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Sophia Cradle IncorporatedPresident Blog : Creativity

2005 年 03 月 10 日 : 睡眠と覚醒のサーカス

昨日、インターネットで「独創性」について調査していた時、「睡眠の研究」で有名らしい東京医科歯科大学・井上昌次郎教授の記事を読み、『睡眠』について興味を覚えた。

井上教授によれば、『睡眠』というのは、全ての生物がこの地球上の激しい環境変化に対応するために生み出された自然のメカニズムらしい。一日のスパンでは昼と夜、1年であれば春夏秋冬など、地球上ではいろんな環境が目まぐるしく変化している。生物は環境に合わせて、活動したり停止したりしてうまく変化に対応して、長い生命の進化の過程を経て生き延びてるとのことだ。

人間の場合、脳は身体の2%くらいしか重量が無いにもかかわらず、全体の18%ものエネルギーを脳が消耗している。だから、『睡眠』せずに活動して脳を酷使すれば、『脳細胞』がオーバーヒートしてしまい、場合によっては、その『脳細胞』は破壊される。しかもそれは決して再生されないというのだから大変だ。主として、『睡眠』というものはそんな危機的な状況を回避すべく『脳細胞』を休めるためにあるのだ。

人によって、適正な睡眠時間は異なるらしいので、「何時間眠れば大丈夫なのか」というのは人それぞれらしい。しかし、身体に負担にを感じるような状態が続くならば、脳細胞に悪影響を及ぼし取り返しがつかなくなる場合もあるから要注意だ。

英明の誉れの高かったような人がいつの間にか普通の人になっているようなことがよくある。過酷な受験を経た人がいつのまにか勉強しなくなるように。精神的な理由だけではなく、この睡眠の話と関連付けると、そんな人は身体的にも無理をしすぎたんじゃないかなと思ったりする。井上教授の研究によれば、脳細胞の限界を超えて睡眠を削れば、その脳細胞は破壊されて再生されない訳だから、そうなってしまえば致命的だ。このパソコンにしてもその頭脳ともいえるCPUのどこかの回路が破壊されれば、全く使い物にならない。

ソフィア・クレイドルでは、創造性や独創性、生産性という観点から、特別な事情が無い限り、徹夜などの過酷な労働はできるだけしないように配慮している。ただ、社長である私はこの方針に反して例外的な存在なわけだが・・・・・・(若干のリスク要因かも)。脳細胞にまで深刻な影響を及ぼすのであるならば、『睡眠』というものについて今一度考察するのもよいアイデアかもしれない。

ベンチャーをやっていると、厳しい局面もあり、不本意ながら長時間労働を強いられることも多々ある話だ。だが、それを当たり前と捉えるのではなく、異常事態だという認識に変えてそんなジレンマに陥らないように予め段取りをしっかりとすべきなのだ。

世界を変革するほどの画期的なブレークスルーというものは、究極に追い込まれた状況の中で生まれる性質を持つのも事実だ。それと身体や脳のバランスをうまく調整しつつ仕事するのは綱渡りのように難しく微妙なものにすら感じられる。しかし、例えば『睡眠』というものが身体に及ぼす影響を予め知っていれば、その微妙なバランスの採り方もより巧くできよう。

ずっと永く素晴らしい仕事をするには、単にその仕事のみならず、自分の身体も含め、いろんな周辺事項まで知ることによって実現可能なのかもしれない。頑張りすぎると、過度に思考を巡らせてしまってより一層眠れなくなったりもする。そして不眠症という病気もやって来る。ある意味、たくさんの知識や智慧をバランスさせる感覚を養うのが大切な時もある。

  

2005 年 02 月 13 日 : ブレークスルー

フェルマーの最終定理とは、

「3以上の自然数nについて,
  (Xのn乗)+(Yのn乗)=(Zのn乗)
を満たす自然数(X,Y,Z)の組み合わせは存在しない」

という定理である。1637年頃、フランスの法律学者にしてアマチュアの数学者ピエール・ド・フェルマー氏が、ギリシア時代の数学者ディオファントス氏の「算術」という数論の本を読んでいた時に思いついた定理らしい。

