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Sophia Cradle IncorporatedPresident Blog : Venture Spirits

2005 年 02 月 15 日 : スタートライン

会社を設立した 3 年前が懐かしい。H 君と Y 君は未経験でいきなり製品の研究開発リーダーとして仕事を始めた。当時まだ 20 歳だった。普通であれば、大学でのんびり遊んだり勉強したりして過ごすだろう。

彼らはその中で仕事をするというシーンも自分の生活に取り入れた。3 年の時を刻んだ。3 年で彼らは技術的にも人間的にも想像以上に大きく成長したように実感する。若ければ若いほど、その成長のスピードというものは速いんだと改めて感じたりする。

大学院への進学率が高まっているから、今ではもっと顕著だと思う。私の頃は、理科系の学生は大学院を卒業してから会社に就職するのが専らのコースだった。浪人や留年をせずにストレートであったとしても 24 歳になってしまっている。ダブル人もかなりいる。だから、平均して 25 歳になってから、社会人となって働き出す。ところが、大企業に就職して先ず発生する問題がある。それは大学院時代の専門と実際の仕事の内容が異なることである。それで、就職して一から勉強しなおすパターンが多い。それだけで、更に 1 〜 2 年も余計に時間が経過することになる。

勉強が順調でも大企業であるほど、先輩に相当する社員がたくさんいる。たとえ実力があったとしても、入社して早々先輩を追い越して仕事をするようなことは滅多にない。IT が発達した昨今では、仕事というものは年齢に関係なく、できる人にはできる時代になった。でも企業の体質が古ければ、若い時期から先輩を飛び越えて活躍の場を与えられるケースは少ない。

先輩を追い越すほどの才能が最初から無ければ何も問題はない。だが、その人に類稀な才能がある場合は不幸なことになりうる。相応しい仕事が与えられなければ、彼は、企業に入った最初の数年間は無意味な時間に思えたりする。その間に多くの真に有能な若手人材が優秀であるほどスポイルされていく運命もよくある話。

ハイテク系の仕事というものは、若い頃にもっともハイパフォーマンスで活躍できるような類のものだ。プロフェッショナルなアスリートやミュージシャンの世界と似ている。しかし、日本の大企業の場合、20 代頃というのは、入社してから専門の勉強をしなおしていたり、先輩の補助的な仕事をやらされるケースが余りにも多い。業務マニュアルに則って仕事をすれば、全体としては回るような仕組みなっている。だが、クリエイティブな人にとってはマイナスの部分が余りにも多い。ことその仕事に関しては平均値よりも遥かに上回るような実力を持っている人にとっては、大企業というのは不幸な結末になる場合が多い。

ベンチャーの場合、そのあたりのことを柔軟にできる点がメリットだ。伸び盛りの 20 歳のころから実践的な仕事ができる。23 歳にして京都府から技術的な貢献が顕著であったということで表彰もされるくらい活躍できる。スマッシュヒットを放つような仕事でなければ、本人もベンチャーも登龍門に立てない。ある意味では真剣勝負だ。しかし、名よりも実を追うベンチャーだからこそ、無意味なことを省いて経営できる。そうすることで、逆説的ではあるが余裕やゆとりを持ちながら、たまには一息つくこともできる。意外にも、それが次のブレークスルーへと繋がってゆく。

これから大企業に入って、勉強しなおし下積み生活をする人たちよりも何年も前から、実社会で役に立てるような仕事で成果をあげれる。それこそがベンチャーの醐醍味でもある。H 君や Y 君などの若きスタッフたちは、これから次の 3 年で技術的にも人間的にも更に成長するだろう。だから、世界的に通用するような技術開発もきっと可能である。いまは次の世界の桧舞台への進出に備えているところだ。これまでは日本国内での活動が中心だった。いよいよ世界へデビューする準備が整いつつある。世界レベルの戦いは熾烈なだけに若さが大きな武器になり得る。

いまの理科系の学生は、どれくらい世界的な視野を持って、生涯に渡る研究職としてのキャリアパスを明確にイメージしているだろうか。何を目的にして大学院に進学し、企業に就職するのだろうか。自分の長期的な人生における夢と希望を考えて、20 代、30 代、40 代、・・・とどのように過ごす結果になるのかを鮮明にイメージしている人は残念ながらとても少ない。そんな背景もあってか、最近の傾向として日本から偉大な技術者が生まれにくいような環境になりつつある。

