2005 年 08 月 30 日 : Idea
ベンチャーを創めるまではクリエイティブな発想の大切さを実感できなかった。自分をお客様の立場に置いて冷静に考えてみれば当たり前のことなのだが…。同じようなモノやサービスであれば、お客様は名が知れたブランドの方を迷わず選択するだろう。
だから無名のベンチャーが独立独歩で生きていくためには、他と一線を画するオリジナリティが必要不可欠である。要するにクリエイティブな発想が求められるのだ。「クリエイティブ」とは単にありふれた言葉に過ぎない。残念ながらクリエイティブな人に巡り合える機会は滅多に無いのが実情ともいえよう。
日本の学校ではクリエイティブな発想をしてもほとんど評価されないから、その訓練が疎かになっているのかもしれない。既に定められた平凡な解に誰よりも早く辿り着く能力が際立って評価される制度である。高い評価を得ようとして、そんな能力の開発に専念し無駄な時間を過ごしていることはないだろうか。
ベンチャーを創めてから痛感した事実ではあるが、近年のモノあまりの世の中では大企業においてさえも、クリエイティブな発想が希求されるようになってきたと思える。
クリエイティブな発想をどうやって磨くかが最大のキーである。異なる分野のものごとや考え方を組み合わせることによって、偶発的に新しい発見や発明が生まれる場合が多い。しかし、その組み合わせの中でもほんの一握りのものだけが偉大な発見や発明に繋がる。
人の意識には意識出来るもの"顕在意識"と出来ないもの"潜在意識"の2つがあるという。呼吸や消化活動、心臓の運動などは潜在意識が休むことなく働くことによって可能となっているらしく、どんな仕組みで動いているのか本人ですら分からないほど秘めたパワーを有するようだ。
さまざまの分野の多種多様なものごとを、広く深く学んで潜在意識の中に蓄積すること。無数の組み合わせの冒険と意外性の発見をイマジネーションに委ねる才能。その才能を育むのは仕事に賭ける自分の熱情である。それこそがクリエイティブに生きるための条件であるような気がする。
2005 年 08 月 26 日 : 細胞分裂
早く大人になりたいと願っていた少年時代のあの頃。今日、東京から中学生の訪問客を歓待して思った。
タイムマシンに乗ってその頃に遡ってみたらどんなだろう。でも大人になった今思うのは時の流れがもっと緩やかであればということだろうか。誰もが同じ感覚を持つみたいだけど、生きていると時間の矢の速さは物理学的には同じなのに次第に加速してゆく。だからタイムマシンで遥かな未来のほうに行ってみたいものだ。
以前テレビで見たドキュメンタリー番組が頭の片隅に残っている。生物の細胞が分裂を繰り返すことで増殖するプロセスのことを細胞分裂と呼んでいるが、細胞は分裂できる回数が決まっていてある一定の回数だけ細胞分裂すればその細胞はあとは消滅するだけだという。
矛盾するようだが、生命にとって悪影響を及ぼす癌細胞だけは際限無く細胞分裂を繰り返し、そんな細胞がある一定数以上になってその生命は終末を迎えるという。生命に備わった免疫機構がうまく働けば、その悪性の癌細胞も自ら死んでしまうように遺伝子情報としてプログラミングも為されているらしい。アポトーシスである。
細胞レベルの話ではあるが、生物の不思議で偉大なメカニズムは企業経営においてさまざまな示唆を授けてくれるものだと感心してしまう。企業も細胞分裂のようにして、ヒト、モノ、カネなどの経営資源が増え、組織が分化することによって成長する。生物にとって分裂のメカニズムそのものが生物の寿命と密接に関わっているように、企業の寿命もどのようにして組織を分化させて発展させるかが重要な概念であるかに思えてくる。
ベンチャー。最初、それは創業者のある着想から創まる。次第にスタッフが集まり、事業が自然発生し、ある一定規模の組織まで成長する。思いもしないエンディングを迎えるものもあるだろう。単純化すればそんなパターンの繰り返しである。
ではどうすれば企業の寿命を永らえることができるだろうか。細胞分裂の話から学べるのは、ベンチャーをスタートした時の一つの細胞のような最小単位で運営する仕組みを、限りなくパーフェクトに持ってゆくこと。組織が大きくなったときの細胞分裂のごとく組織分裂が必要になった時に、元と同じクオリティの組織体を維持すること。それから悪影響を及ぼすものが見受けられた場合は、細胞のアポトーシスに似たメカニズムをその組織にもたせるようなことであろうか。