それから350年以上の時を経て、この定理の証明は1995年5月にプリンストン大学のアンドリュー・ワイルズ氏によって初めて完璧に証明される。

フェルマーの最終定理は「ある楕円方程式のE系列は、どれかの保型形式のM系列である」という「谷山・志村予想(1955年9月)」という問題に帰着され、それを証明さえすれば良かった。アンドリュー・ワイルズ氏はこの「谷山・志村予想」を証明したと言うことになる。

世界的に有名な数学の定理の証明に、日本人が立派な貢献を果たしているのが感慨深いが、偉大なブレークスルーを生み出すヒントのようなものをこの証明の連鎖から学ぶことも可能である。

詳しくは知らないが、おそらく「谷山・志村予想」を発表した志村五郎氏と谷山豊氏の2人は、「フェルマーの最終定理」を証明するためにこれを発見したのではないと思う。しかし、偉大な「フェルマーの最終定理」を証明する上では必要不可欠なものであった。そのことを発見した(1984年)のはゲルハルト・フライ氏で、さらに「フェルマーの最終定理」が「谷山・志村予想」に帰着できる(1986年)ことを示したのはケン・リベット氏という人だったらしい。そして、1995年にアンドリュー・ワイルズ氏が「谷山・志村予想」を証明することでフェルマーの最終定理を証明した。

このように、ブレークスルーというものは、後から考えてみると、一見無関係に見えるもの同士の融合から生じているのかもしれない。いろんな色の絵の具の配合の仕方次第で、様々な美しい色を創り出すのとなんとなく似ている。それには配分や調整も必要と思う。

ハイテクベンチャーの場合は、その事業の根幹とも言えるテクノロジーのブレークスルーを生み出せるかか否かでその未来が決まってしまう性格を持っている。ブレークスルーというものは、単に長時間労働をしていれば生まれるものではなく、何らかのセンスとか感性といったものが何よりも大切になってくる。

その条件とは何であるかを、ハイテクベンチャーの経営者は常に自分に問わなければならないだろう。今のところ、ソフィア・クレイドルは、携帯電話向けのソフトウェア研究開発事業を展開している。まず第一に、所属するスタッフが自ら好んで、自分の研究開発テーマを見出すスタンスが重要ではないかと思っている。それから融合という意味においては、単にソフトウェアという分野だけにとどまらず、さまざまな分野の学問や芸術、遊びに興味を持っていることも大切と思う。実際に、仕事や技術の話だけでなく、映画や音楽やサイエンス・フィクションや世界の不思議な話なんかが飛び交っている。そして、いろんな文化背景をもった尊敬できるスタッフたちとの交流は、お互いに刺激的な新しい何かを見出せる可能性が高い。

  

2005 年 02 月 01 日 : オリジナリティ

受験勉強なんていう例外もあるのかもしれないが…。多くの人は学校を卒業するまでは比較的自由にのびのびと好きなことをして楽しく過ごす。しかし、社会人として一歩世の中に踏み出した、その瞬間から次第に笑顔が無くなってゆく人が多いのではないだろうか。

旧態依然とした大きな組織ほど融通が利かないものだ。その組織の都合に合わせて人が働いているという、本末転倒な矛盾がよく発生している。そんな事情があるから、仕事に生き甲斐を見出せず、現代社会にも完全燃焼できない、ニートやフリーターといった若者が増えているのかもしれない。

けれども充実した人生を送っている人がいるのも事実だ。そんな人たちはきっと自分の好きなこと、得意なことができる恵まれた環境にあるのだと思う。

そんな天職というものに就いて生涯にわたってずっと楽しく愉快に暮らせれば、どれほど素晴らしいことか。そんな希望を描いて、私はソフィア・クレイドルというベンチャーを起業した。だから、原則としてソフィア・クレイドルのスタッフたちは、好きなことや得意なことを仕事にする。そうすれば、きっとそこから生まれる商品やサービスは人の心に響くに違いない。これからの未来は「感性」というものが主役になる時代だ。これこそが、ソフィア・クレイドルという会社のレゾン・デートル、存在理由でもある。