他の業界でもそうかもしれない。少なくともハイテクに関わるような人の場合、特に 20 代をどのように過ごすかで自分の人生が決定付けられる場合がほとんどだ。拙い経験から言えば、20 歳の頃から実際に働いて、実感できるような具体的な成果を着実に積み重ね、それを本職にするということは大切だ。それは世界レベルで超一流の仕事を成し遂げる上で絶対的に有利であるし、必須条件である。

全ては絶好のスタートラインに立てるか否かにかかっている。

  

2005 年 02 月 14 日 : アントレプレナー

既に完成されている企業で働くということは、確立されたフレームワークの中で行動することを意味する。自分の意志に反して無理してその枠組みに合わせて働くなら、その人が潜在的に本来秘めている可能性が発揮されずに終わってしまうことだってある。逆に、フレームワークが存在していてそれが素晴らしいものなので、適する方向に向けて自分の才能をもっと発揮することもある。

要は自分の適性に合わせて、会社を選べば良いのだけれど、優秀といわれている人ほど、自分の力が十分に発揮できる場について、真剣に考えずに重要な人生の選択をしてしまっている。厳しい局面に自らを置くことによって初めて自分の才能に気付くことは意外に多い。それをきっかけにして世界が変革されることも充分にありうる話だ。

未来が見通せる安定した組織は見かけは良いかもしれない。しかし、仮に自分が本来やりたかったことがそこでは実現不可能であるならば、人生を嘆くことにもなりかねない。「自分の人生について」は意外と自分では分かっていないことが多い。例えば、受験で滑り止めのつもりで受けたところのほうが、自分に合っていて幸せに過ごせることもあるものだ。

テレビCMで頻繁に流れるような大企業というのは確かに素晴らしい会社である。しかし、どんな組織にも始まりがあって、終わりというものが存在する。そんな大企業でさえいずれ崩壊することだけは確実だ。世界的なローマ帝国にしても、モンゴル帝国、イスラム帝国などなど、全ての組織にはかならず終焉がある。そして、同時に新しい偉大な組織の萌芽が生まれている。

だから優秀な人ほど、崩壊してゆく合わない組織にしがみつくのではなく、新しく次の時代を切り開く組織を創る仕事に打ち込むべきだろう。新しい偉大な組織が生まれない限り、日本は時間の経過と共に衰退の道を辿るのではないだろうか・・・。

第二次世界大戦直後こそ、SONY、HONDA、京セラなどの世界的に巨大なベンチャーが日本においても育った。しかし、それ以来、それらを凌駕するようなベンチャーが生まれていない。そういうこともあってか、90年代以降日本においては全体的に不景気である状態をずっと脱していない。

今後、日本がもっと大きく発展するためには、高い志を持つたくさんのアントレプレナーが育つような環境を整備することが重要であろう。そして、日本を代表し、広く世界でも活躍するようなスケールの大きなベンチャーが、昔のようにもっとたくさん生まれることを願いたい。

自分の貴重な才能を自ら伸ばすために、大切な時間を費やすべきであろう。実質的に社会に役立てるためには何をなすべきかということを、他者に頼らずもっと自分自身に問うべき時代にきている。それこそが、幸福な人生を送り、そして希望と夢のある未来を創るためのキーになるように思えて仕方ない。

  

2005 年 02 月 13 日 : ブレークスルー

フェルマーの最終定理とは、

「3以上の自然数nについて,
  (Xのn乗)+(Yのn乗)=(Zのn乗)
を満たす自然数(X,Y,Z)の組み合わせは存在しない」

という定理である。1637年頃、フランスの法律学者にしてアマチュアの数学者ピエール・ド・フェルマー氏が、ギリシア時代の数学者ディオファントス氏の「算術」という数論の本を読んでいた時に思いついた定理らしい。

それから350年以上の時を経て、この定理の証明は1995年5月にプリンストン大学のアンドリュー・ワイルズ氏によって初めて完璧に証明される。

フェルマーの最終定理は「ある楕円方程式のE系列は、どれかの保型形式のM系列である」という「谷山・志村予想(1955年9月)」という問題に帰着され、それを証明さえすれば良かった。アンドリュー・ワイルズ氏はこの「谷山・志村予想」を証明したと言うことになる。

