2005 年 07 月 31 日 : Business equation
"SIMPLE IS BEST" を信条にしてベンチャービジネスに挑んでいる。何事もシンプルに考える方がうまくいくと思うからである。単純なビジネスの方程式("Business Equation")が常に頭の中にある。
それは
商品 ω
利益 = [ 数量(i) × { 単価(i) − 原価(i) } ]
i = 商品 α
という方程式。(数量:販売数量、単価:販売単価)
企業の価値を定量的に評価するとすれば、上の数式で表現される"利益"をその企業のライフサイクルの期間で積分した値が一つの指標となるだろう。
いろんな"商品i"を手掛けるのも"利益"を極大化する一つの方法である。他方、商品を限りなく絞り、最小の"費用(i)"で"数量(i)"を最大にして達成する方法もある。
"数量(x)"="数量(y)"="数量(z) ÷ 2 " 且つ "単価(x)"="単価(y)"="単価(z)" 且つ "原価(x)"="原価(y)"="原価(z)"である、"商品x"と"商品y"と"商品z"があったとする。
その時、下記の"利益1"と"利益2"の値は当然ながら同じである。要は、2 種類の商品を 1 つに絞り込めば、その商品を倍の数だけ売りさえすれば結果としての利益は同じという数学である。
利益1 = [ 数量(i) × { 単価(i) − 原価(i) } ]
i ∈ {x,y}
利益2 = 数量(z) × { 単価(z) − 原価(z) }
この方程式が示唆している大切な真理は、もし商品の種類が少ないのであれば、販売する数量がその分増やせばよいという単純な数学理論である。実際のところ、ビジネスモデルもその方がシンプルである。"テレビ"と"自動車"を同時に販売するビジネスと、"テレビ"或いは"自動車"だけを販売するビジネスを想像すればそれは明らかだ。
一般に"利益2"の方程式でビジネスを展開する方が事がシンプルに運ぶケースが多いのではないだろうか。ソフィア・クレイドルのように、インターネットを介してソフトを流通させるネットビジネスの場合にはそれが顕著に当てはまる。
ネットによるソフト販売ビジネスの場合、"原価(z)"はほぼゼロに等しいので、ビジネスの方程式は
利益 = 数量(z) × 単価(z)
と見なせる。
世界のマーケットを考えれば、ネットに接続された携帯電話は数億にも上るといわれている。しかもその数字はいまなお伸び続け上限の値すら設定できない状況にあるともいえる。
だから、このビジネスの方程式で大切なのは"単価(z)"は有限であるけれども、"数量(z)"には無限の可能性が秘められているということである。ネットビジネスの妙味は、世界のマーケットを対象にしてこの"数量(z)"を極大化するところにあると思う。
利益を極大化するためには商品のラインナップを広げなくとも、勝負すべき商品に集中特化し、世界のマーケットに隈なく販売するアプローチでそれは達成可能だ。
高校の頃に習った数学の"ある考え方"がとても重要だと考えている。
"有限" × "有限" → "有限"
だが、
"有限" × "無限" → "無限"
である。
永遠の繁栄と存続を目指すには、この"無限"のパラメーターをビジネスの方程式("Business Equation")に見出す努力は欠かせないだろう。
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2005 年 06 月 21 日 : 80対20の法則
これまでの人生において『80対20の法則』ほど役に立つ考え方はないのではと思ったりする。『80対20の法則』とは、世の中のあらゆる事象の結果の80%はたった20%の要因によって引き起こされるという経験則のことである。例えば会社の売上の80%は上位20%を占める営業員のセールスによって達成されるといった類の現象である。
