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Sophia Cradle IncorporatedPresident Blog : Venture Spirits

2005 年 08 月 13 日 : Goal

ハイテクベンチャーにて、過去に存在し得なかった新しいテクノロジーを研究開発し、マーケティングし、そしてグレードアップするサイクルを繰り返すのはマラソンのレースに参戦するようなものなのかもしれない。最終的に研究開発したテクノロジーが売れ、お客様の期待を上回る満足感が生まれる瞬間がマラソンでいうところのゴールインである。

マラソンでは自分の体力や能力に合ったペース、最適化されたランニングフォーム、強靭な肉体と精神力が思い描くフィナーレを飾るためのポイントとなるという。何よりもゴールインそのものの価値はランナーにとって他に代え難い。

直ぐには決着の付かない長期戦のレースは、序盤、中盤、終盤などの局面に応じた戦い方をしなければならない。それが最終的なゴール地点での栄冠獲得への決定的な要因となる。

手掛けるものが大きければ大きいほどゴールに辿り着くまでの道程は遠く、そして険しい。ゴールインできるかどうかさえ客観的な視点からは定かでない。ゴールに到達できなければ社会的に全く意味が無い。しかし、ビジョン、戦略・戦術、冷静な意思決定と絶対に達成する強い意志というような条件が揃えば、100%に近い確率でゴールインできると信じている。

マラソンは郊外の街並みを駆け抜けてゆくレース。ランナーたちの目にはその地点、その地点の美しい景色や応援する人々の姿が入ってくるらしい。ゴールまでの距離というものは最初遥か彼方にあったものが徐々に近づいてくる。それもゴールに近づけば近づくほど加速する勢いなのではないだろうか。トップでゴールを切るランナーの場合はそんな感じであるように思う。同じ往路の景色も、折り返し地点からの復路の景色とは違った映像として観えてくるに違いない。

独創的なテクノロジーの研究開発を創めた段階では、それが本当に実現するのかどうかゴールさえも見えないままにただ闇雲に走っている姿に近い。ずっと黙々と走っている時、突然光が差し込んできてあっけないほど新テクノロジーが実現してしまう。それまでは強い意志力で只管走るしかないのだ。

それ故に、新しいテクノロジーというものは、最初は実現するという一点にのみフォーカスが当てられているのだ。実際に利用する人の視点には立っていないのが実情だ。何しろ実現できるかすら分からないのに、使い勝手や利用シーンまでイメージする余裕は無い。

けれども、そのテクノロジーが現実のものとなれば、次は完成に向けて折り返し地点を回って油断することなく栄光のゴールを目指すのみ。多くのハイテクベンチャーが失敗する原因はテクノロジーの実現をゴール地点と錯覚してしまう油断にあると思う。その先にはまだ進むべき道があるのに…。

いくら画期的で革新的なテクノロジーを実現したとしても、期待を超える満足感や感動のイメージを利用者の心に描けなければ無駄骨としか言いようがない。そのためには先ずは利用者に使ってもらわなければ始らない。

長丁場の前半戦はどちらかといえば自分とテクノロジーとの戦いである。希求していたテクノロジーが実現された後、即ち折り返し地点を過ぎてからの後半戦ではそのテクノロジーを利用するであろうお客様の視点が大切になってくる。開発者の立場や都合で創ったものをお客様の軸に座標変換してテクノロジーを昇華させて初めてそれは真の意味でエンディングを迎えることになるのだ。

  

2005 年 07 月 16 日 : 最高の決断

少し前の話だけれど『ジョブズCEO、スタンフォード大学で波乱の半生を語る』と題した Hotwired の記事の言葉が記憶に残っている。それは、米Apple Computer社の最高経営責任者であり、創業者でもあるスティーブ・ジョブズ氏の「最高の決断」に関わる内容である。

スタンフォード大学の卒業生5000名を対象とした講演だったそうだが、そこでスティーブ・ジョブズ氏はそれまでの人生において最高の決断と呼べるものは「大学中退」であると述べた。そのことによって、生きるためには必然的に創造的にならざるを得なかったという。また、その過程において『細かい部分にとことんこだわること』を信条とし、Apple Macintoshを唯一無比の存在へと昇華させた。