世界的に有名な数学の定理の証明に、日本人が立派な貢献を果たしているのが感慨深いが、偉大なブレークスルーを生み出すヒントのようなものをこの証明の連鎖から学ぶことも可能である。

詳しくは知らないが、おそらく「谷山・志村予想」を発表した志村五郎氏と谷山豊氏の2人は、「フェルマーの最終定理」を証明するためにこれを発見したのではないと思う。しかし、偉大な「フェルマーの最終定理」を証明する上では必要不可欠なものであった。そのことを発見した(1984年)のはゲルハルト・フライ氏で、さらに「フェルマーの最終定理」が「谷山・志村予想」に帰着できる(1986年)ことを示したのはケン・リベット氏という人だったらしい。そして、1995年にアンドリュー・ワイルズ氏が「谷山・志村予想」を証明することでフェルマーの最終定理を証明した。

このように、ブレークスルーというものは、後から考えてみると、一見無関係に見えるもの同士の融合から生じているのかもしれない。いろんな色の絵の具の配合の仕方次第で、様々な美しい色を創り出すのとなんとなく似ている。それには配分や調整も必要と思う。

ハイテクベンチャーの場合は、その事業の根幹とも言えるテクノロジーのブレークスルーを生み出せるかか否かでその未来が決まってしまう性格を持っている。ブレークスルーというものは、単に長時間労働をしていれば生まれるものではなく、何らかのセンスとか感性といったものが何よりも大切になってくる。

その条件とは何であるかを、ハイテクベンチャーの経営者は常に自分に問わなければならないだろう。今のところ、ソフィア・クレイドルは、携帯電話向けのソフトウェア研究開発事業を展開している。まず第一に、所属するスタッフが自ら好んで、自分の研究開発テーマを見出すスタンスが重要ではないかと思っている。それから融合という意味においては、単にソフトウェアという分野だけにとどまらず、さまざまな分野の学問や芸術、遊びに興味を持っていることも大切と思う。実際に、仕事や技術の話だけでなく、映画や音楽やサイエンス・フィクションや世界の不思議な話なんかが飛び交っている。そして、いろんな文化背景をもった尊敬できるスタッフたちとの交流は、お互いに刺激的な新しい何かを見出せる可能性が高い。

  

2005 年 02 月 01 日 : オリジナリティ

受験勉強なんていう例外もあるのかもしれないが…。多くの人は学校を卒業するまでは比較的自由にのびのびと好きなことをして楽しく過ごす。しかし、社会人として一歩世の中に踏み出した、その瞬間から次第に笑顔が無くなってゆく人が多いのではないだろうか。

旧態依然とした大きな組織ほど融通が利かないものだ。その組織の都合に合わせて人が働いているという、本末転倒な矛盾がよく発生している。そんな事情があるから、仕事に生き甲斐を見出せず、現代社会にも完全燃焼できない、ニートやフリーターといった若者が増えているのかもしれない。

けれども充実した人生を送っている人がいるのも事実だ。そんな人たちはきっと自分の好きなこと、得意なことができる恵まれた環境にあるのだと思う。

そんな天職というものに就いて生涯にわたってずっと楽しく愉快に暮らせれば、どれほど素晴らしいことか。そんな希望を描いて、私はソフィア・クレイドルというベンチャーを起業した。だから、原則としてソフィア・クレイドルのスタッフたちは、好きなことや得意なことを仕事にする。そうすれば、きっとそこから生まれる商品やサービスは人の心に響くに違いない。これからの未来は「感性」というものが主役になる時代だ。これこそが、ソフィア・クレイドルという会社のレゾン・デートル、存在理由でもある。

実際のところ、それでちゃんと生活できるのかという疑問が生じるかもしれない。だが、経営者の責任は、それが確実に実現できるように、慎重でありながらも大胆に事業の領域を定めて計画し展開することではないだろうか。勿論、さまざまな障害や問題も発生するかもしれない。そんなことも楽しむようにできなければベンチャー起業は適わない。

いろんな壁を乗り越えるたびに、それだけ自由を獲得し、達成感や充実感といったものが増してゆく。自分自身の成長を実感し、確かめながら限られた貴重な人生を生きる。私たちはそんな生き方の価値感を大切にしている。

趣味でも、スポーツでも、仕事でも、どんなものでもよい。寝食を忘れて心の底から没頭できるものに打ち込んでいるときの自分を想像してみて欲しい。何の苦痛も時間の経過も努力しているとすら感じない。やりたくないことをやらされているときの対極の姿がそこにあるはずだ。

