2005 年 06 月 24 日 : アイデアが煌く瞬間
一日の大半の時を読書やインターネットに費やす。本やインターネットに現れる文章やデザインを眺めながら意識して考えるように努めている。重要な情報ほど行間に埋もれている。それが発見できるかどうか。
何千年もの時を経て現存する、中国の古典はその典型的な例で、一文字一文字に籠められた意味もさることながらその行間に隠された情報量は計り知れない。漢字は象形文字が起源だから、「老子」などの書物では文字の形にも意味があるという。学生の頃は、文章の意味を味わう事もなく、只管、大学受験のためだけに勉強していた。あの頃もっと勉強しておけばと思うこともしばしば。後悔先に立たず、それを実感する。
しかしこれからの先も長い。日々勉学に励んでいる。まだまだ未熟で学ぶべきことが多すぎるように感じる。学生の頃よりも10倍は勉強しているように思う。皮肉なことに、学生の頃、等閑だった国語、社会、芸術といった科目の内容の勉強をよくしている。そういった学問の中からいろんな発想が思い浮かぶことが多い。それは人間というものに関わる内容だからだろうか。
乱読と精読を折り交えて、さまざまな先人の智慧や叡智に学ぶ努力をしているのだが、実際に仕事に役立つアイデアってどんなタイミングで生まれるのだろうかとふと思った。
これまでを振り返ると、良いアイデアというのは人と話をしている瞬間に鮮やかな色彩でインスピレーションとして描かれるような気がする。頭の中に蓄積されている知識の断片が、話相手の発するキーワードという触媒によって瞬間的に或るかたちに形成される。その瞬間を逃さないというのが大切で、その前提としての知識を何層もインプットするというのも欠かせないだろう。
複雑にいろんな条件が重なった時に、偉大なイノベーションは生まれるのだろうけれども、それがより現実味を帯びてくるのはどういう時なのか?たまにはそんなことを思い巡らせるのも楽しい。
2005 年 06 月 22 日 : プログラミングの本質
試行錯誤しつつ思い描いたものを、プログラミングという行動に落とし込んで表現した結果であるソフトウェアをマーケティングし販売する。ソフィア・クレイドルとはそんな会社である。だから時には『プログラミングって一体全体何?』と原点に立ち返って思考するプロセスそのものが斬新な発想やイノベーション、新しい世界をひろげてくれる。
個人的な見解かもしれないけれど、ある意味ではプログラミングとは作文や作詞、作曲に似たものに思えてならない。直感的に作文に近い気がする。
だからまだその才能を開花させていないプログラマー候補のスタッフを採用する場合は、その人の文章力や表現力に頼ってプログラミングの素質を見極めようとしている。
ソフィア・クレイドルの製品をマーケティングするスタッフについても、プログラミングという仕事を本業にしなくても、潜在的にプログラミングの才能を秘めた人材の方が好ましいと考えている。それで全てのスタッフの人材採用に際して、その人の文章力や表現力といった才能やセンスは取り分け重視するよう心掛けている。当然、誰もまだ完成されてはいない。
タイムマシーンで明治時代という遥か彼方の過去に遡った情景をイメージしていただきたい。いま皆さんが利用している『パソコン』をその時代の人々に説明するよう謂われたとしたらどうだろう?いくら開かれた時代であったとしても、想像以上に難しいミッションと思う。
日常生活でパソコンを使っている現代の人々には、一言「パソコン」というキーワードだけで通用する。それはその人が日常生活において使いながら本能的、無意識に「パソコン」を理解しているからである。「パソコン」というものを見たことも触ったこともない人にそれを説明するのは難しく面倒なことである。
極端な話ではあるが、プログラミングとは、「0」と「1」で構成される文字列しか受け付けないコンピューターに対して、自分が実現したい思いを「0」と「1」で表現することを意味する。その内容によっては明治時代の人々に「パソコン」という概念を伝える仕事よりも大変である。
普段から「パソコン」のことを使っていてよく知っている人に「パソコン」という概念を共有するような感覚で、プログラマーもコンピューターとさまざまな概念を共有できれば、コンピューター上に表現したい内容の量と質、そしてそのスピードは飛躍的に向上するだろう。
そのためには、プログラマーが知っておいてもらいたいと思う単語や熟語、諺、決まり文句のような語彙を、予めコンピューターが理解していてくれるともの凄く助かるだろう。極端な話、一言発するだけでプログラミングがなされる世界も実現するかもしれない。
