2006 年 03 月 25 日 : Collaboration
人の DNA (遺伝子) には、人類の過去、現在、未来が記されているという。
けれど、ほとんどの情報は休眠状態のままである。
人類の進歩や発展と言えるものが、それらの情報のいくつかの覚醒によるものであるとすれば、ひょっとすると僕たちはそんな観点から過ぎ去りし人たちと共に社会貢献ができるのかもしれない。
純粋には、ただひたすら個人的に好きなこと、得意なことをしているにも関わらず、人の役に立っているとすればそれは素敵なことだね、と思う。
心を感動や感激に導いてくれる過去の出来事が、自分の中に眠っている才能と言えるものを呼び覚ましてくれる。言い換えれば、ある DNA の情報が ON になる。
もし仮にその事実が人類の歴史が創まって以来のことだとするなら、これほど喜ばしいことも無いのではと思う。
それはどういうことかと感覚的に言えば、直接会えないにも関わらず、何百年、何千年も前に存在した人たちと対話した結果、生まれたものが、人類の DNA にも刻まれて、生命が続く限り永遠なる情報として残るということである。
生物の物理的な命は有限かもしれないけれども、DNA と呼ばれるものには何か永遠の生命があるかのようだ。
過去の出来事は DNA によって現代に伝播され、その空間で過去の人たちとコラボレーションがなされて、DNA の情報は進化し未来に伝わってゆく。
願わくば、人そのものが書き記されていると言われる DNA に何らかの情報を自分の生きた証として残したい。その鍵は過去に生きた偉人たちとの対話にありそうな気がする。
* collaboration : when you work together with another person or group to achieve something, especially in science or art
2006 年 03 月 25 日 : Inspired
あまりも小さくて肉眼で確認することは叶わない。けれども、人の DNA (遺伝子) は、A(アデニン)、G(グアニン)、C(シトシン)、T(チミン)というたった 4 文字のアルファベット、約 10 億文字で記述される。その遺伝子を解読することで、その人の過去、現在、未来も分かるらしい。
とりわけ興味深いのは、地球上の全ての生命も DNA を持ち、ほとんどの情報が共通するという点である。まして、人と人とでは、その違いを認識するのさえ困難なほどではないかとすら思えてくる。
そこで疑問が浮かぶ。
人が生涯に渡ってアウトプットするものの量と質における顕著な差である。その人をプログラミングしているはずの DNA がほとんど同じなのに、結果が甚だしく異なるのは明らかに矛盾している。
それを生じせしめる正体は一体何なのか、ということが分かれば、明るい将来を展望できるかもしれない。
DNA に関する書籍を読んでいて面白いなと思ったのは、10 億文字の遺伝子情報は「ブリタニカ百科事典」であれば 10 セット分にも相当するらしいけれど、ほとんどの情報はスイッチが OFF になっているらしい。
要するに貴重な情報の大半が眠ったままであるらしいのだ。
ポイントは、眠ったものをどうやって呼び起こすかというあたりに絞られるようにも思える。
"inspired"という言葉がある。この英単語はまさしくそれを表現しているかのようだ。
経営、音楽、絵画、文章、プログラミング、デザイン、スポーツ、 ………
人はいろんな分野で、さまざまな『超一流』を知ることで、自分の中に眠っていた生まれながらの才能が覚醒するのではないかと僕は思っている。
超一流に触れた瞬間、最初から自分の心の中にあった何かがカタチになり、アイデアとして具現化する。
そんな経験はないだろうか。
素晴らしきものを創造するための大きな手掛かりなると僕は考えているのだけど、そのためには、『超一流』と言えるものを感じとれる感性を磨く必要がありそうだ。
* inspired : filled with creative power, full of a spirit that leads to outstanding achievements, produced as if by or with the help of inspiration
2006 年 03 月 24 日 : Evolution
今から 30 年余り前の、1975 年 2 月。
ビル・ゲイツとポール・アレンはアルテアという名のマイクロコンピューター用BASICを完成させた。
アルバカーキという砂漠の地にて、 ポール・アレンはアルテアに
"print 2 + 2"
というメッセージを送ると、
"4"
という返答のメッセージがアルテアから返ってきたという。
事実上、今日の「マイクロソフト社」が生まれた瞬間である。
" 2 + 2 = 4 "
至極当たり前のことで、何ら特別な感情を持ち得ない出来事と思うかもしれない。
当然の結果じゃない?