京セラという会社は 1959 年に稲盛和夫氏によって創業された。しかし、国内では、それ以来 40 年以上にわたって、京セラに匹敵する或いは凌駕するくらいの、偉大なベンチャーは誕生していないのではないだろうか。

その意味において、稲盛氏の経営哲学というものは極めて貴重であり、それを 21 世紀風にカスタマイズできれば、そのベンチャーは大いに発展できる余地があるのではないかと考えている。

いろいろと勉強した結果、その経営の神髄は経営の原点 12 ケ条にあると思った。この 12 か条の中で、最も注目すべきなのは第 4 条ではないだろうか。

第 4 条 誰にも負けない努力をする

この上なく含蓄のある言葉のように思える。多くのベンチャー起業家は全財産を己の事業に賭けるわけだから、当然、サラリーマンの何倍も、何十倍も、真剣に必死に努力する。しかし、現実問題として 10 年以内に 94 %のベンチャーは経営破綻しているのだ。この事実から分かるのは、絶対に成功するという、強靭な精神力や信念、気概を持って真摯に努力をしない限り、無限に成長しつづけるようなベンチャーを創り得ないということだろう。

本能的にごく自然な振る舞い、即ち、努力を努力と感じないレベルにまでに昇華させないと…。言うまでもなくこれは非常に厳しい事態だ。

しかし、自分の好きなこと、得意なことならば、いつでもどこでも、全く苦にならずにできるというものだ。自分の特性、或いは才能を潜在的なものまで含めて大いに発揮することもできよう。そんな風にしてごく自然に仕事ができるか否かが、大成功できるかどうかの分岐点になるような気がして仕方ない。

  

2005 年 01 月 31 日 : スペシャリティ

知名度と実績は勿論ゼロ、「ヒト」、「モノ」、「カネ」といった経営資源も最低最悪の状態でスタートするのがベンチャー。

創業初年度に破綻するベンチャーは果てしなく多い。その壁を乗り越えれば比較的スムーズに軌道に乗ってゆく。

最初のスタートは何よりも肝心だ。

製品やサービスが売れなければ、キャッシュは入ってこない。無収入状態が続けば、やがて時間の問題で経営が回らなくなる。だから売れる製品やサービスをどうやって創るかという視点は絶対に外せない。

最初はゼロから、下手をすればマイナスからのスタートなのだ。人びとから圧倒的に支持されるような製品やサービスでない限り、大苦戦は免れない。

そのためには、利用する人の立場に立って、常に感動的な「新しい満足」を創造するというスタンスを崩さないことだろう。

資源に限りのあるベンチャーだから、最初は必ず製品やサービスのどこかに多少難はあるものだ。しかし提供している会社が世界広しといえどもそのベンチャーしかないとすれば、自然にトップになる道筋ができる。

オンリーワンにしてナンバー 1 な製品やサービスを採用してもらって実績を積み重ねる。そうして商品やサービスにも磨きがかかってゆく。ポジティブなフィードバックが得られるループが形成され、加速するようにして製品は良質化される。製品やサービスは次第に評判を高め、飛ぶように売れてゆくという流れになる。

「新しい満足」って一体全体どんなものを指していうのだろうか?

  • 初めて飛行機に乗ったとき
  • 初めて大ファンのアーティストのライヴに参加したとき
  • 初めてワールドカップサッカーを観戦したとき

人によってさまざまだろうが、日常生活において、初めて体験し、感動することってきっとあると思う。たぶん、そんな感動に匹敵するようなものであれば、ベンチャーの製品やサービスはスムーズに受け入れられてゆくだろう。

人のフィーリングに合致し、「感動」というようなエモーショナルな言葉でしか表現できないけれど、感激できる。そんなエッセンスがあれば欲しい。

例えば、ソフィア・クレイドルの携帯アプリ圧縮ツール SophiaCompress(Java) の場合。

この技術を利用して開発された携帯ゲームは、公式コンテンツの人気ランキングで上位を独占している。それらの携帯ゲームは、SophiaCompress(Java) によってサイズが半分になるので、これを利用していないものと比較して、圧倒的な競争優位の条件を獲得している。携帯アプリの場合、サイズ容量の制限があって、定められた容量に、どれだけクオリティの高いコンテンツを詰め込めるかで雌雄が決せられてしまう。