2005 年 08 月 24 日 : Threshold
"閾値(Threshold)"という言葉をご存知だろうか。"閾値"は生理学の専門用語らしい。感覚器は刺激によって静止状態から興奮状態へ変化する。学術的には、その変化を惹き起こすのに必要な刺激の最低レベルのことを"閾値"と呼んでいる。"閾値"以下の刺激は何の意味も成さないということである。
ベンチャーを経営し事業を成功させるつもりならば、この"閾値"の問題は避けて通れない。なぜ人は製品やサービスを買うのかという根源的な問いの解を発見し行動・実践すれば、ベンチャー事業は間違いなく成功する。人は製品やサービスを買う時にそれぞれに基準があり、基準を超えるものであるから買うといっても良い。衝動買いというのもあるがそれは基準が見失われた時であって、それ以外では製品やサービスを買う時に自分の基準に照らし合わせて判断している。
判断の基準は、メジャーな例として挙げてみるライブが分かりやすいかもしれない。例えば、ケツメイシのライブには行くけれどもオレンジレンジのには行かない人もいる。当然その逆もあるだろう。またどちらのライブにも行かない人もいる。(反対に"絶対値"というのもありそうだ。例えば弊社のスタッフにはそれぞれ絶対に行くライヴがある)
人によって閾値の値はさまざまである。けれども閾値を遥かに上回る製品やサービスを提供することができれば、それは爆発的なヒットという現象に繋がると理論的に考えられる。逆に言えば、多くの人々の閾値を下回る製品やサービスはどんなに努力したとしても意味が無い。ほんの僅かの差なのだけれどもその差が致命的となって全く売れない結末を迎えてしまうからだ。閾値を超えることによって初めてその努力も報われるというのが現実のビジネスシーンである。
だからビジネスを形にするためにはなんとしてもその閾値を突き抜けなければならない。
極めてやっかいな問題がある。製品やサービスの"閾値"を定量的に図る道具や手段が無いことである。閾値まであと一歩のところにいるのに、それが具体的に見えないから折角の努力が無駄になることが多いのではないだろうか。
ソフトウェアビジネスで印象的なのは、ほんの少しある機能を追加したり、ある部分を使いやすくするだけで製品が急に売れ出すという局面の移り変わりである。0℃で水が固体から液体に、100℃で水が液体から気体に変化する様にそれは似ている。ほんの1℃しか違わないのに結果は全く異なる様相を示すのだ。
それではどのように取り組めば、閾値を遥かに超えたビジネスを展開できるのだろうか。最終的に自分の目標設定を出来る限り高く設定し、それを実現すべく常に真剣な眼差しで打ち込む姿勢が大切なのではないかと自分自身を戒めている。
2005 年 08 月 23 日 : Concentration
http://www.google.co.jp/ と http://www.yahoo.co.jp/
グーグルとヤフーの URL である。ホームページだけであればヤフーがグーグルを遥かに凌駕しているかに見える。
今朝、新聞( 2005 年 8 月 23 日発行日本経済新聞 13 面)でグーグルとヤフーに関する興味深い記事を発見した。それはグーグルとヤフーに関する、2005 年 1 − 6 月期の売上高と純利益、8 月 19 日付けの時価総額の数字である。従業員数は半分以下でしかないのに、今やグーグルはヤフーをこれら三つの指標で超える存在となっている。
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グーグル ヤフー 単位
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売上高 2,641 2,427 百万ドル
純利益 712 381 百万ドル
時価総額 778 479 億ドル
従業員数 3,021 7,600 人
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最近、グーグルも検索エンジン以外に手を広げているようだが、依然として経営資源の7割は検索エンジンの精度向上のための研究開発に投入しているという。元々、ヤフーはインターネットの検索エンジンでスタートし、この分野では圧倒的な No. 1 の地位にあった。しかしいろんなビジネスに手を広げるうちに、いつの間にかその地位をグーグルに譲る結果に陥っている。