ベンチャーを創業して痛感するのは、『創造性』という概念の必要性である。これはどうすれば確実に導き出せるのかというのは永遠の課題かもしれない。その一つの解は、背水の陣を敷いてでも自分を追い込んで集中するということではないか、と考えたりもする。

私の場合、『最高の決断』と呼べるのはサラリーマンを辞めたことに尽きる。それによって自分の力を信じて生きざるを得ない身の上となった。最終的に頼れるものは、自分の努力や情熱、才能、考え方でしかないけれど、これこそが大きなパワーを生み出す源にように今にしてそう感じる。勿論それは一人だけで形成されたものでもなく、自分のためだけに在るものでもない。

振り返れば、起業してから実際にその立場でなければ想像できない、実にたくさんの経験や体験を繰り返してきた。最近ようやく、その度にステップバイステップに着実な成長を遂げている自分を客観視できるようになってきた。

最悪の場合、頼れるものが自分しかないという境遇はある意味では厳しい現実かもしれない。しかし反対に、全ての人生を自分の価値判断で決定できるという事実は、楽しく愉快な充実した日々を過ごす上で外せない条件ではないだろうか。

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2005 年 04 月 21 日 : Core concept -6-

今日は朝からiTunesのラジオ番組SmoothJazz.comの音楽を流していた。すると何だかアイディアらしきものが形作られてゆく。今日はこんな言葉が発端だった。成功とチャンスをめぐるものとは、である。チャンスは誰にも平等に訪れるのだろう。けれどもそれを掴み取る者はほんの一握り。

あの人は運が良かったと謂うけど、実はその人が払ったインビジブルな努力を知る者は少ない。その事実に気付けば、日頃から目に見えないチャンスを探求したり、まだ隠されている至宝のために、孤独に努力する姿勢の重要さが分かる。文章にして表現すれば単にこういうことになった。成功というものがあるとするならば、その本質はきっとこんなところにあると思う。

スポーツの世界では、ピンチの後にチャンス有りと謂われる程、ピンチとチャンスは隣り合わせの位置関係にある。ビジネスの世界でも同じく、チャンスを掴もうとすれば必ずピンチも一緒に伴ってやってくる。況してベンチャーであれば、点と点が繋がって曲線になるくらいにピンチに次ぐピンチの連続そのもの。けれどその曲線の反対側では、チャンスの軌跡が同時に描かれているのも真実の姿である。何がなんでもリスクを避けたい人にとっては、こんな世界は以ての外かもしれない…。

毛利元就の三本の矢の教えにもあるように、ピンチを乗り切る場合、1人よりも2人、2人よりも3人という風に、同志は多ければ多いほど心強いものだ。最悪、譬え1人でもそれを耐え凌ぐ覚悟がなければベンチャー起業は叶わない。けれども、1人でも同志がいると、事業は果てしなく前進する。だから、ベンチャーを創める時、誰と一緒に事業をやるのか?コアとなるメンバー構成は?この問いこそ核心だ。譬え人数は少なくとも、信頼があれば足りないものがあっても充分埋め合わせることができる。スタッフの間の絆も深まれば、それがベンチャーを更に前へと推進させるエンジンとなる。

長い人生、さまざまな境遇に出くわしてしまう。良い時もあれば悪い時もある。だが、禍福は糾える縄の如し、塞翁が馬、実際は何が良くて何が悪いのか定かではない。なかでもお金と人の繋がりについては、誰もが学べないような貴重な勉強をしてきた。

本格的にベンチャーに携わり始めたのはITバブル華やかなりしミレ二アムを迎える頃だった。何故か使い切れないほどのお金が集まる時期もあった。オフィスを豪華にしたり給与を大盤振る舞いすると、実に様々な人々がそれぞれの思惑を携えて現れた。期待するほどの新たな価値を彼らが生み出してくれれば何も問題は無かった。しかし思惑通りに事が運ばなければ自ずと資金も枯渇する。それにつれ集まってきた人たちもいつの間にか去っていった。