ベンチャー経営においては『80対20の法則』をどのように運用できるかで飛躍もあれば、停滞、消滅すらあると思う。何故ならば、大企業と比較して、ヒト、カネ、モノ、情報などあらゆる経営資源において劣勢が免れないからだ。更にその上位20%のグループに対しても『80対20の法則』を適用し、その判断基準でものごとを推し進める考え方すら必須になってくる。そうすれば、100%のうち4%に取り組むだけで64%の結果を生み出せる。
それを習慣化するには、何事においても順序を付ける癖が一番だろう。さまざまな分野があるが1番目のものは別格扱いするくらいに大切にすべきだ。数え切れない程の出来事があろうとも、その一番目さえ押さえておけば、半分以上の結果を手にすることすら可能になるからだ。
けれどもこの順序付けは難しい。定量的に決められるものばかりでないからだ。寧ろ数値化できない定性的なものの方が圧倒的に多い。最終的にはその人のトータルな知性や感性、センスといった問題に帰着されてしまうのかもしれない。
いま投資している組み込みソフトの研究開発事業やそれを構成するスタッフの人員構成は、正に『80対20の法則』のセンスが問われる一つの試練とも謂える。あることに集中し選択するということは、もしそれが外れて失敗すれば玉砕するけれど、当たって成功すればグレードの違う成果が得られることを意味する。その基本は、日常生活における様々な物事の極些細な順番付けにあると謂っても良いだろう。難しいがその習慣があれば、人生の命運が決定付けられる選択の場合でも正しく行える可能性は高い。
2005 年 06 月 17 日 : プロフィットゾーン
株主資本比率を出来る限り100%に近づけたまま企業が総資産を増やしつつ成長し安定化する方法は一つしかない。それはどうやって利益率を高く維持した上で、売上高伸び率を上げるかである。
成長産業であれば業界自体が伸びているので、売上高伸び率も昇りのエスカレーターに乗るかのように高い数字が維持できるだろう。また、利益率を高めるためには極力仕入れが発生しないビジネスが望ましい。
コンピューターメーカーやシンクタンクで実務を経験し、大学院博士課程に進学してコンピューターや数学について学んできた過去を振り返れば、事業を創めるならばそれはソフトウェアに関するものであることは自明であった。
その時、日本においてインターネットに接続可能な携帯電話が世界に先駆けて普及したのはソフィア・クレイドルの創業にとって追い風だった。
携帯電話向けソフトウェア開発事業であれば、今後十年間は世界マーケットにおいて伸び続けて自分の才能や経験も活きる。しかも自社で製品を開発すれば仕入れも発生しないので、高収益な企業を創ることができる。iモードサービスが始まった1999年。ビジネスチャンスの切っ掛けを掴んだ。
企業というものは、利益が出なければ存在価値は全く無い、とまで極論される。それだけにどうやって利益を出すか?しかも利益率を極限のレベルにまで上げるにはどうすれば良いか?考察の限りを尽くした。
辿り着いた結論は、世界広しといえども自分たちにしか創りえないものを開発すること、それをお客さまに支持してもらうことだった。ゼロから自分たちの商品を創るのではなく、ヒントは自分たちも痛感するお客さまに潜在化された問題点を見出す、或いは発掘するところにあった。そして、少なくとも一つは売れる製品を創ることが肝心なポイントのように思った。そのような戦略で事業を進めれば、次が売れなくとも、最初に売れた分だけで研究開発投資を回収できるスキームも組める。僅かではあるが利益も生じる。
マーケティング理論によれば、製品にも生き物のようにライフサイクルがある。「導入期」、「成長期」、「成熟期」、「衰退期」の4つのフェーズに分けて考えることができるという。ぞれぞれのフェーズの売上や利益の構成比は10%、40%、40%、10%といった数字になるのではないかとアバウトに思っている。
ソフィア・クレイドルのビジネスでは、製品開発したものを国内マーケットにおける最初の「導入期」フェーズで研究開発投資を回収し、収支をプラスになるような経営に努めている。そうすれば、仕入れの発生しないソフトビジネス故に「成長期」以降のフェーズでは全て粗利益率100%を自然に達成することができる。国内とは時差遅れでやってくる、海外マーケットに関していえば、「導入期」から全て粗利益100%のビジネスということになる。そうすれば必然的に高収益な企業体も実現できると考えた。