ほんの一つの例に過ぎないが、これは 21 世紀の新しいビジネスモデルの典型的な成功パターンを示唆しているように感じる。ヤフーが創業した10年前は、ネットに接続している人は珍しい部類に属していた。けれどもいまではネットを使わない人の方がむしろ例外となりつつある。
この傾向は日本国内に止まらず、中国、インド、ロシア、ブラジルなど世界中のあらゆる国において目撃できる事実である。今日、世界人口は64億とも言われるくらい、世界のマーケットのポテンシャルは計り知れないほどに巨大である。
ネットはその巨大マーケットに光速のスピードで接続することを可能にしてくれる唯一最強の武器とも言える。現代そして未来の利用者にはネット上に用意された高速コミュニケーションと高性能コンピューターのポテンシャルを駆使できる環境がある。自分が求める商品やサービスを瞬間的に手にすることができる世界である。
利用者の立場に立てば自明のことと思う。同じ価格なら世界 No. 1 のクオリティのものを選択するだろう。また、売れれば売れるほど儲かるという収穫逓増のビジネスモデルが成立する領域においては、売れる数が桁違いに多ければその価格は他よりも低く設定しても利益に何ら影響はない。むしろ逆に利益は以前にも増して膨らむだろう。
グーグルとヤフーの記事を読んで、できるだけ少ないスタッフで、自社が世界 No. 1 と誇れる商品またはサービスの一点に絞り、それに全てを賭ける姿勢は 21 世紀のビジネスを駆け抜ける上で外せない条件に思えた。
2005 年 08 月 21 日 : Balance
昔から不思議に思うことがある。それは果てしなく広がり続ける宇宙にあって、この地球に当たり前のよう存在にする生命。何故それは稀なのだろうかということ。地球が生まれた瞬間から存在したのではなく、50億年という永き時を経て今日の地球になったのだけれど。
太陽と地球との位置関係、地球が太陽を公転する時間、地球の自転のスピード、地軸の傾き、空気中の酸素や窒素の構成比等など、さまざまな要素が微妙なバランスを持ち得たからこそ、今日のような私たちの環境があるんだろう。恐らくそれは奇跡的な確率だと思う。その根本的な本質は微妙なバランスにあるのではないか。
駆け出しのベンチャーが、マイクロソフト、オラクル、アップルのような偉大な存在になるのは奇跡的な確率でしかないかもしれない。けれども、それを必然的に目指そうとするならば、今日の地球が存在を為し得た物理学的な法則のようなものが何かヒントとなるような気がしている。
究極、企業経営というのは人、物、金、情報という資源を与えれた物理的な制約の範囲内でどう活用するかということに尽きる。しかし個々の経営資源を分解すれば、実にさまざまな要素から構成され、しかもそれらが複雑に絡み合っている事実に気付かされる。それはあたかも宇宙における地球の関係、或いは地球そのものの存在に似ているかもしれない。
そんなこともあって、いま経営しているベンチャーが長く繁栄し発展するためには、地球を地球たらしめたのと同じように経営に関わるさまざまな要素をバランスよく保つことが重要なんだと思う。そのバランスはどのように見極めれば良いのだろうか。
スペースシャトルから送られてくる、宇宙からの地球の姿は美しい。何故美しく映るのだろうか?空気や生態系の絶妙なバランスが光線に映し出しているように思える。同じく、経営においても最適なバランスが保たれていれば、きっと外側からも美しく見えてくるような気がする。
2005 年 08 月 13 日 : Goal
ハイテクベンチャーにて、過去に存在し得なかった新しいテクノロジーを研究開発し、マーケティングし、そしてグレードアップするサイクルを繰り返すのはマラソンのレースに参戦するようなものなのかもしれない。最終的に研究開発したテクノロジーが売れ、お客様の期待を上回る満足感が生まれる瞬間がマラソンでいうところのゴールインである。
マラソンでは自分の体力や能力に合ったペース、最適化されたランニングフォーム、強靭な肉体と精神力が思い描くフィナーレを飾るためのポイントとなるという。何よりもゴールインそのものの価値はランナーにとって他に代え難い。
