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2005 年 08 月 26 日 : 細胞分裂

早く大人になりたいと願っていた少年時代のあの頃。今日、東京から中学生の訪問客を歓待して思った。

タイムマシンに乗ってその頃に遡ってみたらどんなだろう。でも大人になった今思うのは時の流れがもっと緩やかであればということだろうか。誰もが同じ感覚を持つみたいだけど、生きていると時間の矢の速さは物理学的には同じなのに次第に加速してゆく。だからタイムマシンで遥かな未来のほうに行ってみたいものだ。

以前テレビで見たドキュメンタリー番組が頭の片隅に残っている。生物の細胞が分裂を繰り返すことで増殖するプロセスのことを細胞分裂と呼んでいるが、細胞は分裂できる回数が決まっていてある一定の回数だけ細胞分裂すればその細胞はあとは消滅するだけだという。

矛盾するようだが、生命にとって悪影響を及ぼす癌細胞だけは際限無く細胞分裂を繰り返し、そんな細胞がある一定数以上になってその生命は終末を迎えるという。生命に備わった免疫機構がうまく働けば、その悪性の癌細胞も自ら死んでしまうように遺伝子情報としてプログラミングも為されているらしい。アポトーシスである。

細胞レベルの話ではあるが、生物の不思議で偉大なメカニズムは企業経営においてさまざまな示唆を授けてくれるものだと感心してしまう。企業も細胞分裂のようにして、ヒト、モノ、カネなどの経営資源が増え、組織が分化することによって成長する。生物にとって分裂のメカニズムそのものが生物の寿命と密接に関わっているように、企業の寿命もどのようにして組織を分化させて発展させるかが重要な概念であるかに思えてくる。

ベンチャー。最初、それは創業者のある着想から創まる。次第にスタッフが集まり、事業が自然発生し、ある一定規模の組織まで成長する。思いもしないエンディングを迎えるものもあるだろう。単純化すればそんなパターンの繰り返しである。

ではどうすれば企業の寿命を永らえることができるだろうか。細胞分裂の話から学べるのは、ベンチャーをスタートした時の一つの細胞のような最小単位で運営する仕組みを、限りなくパーフェクトに持ってゆくこと。組織が大きくなったときの細胞分裂のごとく組織分裂が必要になった時に、元と同じクオリティの組織体を維持すること。それから悪影響を及ぼすものが見受けられた場合は、細胞のアポトーシスに似たメカニズムをその組織にもたせるようなことであろうか。

  

2005 年 08 月 12 日 : ある数学的な考察

公理とはそれが自明であることにしようという一種の前提条件のようなものである。数え切れない程の定理によって構成される、計り知れない数学の理論体系も創まりはほんの数個の公理の集まりに過ぎない。公理系に正しいと証明された命題を定理として追加し、その定理によってより複雑な内容の定理が証明されてゆく。それはソフトウェアを理論的に構成してゆく様に何となく似ている。

元を正せば、コンピューターは 0 と 1、そしてその 2 進数による加算からなる公理系から様々な定理のような機能が追加されて、今日のような誰にでも簡単に使える、日常の仕事や生活において欠かせないツールになった。

具体的なたとえで言えば、多くの方が斜辺の長さを C として、そのほかの2辺の長さを A、 B とすれば、

  A × A + B × B = C × C

というピタゴラスの定理を覚えているのではないだろうか。この定理を使えば A = 3, B = 4 の時、容易に C = 5 というように C の長さを導き出せる。

レオナルド・ダ・ヴィンチによるエレガントな証明が存在したりする。一見簡単そうに見えるピタゴラスの定理を 10 分以内で証明できる人は 100 人中 1 人いるかいないかというところだが、この定理を使うのは至極簡単。それ故に使われ続ける定理は偉大であって永遠の存在そのものである。

寿命の長い製品を手掛けようとすれば、その製品の時間の流れる方向を見極めるというのが肝心なポイントではないかと考えている。元来、コンピューターは数学的な発想から生まれたものである。あたかも新しい定理が次々と証明されてはそれが数学的理論体系に付け加えられて数学が進化発展を遂げているように、ソフトウェアも樹木の年輪のような薄いレイヤーが時間の経過を経て積み重ねられては新しい発明や革新が起こっている。そしてコンピューターはますます人間に近い存在になり、ユビキタス(いつでもどこでも必要な情報が取り出せる環境)といわれるようなキーワードで表現されるようになってきた。

いま創っているものが"未来のソフトウェア"の前提になり得る定理のような存在であるか否か?その見極めこそがソフトウェア系ハイテクベンチャーの製品計画の本質だ。

  