実際のところ、それでちゃんと生活できるのかという疑問が生じるかもしれない。だが、経営者の責任は、それが確実に実現できるように、慎重でありながらも大胆に事業の領域を定めて計画し展開することではないだろうか。勿論、さまざまな障害や問題も発生するかもしれない。そんなことも楽しむようにできなければベンチャー起業は適わない。

いろんな壁を乗り越えるたびに、それだけ自由を獲得し、達成感や充実感といったものが増してゆく。自分自身の成長を実感し、確かめながら限られた貴重な人生を生きる。私たちはそんな生き方の価値感を大切にしている。

趣味でも、スポーツでも、仕事でも、どんなものでもよい。寝食を忘れて心の底から没頭できるものに打ち込んでいるときの自分を想像してみて欲しい。何の苦痛も時間の経過も努力しているとすら感じない。やりたくないことをやらされているときの対極の姿がそこにあるはずだ。

京セラという会社は 1959 年に稲盛和夫氏によって創業された。しかし、国内では、それ以来 40 年以上にわたって、京セラに匹敵する或いは凌駕するくらいの、偉大なベンチャーは誕生していないのではないだろうか。

その意味において、稲盛氏の経営哲学というものは極めて貴重であり、それを 21 世紀風にカスタマイズできれば、そのベンチャーは大いに発展できる余地があるのではないかと考えている。

いろいろと勉強した結果、その経営の神髄は経営の原点 12 ケ条にあると思った。この 12 か条の中で、最も注目すべきなのは第 4 条ではないだろうか。

第 4 条 誰にも負けない努力をする

この上なく含蓄のある言葉のように思える。多くのベンチャー起業家は全財産を己の事業に賭けるわけだから、当然、サラリーマンの何倍も、何十倍も、真剣に必死に努力する。しかし、現実問題として 10 年以内に 94 %のベンチャーは経営破綻しているのだ。この事実から分かるのは、絶対に成功するという、強靭な精神力や信念、気概を持って真摯に努力をしない限り、無限に成長しつづけるようなベンチャーを創り得ないということだろう。

本能的にごく自然な振る舞い、即ち、努力を努力と感じないレベルにまでに昇華させないと…。言うまでもなくこれは非常に厳しい事態だ。

しかし、自分の好きなこと、得意なことならば、いつでもどこでも、全く苦にならずにできるというものだ。自分の特性、或いは才能を潜在的なものまで含めて大いに発揮することもできよう。そんな風にしてごく自然に仕事ができるか否かが、大成功できるかどうかの分岐点になるような気がして仕方ない。

  

2005 年 01 月 31 日 : スペシャリティ

知名度と実績は勿論ゼロ、「ヒト」、「モノ」、「カネ」といった経営資源も最低最悪の状態でスタートするのがベンチャー。

創業初年度に破綻するベンチャーは果てしなく多い。その壁を乗り越えれば比較的スムーズに軌道に乗ってゆく。

最初のスタートは何よりも肝心だ。

製品やサービスが売れなければ、キャッシュは入ってこない。無収入状態が続けば、やがて時間の問題で経営が回らなくなる。だから売れる製品やサービスをどうやって創るかという視点は絶対に外せない。

最初はゼロから、下手をすればマイナスからのスタートなのだ。人びとから圧倒的に支持されるような製品やサービスでない限り、大苦戦は免れない。

そのためには、利用する人の立場に立って、常に感動的な「新しい満足」を創造するというスタンスを崩さないことだろう。

資源に限りのあるベンチャーだから、最初は必ず製品やサービスのどこかに多少難はあるものだ。しかし提供している会社が世界広しといえどもそのベンチャーしかないとすれば、自然にトップになる道筋ができる。

オンリーワンにしてナンバー 1 な製品やサービスを採用してもらって実績を積み重ねる。そうして商品やサービスにも磨きがかかってゆく。ポジティブなフィードバックが得られるループが形成され、加速するようにして製品は良質化される。製品やサービスは次第に評判を高め、飛ぶように売れてゆくという流れになる。

「新しい満足」って一体全体どんなものを指していうのだろうか?

