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2005 年 04 月 09 日 : On-demand software

サーフィンといえば、携帯電話でも波情報というものが有料コンテンツとしてネット配信されている。それくらい波の情報は大切で、それによってサーフィンの楽しみが倍増されるようだ。同じように、ベンチャービジネスを成功裡に運ぶには、時代の潮流とかトレンドには常に敏感であるべきであろう。時代の波に乗るというのはとても重要なことだ。そんな能力やスキル、才能は企業規模を問わず、すべての人に平等に与えられているのだから。創めの頃、弱小だったベンチャーがいつしか急成長し、それまで安泰だった大企業をも脅かす存在になる源泉はきっとそんなところにあるに違いない。

未来を予測する上で大事なのことが一つだけある。それは時代が向かっている行方を過去から未来へと流れる潮のようなものから自らの感性で掴み取って、心眼で素直にじっと眺める姿勢であろう。偉大であれば偉大であるほどに長い時間的なスパンでものごとの本質をよく見極め確かめて、事業全体を構想し、グランドデザインすることが肝要だ。ソフィア・クレイドルでは短期的な成長よりも寧ろ永遠の世界の中で進歩発展することに願いを込めて事業が運営されている。だから、この先、10年後、30年後、50年後、世の中がどうなっていくのだろうか?というような問い掛けを何よりも貴重な財産にしている。

そのために心掛けているは、時空の中にひろがる場或いは世界においてものごとの成長曲線を点対称に描くという発想法だ。次のように未来の世界を想像し、ベンチャービジネスを育てている。これから50年後の世界を知ろうとするならば、過去50年間の歴史を具に振り返って、現在を原点に位置づけて点対称な曲線を未来の時間軸に沿って延長するというようなイメージし、ものごとのエッセンスを探ろうとしている。

この先の未来、ソフトウェアビジネスは一体全体どのような道を辿りゆくのだろうか?

数年前、ASP(ApplicationServiceProvider)などのキーワードがコンピューター関連雑誌の紙面を賑わせた。今日、これと似たようなコンセプトが「オンディマンドコンピューティング(On-Demand Computing)」というような、なんとなく洗練されたキーワードで呼ばれたりしている。簡単にいってしまえば、将来、ソフトウェアというものも電力やガス、電話と同じように使った分だけ利用者がその代金を支払うことになるだろうというコンピューティングスタイルの新しい見方である。

これを視座を変えて洞察することで新たなベンチャービジネスを構想することができる。実際、私たちはその流れに沿って事業を計画し実行している。

その発想の原点は過去から現在、未来へと時代がどのように移ろい変わりゆくのかというのを歴史的な視点からものごとを見つめるというところにある。

コンピューターが発明されて半世紀以上が経過する。最初はソフトウェアというものは存在せず、ハードウェアによってプログラミングがなされていた。50年ほど前に、フォン・ノイマン(?)の発案により、今日のようにプログラムを記憶装置に保存し、それを自由自在に変更できるかたちのものとして「ソフトウェア」が初めて世に姿を現した。

暫くして1960年代にIBM System/360という一時代を築き上げることになる汎用計算機が登場した。その頃のソフトウェアといえば、コンピューターのハードウェアを買えば自動的に付いてくるオマケみたいなものに過ぎなかった。ソフトウェアだけではビジネスは成立しえなかった。20年以上の時を経て、ようやくラリー・エリソンの率いる米国オラクル社がデータベースというソフトウェアパッケージで初めて大々的にビジネスとして成功できた。

そのビジネスのポテンシャルは今日の米国マイクロソフト社に代表されるパソコン向けソフトウェアパッケージビジネスと比較すればその規模は遥かに小さかった。ソフトウェアのビジネスがパッケージ販売として本格化したのはパソコンというプラットフォームがあったお陰だ。パソコンはそんなビジネスモデルには最適な存在だった。