2005 年 08 月 09 日 : Lifecycle

マーケティング理論によれば、製品には導入期、成長期、成熟期、衰退期といういわゆる製品寿命があって、それを前提とした戦略と戦術の策定と実践が重要であると言われる。ただ、過去の歴史を振り返れば、永遠に成長期であったり成熟期であったりするモノが存在するのも事実なのだ。音楽や絵画、或いは楽器や車などマシンも"古典"と呼ばれるような作品は、あたかも時が止まったかのように何百年もの時を経ているのに、今もって健在で生きいきとして魅力を感じることができる。

何ごとも思いから始まる。そんな"作品"と呼べるくらいの超一流の製品を創造することが出来て、それが人間の寿命を超越して永遠に近いほど存続しえるとすれば…どれくらい素晴らしいことだろう。これこそがお金に換えることすら叶わない究極の価値であり、人生を賭けて打ち込む理由もそこに見出せる。

確かにそんな偉業を成し遂げるのは簡単じゃないと思うけれども、モーツアルトやピカソのような作品が過去の事例として存在する以上、可能性は決してゼロでない。むしろ逆に無限の広がりのようなものがそこにある。

IT業界にこの身を置いて、ドックイヤーとかラットイヤーとか言って慌しく節操無く動いている業界構造そのものに何となく違和感を感じざるを得ない。日々、海岸に押し寄せては引く波間のうたかたのように多種多様なインターネットのサービスが生まれては消え去ってゆく。でもコンピューターやインターネットの原理自体は何十年間も全く変わっていないし、それを使う人間も"ニュータイプ"に革新したわけでもない。

製品とはそれを利用する人間がいて初めて用を為す。生物の進化の時間は私たちの寿命を遥かに超えてゆったりと流れている。人間そのものが変わるにはきっと何万年以上もの時が必要なのだろう。それくらい時の流れは雄大であって、製品開発のヒントも、そんな風に人類の進化を見つめたり、永遠の寿命を持つものにロマンや憧憬を感じたりするところに隠されているように思う。

  

2005 年 07 月 29 日 : Valuation

企業の価値はどのようにして定量的に算定すればよいのだろうか?

厳密な数値として算出するのは到底不可能である。しかしその考え方の本質を捉えることで企業のレゾンデートル RAISON D'ETRE と言えるようなものが発見できそうだ。

現在時刻 t におけるある企業の評価値を Valuation(t) という関数で表現するとする。その時、t の値が取り得る範囲は[その企業が設立された時]から[その企業が消滅する時]までである。

従って、企業価値Vというのは 関数 Valuation(t) で t の取り得る範囲で積分したものがトータルとしてのその企業価値といえるかもしれない。

   [その企業が消滅した時]
V=∫Valuation(t)dt
   [その企業が設立された時]

Vの値が大きければ大きいほど、その企業は社会的に存在価値がある。だから企業の経営者、特にベンチャー起業家にとって最大のミッションは、このVの値を極大化する仕組みそのものの創造だと考える。

企業の生命というものは人間のように定まった寿命があるわけではない。実際のところ、何百年以上もの時を経て現在もなお存続している企業の例は少ないがあることはある。それ故に、t が取り得る範囲を自分の寿命を遥かに超えたものとして設定することも可能なのだ。

こんなことを考えていると、企業経営で真に大切なのは人間の生命のスパンをも超越し、できる限り長く付加価値をアウトプットし続けるDNAのような仕組みを創造することだということがはっきりと見えてくる。

ある時刻 T における企業価値 Valuation(T) の値は必ず"有限(finite)"である。法人であれば、時間軸を"無限(infinite)"に延長して考えることができる。"無限""有限"を超越する存在である。たとえある時刻における企業価値の値が小さくとも、それが"無限"に続くようなものであるのならば、時間軸で積分した、その企業のライフサイクル全体の企業価値は計り知れないほど偉大なものとなる。

"ソフィア・クレイドル"はそんな視点から経営がなされるように努力している。

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2005 年 07 月 21 日 : Universe

私たちが暮らしている「宇宙」は137億年前に生まれたらしい。どんな経緯をたどって今日の地球もその宇宙の中に現れたのだろう。見渡せば、人を始め犬、猫、鳥などたくさんの身近な動物、樹木や花や植物や昆虫とともに暮らしている。空気も水も土も無意識の中に存在している。

137億年という遥か彼方へと伸びる過去をたどれば、実に様々な環境変化があったことは想像に難くない。そういった紆余曲折を経て、今日の私たちの世界がある。そんな永遠に等しい時間の流れに思いを馳せれば、人にしてもその存在そのものに貴い念を抱かざるを得ない。だからこそ、存在するということに対して、その歴史の過程における様々な環境変化とそれに対応する術から示唆が得られるような気がする。私たち人間が、これまで永き宇宙の歴史の潮流の中にあって生き延びてこれた自然の摂理は何であろうかと。

企業というものを一種の生き物のようなものと捉えるのならば、企業についても様々な環境変化に耐え忍んで長き生命を持つには、どのような術がいるのだろう。映画『2001年宇宙の旅』を観たりアシモフの"ロボットと帝国"シリーズなどの古典を読み返して、しばしそんな悠久で広大な世界に思いを馳せていた。