SophiaCompress(Java) があれば、同じ容量でも内容的に 2 倍のものを創ることができる。なので、その携帯ゲームは最終利用者に圧倒的に支持され、歓ばれることになるようだ。

携帯アプリのサイズを半分にするという単純明快な製品、サービスであるけれど、このことによって最終利用者に感動的なゲームを届けることが可能となる。

そういうスペシャリティこそが、SophiaCompress(Java) という製品のアイデンティティだ。

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2005 年 01 月 29 日 : グランドデザイン

いまから 20 年ほど昔の話。IBM は世界一多くのノーベル賞受賞科学者を抱え、コンピューター業界の巨人として君臨していた。IBM ですら、当時「マイコン」と呼ばれていた「パソコン」が、今日のような勢いで、企業や社会の情報システムとして至るところで利用されてゆくその隆盛を全く予測できなかった。

その隙間に大いなるビジネスチャンスを見出した、いまや誰しもが知るところのマイクロソフトやインテル、アップルなどのパソコン関連ハイテクベンチャーは、20 年間で IBM に代わって起業家精神を多いに発揮し、パソコン関連事業を築き上げ、過去の歴史には例が見つけれないほどの猛スピードで急成長を遂げた。IBM と出会う以前、風前の灯火に過ぎなかったマイクロソフト銘柄の時価総額は、いまやIBMのそれを遥かに凌いでいる。

実際のところソフィア・クレイドルでも、インターネット経由で世界に向けて情報発信し、注文を受け付けているシステムは、一台のパソコンに過ぎない。しかし、それは欠かすことのできない存在、社内で唯一の営業マンだ。年中無休、一瞬たりとも休むことなく勤勉にプログラム通り素直に働いてくれている。

今日、世の中の大半の情報はパソコンによってコントロールされる時代となった。最近では、音楽や映像、ゲームといったコンテンツと称されるものまで、インターネット経由でパソコンへネット配信される時代となった。

それくらいに、かつてオモチャといわれたマイコンが、IBM の名が霞むほどに、社会を支えるインフラストラクチャーと成って世の中を席捲している昨今だ。

いまや巨大企業と化した、そんな米国ハイテクベンチャーのような成長曲線を描こうとするならば、10 年、20 年単位でのグランドデザインを構想することがきっと必要なのだろう。

IBM の汎用コンピューター、(現在は HP に吸収合併されている)亡きデジタルイクイップメントのミニコンピューター、サンマイクロシステムズのワークステーションなどの高価なコンピューターで処理されていた大抵の仕事は、今ではずっと安価なパソコンでも十分に可能だ。パソコンは、誰でも手軽で使いやすいコンピューターへと進化している。

値段が安く、高性能、しかも使いやすい。これが近年パソコン業界が爆発的に伸びた最大の理由ではないだろうか。

もともと、パソコンというものはハードウェア的に貧弱なものであった。その弱点をソフトウェアでカバーすべく、数多くの天才プログラマーたちが、貧弱なハードウェアでも利用可能なように、ソフトウェアの根幹である論理、アルゴリズムを考案し実現した。その結果、ハードウェアの進歩の影響があるにしても、パソコンは実用的なモノへとシフトできたのだ。

たとえ 10 年かかろうとも、これと似たような流れで、携帯電話サイズのコンピューターに一種の歴史的なムーブメントを起こしたい。毎日、アントレプレナーシップという志を忘れないようにしてプログラミングに没頭している。

携帯電話のような小さなコンピューターが、将来的にはインターネットサーバーになることもあり得る話だとして、本気でソフトビジネスを展開している会社は、国内では少ない。

パソコンと比べればハードウェア的には桁違いに劣る、携帯電話のようなコンピューターでも、ソフトウェアによって、人間にとって快適に動作するものへと進化するのである。しかも、それはコンピューターよりも、もっと人間の生活に寄り添ってくれる何か新しいデバイス、マシンである。

パソコンのハードウェアも、昔と比べれば格段と進歩している。しかし、現在起こっていることが稚拙なプログラミング技術に基づく、効率の悪いソフトウェアであるならばどうだろう。ハードウェア資源の多くを無駄使いしているような、ソフトウェアが散乱している景色は哀しくないだろうか。

