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Sophia Cradle IncorporatedPresident Blog : Venture Business

2005 年 04 月 12 日 : 千里眼

最近、海外とコミュニケートする機会が頻繁にあり、和英辞典が欠かせない。たまたま和英辞典を開いて「先見力」について調べてみた。すると、そこには"vision"や"foresight"といった英単語が並んでいた。"The governor is a man of vision."(その知事は先見の明のある人だ。)という例文があったりする。 

ベンチャーを経営していると、以前と比較して"vision"というキーワードを聴く機会が殊更多い。時代の先にあるものを洞察する「先見力」はベンチャー起業家にとって貴重な資質であるという暗黙の了解があるかの如く。

いろんな要素が複雑に絡み合うので、一概にこれと断言することはできない。しかし、「先見力」はベンチャーを成功へと誘う一つの大切な要因であることは確かだろう。

和英辞典のその先にある情報を眺めていると、「先見の明がある」は英語で"have a long head"というらしい。日本語に直訳すれば「長い頭を持っている」ということか。「ものごとを長期的に判断できる」と解釈すれば良いのだろうか。こんなところに英語に対する知的好奇心が刺激される。

"have a long head"という英熟語には「頭が良い」という味も含まれているらしい。英語圏では「先見の明」こそが賢者の証かもしれない。文化的な背景の違いを想像するのはとても興味深い。

日本では、一般に「頭が良い」というのは「学業の成績が優れている」というような意味で捉えられることが多いように思う。だから有名な学校を卒業すると、その人は「頭が良い」と同義であるのがこの日本の一般的な風景の一コマに見える。

学生時代を振り返れば、残念ながら「先見力」と呼ばれる才能を伸ばす訓練を受ける機会にほとんど巡り会えなかった。過去の知識を詰め込み式に丸暗記し、予め答えが一つ決まっているものと同じ解答をするだけでよい。その正解率によって学生は評価される。そんな教育を受けてきた。「先見力」については自分なりに努めてそういった才能を磨くしかなかった。

確かに過去の事実を知ることは大切なことだ。しかし、時代の流れや勢いのようなものから、不確定要素が多く何通りにも答えがあり得る、未知の世界を推論する。そういった能力の方が社会に出てからは実用的で実際には役立つものだ。過去を振り返るだけでなく、そこから無限の可能性を秘めた未来を見渡せる才能がいま求められている。

ベンチャーを経営して尚更それを実感する。実際問題として、「頭が良い」といわれる人たちを100人集めたとしても、その中で「先見の明」のある人は1人いるかいなかくらいだろう。日本の教育のシステム上、そういった努力をしてこなかったから仕方がないといえばそれまでなのだが…。実はそんなところにニッチを見出してベンチャーを創める意義がある。

過去と未来の世界は、いま現在というポイントを経て確かに一つの道として繋がっている。その事実を時空のひろがりの中で連続的に俯瞰できる才能が先見力だ。それさえあれば不安に思うことなく明るい未来を展望することができる。さもなければサイコロを振るようにして不確定に生きるしかない。だから所謂「頭が良い」といわれる人の大半が確率論に従った人生を送らざるを得ない現実がなんとも皮肉に虚しく響く。

創業当初、人材や資金、設備などで恵まれなくとも、他の人には見えない未来への構想力と決断力こそがベンチャーにとって掛け替えの無い財産となる。経営学的にはそれが競争優位の源泉となる。弛まなく無限の成長を遂げるベンチャーの成功の秘訣は千里眼のような「先見の明」にありそうだ。

  

2005 年 04 月 10 日 : 予兆

「地層が地殻の割れ目に沿ってずれて食い違う現象」のことを「断層」と呼んでいる。辞書にはもうひとつの意味として、「環境の相違による考え方の食い違い」とも記されている。断層というのは地震によって引き起こされる。ある日突然、地震は襲ってくる。時にそれは為す術がない大自然の脅威や怒りに思えてしまうこともある。とにかくその瞬間、人は本能的にエピステーメー状態になってしまう。

地球上のあらゆる生命には、本能で悟って地殻変動を予知し、難を逃れたりする才能が、本来備わっているらしい。大きな自然災害の後に動物たちのそういった行動を報道で知ると、生命の神秘さに愕然とする。科学的には、地震発生の前後にはその辺りの磁場が変化し、何らかの電気的なイオンらしきものが観測できるという。動物はそれを本能で感知するのであろうか。(太古の昔、人間にもそんな能力はあったに違いない。だとすれば、それを喪失してしまった原因は…?)