21世紀に入り、多種多様な情報機器がインターネットに接続され、しかもそれらの機器は使い捨ての要素が強く、しかも携帯電話のようにその用途もダイナミックに変化するものも多くなるだろう。そうなってくると、ソフトウェアも使った分だけ代金を支払うというのが当然のあるべき姿のようにも思われる。今は、「オンディマンドコンピューティング(On-Demand Computing)」の時代が幕開けする前夜に私たちはいるのかもしれない。

ソフトウェアパッケージビジネスが汎用計算機ではなく、パソコンで華々しく開花したように、新しいオンディマンドなソフトウェアビジネスはパソコンよりも寧ろ携帯電話のような次世代を担う新しいプラットフォームで展開されるだろう、と私たちは時代の流れからそれを読み取って事業を構想し計画し展開している。

このような時代の背景を意識的に捉えた上で、どのような新しいソフトウェアビジネスを展開すれば良いのかをしっかりと見極めることが肝心要なポイントだ。ソフトウェアが電力やガス、電話のようなものと同じ位置づけになるとすれば何が重要になってくるのだろうか?そんなところから、新しいベンチャーは創まる。

電力やガス、電話に共通する特徴として、どこでもいつでも安定的に使えること、いろんな用途に利用されることなどを挙げることができるだろう。例えば、電力の場合、テレビ、洗濯機、掃除機、ポット、蛍光灯など実にさまざまな用途に利用される。しかも、停電することもなければ、電力の供給が不安定になることもない。次世代のソフトウェアにはそんな要素が求められると私たちは考えて、過去に存在し得なかった新しいアーキテクチャを持つソフトウェアを創っている。

そのようなオンディマンドなサービスに最も求められるものは、品質の高さと汎用性を兼ね備えたものを利用者に継続して安定的に供給することであろう。品質と汎用性こそがすべてといっても良い。電力、ガス、電話と同じように、インフラストラクチャーが磐石なロジスティックスを提供できるところのみがこの種のビジネスを独占することになるだろう。そういう事情があるので、オンディマンドなソフトウェアビジネスでは品質と汎用性こそが最高の営業力になるというのも一つの考え方だと直感的に思っている。裏を返せば、用途に合わせて如何様にも使える、変幻自在でクオリティの高い、新世代のソフトウェアは営業や宣伝、広告をせずともオートマティックに売れるということだ。

  

2005 年 04 月 06 日 : Imaginal

ソフィア・クレイドルのビジネスはミュージシャンの世界に近いといえる。直感と洞察により新たなソフトウェアをゼロからデザインし創作する。そしてそのソフトウェアはソフィア・クレイドルを起点にして世界中のワイヤレスな空間へとひろがり多種多様なモバイル機器に配信される、というビジョンを現実の世界に写像している。いろんなお客さまからのリクエストに応じるモデルではない。

そういうわけで、いまミュージックシーンがどんな風に動いているのかいつも興味津々で見入ってしまう。多くの人びとに親しまれている音楽にハズレはなく、アタリの曲はヒットすべくしてヒットしているような気がする。さらにモーツァルトのCDが現在数千円で購入できるからといって、ではそのソフトの価値や演奏家や、モーツァルト自身の価値がそれだけとは決して単純に計れないところも似ている。

退路を断ってベンチャーをするからには、奇蹟が必然になるようなメカニズムを予め組み込むことも重要である。これも音楽の世界から学べそうだ。9割以上が失敗するというのがベンチャーの宿命であるようにいわれるのはこんなところにあるよう感じる。それは、永き時間軸と広き空間軸から構成される「場」の中で展開されゆく理想郷の景色全体を色彩豊かに鮮明に思い描いた上で、そこへ至る道筋を明確化しつつ実際にその道を歩む人が少ないからではないだろうか。

音楽の場合、実にさまざま要素から構成される。ボーカル、ギター、ベース、ドラム、キーボード、ピアノ、作詞、作曲、レコーディング、プロデュース等など。爆発的にヒットしている曲ではすべての要素が偶然にも調和を保ってパーフェクトになっているように見えて、実は、必然的にそうなっているのだと思う。一発屋というのもあるようだが、長らく第一線で活躍しているミュージシャンには、偶然という言葉は存在しないように思えてくる。