コンピューターが発明された当初、コンピューターのプログラムは直接「0」と「1」で記述するしか他に術はなかった。時の経過と共に、プログラミング言語というものが発明され、より人間に近い立場でプログラミングされるようになってきた。この傾向はこれから未来もこの方向に沿って、ずっと進化発展を遂げる気がする。その言葉はより自然言語に近いものになるであろうことだけは予感できる。
そういうトレンドがあるならば、それに従って文章を書き現したりすることが得意な人が集まれば、ソフトウェア研究開発事業も自ずとスムーズに展開するように思う。
2005 年 06 月 21 日 : 80対20の法則
これまでの人生において『80対20の法則』ほど役に立つ考え方はないのではと思ったりする。『80対20の法則』とは、世の中のあらゆる事象の結果の80%はたった20%の要因によって引き起こされるという経験則のことである。例えば会社の売上の80%は上位20%を占める営業員のセールスによって達成されるといった類の現象である。
ベンチャー経営においては『80対20の法則』をどのように運用できるかで飛躍もあれば、停滞、消滅すらあると思う。何故ならば、大企業と比較して、ヒト、カネ、モノ、情報などあらゆる経営資源において劣勢が免れないからだ。更にその上位20%のグループに対しても『80対20の法則』を適用し、その判断基準でものごとを推し進める考え方すら必須になってくる。そうすれば、100%のうち4%に取り組むだけで64%の結果を生み出せる。
それを習慣化するには、何事においても順序を付ける癖が一番だろう。さまざまな分野があるが1番目のものは別格扱いするくらいに大切にすべきだ。数え切れない程の出来事があろうとも、その一番目さえ押さえておけば、半分以上の結果を手にすることすら可能になるからだ。
けれどもこの順序付けは難しい。定量的に決められるものばかりでないからだ。寧ろ数値化できない定性的なものの方が圧倒的に多い。最終的にはその人のトータルな知性や感性、センスといった問題に帰着されてしまうのかもしれない。
いま投資している組み込みソフトの研究開発事業やそれを構成するスタッフの人員構成は、正に『80対20の法則』のセンスが問われる一つの試練とも謂える。あることに集中し選択するということは、もしそれが外れて失敗すれば玉砕するけれど、当たって成功すればグレードの違う成果が得られることを意味する。その基本は、日常生活における様々な物事の極些細な順番付けにあると謂っても良いだろう。難しいがその習慣があれば、人生の命運が決定付けられる選択の場合でも正しく行える可能性は高い。
2005 年 06 月 20 日 : 備えあれば憂いなし
『備えあれば憂いなし』という格言がある。この言葉は、ほとんどの人が未来の展望についてその準備を怠っているという皮肉な現実を物語っているのであろうか。それ故に、未来に備えることが、自分たちが簡単に先んじてマーケットで競争優位に立てる一つの方法かもしれない。
2005年6月14日発行の日経産業新聞24面に、組込みソフト業界の未来を占う貴重なデータが掲載されていた。正確な数字は読み取れないのだが、その棒グラフを目分量で測れば、携帯電話のソフト開発規模が1999年度と2004年度とで比較すると、大体100倍もの開きがあることが見て取れる。電子マネー、テレビ電話、動画対応、カメラ搭載など近年の携帯電話多機能化によるものである。ソフトは人にしか創れない。開発規模が大きくなれば、それに比例して開発コストは増大する。
翻って考えてみると、キャリア(携帯電話通信事業者)からの報奨金制度もあり正確には分からないが、携帯電話の価格は100倍も高くなっていない。少し高くなったかな、といった程度であろう。NEC、京セラ、三菱、富士通など、携帯電話は売れているにも関わらず軒並み赤字で苦戦が続いている。その他の国内の携帯電話端末メーカーも売れているのに概ねその経営は苦しい。抜本的な対策が望まれる。今年の後半からは国際的に価格競争力のある、サムスン、LGといった韓国の携帯電話も国内マーケットに参入してくる。
最終利用者に喜んで支持される機能が必要十分なだけあって、しかもクオリティの高い携帯電話をどうやって費用をかけずに開発できるか?それが携帯電話端末メーカーにとって、生き残りを賭けた勝負を決定付ける最大のキーになるだろう。現在の携帯電話端末ビジネスのボトルネックは、止まることを知らない組み込みソフトの開発規模増大である。
その解決策は、携帯電話のOS(オペレーティングシステム)をオープン化すること。そしてその上で動作する様々なアプリケーションを携帯電話端末メーカーが開発するのではなく、アプリケーションノウハウを持つ第3者のソフト開発・販売会社或いは個人に委ねるスキームを創るのが得策だと思う。恐らく今年の後半あたりからその流れが加速するように思えてならない。
会社を創業した2002年2月22日以来、時代は必ずその方向に移り変わると信じて、短期的な儲けは度外視し長期的な成長を大切にして、ソフトウェア研究開発事業を推し進めてきた。一応、創業以来ずっと黒字決算だけは死守しているが…。