世の中の移ろいゆく無常な風景もそれに等しい。歴史には変曲点のようなポイントが確かに存在し、人類は過去さまざまな変革を経験した。第二次世界大戦、明治維新、関が原など、挙げれば切りがないほどそんな断層を経て私たちの今日の姿があるのだ。

断層を境界線として世界の構造が天と地ほどに激変する。人びとの生活や社会のあり方、そして個人の生きる術も、過去に当たり前のように通用していたルールやシステムは全く意味をなさなくなる。人は水中で暮らせないが魚は何の問題もなく生きていける。地上と水中では生存するためのパラダイムが異なるのだ。時代を振り返れば、それに似たようなパラダイムシフトが時折訪れ、その度に人々の生活が変化したことが分かる。

新時代にはそれに相応しい、今までとは異なる仕組みやシステムが要請される。それまで既得権益にあぐらをかいてきた人びとにとっては都合の悪い話なのだが、それ以外の人たちにとってはまさに絶好の機会でもある。これまでエリートコースと持て囃された、一流大学、一流企業などでの過ぎ去りし日の輝かしき経歴なんていうのも文字通り単にそれだけのこと。これからの時代、きっとその人自身の未来へと繋がるポテンシャルだけが信じれる拠り所となるだろう。そんな予感がする。

地震と同じで何の備えもなければ震災に飲み込まれる可能性が高いと思う。何かが起ころうとしている前触れのような予兆を敏感に感じ取って、未来に備えることが大切な習慣になるのではないだろうか。ベンチャー起業家であれば、そういった微弱な変化を捉える能力を研ぎ澄まさなければ、と思う。

最近、過去の時代を飾った巨大組織が次々と崩壊している。そして偉大と称された、去りゆく今は昔のカリスマたち。時代の流れは大組織よりも機動性のあるチームに味方しているにも感じ取れる。ヤンキースではなく、松井。マリナーズではなく、イチロー。人びとは何よりもユニークさで際立った個人やグループの直向さや活躍に、期待を寄せ注目しその推移を見守っているかのようだ。

精神的な一体感がチームのパフォーマンスをマキシマイズしてくれる。21世紀はそんな時代だと感じている。たったひとつのある才能の開花によって世界が良い方向に化学反応しそうな、そんな夢と希望を抱いている。だからこそ、巨大な組織や権威に迎合せず、正しく自分を主張するポリシーを貫きたい。しかしそれは、間違った信念や固定された観念を守るのではない。自らも学び変化しつつ、長く優しい眼差しを持ったり他者の考えの違いも受け入れることができたら。まさに新しい世界に向けて自ら脱皮できる柔らかさやしなやかさを養いたいと願っている。チームが小さければ小さいほど、それは成し遂げやすいだろう。

いま時代は曲がり角に差し掛かっている。そして一歩一歩着実に変わりつつある。それだけは確かだ。

  

2005 年 04 月 07 日 : Capability

ベンチャーに携わって6年余りの時が経過した。その間、幾多の壁を突破し、いろんな経験をし教訓と呼べそうなものを得てきた。「突破」、英語では「ブレークスルー(Breakthrough)」という、そのベンチャーに相応しいキーワードには個人的に感慨深いものを覚える。そのテーマで何百ページにも及ぶ書籍が出版されていたりもする。

小さな壁は比較的乗り越えることも容易だが、ベンチャーをやっていると、時には巨大な壁が突然目前に出現したりする。問題はとんでもなく大きな壁をどうやって突破するかにある。(「老子」では問題が大きくなる前に些細な段階で対処すれば何ら難しいことは起こらないと指南してくれてはいるが…。実際のところ、そうなんだけれども。)

サラリーマン時代には想像すらできない大事件に、ある日初めて遭遇することはベンチャーの世界ではよくある話だ。そんな壁を幾度か乗り越えるうちに自分を含めスタッフ全員がたくましく鍛えられてぐんぐんと成長してゆくのだから、天からの貴重な贈り物のようなものでありがたいのは事実なんだけど…。辛く厳しい現実がたまに訪れる。

ベンチャーを創める以前、実態があるかどうかは別問題として一般の世間ではそれなりに評価されるレールに沿った人生を過ごしていた。その頃は世の中社会一般に対して甘い考え方を抱くことも多かったと回想する。いまでは天と地ほどに違う両極端な世界を経験していることになるのだろうか。