  • 初めて飛行機に乗ったとき
  • 初めて大ファンのアーティストのライヴに参加したとき
  • 初めてワールドカップサッカーを観戦したとき

人によってさまざまだろうが、日常生活において、初めて体験し、感動することってきっとあると思う。たぶん、そんな感動に匹敵するようなものであれば、ベンチャーの製品やサービスはスムーズに受け入れられてゆくだろう。

人のフィーリングに合致し、「感動」というようなエモーショナルな言葉でしか表現できないけれど、感激できる。そんなエッセンスがあれば欲しい。

例えば、ソフィア・クレイドルの携帯アプリ圧縮ツール SophiaCompress(Java) の場合。

この技術を利用して開発された携帯ゲームは、公式コンテンツの人気ランキングで上位を独占している。それらの携帯ゲームは、SophiaCompress(Java) によってサイズが半分になるので、これを利用していないものと比較して、圧倒的な競争優位の条件を獲得している。携帯アプリの場合、サイズ容量の制限があって、定められた容量に、どれだけクオリティの高いコンテンツを詰め込めるかで雌雄が決せられてしまう。

SophiaCompress(Java) があれば、同じ容量でも内容的に 2 倍のものを創ることができる。なので、その携帯ゲームは最終利用者に圧倒的に支持され、歓ばれることになるようだ。

携帯アプリのサイズを半分にするという単純明快な製品、サービスであるけれど、このことによって最終利用者に感動的なゲームを届けることが可能となる。

そういうスペシャリティこそが、SophiaCompress(Java) という製品のアイデンティティだ。

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2005 年 01 月 30 日 : 知性の増幅器

昨日、NHK 教育テレビの ETV 特集で、

これからの科学、これからの社会〜京都賞歴代受賞者からのメッセージ〜

と題した、過去に京都賞を受賞した偉人たちのインタビュー番組を興味深く観ていた。

そのなかでも惹かれたのは、過去にこの日記でも紹介したことのある、「パソコンの概念」を考案した、アラン・ケイ氏の発言だった。

アラン・ケイ氏は、「パソコンは人間の知性を増幅するためのもの>であり、人間の創造性を高める道具、メディアである」と発言していた。彼によれば、いまのパソコンはそのような方向からずれたポジションにあるらしい。人びとはパソコンを手に入れても、日常会話のようにプログラミングをしてコンピューターを自由自在に扱えていない、と。

それで彼は、日常会話のようにしてコンピューターと話せるプログラミング言語として、「Squeak」を考案した。これなら、小学生のような子供でも簡単にプログラミングができる。だから、コンピューターの中に自分の思いをプログラミングし、表現することで、自己の創造性を飛躍的に伸ばせるというわけだ。実際、テレビで、子供たちは、自然に言葉を話すような感じで、粘土細工のようにプログラミングを楽しんでいた。

こんなことがもっと具体化すれば、パソコンは人に秘められた、無限の創造性を顕在化させるための道具・メディアとしてもっと活用されよう。そして、私たちの未来の生活は、もっと希望を抱ける豊かなものへと発展してゆくであろう。

飛行機や電車が人間の脚力を補い、増幅したように、パソコンというものは人間の知性を増幅するものである、という捉え方は、新たないろんなアイデアをもたらしてくれる。それがナチュラルなものであれば、いつの間にか、自ずと良い方向に実現されてしまうから不思議だ。その考え方は、自然の法則に逆らうものでなく、誰にも受け入れられるものなのだろう。

ayuは曲の作詞を携帯電話でしているらしい。また、携帯電話で本を書いている作家もいると聞く。携帯電話の特性から、いますぐ新鮮に、その時の思いを綴ることによって記録できるところが有利に働くのかもしれない。

その話を聴いたとき、携帯電話もパソコンと同様、「知性の増幅器」として、いつの間にか進化し始めつつあるように思えた。

携帯電話の進歩は目覚しい。通信速度もブロードバンド化が進んでいる。液晶画面も高精細度になり、ハイビジョンテレビのように鮮やかに映し出されるようになってきた。弱点であった入力方式も、音声認識や手書き認識のような技術が急速に発達してきている。