直ぐには決着の付かない長期戦のレースは、序盤、中盤、終盤などの局面に応じた戦い方をしなければならない。それが最終的なゴール地点での栄冠獲得への決定的な要因となる。
手掛けるものが大きければ大きいほどゴールに辿り着くまでの道程は遠く、そして険しい。ゴールインできるかどうかさえ客観的な視点からは定かでない。ゴールに到達できなければ社会的に全く意味が無い。しかし、ビジョン、戦略・戦術、冷静な意思決定と絶対に達成する強い意志というような条件が揃えば、100%に近い確率でゴールインできると信じている。
マラソンは郊外の街並みを駆け抜けてゆくレース。ランナーたちの目にはその地点、その地点の美しい景色や応援する人々の姿が入ってくるらしい。ゴールまでの距離というものは最初遥か彼方にあったものが徐々に近づいてくる。それもゴールに近づけば近づくほど加速する勢いなのではないだろうか。トップでゴールを切るランナーの場合はそんな感じであるように思う。同じ往路の景色も、折り返し地点からの復路の景色とは違った映像として観えてくるに違いない。
独創的なテクノロジーの研究開発を創めた段階では、それが本当に実現するのかどうかゴールさえも見えないままにただ闇雲に走っている姿に近い。ずっと黙々と走っている時、突然光が差し込んできてあっけないほど新テクノロジーが実現してしまう。それまでは強い意志力で只管走るしかないのだ。
それ故に、新しいテクノロジーというものは、最初は実現するという一点にのみフォーカスが当てられているのだ。実際に利用する人の視点には立っていないのが実情だ。何しろ実現できるかすら分からないのに、使い勝手や利用シーンまでイメージする余裕は無い。
けれども、そのテクノロジーが現実のものとなれば、次は完成に向けて折り返し地点を回って油断することなく栄光のゴールを目指すのみ。多くのハイテクベンチャーが失敗する原因はテクノロジーの実現をゴール地点と錯覚してしまう油断にあると思う。その先にはまだ進むべき道があるのに…。
いくら画期的で革新的なテクノロジーを実現したとしても、期待を超える満足感や感動のイメージを利用者の心に描けなければ無駄骨としか言いようがない。そのためには先ずは利用者に使ってもらわなければ始らない。
長丁場の前半戦はどちらかといえば自分とテクノロジーとの戦いである。希求していたテクノロジーが実現された後、即ち折り返し地点を過ぎてからの後半戦ではそのテクノロジーを利用するであろうお客様の視点が大切になってくる。開発者の立場や都合で創ったものをお客様の軸に座標変換してテクノロジーを昇華させて初めてそれは真の意味でエンディングを迎えることになるのだ。
2005 年 08 月 03 日 : 眺め
10年ほど前、夜の国道を行き交う自動車のライトの軌跡を飽きることもなく眺めていた。今ではマンションが建ったのでその向こう側は何も視えない。
今は見えないけれど10年前は見えていた過去の事実が新しい発想を喚起してくれる。私たちは"x"軸、"y"軸、"z"軸の座標軸から構成される3次元空間に束縛されるようにして暮らしている。その結果、今は窓からマンションの向こう側が見えないという現象が発生している。
もし私たちが現在の3次元空間に時間軸"t"を導入した4次元空間の存在であるならば、10年前に遡って夜景を駆け抜ける自動車の光を眺めるのも可能だ。
何ごともそうかもしれないが、ベンチャーを経営していると未来をどう視るかで総てが決まるようにすら感じられる。でも4次元空間の中を自由自在に瞬間移動できるタイムマシンがあるわけでもないので、未来を確実に視ることは叶わない。
しかし窓から見えない眺めの例のように、過去に遡ってそれを視るというのは可能でそこに未来を眺望する重大なヒントが隠されている。
たとえば、ソフィア・クレイドルでは30年前から現在に至るまでのコンピューター業界の過去を精査しつつベンチャー経営をしている。30年前であれば、会計のような企業情報システムは何億円もするようなコンピューターで処理がなされていた。しかし今では数万円のパソコンに弥生会計を導入するだけで手軽に使える時代である。こんなトレンドを知れば、会計システムが10年後には数千円の携帯電話サイズのコンピューターで処理されたとしても何ら不思議でない。そこに隠された巨大なビジネスチャンスを見出そうとしている。
肉眼で視えない未来もこんな風にして眺めれば新しい展望が開けてくる。