一流と称される大学に入学し企業や研究機関に就職し、一見安定であるかのような生活を過ごすうちに無為に年月を積み重ねる人が多いような気がする。秘められた才能が永久にお蔵入りするような話かもしれない。もしかしてその人が偉大な発見や発明をしたかもしれないとすれば、それはとても勿体無いことだろう。

そんな大学なり、企業なり、組織に入るためには人並み以上の努力が必要だったはずだ。例えば、難関大学に入学するためにはそれに相応しいだけの難しい問題を解く為の訓練をしてきたからこそ入試に合格できたのだ。スポーツの世界で謂うならば、自分のキャパシティを超えるくらいのトレーニングを積み重ねた結果として、一流と称されるような能力やスキルが増してゆくものだ。そういったポジションを獲得するまではもの凄く努力するんだけども一旦それが手に入るとその努力を辞めてしまう人が余りにも多い。新たな壮大な目標にチャレンジする優秀な人が年齢と共に減ってゆくのがとても残念に思える。

努力するペースを緩めれば、必然的にそれだけ自分の成長のペースが緩まったり、最悪の場合、退化してしまうことすら実際には多いのではないだろうか。所詮、人間とは弱い生き物なのか。恵まれた環境に入れば、それが災いしてそうなってしまう人が多いように感じる。私がサラリーマンを辞めた理由の一つにそんな退廃的な生活のペースから脱却したいという希望もあった。

どんなものであれ、隠された潜在能力(Capability)というのは、難局を乗り切った時に初めて発見されるのが常だ。ベンチャーをやっていると必然的にそんな境遇に追い込まれる(恵まれる)のだから、そこからどうやって這い上がってゆくのかというのが最大の至上命題だ。そういった命題を証明する過程において、自分のうちに潜在的に秘められた才能が発見され、育ってゆくように実際にベンチャーをやっていてそんな感触を得ている。

危機感の少ない安定した場にいると、そんな風なニッチもサッチもゆかない場に出くわすことも少ないわけで、逆説的にはそれだけ自分が成長する機会を逸しているといえる。自分から意識して、自らの成長の機会を創って生きることもできるだろうけれど、人間というのはついつい楽をしたくなく性質にあってなかなか難しい。実際のところ、画期的なもの、革新的なものが何不自由の無い恵まれた環境から生まれるのは稀なケースといえるだろう。

米国マイクロソフト社にしてもWindowsが大ヒットした結果、一般の人には想像できなくらい巨額の収益が会社にもたされたのだから、人材面にしても設備面にしてもWindows以前と比較すれば間違いなく桁違いに良くなっているはずだ。爾来、それに見合うくらい、Windowsを遥かに凌駕し、私たちを新時代へと誘うほどに脚光を浴びる新製品はマイクロソフト社から生まれたであろうか?いろんな雑多な新製品は生まれたであろうが、依然としてマイクロソフト社の収益の8割以上はWindowsとOfficeに頼り切ったビジネスモデルになっている。

これは何もマイクソフト社に限った話ではなく、多くの大企業や組織に共通していえることだ。それが何故起こってしまうのか、というような根本的な原因や傾向とその対策を、最近、私はよく考える。ベンチャーがブレークスルーし、更に飛躍を継続するヒントがそこにありそうな気がしてならないからだ。

  

2005 年 03 月 27 日 : 経験分布関数

人や製品、事業など成長しうるあらゆるものにいえる事実だから、数学的にも研究されているのだろうか。経験分布関数(Empirical Cumulative Distribution Function)というものの性質を知るのはベンチャー経営でとても大切だ。 

ベンチャーでは成長こそがすべてといえるほど、ワクワク&ドキドキ感をもたらしてくれる源だ。それではその成長とはどんな風にして姿を現すのだろうか?

それは敢えて数値的に表そうとするならば、連続的な曲線ではなく、今日の日記の画像にあるように階段状の軌跡を描いてゆくように思われる。ベンチャーとは、全くのゼロからスタートし、それが徐々に大きなものへとステップアップしながら段階的に成長していく過程といえる。

最初はベンチャーのビジョンや目的や目標の達成に向けて、そのプロジェクトに関わるスタッフたちの全知全能を結集しいろんな試みをする。しかし、現実は長いゼロの状態が暫く続く。ゼロというのはゼロであり、それは天と地、有と無、生と死ほどにも段階的に異なっている。それから、あることをきっかけにしてゼロからプラスの状態に1段階ステップアップしていることに気付く。その後、また暫くは平行線を彷徨いながら、それでも前向きな努力していると、最初と同じようにしてあることをきっかけにステップアップし次の第2段階へと進むことができる。