ソフィア・クレイドルの製品の典型的な特長として挙げられるのが、プログラムのコンポーネント化である。ソフトを開発するにも、自動車を作るときに鉄やガラス、プラスティックなど様々な素材や部品で作るように、いろんな部品(モジュール)が必要である。コンポーネント化のコンセプトを具現化するに当たって意識したことは、『世界中の携帯電話に共通して利用可能な汎用的な部品(ソフトウェアモジュール)とは何か?』を常に洞察しようと努めたことである。思い描いたイメージを『3年以上もの時』をかけてじっくりとプログラミングしてきた。
最近になって、世界中のお客さまから製品への引き合いが急増している。特に海外からの問い合わせが多い。現在、頑張って全ての製品の海外対応をしている。今年末には全製品の英訳は完了する見通しでいる。海外ビジネスの方法に不慣れな点は事実だ。それはやっているうちに徐々に解消される問題と楽観的に構えている。
単なる予感に過ぎないかもしれない。ターゲットとするプラットフォーム(BREW)の世界的な普及の伸びは著しい。さらにNTTドコモも今秋からそのプラットフォームを採用するのを勘案すれば、来期は今期の10倍程度の成長が叶いそうだ。スタッフの増員は若干名しか計画していない。今からそれに備えて業務プロセスを効率化し、受注処理や出荷処理のコンピューター化に着手しようと考えている。
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2005 年 06 月 10 日 : Core concept -23-
ソフトビジネスが成功するか否か?それはそのプロジェクトに関わるスタッフの、それに賭ける思い、潜在意識の強さとその顕在化に委ねられる。音楽、映画、出版などの業界を見ればそれは明らかであろう。CDTV によれば今週の No. 1 はORANGE RANGEの『ラヴ・パレード』。誰にでもそれができるわけではなく、彼だから、或いは彼女だからできるのだ。それがソフトビジネスの特筆すべき特色であり、ソフトウェアという商品を手掛ける起業家が心して取り組むべき最重要課題と思う。
これほど人に依存するビジネスも少ないと思うのだが、それがソフトビジネスの宿命と考えても良い。だからこそ断言できる。この世界で頂点を極める秘訣は如何にして感性、知性そして才能豊かなスタッフを数多く見出し、そんなスタッフに快くプロジェクトに参画してもらえるかが全てである、と。恐らく社長としての仕事の99%は人材発掘とその育成に尽きるのではとさえ思えてしまう。
ソフトビジネスの世界では、その作品が人々に受け入れられ売れなければ、そして世にひろまらなければ、そのアーティストのレゾンデートルは無きに等しい。真に素晴らしい作品を生み出せるアーティストは何万人に一人といった確率でしか存在しえない。広く世界を見渡せば、際立って異彩を放つアーティストに出会える機会も必然的に増える。
国籍、性別、年齢に関わりなく、類稀な存在そのものである異能に巡り合うための努力に全力を尽くしている。そのような努力なくして、競争の激しいソフトビジネスでは生き残れないと感じるからだ。逆に、このような思いを持つことで、そうでなければ得がたい人にも巡り合え、たった一人の存在によってフェーズが良い方向に急展開することだって、これまでに数多く経験してきた。
音楽業界を例に挙げれば、最も売れている国内アーティストは年間100億円程度のCDのセールスを記録すると謂われている。それは世界で最も売れるようなアーティストに置き換えれば、その一組のアーティストだけで年間にして何千億円ものビジネスになるのではないだろうか。
ソフィア・クレイドルで創作しているソフトは音楽に限らず、金融、エレクトリックコマース、ビジネス、動画配信、ゲーム、コンテンツなど様々な分野で応用がなされるものだけに、少人数ではあるが、世界的に展開出来さえすれば、それだけで年間にして数千億円規模のビジネスに発展するのは間違いない。それを為し得るか否かはソフィア・クレイドルに関わるスタッフの感性と知性のトータルな何か、そして才能にそれだけのポテンシャルが秘められているということ。そしてそれが思いの強さによってインスパイアされ開花するかが全てとも謂えるだろう。
(つづく)
2005 年 06 月 09 日 : Core concept -22-
「唯一・無二」と言うものの、そんな製品やサービスは星の数ほどあるけれど、多くのお客さまに支持されているものはほんの一握りの存在でしかない。売れている製品やサービスには必ずその理由がある。ベンチャー経営においてそういった足場を固めることは何よりも重要である。
どんな人がどういった切実な理由でその製品やサービスを買い求めるのか?