携帯電話では、ハードウェアの制約上、それが許されない。だから、高度なプログラミングテクニックを駆使することで、ハードウェア的に貧弱であったにしても、パソコンを越えるような凄いソフトウェアを創られる可能性を秘めている。

現在、パソコンで為されている仕事が携帯電話でも代替可能になれば、それに必要なコンピューター資源は 1 桁減ることになるだろう。どこにでも手軽に持ち運べる、携帯電話のその特性は、他のものに変え難いメリットだ。

  

2005 年 01 月 19 日 : Paradigm shift

いくつかの会社でサラリーマンを経験した後に独立したのだが、ベンチャー創業の過程において、言葉では表現しつくせないほどのパラダイム変換があった。

昔、所属していた会社が世界でも有数の巨大企業だったせいもあるかもしれない。それと比較すれば、ベンチャー創業の日を境として、社会的に弱者としてゼロからのスタートだったわけで、天と地ほどのギャップに近かった。そこに自己の存在意義を見出せるというのも妙な話ではあるのだが…。

大企業であれば任される仕事というのは、こと細かく細分化されていて、全体からすればほんのごく一部に過ぎず、自分のすべての人生を賭けてまでやりたいといえるものに巡り合うことは難しい。平社員として過ごすことになる 20 代の頃はその傾向が強いのではないだろうか。しかし、若ければ若いほど仕事にかける思いや情熱は強いものである。私の場合、そこに大きな矛盾が確かに存在した。

あの頃は、社会や会社全体におけるその仕事の位置付けをよく理解することもなく、ただ只管、狭く、深く、なんとなく仕事をしていたことを昨日のことのように思い出す。

会社全体がどんな仕組みで動いているのかなどほとんど把握できていなかったし、それへの関心も全くもって希薄だった。自分でそう思わないにしても、実際のところ、大半の大企業のサラリーマンはそんなところなのではないだろうか。

そんな退廃的だった生活と決別するというのが、ベンチャー起業の理由でもある。

ベンチャーを創業するとなると、ある程度は商法、労働法、税法などの法律を知った上で、自らの力で行動しなければならない。創業当初は、本業以外のことでも、あらゆる必要なことすべてを短期間で猛勉強しながら、苦しい事業の立ち上げをしなければならない。

大企業のサラリーマンであれば、とあるシステムの研究開発をするだけでも良い。しかし、ベンチャー創業当初は、研究開発以外にも、経理や労務、営業、資本政策、資金繰り、人材採用など様々な多岐にわたる仕事を自分ひとりでやるしかないのが新しい現実といえよう。

最初の頃は、このパラダイムシフトへの対応に戸惑うことも多かった。チャールズ・ダーウィン進化論によれば、「生物が生き残るための条件は強さとか賢さとかではなく環境変化への対応力」ということらしい。ダーウィンの進化論を応用するならば、創業直後に激しい変化への対応を学習し、それをノウハウとして蓄積したベンチャーは、きっと凄まじいほどの生命力に溢れるに違いないと思ったりする。

ベンチャー的な生活も慣れてくると当たり前のようになってくる。呼吸するような感じで無意識に仕事をしている事実に、ある日、ふと気付く。仕事のON/OFFが存在しない。正月も、土日も、祝日も、この日記を書いているように、会社自体は休業なのだが、自分も家族も実質的に年中無休の状態が続く。

これが普段の当たり前の生活になっている。

これくらい仕事をしていると、会社の全体像や行く先が本能的に身体で分かるようになるのが不思議だ。また、こんな感じで仕事をしているからこそ、人生に充実感を覚えたり、遣り甲斐が持てたりするのかもしれない。このことは他に代えがたいベンチャー起業のメリットといえよう。 

ベンチャー起業を成功させる上で、大切な要素のひとつとして、「ヒラメキ」というものがあるような気がする。古来から、そういった「ヒラメキ」というものは、うとうとと眠りかけていたり、移動中、風呂などでリラックスしているときに浮かんでくるようである。ノーベル賞受賞者の談話などを読んだり、聞いたりしていると、大概はそんなふうにして革新的なアイデアが生まれているんだなと分かる。そのためには「潜在意識」の中でも仕事をしていることが前提条件になるらしく、そんな「ヒラメキ」が起こるか否かは自分の仕事への思い次第なのであろう。

ベンチャーの社長たるものには無意識の中でも仕事をしているような習慣といったものが要請されるような気がする。

  
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