まるで生き物のように神秘的なそのかたちを頭の中に空想し眺めていると、ヒットするような曲にはあらゆる要素に超一流といったものが感じとれる。そのグループでしか演奏できない音楽に、必要な各要素がベストにパフォーマンスされるような最適化プロセスが働いているような気がする。その根本にあるのはそれを演じているその人の使命と役割だろう。その人が、そのバンド、グループがまさにその曲を演奏するからこそ、多くの人びとから親しまれる素晴らしい音楽が生まれる。

私たちは、それと同じようなことをソフィア・クレイドルというベンチャーという枠組みの中で実現しようとしている。シナリオ通り、必然といえるほどに事が運ぶようにするにはどうすべきか。これが肝心なところだが、この時一番大切な考え方は、まずはミュージシャンがグループを結成する時と同じように、その音楽を構成するボーカルやギター、ベース、ドラムを担当するいろいろな人的な要素を、妥協することなく集めるところからスタートするように思う。

イメージした構想をこのメンバーでなら為しえるのかどうかを、真剣に自問自答しながらグループを結成する。最初は一人だけのグループかもしれないが、思いが強ければ時の経過と共に運命の偶然や必然といったものに作用されて、いつしか自分たちにしか為しえないものを創造するためのグループが自然発生する。

いろんなミュージシャンの曲にそれぞれのカラーがあるように、グループが結成されれば、そのグループにしか為しえない新たな価値の継続的創作が求められる。最終的には売れるかどうかで、そのグループが存続できるか否かが左右されてしまう。従って、時代の潮流に揉まれながらも、トレンドを感じてあるいはあえて逆らいながら、それぞれのメンバーの才能を良き方向に顕在化させ、さらにそれを無限に伸ばしてゆく仕組みを発見し実践することが大切になってくる。

  

2005 年 04 月 04 日 : Shapes of tao

道の道とすべきは、常の道にあらず。名の名とすべきは、常の名にあらず。無名は天地の始めにして、有名は万物の母なり。故に常に無欲にして以って其の妙を観、常に有欲にして以って其の徼を観る。(第一章)

古今東西問わず、世界中の人びとに永く読み継がれてきた形而上学の書としての「老子」はこんな文章から始まっている。「老子」は僅か五千字余りの文字からなる書物なのだが、そこにはものごとの本質や永遠の真理が秘めれているように思える。リズミカルで万華鏡のような陰影に富んだその箴言は、読む度にその時自分が置かれた境遇に合わせて解釈ができるから霊妙で味わい深い。

老子でいう「道」とは、万物の根源のことであって、万物を万物たらしめている原理原則のようなものらしい。しかし、これが「道」のことなんだと定義できるようなものは真の「道」ではないそうで、漠然として捉え難いもののようだ。

道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず。万物は陰を負うて陽を抱き、沖気は以って和を為す。(第四十二章)

人生を生きているとなんとなく、そんな法則のようなものが確かにあって、それが支配しているようにも感じられる。無から有を生む出すことが最大の使命であり永遠を目指しているベンチャーだからこそ、そんな形而上学に一種の憧れを抱く。

天下の万物は、有より生じ、有は無より生ず。(第四十章)

万物の源であり、無限にひろがる「道」に則って生きることができれば、少しは永遠に近づけるのかもしれない。そのためには「老子」でキーワードとなっている「無為」を理解することがちょっとしたヒントになるのだろうか。辞書で「無為」を調べると、「自然のままで人の手をくわえないこと」とある。