ベンチャーでの成長とは、こんなスタイルで何度も何度も繰り返されてゆく過程なのだろう。さまざまな創意工夫や努力をしていても、その結果が直ぐには現れないところが一番難しいところであり、この過程を理解していないがために、途中で諦めてしまう人が多いのではなかろうか。また、自分の持っている知識や理解は意外とモジュール化されているので、自分たちがどの段階にあるかはなかなか分からないし、誤解も生じたりする。そもそも向かう方向が違う場合もある。

階段状にステップアップしつつ成長するためには、まずは、自分の得意な範囲から、広く前向きなビジョンや目的や目標に向かって努力が必要と思う。それをしない限り成長曲線は水平線を描いて停滞するのではないだろうか。創造的な停滞や沈黙というものもあるけれど、プラスの方向に向かって進んでいる限り、目には見えない関数曲線を描いて進歩している。そして、その成果は突然やってくる。

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2005 年 03 月 23 日 : 創造のために

日常生活において、整理整頓しないと時が経つにつれ部屋のモノは無秩序に乱雑に増え続ける。いつしかその部屋は飽和状態となり、新しいモノを全く受け付けなくなるだろう。だから、あるタイミングで私たちはいらなくなったものを捨てる。そうやって新しいモノを部屋の空いたスペースに入れるようなことをしている。

古いモノを捨てることによって新しいモノは自然に生まれるという教訓のようなものかもしれない。多くの人がずっと慣れ親しんできたモノや自分自身の固定的な観念をきっぱりと拭い去れないでいる。その結果、閉じられた世界から永久に脱却できず、いつまでも同じ地点を堂々巡りするかのように人生を過ごしがちだ。

ベンチャーであれば、新規性のあるビジネスの創造こそが突破口である。人びとにとって意外で新鮮な満足感をどうやって創り出せるかがその存続や発展を占うカギといえるだろう。

人間の脳細胞は数え切れないほど無限にあるように思えるが、実際は有限な存在でしかない。新しい何かを生み出すためには思い切ってこれまでの過去を全て捨てる去るのも一つの方法だ。

脳の中にある海馬には不必要なものは自ずと忘れさせてくれる仕組みが備わっているらしい。それによって人間は精神的なバランスをとっている。それをあるテレビ番組で知り、『忘れる』という一種の才能や能力みたいなものが興味深く思えた。

ベンチャー起業するにあたってたくさんのモノを捨てた。その結果、何か新しいモノを受け入れる余地を自分の中に創ることができたように思う。以前はできなかった大胆な発想もできるようになったりもした。

しかし、そんな風に生きていても過去の出来事はどんどん積み重なってゆく。なので、たまには過去を整理整頓し、新しき未来を展望するための段取りをせねばと思う。それによって、別の新しい世界が見えてくるような予感がする。

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2005 年 03 月 18 日 : 大企業とベンチャー

ここ5〜6年ほぼ毎日といってよいほど学生さんと接している。ときどき彼らから将来の進路の話なども聴いたりする。

いつか起業したいが失敗したくない。きっと大企業であれば教育体制がしっかりしてそうだ。だから、最初は大企業でちゃんとした経験を積みたい。そんな学生さんも多いのではないだろうか。ドリームゲート・インターンシップでもそんな学生さんが多かった。

この話を聴いて私も昔はそんなところがあったかなと自分の昔の姿を懐かしんだ。学生であった頃、自分の想い描くように何でも事がスムーズに運ぶように主観的に世の中を甘く見ていた。実際は、それとは逆でものごとは自分の思いとは裏腹に推移することが多くいろんな失敗を積み重ねた。

典型的な日本人の考え方からすれば、「一流大学→大企業→ベンチャー起業→人生における成功」というような図式もあるのかもしれない。しかし、実際に生き残って成功しているベンチャー起業家たちの大半は大企業の出身者でなかったりする。なぜ大企業出身という経歴を持つベンチャー起業家が少ないのだろうか?