どこが凄いの?
ちょっとショボイね。
………
一般的な見方というのはきっとそんなところに落ち着くであろう。
でもベンチャーというのはそんなにも小さなところから出発し、時と共に進化発展してゆくのが真実の姿である。
どんな偉大なものにしても、創世記の実態というのは全然大したこと無いかのように見える。学ぶべき教訓は、数十年、数百年後にそれがどんな風に大変貌を遂げるのかというビジョンである。
恐らく、質問 "print 2 + 2" に対するアルテアの回答 "4" という数字記号に、ビル・ゲイツとポール・アレンは今日のパソコンの姿を思い浮かべたに違いない。
目前の現実を直視するよりかは、イマジネーションを全開させてその先に待っているものをビビッドに観ることもベンチャー起業家には欠かせない才能と思う。
* evolution : the gradual change and development of an idea, situation, or object
2006 年 03 月 22 日 : Memory
Andras Schiff が演奏する、J. S. Bach が作曲した "Keyboard Concerti Concerto #5 in f, BWV 1056 - Allegro/Largo/Presto" を聴きながら、この文章を綴っている。
客観的な事実として、単にひとつの曲に過ぎないのだけども、この曲を聴く様々な人の想いや心情といったものは一言で表現するのは不可能に近い。
同じようにホームページやメール、ブログに載せる文章にしてもそんなことが日常茶飯事のように起こり得ると考えた方が良いだろう。
ある事象をひとつの文章にまとめたとする。
その時、客観的に同じ意味を持つ内容が幾通りにも表現でき、その中から最善の表現を試みるという姿勢が大切である。
文章がアタマの中で映像化されて、希望や願望にシンクロするものであれば、きっとその内容は永く記憶されるに違いないと思う。
たった一度だけ聴いた名曲のワンフレーズが、生涯に渡って忘れ得ぬ記憶として残るのと同じである。
冒頭に記した、J. S. Bach の曲は僕にとってそんな曲である。
ビジネスでも基本はそんなところにあると思う。
ホームページやマニュアルなどのドキュメントの文章を書くときに、名曲や名画を創作しようとする心構えでいるかどうかで結果は天と地ほどの差が生まれる。
大事なのは、意味が通じれば良いということではなく、人々の心のなかでそれがどんな風に響くかというイメージそのものである。
もしそれが J. S. Bach の曲が奏でるメロディのように、人々の心に和むものであれば、これほど素晴らしいことはないだろう。
2006 年 03 月 18 日 : 霊妙な植物
屋久島では、「屋久杉」という樹齢 1000 年を超える、長寿の「杉」がいまもなお数多く生息しているという。
なかでも世界遺産にも登録されている「縄文杉」という「杉」は、一説によると樹齢 7200 年と言われる、世界最古の植物である。
屋久島という地は、「杉」という木が観測される南限の地であり、一般に「杉」の寿命は 300 年ほどと言われる。それだけに、自然の不思議さと壮大さに驚きを禁じえない。
ネットに、例外中の例外が現実となる理由がこんな風に記されている。
「屋久島の土台は花崗岩で栄養分が少なく、杉の生長が他の地域に比べ遅くなります。すると、年輪の幅が緻密になり材は硬くなります。そうなることで樹脂道に普通の杉の約 6 倍ともいわれる樹脂がたまります。この樹脂には防腐・抗菌・防虫効果があるため、屋久杉は長い年月の間不朽せずに生き続けられるのです」
要するに、屋久島の厳しい自然環境が幸いして、世界でも類を見ないほどの美しき長寿が保たれているのだ。
