることも多いのではないだろうか。それへの想いや思考を廻らせることによって、なんとなく漠然としたや企業や経営がある種のイメージとして形を帯びてくるだろう。今日は「企業の目的」というものから自論や想像を展開してみよう。
単純な発想からすれば、企業は利潤を追求するために存在すると考えられるかもしれない。多くの人がそう考えるように思う。しかし企業というものが法人という、一種の生き物のような「人」という存在であることを意識した瞬間に、一番大切なのは「利潤を得ること」ではなく、「企業の存在そのもの」あるいは「永遠に渡る企業の存続」が最も大切であることが明らかになってくる。
シンプルな考え方をするのならば、例えば、100億円と引き換えに敢えて自分の命を好き好んで差し出すような人は滅多にいないだろう。"命"というものはそれだけ貴い存在であり、企業の生命もまた然りである。また、生命にも身体的物質的なものと、心や企業理念など精神的なものがある。
もちろん「利潤を得ること」は大切ではあるが、それは企業の目的からすれば筆頭に位置づけられるものではなく、P.F.ドラッカー氏もいうように「企業が存続するための条件」のようなものである。利潤は未来世界におけるその企業発展の基礎となるからだ。
それでは「企業の存続」とはどういうことを意味するのだろうか?これは単純なように見えて、とても貴重な問いかけである。
全く何もない"無"から企業を立ち上げれば、創業期ほど痛感するある事実がある。それは社会から必要とされるものしか、人々はその企業の商品やサービスを選択しないということである。この社会から必要とされるものを新たに創造し、社会に受け入れてもらうことことは、簡単なように思えて非常に難しい創業の難関である。
企業は商品やサービスを社会に提供する存在である。だから過去から現代まで永年に渡り生き続けるものの中にある種のヒントが隠されているのではないか。
音楽でいえば、何故、モーツアルト、バッハ、ベートーベン、ショパン、etc の名曲は、現代の世にあっても多くの人々から親しまれているのだろろうか。その時代、彼ら以外に数え切れないほどたくさんの音楽家がいて楽曲や歌があったのに。それは、流行の中に普遍性を持っていて、形象を超えた本質の中に時代や時間という一種の壁を乗り越えれるだけのクオリティの高さを持っていたからではないだろうか。
中国の古典でいえば、「老子」「荘子」「孫子」「史記」など幾つかの名著は、今だ世界中のひろく多くの人々に読みつがれてきている。様々な事象に応用が利く、永遠の真理というものがこれからの書物に見出せるからだろう。
そんな長い歳月を経ても存続し続けている名作の中に、企業が永遠の生命を保つヒントが隠されている。
そういう名作に共通しているのは、何処にも欠陥を見出せず、パーフェクトなデザインでありインプリメントであること、そしてその価値を単純には金額に換算できないことである。
企業の価値は、そのアウトプットである商品やサービスで判断される。だからこそ、その商品やサービスに関して徹頭徹尾に渡って完全性を期す、というのはその永遠の存続のためには絶対に外せない条件だと思う。ソフトウエアの場合、ユーザーがいるので出来る限りの完璧さを目指す努力をすべきだろう。今もオフィスでは製品の安全性、完全性を期して大量のメールが飛び交っている。
それから、株価が上昇する局面においてよく時価総額経営など、株価重視の経営が声高に叫ばれたりする。だが、何百年、何千年にも渡って生き続ける作品には単純に金額的な値打ちで量れないほどの何かがある。そんな商品やサービスを提供できるかが、「永遠の企業の存続」に向けた一つの大きな試練である。
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2005 年 07 月 10 日 : 行百里者
『戦国策』(秦三巻)に「行百里者半九十(百里を行く者は九十を半ばとす)」という有名な箴言がある。百里の道程を行くときは九十里で半分まで来たと心得ることこそが、ものごとをパーフェクトに完成させるための秘訣ということだ。
途中まで計画通りなのに成就せずに終ることが多い。それは最後の詰めの段階でそれまでの成功体験を過信して油断する人間の弱さにあるのかもしれない。
だから自分のイメージしたビジョンを実現するためには、残り10パーセントに辿り着いたといえども、まだ半分しか仕事は終っていないと気持ちを引き締めてより慎重に行動するように心掛けたいものである。それによって達成不可能と思われるような仕事や偉業も、必然的に現実のものとして姿を顕すのではないだろうか。