勢いのある経営者ほどあたかも無限大の成長曲線がそこに存在するかのように、拡大路線を直走る傾向にあるのが大勢ともいえる。どんな組織でも崩壊というものは、その組織の性質に即した境界線を超えようとする段階から逆に衰退への道を加速度を増して歩むことになるのだろう。ある日訪れる環境変化によってその事実が断層のように突然露呈される。

永遠の存続を望むなら、企業が堅持すべき真に大切なものとは、水の如くに流れる軌跡や姿を変え規模を変化させて進む柔軟性の中に発見できるのかもしれない。そこで経営者に問われるのは、そういった企業の姿を果てしなく続く未来も含めロングレンジに彩を添えて鮮明にイメージできるセンスであるかのように思えてくる。

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2005 年 07 月 13 日 : 一瞬の輝き

ソフィア・クレイドルのビジネスモデルの原点は、どこにでも見かける極々ありふれた自動販売機にある。単純化して謂うのならば、自動販売機をインターネット上にプログラミングしようと試みている。

喉が渇けば、適当な自販機を見つけ、その中から自分の気に入った清涼飲料水を購入して飲む。電気代はかかるが、置き場所とその自販機に入れるラインナップを間違わなければ、自販機は365日24時間年中無休で忠実に働いてくれる。

物理的な質量を持つ製品の場合、その自販機に詰める手間、それからスケールアップする際、多くの自販機をいろんな場所に設置する地理的な手間と費用が最大のボトルネックである。

ソフトウェア製品のように、ネットを介して光速のスピードで瞬間的に移動できる性質のものは、そんな物理的、地理的な制約が一切ない。ビジネスモデル次第では、時間と距離の壁を越えて瞬間的に飛躍できる可能性が秘められている。

そんな魅力的なマーケットであれば、誰もがきっと参入したくなると思う。それはミュージシャンとかプロアスリート、作家など、アーティストと呼ばれる世界に近い。多くの人が出来ればそんな道に挑戦したいと思ったことがあるだろう。勿論、競争は極めて激しく、筋書き通りに事が運ぶ世界でもないが、最終的には熱意と才能や素質、考え方というものに左右されてしまうのではないだろうか。

インターネットの世界では、極端に言ってしまえばワンクリックという一瞬の出来事で判断が完成されると考えるべきなのかもしれない。しかしそれに至る根源は、人間に生まれながらにして備わっている本能や鋭敏な感性といったものに辿り着くような気がする。ある曲を聴いた瞬間、「これっていい曲だね!」と思うような感覚だ。

現代のネットビジネスは、そんな方向に進んでいるような気がする。ソフィア・クレイドルの製品をプレゼンしているサーバーは、物理的に京都という地にある訳だが、世界中のインターネットに接続された端末から閲覧可能である。それらの数え切れない無数の端末に向けて、どのようにして情報を発信し、ソフィア・クレイドルの製品やサービスが受容され、そのクオリティや機能性を満足してもらえるか――に全てがかかっている。

その勝敗の行方は、たったワンクリックの出来事で決まる場合も多い。その貴重な瞬間、瞬間にかける思いの永続こそが、偉大な新しきビジネスの創造に結びつくように実感する。

  

2005 年 07 月 03 日 : 時間の矢

大学で物理を学んでいた頃、その方程式は時間と空間の座標軸上で記述されていたのを覚えている。ベンチャーの社長として日常生活を過ごしていると、未来はどんな方向に歩を進めているのだろうかと考える習慣がついてしまう。具体的に数理物理学における難解な方程式を解くわけではないのだが、頭の中であたかもそれを解析しているかの如くである。

空間には前後左右上下があり、人や物はその中を如何様にも移動することができる。しかし時間というものは、遥か彼方の過去から現在を通過してどこか定められたある未来に向かって高速に進んでいる。物理学について勉強していると、そんな時間の性格を、「時間の矢」と呼んでいるらしいことが分かった。

時間の矢」とはどこを目指して進んでいるのだろうか?

物理学の世界で、この質問に対する正しい見解は得られていないのであるが、「時間がどこに向かって進んでいるのか?」という問い掛けをすることに新鮮さを感じた。普通の人は、10年後の未来はこうなっているだろうという風な時間の捉え方をする。しかし物理学では「時間はどこに向かって進むのか?」というような逆転の発想をしている。

水は高きから低きに向かって流れそれから循環する。時間というものも、水と同じようにある一定の方向に進んでいるという考え方もできる。

このアプローチは必ず実現する事業計画策定のためのヒントになりそうだ。事業計画の記載されている内容が「時間の矢」の進む方向に沿ったものであるかを見極めるのが重要なのかもしれない。

  
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