もし屋久島が他と同様に「杉」にとって環境が良ければ、そんなことは決して起こり得なくて、300年ほどの平凡な生命を全うしたに過ぎないだろう。
ベンチャーを創めて何年か経つ。
次第に募る思いはどんな風に美しきフィナーレを描くかの一点である。
「縄文杉」は普通の「杉」よりも成長のスピードが極端に遅かった点に、僕たちベンチャー起業家は着目すべきだろう。
法人という存在のゴールは必ずしも数十年か先の地点にあるのではなく、何百年、何千年以上も先の未来に引き伸ばすことが可能だ。
短期的な結果を求めて焦る必要は何もないと思う。
2006 年 03 月 17 日 : リベルテ
僕にとっての 21 世紀とは、「自由」な日々を過ごすための時代である。それ以前は、大学や大企業という大組織に所属していた。
「自由」が僕の人生におけるキーワードなんだけれども、よく考えてみると「自由」という言葉自体、その意味が曖昧で、人それぞれに定義が異なるようにも思える。
最近、読んだ本の中に、「自由」とは「自らに由(よ)る」ということなんだと書かれていた。
その本にあるように、他者に頼ることなく、自らの力を信じて生きるという風に、「自由」という言葉を僕なりに解釈している。
大きな組織に所属していると、権威やら権力という世俗的なものについつい迎合し勝ちである。不本意ながらそれに従わざるを得ない状況に陥る事態も多い。
そんなことが何度となく繰り返されると、次第に自分自身の本当の良さを表現するパワーが消滅してしまうシステムのようにも感じられた。
世渡りという観点から言えば、権威や権力というものに素直に従うのが手っ取り早く、近道なのかもしれない。
年を重ねる毎に時の経つスピードを実感する。人生って長いようで意外に短い。
確実に言えるのは残されている時間は有限であり、希少価値があるということ。
充実した日々を過ごすためには、できるだけ多くの時間を自分の人生の目的に費やしたい。
大きな組織から距離を置き「自由」に生きる道を選択をしたのは、そんな理由からとも言える。
〜人は常に変わりなく無欲で純粋であれば、その微妙な唯一の始源を認識できるのだが、いつも変わりなく欲望のとりこになっているのでは、差別と対立にみちたその末端の現象が分かるだけだ。〜「老子・第一章」(金谷治著)
2006 年 03 月 16 日 : アイディアとイノベーション
以前から、「盆栽」というキーワードがこれからの新しき時代を生きる上で外せない原点のようにも思えて、妙に気になっていた。
「京都 広樹園」さんのホームページによれば、「盆栽」は次のように定義される。
「一言で言えば、鉢(盆)の中で自然の大木を思わせる古さ、雄大さ、美しさを凝縮して表現した樹木といえるでしょう」
この説明を読んでみて、古来から日本に暮らした先人たちが大切にしてきたものが何となくではあるが感じ取れる。
先般、世の中の状況というのは、M & A とかで、拡大、拡大、拡大 … という路線があたかも正しいかのような幻想を抱かせる。
これは欧米のトラディショナルな考え方に基づくもので、その中にあってアングロサクソン流に競争に打ち勝とうとしても至難の業なのではないだろうか。
逆転の発想として、「盆栽」のように大きなものを小さな領域に写像して、その中から新たなる何かを求めて創造するスタイル。
それは日本の伝統を汲む流れであり、僕たち日本人の DNA に刻まれた、世界に誇れる数少ない独自性の一つである。
アイディアとイノベーション、
モバイルに新しい世界観。
最近、こんなキャッチコピーを創ってみたのだけれど、そこに込められた思いは、携帯電話のような手のひらサイズの小さなコンピューターに、「巨大なコンピューターのスガタ・カタチ」を投影したいという願いである。