以前の日記で、アップルコンピューターの創業者 スティーブ・ジョブズ氏の言葉、「Creativity is just connecting things.(創造性とは物事を関連付けて考えることに他ならない。)」を紹介した。私たちは、携帯電話によって人びとの創造性を高めることに大きな夢や希望、ビジョンを抱いている。

携帯電話の液晶画面をいくつかのウィンドウにスプリットして、複数の情報を別々のウインドウに同時に表示できるようなソフトウェアテクノロジーをこれまでに研究開発してきた。

この意図は、次のようなところにある。

携帯電話がブロードバンド化することで、通信料金は定額制になり、人びとは世界中から、身近に、多種多様なさまざまな情報を選択的に受信したり、自ら情報発信する時代が訪れることになるだろう。

そのときに、携帯電話上のスプリットされた複数の画面に、ニュースや音楽、スポーツ、学校の授業、映画、会議、経営者の講演などが同時に映し出されて、利用者はその時の気分や意志で観たり、欲しい情報を選択しつつ、また、さまざまな情報を組みあわせることで、自分のフィーリングに合った、新たな充実した生活が育まれるのではないか、ということだ。

通信速度のブロードバンド化、通信料金の低価格化、液晶画面の高精細度化…。見知らぬ土地から発信された、その情報がスプリットされた携帯電話のウインドウに映し出される。その瞬間、あるアイデアがインスパイアされる時代。もうすぐ、そんな暮らしが始まる。

その時、創造性という観点からも、人びとの生活は次の新しい時代へとシフトしてゆく。


コンピューターが奏でる音楽は、人間の知性やアイデアなのです。”(アラン・ケイ

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2005 年 01 月 10 日 : Diversity

ソフィア・クレイドルを創業する前から、さまざまな専門性や文化的背景を持つ、意欲に溢れた精神的に若い人たちと一緒に仕事をしたいと願っていた。そのような多様性こそが、創造的なアウトプットに繋がるのだと感じていた。

アスリートたちが、基礎トレーニングを繰り返すことで、筋力を鍛えるように、創造的な仕事をするためには、脳のシナプスを活性化したり、思考の筋力を柔軟にしたりといった種類の訓練が必要だと思っている。

いろんな考え方、発想をする人がいればいるほど、話がまとまらないという危険性もあるわけだが、意外な考え方を、相手が打ち出してくれることで、それまで眠っていた自分の脳神経が働いて活性化するのではないだろうか。

あることを、いろんな角度、観点から議論をすることで、独創的なアウトプットが生まれるだけでなく、スタッフたち全員がクリエイティブに成長してゆく。

日本の大学は、文系、理系と分かれていたり、更には学部、学科と、縦割りに細分化されている。研究内容にしても閉塞感が漂っている感がある。

ソフィア・クレイドルでは、そういう文系、理系、学部、学科、学歴、国籍など関係なく、できるだけ偏らないように、多様な人材で組織を構成するようにしている。

コンピュータソフトウェアを研究開発するのが本業であるけれども、画家や、文学、ファイナンスが専門のスタッフもいる。コンピューターを専門とするスタッフもいれば、物理学や数学が専門のスタッフもいる。日本人だけでなく、ルーマニアと中国から来日している外国人もジョインするなど、多彩な異能が集まる場を目指している。

外国のスタッフと会話するときは、日本語と英語、ボディランゲージなどが入り混じった形でコミュニケーションすることになったりするが、こういコミュニケーションが、お互いの創造性を活性化してくれるように思える。なんとなく、英語と日本語とでは使う脳のシナプスが異なるようで、気のせいか普段使っていない回路が活性化されるようにも感じる。

同じ専門どうしのものでも、観点や設計や趣味は異なっている。共通するものもあるし、異なるものもある。

以前紹介したように、アップルコンピューターの創業者スティーブ・ジョブズ氏のいうように「Creativity is just connecting things. (創造性とは物事を関連付けて考えることに他ならない)」と思う。

万華鏡のように、多種多様な視点を組み合わせながら、その中でも、最も調和がとれて、美しいと思えるものを作品に仕上げ、世に送り出したい。

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2005 年 01 月 08 日 : Accelerate!