お金の縁で集まった人たちはそれが無くなれば消え去るということかもしれない。そんな人に限って給与分以上の働きはしないという法則も実際にあると聞いた。これは本末転倒という言葉が適切である。このことはベンチャーを創め人を集め組織化する時に、起業家が心して理解せねばならない真理の一つだと悟った。

確かに給与を高くしてオフィスを豪華にしないと、たくさんの人が応募してこないかもしれない。しかし真に有能な人材は、自分の価値観や判断基準を、取り組むべき事業ポテンシャルの底知れぬ広さと深さに置いているものである。

現実問題として考えれば、世の中広しと雖もそんな有望な人材は類稀な存在かもしれない。しかし希少なものであるのならば、その価値を大切にし、少人数でも回るようなベンチャービジネスを展開すれば良いのではないか。このほうが現代では貴重な精神的安定も得られる。人材の供給源も日本に限定する必要もない。広く世界から募れば良い話だ。

勿論、スタッフの資産形成に関しては、いまも在籍する創業スタッフには、最終的に充分に報いるようにする。けれどもそれを第一番目の目的にすると、ベンチャービジネスは思わぬ方向に漂流する結果に為りかねない。先に述べたようにいつも順風満帆ではない。嵐に遭遇し、激しい波風に晒されることもある。お金の縁で出来た絆はそんな逆境に免疫は働かず余りにも脆い。特に創業期は想像出来ない嵐が日常茶飯事のように襲い掛かって来る。その度に乗組員が下船するようではそのベンチャーの命運も風前の灯に過ぎないだろう。

だからこそ、「人は何故働くのか?」という根源的な疑問を出発点とした直感や洞察や思想によって大義名分ある企業理念を打ち出すこと。そしてその理念に基づいた壮大な事業の目的やビジョンを確立することが重要になってくる。その器のスケールに応じて相応しい人材は熱意と情熱を持って集い、そうでない者は肩をすくめて去りゆくだろう。それは一朝一夕のうちに得られるものでもなけば、金銭で買えるものでもない。それ故に貴重で尊い存在なのであろうか。

(つづく)

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2005 年 04 月 11 日 : Language for mobile phone

日常生活のコミュニケーションの基本中の基本は「言語」にあることに異論はないだろう。あまりにも当たり前過ぎて逆に「言語」というものに対する考察が等閑になりがちだ。それでコミュニケーションにおける数々の問題がいたるところで発生している。

コンピューターを思いのまま運用するには、ソフトウェアがそのハードウェア装置と密接にコミュニケーションをとる必要がある。そのための道具が「プログラミング言語」である。一般にコンピューターを動かしているソフトウェアは「プログラミング言語」を使って人間が記述する。

コンピューター業界でも、「プログラミング言語」は自明の存在で、真剣にその本質に迫って考察しようとする人が少ないように思える。ロジカルに考えれば、「プログラミング言語」は前提条件になるのだから、この前提が間違っていればすべて崩壊しかねないだけにいくら注意を払っても十分過ぎることはない。

大学生の頃、ある言語から別の言語へプログラムを変換するための基礎となる、チョムスキーの言語理論を勉強したことがある。チョムスキーによれば、プログラミング言語に限らず、人間が扱う言語は一般に普遍的な文法で表現することが可能らしい。だから、その効能はともかくとして、英語から日本語、或いは日本語から英語など、今ではあらゆる言語間の機械翻訳が可能で実用化されている。その頃、そんな未来の世界に期待感を抱いていた。

ソフトウェアを記述するための言葉であるプログラミング言語のエッセンスを知れば知るほど、それだけ素晴らしいソフトウェアを創作できると私たちはソフトウェアの研究開発に勤しんでいる。

コンピューター業界に詳しくない方はご存知ないかもしれないが、発行済株式の時価総額が今や世界 No. 1 となった米国マイクロソフト社の出発点は、BASIC というパソコンでは史上初のプログラミング言語の事業だ。意外かもしれないが、Windows などのオペレーションティングシステムや Office などのアプリケーションパッケージではない。BASIC というプログラミング言語があったからこそ、パソコン上でプログラミングしソフトウェアを創造しようと考える人たちが世界中で増えていった。そして、パソコン向けソフトウェアの市場が創出されたのだ。いろいろと批判は多いが、そういう点においてマイクロソフトは創業当初この業界に多大なる貢献を為した。