仮に国内マーケットで製品が他のお客さまから支持されず成長期に進めなかったにしても、あるお客さまのニーズに基づいて開発し販売したのであれば、少なくとも一つは販売できる。その収支がマイナスにならないような経営も思いが強ければそれは実現する。
長きライフサイクルを維持しつつ、成長しながら売れ続ける製品やサービスもある。そのための条件は一体何か?この疑問には考える価値が有り余るほどあるだろう。私が学んだことは製品やサービスというものに対して、お客さまの視点が時間の経過と共に変化するという事実だった。それとシンクロしながら変化する製品やサービスは長きライフサイクルの軌跡を描くように思った。
製品やサービスは、最初は「機能」、その次に「品質」、それから「使い勝手」という視点で、時間の経過と共に売れる理由が変化するということだった。例えば、Windowsであれば最初は「GUI」という理由だけで売れた。次第に、バグに関係する「品質」が問題となり、それはWindows2000という製品によって大幅に緩和された。そしていまWindowsXPとなり「使い勝手」を重視した製品デザインとなってきている。マイクロソフトはこのようにしてWindowsという製品のライフサイクルを出来るだけ長く維持しようとしている。
勿論、利益率や売上高伸張率を高めるには、この他にも複雑な要因が絡んでくると思う。しかし、そういった課題に真剣に取り組むアプローチからは様々な示唆が得られる。それはある意味ではベンチャー経営の一つの醍醐味といえるだろう。
2005 年 06 月 15 日 : 世界への挑戦
業績を更に伸ばすために、地方から東京に本拠地を移すベンチャーは多い。ソフィア・クレイドルもそのような事業展開によって短期的に業績を伸ばすことができるかもしれない。けれどもなんとなくではあるが、それをすれば国内レベルのベンチャーで終わりそうな予感がしてならない。
確かにそのアプローチは小金を稼ぐと言う意味においてきっと儲かるビジネスなのだろう。しかしそれはベンチャーを創めた理由でもなければ、そうありたいとも願わない。できれば世界に通用するような姿を目指したい。
実際のところ、お客さまの大半は東京に本社を構えておられるのだが、上京するのは年に一度あるかないかという程度。それもビジネスという訳じゃなく首都圏の流行とか情勢の視察を目的として訪れるのが常だ。
この世に生を受けた限り、果たして自分たちがどこまで通用するのか世界の桧舞台で試してみたいものだ。そのためには最初から世界的な視野でものごとを見つめることが一番の近道のように思える。
国内のITベンチャーとはあまり交流はないのだが、最近、USを始め海外の有力ITベンチャーの人たちと協業の話をインターネットで交わし、具体的にプロジェクトをスタートさせている。一年前であればこんなこともほとんど無かった訳だから、徐々にではあるが世界は近づきつつあるというのが実感だ。
インターネットがあれば、京都からも世界中に英語で情報発信するのは可能だし、Webやメールによるプレゼンテーション次第ではそれだけで海外進出も現実となる時代に差し掛かっていると感じた。またそれだけ価値のある魅力的な事業であれば有能な人材も世界から集まってくる。
ハイテクベンチャーの場合、SONY、HONDA、京セラ、日本電産を始めとしてUSへの進出を切っ掛けに飛躍した企業が多いように思う。ソフィア・クレイドルの経営においても、それが成功に向けて最大のキーになるであろうと考え、JavaやBREWというUSのプラットフォームを基盤にしたベンチャー事業を創めた。
2005 年 06 月 14 日 : 新しいかたち
昨年あたりからiPODを始めとするデジタルオーディオプレイヤーが爆発的に売れているらしい。それに連られるようにしてインターネットによる音楽配信もスタートしている。一曲あたりのダウンロードの価格は210円とのこと。インターネットによるソフトウェア配信時代の幕開けと謂えるかもしれない。