現在のソフィア・クレイドルの基本的なコンセプトは、携帯電話向けソフトウェアを開発するための「プログラミング言語」とその言語によって記された「ソフトウェアを圧縮する技術」に集約される。
ソフトウェアを記述するには「プログラミング言語」が必要である。英語を話せなければ海外ビジネスができないのと同じ理由で、そこにはニーズが必然的に生じる。ソフィア・クレイドルが着目したのはC++というプログラミング言語である。皆さんが利用しているパソコンの中に最低でも一つは、C++で記述されたソフトウェアがあるものと推測される。
それくらい当たり前のようにしてパソコンのソフトウェア開発で利用されているものが、携帯電話向けソフトウェアでは全く利用されていなかった。C++というプログラミング言語を操れるプログラマーは数え切れないくらい存在するし、携帯電話向けソフトウェアが活況を呈すれば、当然そんなC++プログラマーがこの業界に参入してくることが予想できた。
世界では20億台近くもの携帯電話が普及している。世界中の全ての携帯電話について、C++でプログラミングされたアプリケーションが一つあるとし、その単価が100円であるのならば、それだけでも2000億円という膨大なビジネスポテンシャルがある。しかも携帯電話の普及台数は今でもなお増え続けている。アプリケーションも一台の携帯電話に付き一つに限られるわけでもない。そこには膨大なマーケットポテンシャルが隠されているのだ。2000億という数字は氷山の一角に過ぎない。
ソフトウェアの圧縮について。これは簡単に言ってしまえばプログラムのサイズを50%に小さくするという他には何もないくらいシンプルなビジネスだ。プログラムのサイズが50%になるということは、携帯電話に組み込むべきプログラムを保存するメモリーは半分で済むということを意味する。その携帯電話一台だけを見れば、メモリーが1メガバイト少なくなって100円安くなるに過ぎないように思えるかもしれない。しかし20億台という世界で普及している携帯電話の台数を掛け合わせれば、自ずと2000億円というマーケットを展望できる。
私たちは以上のような理由で、研究開発している製品が確実に売れ、かつそのマーケットポテンシャルの無尽蔵さに確信を抱き、このベンチャービジネスに挑んだのだった。
(つづく)
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2005 年 06 月 08 日 : Core concept -21-
今日(6/8)の日本経済新聞(朝刊)の3面に、純利益上位100社に関する興味深いデータが掲載されていた。利益率の高い企業には「唯一・無二」の製品やサービスがあるという。その結果として、利益が生まれ、財務体質が安定する。
「唯一・無二」の製品・サービスであれば、価格競争に巻き込まれることもない。もしそれが社会から求められるものであるのならば、その必要性や欲求の度合いに応じて結果的に売れるという現象に繋がる。
基本的な発想として、そういった他では絶対に得がたいものを創造しようとチャレンジするのがベンチャーのあり方だと思う。これまでに無かったものだけに人々から受け入れられない確率は高いかもしれない。いかなる製品であれサービスであれ、もし仮にそれが結果的に売れるのであれば必ずその理由がある。それを発見しさえすればよい。そのポイントさえ外さなければ必然的に売れるんだという信念が大切であろう。
どんな組織でもそうかもしれないが、企業の成長というのは生物が育つ過程に似ている。生命が誕生した瞬間からしばらくの間は著しくその姿は変貌を遂げる。しかし一旦基本的なかたちが形成されればその相似形で成長してゆく。個人的には企業もそんな風に成長するものだと思っている。創業直後の頃は激動の連続で、そのプロセスを経て、ある一定の枠組みが生まれ、その形が次第次第に大きくなるように。
ソフィア・クレイドルを出来る限り高収益な企業体にしたい。そのために大切にしている指標は売上高経常利益率50%以上、株主資本比率90%以上という数字である。会社の規模が小さい頃ほど、この種の数字は達成しやすい。だからこそ、今の段階からこれらの数字の達成がごく自然になされるような経営(企業体質)を目指したい。
(つづく)
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