そもそもベンチャー起業にチャレンジする人が少ないという説にも一理ある。ベンチャー起業に求められる最も大切な要素が大企業では学べないところにその原因がありそうな気がする。逆に大企業で覚えたやり方や習慣が禍したりする。

私自身大企業で勤務していた経験がある。それがベンチャー起業とどう関わってくるのか個人的な見解をまとめてみたい。

どんなものにも必ず裏と表がある。大企業での経験がベンチャー起業にどんなメリット、デメリットを与えるのかゆっくり考えてみるのもたまには良いだろう。

確かに大企業は教育体制がしっかりしているといえる。教育は巨大な組織の一員として働く上で生産性をアップする目的でなされている。大企業は組織が巨大であるだけに、職務内容は細かく分類されている。そのため、その教育内容は細分化された専門性をより伸ばすようにカリキュラムは組まれているものだ。なので、自分の専門性を伸ばすためには大企業はもってこいの組織といえる。

一方ベンチャーの場合、創業期の頃は何から何まで自分がしなければならない。ITベンチャーだからといってプログラミングだけで済ますわけにはいかない。創業の頃は、資金繰り、経理、マーケティング、営業、受注・出荷、契約、人材採用、社会保険、備品の整備などいろんな多岐に渡る内容の仕事を一人でこなせすことが要求される。専門性も大切であるが、一種ゼネラリストとしての能力が要求されるのも事実だ。

勿論、会社が成長すればそれらの仕事も少しずつスタッフたちに権限委譲し、自分の手から離れてゆく。現実はそれ以前に立ち行かなくなるベンチャーが圧倒的に多いのではないだろうか。逆にそこさえ乗り越えると、その後は集中力で必要な知識を学べばなんとかなる。とにかく最初の難関をどうやってのりきるかがベンチャー起業の最大のポイントなのだ。

大企業の教育で学んだ専門知識や業務の進め方、組織などのノウハウも確かに役に立っているけれども、ベンチャーに必要な実務の8割方は未知の分野だった。オーナー社長という立場になって初めてそれを実感する方が寧ろ多かった。水泳にしても頭で学ぶよりも、実際にプールに出かけて練習する方がその習得は早いし、より確実だ。頭だけで考えていても到底泳げるようにはならない。ベンチャー起業も実践の場でしか学べないことが多く、それこそが成功に向けた大きな手がかりとなることが多い。

ベンチャー起業を成功させる上で最も苦労するのは、「顧客の創造」であろう。知名度も実績もゼロの状態でスタートすることの意味は大企業では決して学べない内容であり、ベンチャー起業家にとって最もよく理解しておかなければならないポイントだ。「顧客の創造」という難関を突破しない限り、ベンチャーの未来は絶対に有り得ない。

大企業の場合、その本人に実力がなくともそのブランドだけでモノが売れてしまう。それを自分の才能や能力であると錯覚する人が大企業出身者に意外と多い。

どうやって顧客を創造するかに関しては悩みつつ、いろんな試行錯誤を繰り返した。結局のところ、大企業の教育で学んだことからその解決策を見つけることはできなかった。実際にやってみて、プレッシャーを感じつつ当事者意識をもってやることでブレークスルーできた。

製品やサービスが売れて実績が出てくると、その後はだんだんと売上や利益も伸びてくる。創業時ほどいろんな奇抜な発想をしなくとも売れるようになる。そうなった時にその販売システムの効率化をする段階がやって来る。そんなフェーズで初めて大企業で経験したような知識や技術が活きてくる。いろんな業務をマニュアル化し、システム化する。それらの仕事は大企業では当たり前の話だ。

大切なことはベンチャー起業の最初をどう乗り切るかであり、それを達成できない限り大企業での経験を活かせる場はないのではないだろうか。そのためにもベンチャー起業の肝心要なノウハウをまず知っておくことがベンチャー起業家として成功するための必要条件なんだと思う。

世の中を見渡してみて感じるのは、ゼロから1を創りだす人よりも、どちらかといえば1を10にするような人の方が多そうなことだ。ゼロから1を創りだすのが起業家で、1を10にするのは実務家である。実務家を目指すのであれば、大企業で多くを学べるだろう。

もし自分が起業家タイプを目指したいならば大企業に答えを本当に見出せるかよく考える必要はあるだろう。ベンチャー起業について学びたいのであればできるだけ創業前後のベンチャーで最初から働いた方が多くのことを収穫できるというのが私の個人的な見解だ。ベンチャーの創業が成功して事業が軌道に乗れば、実務家としての知識が少なくて心もとない場合は、外部のコンサルタントや人材を雇ったり、ヘッドハンティングして実務能力を補強すればよい。ベンチャーを立ち上げるよりもずっと簡単なことだ。