着うたフルなどの音楽配信ビジネス拡大を背景にして、この秋にはハードディスクが内蔵された携帯電話が東芝から発売される。USのモトローラからはiTune搭載携帯電話が間もなく発売されるとも聞く。隣の韓国ではハードディスク内蔵のMP3搭載携帯電話は既に販売されている。
デジカメがカメラ内蔵携帯電話に取って代わられたように、デジタルオーディオプレイヤーもそんな道筋を辿ってゆくのかもしれない。とにかくソフトウェア的なものをワイヤレスにダウンロードできるというのは便利というより他にない。
いま世界には20億台近くの携帯電話が日常生活における必需品として使われている。いまはインターネットに接続し、音楽やゲームなどいろんなソフトウェアをダウンロードできるタイプのものは世界マーケットではほんのごく僅かかもしれない。ほとんど全てのパソコンがインターネットに接続しているように、携帯電話がそのようなスタイルになるのはきっと時間の問題だろう。
一曲210円の音楽といえども、もし仮に世界中に点在する20億台全ての携帯電話にネット配信されるのならば、その曲だけで4200億円のマーケットが創造されたことになる。これがインターネット時代の一つの典型的なビジネスのモデルではないかと10年くらい前からずっと考えていた。
僅か5分程度に過ぎない一曲の音楽にも、極論すればそれだけ膨大なポテンシャルを有するということを意味するのだ。それでは、どうすればそのビジネスを具体的に顕在化させ得るのか?この問い掛けに対する答えが全てといっても良い。それは、その作品のパーフェクトさや、人間が生まれながらにして共通に持っている感性の何かに自ずとシンクロするようなものを創作できるかどうかではないだろうか。
ワイヤレスインターネットのビジネスを始めるにあたって、最も大切にした視点の一つは戦国時代の鉄砲に相当するものは何か?というような発想だった。携帯電話に組み込まれるソフトウエアも、その基本はプログラミング言語によって記述される。それは単純明快、明白な事実であるので、実はこの分野にこそ全人生を賭けるだけの価値のある巨大なビジネスの種が隠されていると考えた。
戦国時代は鉄砲の性能やその使い方の優劣によって勝負が決着していった。それと同じように、他と一線を画するアプリケーションが創造されるか否かは、企画力以外にプログラミング言語の優劣に大いに関わる問題であると捉えた。しかしながら、その言語自体が機能的にも品質的にも他を圧倒していない限り、無名のベンチャーにその資格はない。それ故に、機能と品質に関しては一切妥協することなく仕事に取り組んでいるつもりだ。
そのような地道な努力を継続する過程においてのみ、最高傑作と呼べるような作品は生まれるような気がしてならない。プログラミング言語とは簡単にいえばコンピューターに対する命令(言葉)の集まりともいえる。これに対して私たちが日常当たり前のように使っている自然言語は、人に対する言葉である。これら2種類の言語の相違を対比して、想像することでいろんなアイデアが浮かんでくる。この言語の相違についてはまた後に考察したい。
世界でビジネスするのであれば英語という言語は欠かせない存在になっている。一方では10億人以上という人口を有する中国語もその数からビジネスをする上で将来は重要な言語になるのではないだろうか。
そんな風にして考えると、いまソフィア・クレイドルでデザインしているプログラミング言語が、携帯電話やそのほかのワイヤレス機器のソフトウェアを開発するためのデファクトスタンダードになれるかどうか、それによって未来は全く異なる結末を迎えることになる。
数年先の未来では、携帯電話の中で動作する大半のソフトウェアはインターネット経由でダウンロードされる形式で販売されるだろう。一つ一つのソフトウェアの単価は安くとも、ダウンロードされる数が桁違いに巨大であること、そしてそれらのソフトウェアのほとんどがソフィア・クレイドルのデザインするプログラミング言語で記述されているというイメージがこの先5年後の私たちのビジョンであり、ビジネスのかたちである。
2005 年 05 月 27 日 : Design strategy
この忙しさは久々。
人材採用、新人教育、海外取引、コンセプトメイキング……。