そんなこともあって、ソフトウェア業界でビジネスを成功させるためには、プログラミング言語の位置付けについては慎重に考えるべきだし、ビジネスにできるのであれば磐石な競争優位の確立すら可能に思っている。

実際のところ、ソフィア・クレイドルでは JavaBREW(C/C++ という 2 種類のプログラミング言語を扱っている。Java に関しては、Java という言語のシステム的な構造をプログラミングすることによって、普遍的に Java のアプリケーションが圧縮できるような仕組みを技術開発した。BREW( C / C++ )に関しては、C++ というプログラミング言語を、クオリティと機能性の優れたモバイルのアプリケーションが容易にスピーディに開発できるように、C++ というプログラミング言語の仕様を拡張している。何れのビジネスもソフトウェアビジネスのインフラであるプログラミング言語の周辺分野であり、謂わば空気のような存在である。別の言い方をすれば当たり外れの少ない世界といえる。

ベンチャービジネスといえば、10 件に 1 件当たればそれで良しとする風潮がベンチャー向け投資家の筋にあったりする。そのベンチャーをやっている当事者からすれば敗北することは許されない。必然的に成功する理由が必要であろう。勝つべくして勝つ、これからのベンチャーはそのように運営されなければとつくづく思う。それを現実にするための近道は、日常生活での当たり前のような話に隠されているような気がする。

  

2005 年 04 月 07 日 : Capability

ベンチャーに携わって6年余りの時が経過した。その間、幾多の壁を突破し、いろんな経験をし教訓と呼べそうなものを得てきた。「突破」、英語では「ブレークスルー(Breakthrough)」という、そのベンチャーに相応しいキーワードには個人的に感慨深いものを覚える。そのテーマで何百ページにも及ぶ書籍が出版されていたりもする。

小さな壁は比較的乗り越えることも容易だが、ベンチャーをやっていると、時には巨大な壁が突然目前に出現したりする。問題はとんでもなく大きな壁をどうやって突破するかにある。(「老子」では問題が大きくなる前に些細な段階で対処すれば何ら難しいことは起こらないと指南してくれてはいるが…。実際のところ、そうなんだけれども。)

サラリーマン時代には想像すらできない大事件に、ある日初めて遭遇することはベンチャーの世界ではよくある話だ。そんな壁を幾度か乗り越えるうちに自分を含めスタッフ全員がたくましく鍛えられてぐんぐんと成長してゆくのだから、天からの貴重な贈り物のようなものでありがたいのは事実なんだけど…。辛く厳しい現実がたまに訪れる。

ベンチャーを創める以前、実態があるかどうかは別問題として一般の世間ではそれなりに評価されるレールに沿った人生を過ごしていた。その頃は世の中社会一般に対して甘い考え方を抱くことも多かったと回想する。いまでは天と地ほどに違う両極端な世界を経験していることになるのだろうか。

一流と称される大学に入学し企業や研究機関に就職し、一見安定であるかのような生活を過ごすうちに無為に年月を積み重ねる人が多いような気がする。秘められた才能が永久にお蔵入りするような話かもしれない。もしかしてその人が偉大な発見や発明をしたかもしれないとすれば、それはとても勿体無いことだろう。

そんな大学なり、企業なり、組織に入るためには人並み以上の努力が必要だったはずだ。例えば、難関大学に入学するためにはそれに相応しいだけの難しい問題を解く為の訓練をしてきたからこそ入試に合格できたのだ。スポーツの世界で謂うならば、自分のキャパシティを超えるくらいのトレーニングを積み重ねた結果として、一流と称されるような能力やスキルが増してゆくものだ。そういったポジションを獲得するまではもの凄く努力するんだけども一旦それが手に入るとその努力を辞めてしまう人が余りにも多い。新たな壮大な目標にチャレンジする優秀な人が年齢と共に減ってゆくのがとても残念に思える。