起業家であり、実務家でもあるという人は更に少なくなるが、起業家からスタートすればそのような道も目指せるし、また新たな別の事業の起業もあり得るだろう。

どんなオプションを選んだとしてもそれなりの人生が待ち構えているだけだと思う。私個人はずいぶんと廻り道をしてしまった。過去を振り返らないので後悔なんて滅多にないのだけれど、挑戦すべきタイミングを逸していたり、選択を誤まったことも多かった。端的にいってみればそれこそが人生なのであるが、いろいろと紆余曲折があって興味深い話ではある。

  

2005 年 03 月 17 日 : インビジブルな資産

企業経営において決算書の位置付けはとても重要なものとして扱われる。しかし、それだけで未来の決算書の内容を精緻に予測するのは難しい。何故ならば、「人材力」、「ブランド力」、「ノウハウ」といわれるような極めて重要な資産が財務諸表には顕われてこないからだ。

個人的に企業の実力を測る上で次のような見方が大切なのではないだろうか。

【企業の実力】=【決算書】×【人材】×【ブランド】×【ノウハウ】

ベンチャーの場合、創業間もなければ間もないほど数字で表現される決算書が全体に占める割合は少ないので、ベンチャー起業家には「人材」、「ブランド」、「ノウハウ」に関してその実態を感性を研ぎ澄ませて把握する能力が要請されるだろう。

研究開発型のハイテクベンチャーであれば、創業期は人材の育成や将来に向けた製品・サービスの研究開発、知名度アップなどの仕事に専念せざるを得ないものだ。それらの活動は売上や利益に直ぐに結びつくものではなく、長期的にその企業の発展に大きく貢献する性質のものである。

ベンチャー創業期は「ヒト」、「モノ」、「カネ」といった経営資源が限られるだけに、目にはっきりと見える形としての『売上』や『利益』というものは喉から手が出るほどに希求されるものだ。そのため、そのベンチャーのレゾンデートルに反する内容の仕事であっても、短期的な視点で『売上』や『利益』を伸ばそうとするあまり、本来すべきでない仕事を安易に受注し悪循環に陥るケースもあるのではないかと思う。

好循環な成長スパイラルに乗るには、レースの中でもマラソンのように、企業規模とそのペースの微妙なバランスを適正なレベルで保ちつつ予め段取りして実行する。これは創業間もないベンチャー起業家の重要な役割だと私は考えている。

いますぐ現金化することはできないが、「人材」、「ブランド」、「ノウハウ」は一種の『未来の財産』であり、その企業にとって「金の卵を産む鶏」であり「エンジン」のような存在だ。ベンチャー起業家には、輝かしき未来の姿を鮮明にイメージし、そこに辿り着けるように緻密に計画し着実に実行する姿勢が求められるだろう。

いま数値化できない「人材」、「ブランド」、「ノウハウ」が将来どれくらいの価値をもたらす内容のものであるのかを具体的にはっきりとイメージするようにしなければと思う。それができていれば短期的に惑わされることもなく、自信を持ってしっかりと地に足をつけた経営を実践できる。

負債が多かったり赤字が連続したりすると、やはりどんな経営者であっても、心に余裕がなくなり冷静さを失い、そして「人材」、「ブランド」、「ノウハウ」を適切にイメージできなくなり誤まった意思決定をしてしまうものではないだろうか。中には、大胆に行動し、それによって莫大な成果を得る経営者もいるかもしれないが、そのような天才はそもそも確率的に稀な存在と思う。

ベンチャーだからこそ最初は規模は小さくても、創業期から売上をあげて、しっかりと黒字にする経営が大切なんだと思う。急激に規模を拡大するのではなく、徐々にステップバイステップに伸ばしていくのは一足飛びに急成長するよりもずっと簡単で容易な筈である。

例えば、人材力について考えてみると、最初は創業者1人でスタートしたとしても、ある期間かけて1人前の人材を1人でも育てることができれば、次の段階で2倍となる。更に次の段階においても、その2人がそれぞれ人材を1人でもしっかりと育成できたならば、その次は4倍となってゆく。

こんな風に倍々のペースであれば、「人材」のようにインビジブルな資産も10回繰り返せば最初の1024倍もの数字となり、それが大きな未来の売上や利益となってアウトプットされ、現実化されベンチャーは飛躍してゆく。最初のペースは遅いかもしれないが時間の経過と共に着実にそのペースがアップしていく。それが指数関数的な成長の最大の特徴といえる。そんな成長を支える源といえるものがインビジブルな資産にあるように思えて仕方ない。

インビジブルなんだけれども、「人材」、「ブランド」、「ノウハウ」といったものに自然と立体感が感じられるようなベンチャー経営を目指している。

  
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