創業 4 年目を迎える。

創業した当初は、霧の中を走るような感じで未来のことをはっきりとイメージできなかった。でも、いまではだんだんとそれが見えるようになってきた。

やっていて分かったのは、未来は自ら切り拓き、創るしかないということだ。強く念じたことは時間を要しても確実に実現してきた。

最初は建物の基礎を創るような仕事が大半を占めた。大地震が来ても倒壊しないように、建物でも高層ビルになればなるほど、その基礎はしっかりとし磐石なものになっている。あるいは、メルセデス・ベンツのように完璧で安全な車を製造する過程もそうなのだろう。

基礎の上に、できる限り高く美しい超高層ビルを建てたい。だから、会社を創業してからずっと基礎固めを何よりも重視して仕事に励んできた。その基礎工事もようやく一段落する。

基礎を創るという仕事は、「売上」や「利益」といったように直接目にすることができないので、感性によって完成の具合を見極めるしかない。人によっては目隠しをされて自動車を運転するような不安感を抱くかもしれない。

これは、研究開発型ベンチャーが成長するために、乗り越えなければならない最初にして最大の難関なのだろうと個人的に思っている。

私たちがやってきたことは、本気になってやろうと思えばきっと誰もができることだろう。しかし、ゼロの状態からスタートし、確実な未来が保障されない中にあって、その努力を創める人も少なければ、継続する人はもっと少ない。ビジネスチャンスは、大抵こんなところにあるものだ。

最も大切なのは「アイデアを具体的な行動に結びつける」ということではないだろうか。

実際問題として、これができない場合が大半。だから、競争そのものがなくなって、そのレースに参戦しているだけで勝ち組になれる。能力や才能に自信を持てなかったとしても、それを創めた者は実地の体験や経験を通じて自己の潜在能力を開花し、ブレークスルーしてしまうのだ。とにかく、初めの第一歩を踏み出すのが肝心だ。

若ければ若いほど、人は自分の夢と希望を鮮明にイメージしている。無気力のようだとか、楽をしたいだけなのではないかと評されても、あるいは自らもそう思い込まされているだけ。本当は、潜在意識の中であっても、イメージをちゃんと持っている。だからこそ、実際にはいろんなアイデアを実現できるチャンスに恵まれている。けれども、それを実現する具体的な手段や進む方向が直ぐには分からない。

1 人でも夢と希望を共感するスタッフがいる限り、実現の可能性はゼロではなくなり、ゴールに向かって前進している。そのまま歩み続ければよい。

勇気を出して挑戦するだけで、成功する確率はぐっと高くなる。アイデアというものは、後から振り返れば、あんな簡単なことは自分でもできたのに!と人が悔しがって思うようなものばかりだ。

超高層ビルでいうところの、基礎を創る段階を越すと、次第にその先にある未来の展望が遥か彼方まではっきりとしてくる。ベンチャーをやっていてワクワク&ドキドキする瞬間の始まりでもある。

創業 1 年目は、ブランドも実績も、売るべき製品も無かった。少しばかりの資本金と志を同じくするスタッフたちだけだった。創業初年度と 4 年目のいまを比較すると、この 3 年間で大きな違いがあることに改めて気付く。私たち自身、これまでいろんな苦労や壁を乗り越える度に成長してきた。いまは過去に実績があり、しかも完成度の高い製品だって存在している。会社や製品のブランドも少なからずある。はっきりと確認できる「売上」と「利益」というものも毎月増加している。

ベンチャー起業というのは、苦しい環境にあっても、それを突破する過程において、自らの潜在的な能力を獲得、開花してゆくプロセスに近い。そのプロセスを繰り返す毎に、ベンチャーは加速度を増して急成長してゆくのではないだろうか。

根本を辿れば、結局は私たち自身そのものにあることがわかる。人間的な成長なくしてそれは達成し得ない。ある意味では、ベンチャーを創める意義をそこに見出すこともできる。

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