今、18ヶ月というベンチャーにしては長き時間をかけ、そのフィニッシュを決めるべきフェーズのソフトウェア研究開発プロジェクトがある。その完成まで残り2ヶ月を切った。『戦国策』の「行百里者半九十」という言葉をよく噛み締めて最後の詰めに取り組む姿勢が大切だ。
昨年の3月以来、ソフィア・クレイドルの時間と労力の90%は、全世界のマーケットをターゲットとする、この新製品の研究開発に捧げられてきた。具体的な収益というビジネスのかたちになるのは、2005年10月からスタートする第5期からであり、これに託す思いは計り知れない。
先週は、残り2ヶ月という貴重な期間をどのように過ごしてその思いを必達するかという道筋について、スタッフ全員と議論しながらその計画を策定していた。
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2005 年 07 月 03 日 : 時間の矢
大学で物理を学んでいた頃、その方程式は時間と空間の座標軸上で記述されていたのを覚えている。ベンチャーの社長として日常生活を過ごしていると、未来はどんな方向に歩を進めているのだろうかと考える習慣がついてしまう。具体的に数理物理学における難解な方程式を解くわけではないのだが、頭の中であたかもそれを解析しているかの如くである。
空間には前後左右上下があり、人や物はその中を如何様にも移動することができる。しかし時間というものは、遥か彼方の過去から現在を通過してどこか定められたある未来に向かって高速に進んでいる。物理学について勉強していると、そんな時間の性格を、「時間の矢」と呼んでいるらしいことが分かった。
「時間の矢」とはどこを目指して進んでいるのだろうか?
物理学の世界で、この質問に対する正しい見解は得られていないのであるが、「時間がどこに向かって進んでいるのか?」という問い掛けをすることに新鮮さを感じた。普通の人は、10年後の未来はこうなっているだろうという風な時間の捉え方をする。しかし物理学では「時間はどこに向かって進むのか?」というような逆転の発想をしている。
水は高きから低きに向かって流れそれから循環する。時間というものも、水と同じようにある一定の方向に進んでいるという考え方もできる。
このアプローチは必ず実現する事業計画策定のためのヒントになりそうだ。事業計画の記載されている内容が「時間の矢」の進む方向に沿ったものであるかを見極めるのが重要なのかもしれない。
2005 年 06 月 27 日 : 大成は欠けたるが若きも其の用は…
老子の第45章は次のような文章で始まる。
『大成は欠けたるが若きも、其の用は弊せず。大盈は沖しきが若きも、其の用窮らず。…』
これは、最も完全なものはどこか欠けているように見えるが、それを使っても決して破損することはない。また、最も充実しているものは空虚なように見えるが、それを使っても尽きることはないという意味である。
日常生活において、富士山を見てその壮大さは感じ取れるけれども、私たちが暮らしている地球や宇宙の時間と広さのスケールは全く実感できない、あの感覚に近いのかもしれない。真に偉大なものは平凡な人間の理解を超越する。
この世の中、誰にでも直ぐに分かって簡単であるが故に良く売れているものは存在するが、大抵の場合そういったものほどその寿命が短いのも事実だ。「老子」にもあるように、真に永遠の如く偉大なものはそう容易くは発見できない場所に隠されている。地球や宇宙の歴史は何十億年以上にも渡っているように、偉大なものほどそのライフサイクルのスパンは長い。
創業当初よく考えたのは、ソフィア・クレイドルという会社を、時間軸と空間軸で構成される世界観の中でどれくらいの壮大さで事業を育てるかと謂うことであった。しかし、それが大きければ大きいほど、その基盤がかたち創られ、具体的な成果が現れるまでより多くの時間がかかる。会社が成長していると認識できるまではただ辛抱するしかないのだが、それに対してどれくらい耐えられるかが試されるであろう。
壮大な目標であればあるほど、その途中で自分の立ち居地が分からなくて苦しさを感じることもある。そのとき、どうやって踏ん張れるかが全て。42.195キロを駆けるマラソンレースの場合、先頭集団から途中脱落して逆転優勝するようなランナーは滅多にいない。最後の最後までゴールは見えないけれども、それが確かに存在することを信じて、脱落することなく調整しつつトップスピードで駆け抜けることが大切なんだと思う。