努力するペースを緩めれば、必然的にそれだけ自分の成長のペースが緩まったり、最悪の場合、退化してしまうことすら実際には多いのではないだろうか。所詮、人間とは弱い生き物なのか。恵まれた環境に入れば、それが災いしてそうなってしまう人が多いように感じる。私がサラリーマンを辞めた理由の一つにそんな退廃的な生活のペースから脱却したいという希望もあった。

どんなものであれ、隠された潜在能力(Capability)というのは、難局を乗り切った時に初めて発見されるのが常だ。ベンチャーをやっていると必然的にそんな境遇に追い込まれる(恵まれる)のだから、そこからどうやって這い上がってゆくのかというのが最大の至上命題だ。そういった命題を証明する過程において、自分のうちに潜在的に秘められた才能が発見され、育ってゆくように実際にベンチャーをやっていてそんな感触を得ている。

危機感の少ない安定した場にいると、そんな風なニッチもサッチもゆかない場に出くわすことも少ないわけで、逆説的にはそれだけ自分が成長する機会を逸しているといえる。自分から意識して、自らの成長の機会を創って生きることもできるだろうけれど、人間というのはついつい楽をしたくなく性質にあってなかなか難しい。実際のところ、画期的なもの、革新的なものが何不自由の無い恵まれた環境から生まれるのは稀なケースといえるだろう。

米国マイクロソフト社にしてもWindowsが大ヒットした結果、一般の人には想像できなくらい巨額の収益が会社にもたされたのだから、人材面にしても設備面にしてもWindows以前と比較すれば間違いなく桁違いに良くなっているはずだ。爾来、それに見合うくらい、Windowsを遥かに凌駕し、私たちを新時代へと誘うほどに脚光を浴びる新製品はマイクロソフト社から生まれたであろうか?いろんな雑多な新製品は生まれたであろうが、依然としてマイクロソフト社の収益の8割以上はWindowsとOfficeに頼り切ったビジネスモデルになっている。

これは何もマイクソフト社に限った話ではなく、多くの大企業や組織に共通していえることだ。それが何故起こってしまうのか、というような根本的な原因や傾向とその対策を、最近、私はよく考える。ベンチャーがブレークスルーし、更に飛躍を継続するヒントがそこにありそうな気がしてならないからだ。

  

2005 年 04 月 06 日 : Imaginal

ソフィア・クレイドルのビジネスはミュージシャンの世界に近いといえる。直感と洞察により新たなソフトウェアをゼロからデザインし創作する。そしてそのソフトウェアはソフィア・クレイドルを起点にして世界中のワイヤレスな空間へとひろがり多種多様なモバイル機器に配信される、というビジョンを現実の世界に写像している。いろんなお客さまからのリクエストに応じるモデルではない。

そういうわけで、いまミュージックシーンがどんな風に動いているのかいつも興味津々で見入ってしまう。多くの人びとに親しまれている音楽にハズレはなく、アタリの曲はヒットすべくしてヒットしているような気がする。さらにモーツァルトのCDが現在数千円で購入できるからといって、ではそのソフトの価値や演奏家や、モーツァルト自身の価値がそれだけとは決して単純に計れないところも似ている。

退路を断ってベンチャーをするからには、奇蹟が必然になるようなメカニズムを予め組み込むことも重要である。これも音楽の世界から学べそうだ。9割以上が失敗するというのがベンチャーの宿命であるようにいわれるのはこんなところにあるよう感じる。それは、永き時間軸と広き空間軸から構成される「場」の中で展開されゆく理想郷の景色全体を色彩豊かに鮮明に思い描いた上で、そこへ至る道筋を明確化しつつ実際にその道を歩む人が少ないからではないだろうか。

音楽の場合、実にさまざま要素から構成される。ボーカル、ギター、ベース、ドラム、キーボード、ピアノ、作詞、作曲、レコーディング、プロデュース等など。爆発的にヒットしている曲ではすべての要素が偶然にも調和を保ってパーフェクトになっているように見えて、実は、必然的にそうなっているのだと思う。一発屋というのもあるようだが、長らく第一線で活躍しているミュージシャンには、偶然という言葉は存在しないように思えてくる。