「自然のままに振舞うことって何なんだ?」という答えようのない疑問が生じたりするかもしれない。「老子」によれば、人間の知識というものには、ものごとを対立する概念に分類する傾向があるという。高と低、長と短、前と後、善と悪、美と醜などである。自然はこれらをどちらが優れるというわけでもなく無差別に包み込む。そんな姿勢が大切なんだろうか。しかし対立する概念の豊富さが創造の発想でもあるようなので、それを否定しきれないと思う。

「果てしなく広がる大地にあって、今役立っているのはその人が自らの足で踏んでいる部分だけなのだが、だからといってそれ以外の大地が不要ということにならない」という、「荘子」の「無用の用」の話にもあるように、傍目からは無用と思われている存在が実は役に立っていることを知るのは難しい。それを知るためのスタンスが「無為」であり、無から有を生む出すための大きなヒントにもなるような気がする。

無為を為し、無事を事とし、無味を味わう。小を大とし、少を多とし、怨みに報ゆるに徳を以てす。難を其の易に図り、大を其の細に為す。(第六十三章)

聖人はあらゆるものごとを最初から難しいものと捉えるから、結果的にどうしようもない難しいことは何も起こらないという。こういった聖人のスタンスはベンチャーでリスクヘッジするための考え方として活かすことが可能だ。

ソフィア・クレイドルではソフトウェアを作るための謂わばメタフィジックなソフトウェアを創っている。老子のいうところの一種の「道」の世界の創造を目指しているのかもしれない。それを実現するためのコツは心を限りなく澄み切った透明にする姿勢にありそうだ。

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2005 年 04 月 02 日 : 起業の動機

ソフィア・クレイドル」というベンチャーを創業してから早3年が経過している。「光陰矢の如し」にしみじみ感慨を抱く今日この頃。事務所は同じなんだけれども、創業の頃と比べて、経営の安定について隔世の感がある。その源は曲がりなりにも売れている商品の存在とマーケティングの仕組みにあるのだろうか。

ベンチャーを創める前は、「倒産」なんていう言葉とは全く無縁の大企業に所属していて、生活の面では何も心配することなく無為に日々過ごしていた。客観的な視点に立てばこんなリスキーで無謀そうに思えるプロジェクトをどうして創めたんだろうか。その理由についてまとめるのはそれなりに意味があるだろう。

何をリスクと定義するかが肝心なことなんだけれども、世間一般の人のリスクの定義からすればベンチャーってヤバイ在り方なのかもしれない。ところが、私の場合、大企業の環境にずっといることにリスクを直感してこうしてベンチャーを経営している。大企業と違って、ちょっとしたボタンの掛け違いが致命的な結末になるのがベンチャーのように思われたりする。しかし、結局のところ、それは高速道路で車を運転するのと同じこと。ある一定の基本的なルールともいえる原理原則に従って経営すればリスクをヘッジするのは十分可能だ。

個人的な経験からいえば、大企業で働くというのはその会社の長年の歴史から培われてきたフレームワーク(枠組み)の中で生きてゆくことなんじゃないだろうか。それに対して、ベンチャーとは過去に存在し得なかった、新しいフレームワークそのものを創るのが最初の重要な仕事で、知性や理性、感性など本来的に人に備わっている優れたものを総動員し、駆使し、紆余曲折しつつも想いのままに築き上げてゆくプロセスなんだと実感する。

大企業じゃなくて、ベンチャーのような組織の方が持てる力を遺憾なく発揮できる人が実際にはもっとたくさんいるような気がする。仕事の種類が違うわけだから。何も皆が皆、完成されたフレームワークで仕事をする必然性もない。世の中の進歩発展のために新しいフレームワークのレゾンデートルは測りがたいほどにある。TOYOTAHONDAPanasonic等など、いまや偉大な存在になってしまった企業もその昔はベンチャーだったのだから。

何も無いところから、そういったものを創るのは確かに困難や苦労は伴う。しかし、その想いがビジョンとしてイメージする理想形に向けてステップバイステップに少しずつ成長してゆく。そんな姿を目の当たりにするのは他に代え難い感動だ。これだけはベンチャーをやった人にしか味わえない現実であり、できれば多くのスタッフと共有したい出来事でもある。