まるで生き物のように神秘的なそのかたちを頭の中に空想し眺めていると、ヒットするような曲にはあらゆる要素に超一流といったものが感じとれる。そのグループでしか演奏できない音楽に、必要な各要素がベストにパフォーマンスされるような最適化プロセスが働いているような気がする。その根本にあるのはそれを演じているその人の使命と役割だろう。その人が、そのバンド、グループがまさにその曲を演奏するからこそ、多くの人びとから親しまれる素晴らしい音楽が生まれる。

私たちは、それと同じようなことをソフィア・クレイドルというベンチャーという枠組みの中で実現しようとしている。シナリオ通り、必然といえるほどに事が運ぶようにするにはどうすべきか。これが肝心なところだが、この時一番大切な考え方は、まずはミュージシャンがグループを結成する時と同じように、その音楽を構成するボーカルやギター、ベース、ドラムを担当するいろいろな人的な要素を、妥協することなく集めるところからスタートするように思う。

イメージした構想をこのメンバーでなら為しえるのかどうかを、真剣に自問自答しながらグループを結成する。最初は一人だけのグループかもしれないが、思いが強ければ時の経過と共に運命の偶然や必然といったものに作用されて、いつしか自分たちにしか為しえないものを創造するためのグループが自然発生する。

いろんなミュージシャンの曲にそれぞれのカラーがあるように、グループが結成されれば、そのグループにしか為しえない新たな価値の継続的創作が求められる。最終的には売れるかどうかで、そのグループが存続できるか否かが左右されてしまう。従って、時代の潮流に揉まれながらも、トレンドを感じてあるいはあえて逆らいながら、それぞれのメンバーの才能を良き方向に顕在化させ、さらにそれを無限に伸ばしてゆく仕組みを発見し実践することが大切になってくる。

  

2005 年 03 月 27 日 : 経験分布関数

人や製品、事業など成長しうるあらゆるものにいえる事実だから、数学的にも研究されているのだろうか。経験分布関数(Empirical Cumulative Distribution Function)というものの性質を知るのはベンチャー経営でとても大切だ。 

ベンチャーでは成長こそがすべてといえるほど、ワクワク&ドキドキ感をもたらしてくれる源だ。それではその成長とはどんな風にして姿を現すのだろうか?

それは敢えて数値的に表そうとするならば、連続的な曲線ではなく、今日の日記の画像にあるように階段状の軌跡を描いてゆくように思われる。ベンチャーとは、全くのゼロからスタートし、それが徐々に大きなものへとステップアップしながら段階的に成長していく過程といえる。

最初はベンチャーのビジョンや目的や目標の達成に向けて、そのプロジェクトに関わるスタッフたちの全知全能を結集しいろんな試みをする。しかし、現実は長いゼロの状態が暫く続く。ゼロというのはゼロであり、それは天と地、有と無、生と死ほどにも段階的に異なっている。それから、あることをきっかけにしてゼロからプラスの状態に1段階ステップアップしていることに気付く。その後、また暫くは平行線を彷徨いながら、それでも前向きな努力していると、最初と同じようにしてあることをきっかけにステップアップし次の第2段階へと進むことができる。

ベンチャーでの成長とは、こんなスタイルで何度も何度も繰り返されてゆく過程なのだろう。さまざまな創意工夫や努力をしていても、その結果が直ぐには現れないところが一番難しいところであり、この過程を理解していないがために、途中で諦めてしまう人が多いのではなかろうか。また、自分の持っている知識や理解は意外とモジュール化されているので、自分たちがどの段階にあるかはなかなか分からないし、誤解も生じたりする。そもそも向かう方向が違う場合もある。

階段状にステップアップしつつ成長するためには、まずは、自分の得意な範囲から、広く前向きなビジョンや目的や目標に向かって努力が必要と思う。それをしない限り成長曲線は水平線を描いて停滞するのではないだろうか。創造的な停滞や沈黙というものもあるけれど、プラスの方向に向かって進んでいる限り、目には見えない関数曲線を描いて進歩している。そして、その成果は突然やってくる。

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