既に確立された、立派なフレームワークで活躍する行動も尊敬すべきだろう。でも、新たなフレームワークを自分たちの色彩を添えて創り上げることができれば、社会にとって必要な異なった新しい付加価値をもたらすことになるんじゃないかと考えたりする。ソフィア・クレイドルという会社は世界広しといえども唯一無二の存在であり、他の組織と違ったアイデンティティがある。このフレームワークからしか生み出すことのできないような価値を永続的に創造してゆくプロセスこそが究極の目標といえる。

最近、個人的な趣味もかねてミュージックシーンを俯瞰していると、目まぐるしく新しい音楽が登場し、それらは確実に人びとの心を奮わせたり癒したりしているように感じる。何故かベンチャーを創めてからは、学生時代の頃のようにCDを買い求めて音楽を聴くこと多い。(CDはそれ一枚でそのアーティストのその音楽の世界を表現しているように感じるので買うことが多い。)それでこうやって日記を書いているときも音楽を流していたりする。

仕事といえばなんとなくルーチンワーク的なもののように見なしがちだが、ベンチャーでそのフレームワークを構想するには創造性がとても要求される。それだけにやりがいがある仕事だと思える。そんな意味において、きっとベンチャーの仕事は芸術家のような感性が必要なんだろう。お気に入りのミュージシャンの音楽を聴きながら、彼らからインスパイアされつつ、日々愉快に過ごしている。

自分のたちの思いの全てをフレームワークとしてかたちあるものに築き上げ、その手応えを実感するのは、ベンチャーに携わり経営する過程で最大の喜びを確かめられる瞬間だ。

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2005 年 03 月 30 日 : DNA

ハードウェア製品の場合は耐久年数などがあって使っているうちに段々と消耗してしまう。そして、いつしか使用できなくなる。「エントロピー増大の法則」が働いているかのようだ。ソフトウェアは消耗することがない。重要なポイントとなるのが「使えば使うほどに価値を増してゆく」というコンセプトではないかと考えて、ソフトウェア研究開発事業を推進している。

アプリケーションと呼べるような最終利用者の方々が使うものではなく、そのアプリケーションを構成する部分的なモジュール(部品)のようなモノを創っている。とりわけスタッフたちが心掛けているのは、自分たちが創ったソフトウェアを永く利用してほしいという願いである。

開発者がソフィア・クレイドルのモジュールを拡張して自分たち独自のモジュールへと融通無碍に発展できるような設計思想となっている。使い捨てではなくて、何度も再利用し、その都度、時代のトレンドの歩調にあわせて、モジュールを変幻自在に発展させてゆけるのが大きな特長といえるだろう。

依然として、ソフトウェアは人の手によってしか創れないだけに、大変、貴いものなのだ。何千年もの風雪に耐え、今も原形を留める、古代エジプトのピラミッドのように、調和を保ってブロックを積み重ねるようにしてソフトウェアを構成すれば、長く利用されるモノになるのではないかと思い、そんなコンセプトで製品を研究開発している。

感覚的には、次のような式で表現されるよう、ソフィア・クレイドルの製品を取り巻くソフトウェアの価値が時間の経過にしたがって過去のソフトウェア資産をストックして共に高まることを狙っている。

Value = A( α ) × B( β ) × C( γ ) × …… (α, β, γ = 0, 1, 2, 3, …… )

最初はソフィア・クレイドルが開発した A(0) という価値しかないのだけれど、時間の経過と共にAのバリエーションを持たせた A(1), A(2), … というような新たな付加価値が、またソフィア・クレイドルによって創られる。そして、A はソフィア・クレイドル以外の組織によって創られた B, C, D … と組み合わせる相乗効果により、価値は幾何級数的に飛躍する。

すべては根源ともいえる A(0) から始まる。生物をメタファーにするならば DNA の存在に近い。それは未来を決定付けるだけに最も大切である。それだけに時間も手間もかけて、何度も何度も繰り返し試行錯誤するだけの理由があるといえよう。そうすることによって磐石なインフラストラクチャーが築かれてゆく。

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2005 年 03 月 29 日 : 元素周期律表

高校生の頃、化学の授業で、かの有名なメンデレーエフの「元素周期律表」を暗唱していたのが今では違う世界のことのように思い出される。

地球上には百花繚乱のいろんな生物や物体が存在している。古代ギリシャの哲学者アリストテレスの発想から始まったらしいけど、原子レベルまで突き詰めると、人工的に生成されたものも含め僅か117種類の元素しかないということだ。しかもシンプルな規則性のあるテーブルとして表現できる。まさに驚きである。

実は世の中は、意外とシンプルな原理原則で構成されているのではないかと信じたくなりそうだ。実際、そう考えて事業展開を目論んでいる。

携帯電話向けソフトウェアの研究開発をしている。年を追うごとに新たなテクノロジーや斬新な企画が生まれ、ソフトウェアは大規模になり複雑化している。世界の人びとから期待を一心に集める、携帯電話向けソフトウェアの世界で、複雑系の問題に対してどう対処できるかがこれからの最重要課題だ。

メンデレーエフの元素周期律表のような考え方で、携帯電話向けソフトウェアを構成する元素のような基本的な要素とその組み合わせ(フレームワーク)に再構成することで、携帯電話向けソフトウェアの複雑系の問題に取り組んでいる。

元素周期律表の中にも、この規則から人工的に創り出された元素がある。私たちはすべての基本構成要素を自ら創造しなければならない。メンデレーエフの元素周期律表のような美しき規則を発見したい。

携帯電話向けソフトウェアの元素に相当するようなものを見出し、人びとに喜ばれる、多種多様なソリューションの創造に貢献できればと願っている。

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2005 年 03 月 12 日 : メタプログラミング

ブラウザやメーラー、表計算などの便利で使いやすいプログラム(アプリケーション)のお陰で、たくさんの恩恵を受けている。

自動車や家電をロボットが自動的に製造するように、こういったコンピューターのプログラムが自動生成されるとすればどうだろうか。

プログラムを生成するプログラムのことを『メタプログラム』という。メタとは「上位の(above)」とか「超えて(beyond)」というようなことを意味するギリシャ語に由来する接頭語だ。いまソフィア・クレイドルではプログラムを自動生成するための『メタプログラミング』という概念とそのメカニズムの実現について研究開発を推進している。(携帯プログラムのサイズを半分にするSophiaCompressもプログラムを生成するという意味において一種のメタプログラムである。)

こんなに科学技術が進歩しているのに、プログラムだけは相変わらず大半の部分を人手に頼った方法によって製造されている。人間というのは必ずミスをする性質を持っている。そのため、どんなプログラムでもバグ(不具合)の存在からは免れない。大規模なプログラムであればあるほど、バグが含まれる可能性が高いといえよう。

WindowsにしてもWindowsXPになってようやく安定してきたが、WindowsMeやWindows98までは利用している最中にハングしてWindowsが立ち往生するのは日常茶飯事のことだった。もしそんなプログラムが飛行機や原子炉のような人命に関わる運行システムに使われるとすればどうだろうか。

プログラムを生成するための『メタプログラミング』の仕組みが確立されれば、それによって自動的に生成されるさまざまなプログラム(アプリケーション)も大元の『メタプログラミング』に信頼性があればすべて信頼できるものになる。

地球上には植物や昆虫、魚、鳥、哺乳類などいろんな生物が存在しているが、遺伝子の構造自体は共通していて、生物の遺伝子の中の情報のちょっとした差異がそのような多様性を生み出しているようだ。メタプログラミングの研究のヒントも見出せるかもしれない。

『メタプログラミング』によってプログラミングの世界は次のステージへと新たな進化発展を遂げるような予感がする。

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