とにかく忙しい。特に、人については企業や組織、あらゆるものにとって最も大切な存在であるだけに、すべての精神をその一点に集中せねばならず、少々のことにも体力を消耗してしまう。
いまはそういうフェーズだから仕方がない。逆に言えば、チャンス到来とも謂える。来月中旬には落ち着くだろう。
昨日はデザイナーと"Design Strategy"の方向性を、発案者であるデザイナー、チーフソフトウェアアーキテクト、室長とで確認しあった。
そのキーワードは…
[1] Artistic & Perfect
[2] Simple & Cool
[3] Creative & Original
21世紀は"Design"というものが史上例を見ないほど重要なキーになる時代と予想している。「人の心が豊かになるには?」という問い掛けを発して行動することが何よりも大切になるだろう。理屈や理論だけでは解決できない何かが"Design"にはあると思う。
ソフィア・クレイドルのあらゆるものに一気通貫通して共通する、そんな"Design Concept"が組み込まれることが目標だ。
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2005 年 05 月 02 日 : Core concept -10-
マラソンは一人で42.195キロを駆ける陸上競技だ。大きな組織に属していれば、訓練や施設などの練習面で恵まれるかもしれない。けれども、レースの行方を決める要因はその選手の個人的な能力や才能、情熱にかかっている。複数の有力選手がチームにいるからといって、駅伝のようにリレーするわけにもいかない。
ベンチャーはゼロからスタートするものである。最初は小さな存在に過ぎないのに、自分よりも理論上強い競争相手と勝算のある戦いをせねばならない。既存の競争相手には歴史があり、それ故に人材や資金、設備の面で有利なポジションにある。創めたばかりのベンチャーがそんな相手に真っ向から挑めばたちまち辛酸を舐める結末に終わるだろう。
だから最初はできるだけ競争の無い場を選択して行動するのがベストである。たとえ戦わねばならない状況に追い込まれたとしても、自分の強みを活かして1対1の戦いに持ち込める事業領域を予め選ぶということが何よりも肝要だ。自分以外に誰一人いない砂漠のようなところでビジネスを創めるのには勇気がいるかもしれない。しかしそれこそがベンチャーの定義といってもよい。
例え話で言うならばこんな感じである。最初、競合が全く無ければ、42.195キロのマラソンもただ一人で独走しているような状態に近い。それがレースの終盤の決め手である35キロまで続き、その時になってようやく競合がそれに気が付いてスタートした時には時既に遅しということである。オリンピックのゴールドメダリストにしても35キロ先をゆく素人ランナーを退けるのは至難の業であろう。最悪、マッチレースになったとしても10対1よりも1対1の戦いに持ち込むことができれば勝算というものも充分に見込める。
ベンチャーが離陸できるか否かはこの戦略がうまく功を奏するかに掛かっている。大企業であれば優秀な人材が無尽蔵にいるが、ベンチャーではそれは望めない。しかし自分を含めて最低一人は闘える人材がいるのだから、戦略と戦術次第である。数は少ないかもしれないが情熱のある人材が得られるかもしれない。
仕事の結果において最も大きくモノをいうのは最終的には情熱である。ベンチャーでは、その仕事が好きだからやっているというのが大半のケースであり、それに賭ける思いや情熱だけは他の誰にも負けないくらい持っている。それこそが1対1の勝負を決する分かれ目となるのだ。
誰しも倒産の憂き目にだけは会いたくないものだ。そのためにどうすればよいのか、私はそのことを第一に考えてソフィア・クレイドルというベンチャーを創めた。
携帯電話のソフトウェアは物理的、コスト的な制約のため、プログラムのサイズをできるだけ小さく抑えて作らねばならない。現段階においては量よりも質が重視される。一人でもいいから、小さくてクオリティの高い究極のソフトウェアを創れるプログラマーが欲しいという世界である。しかし、日本のソフトウェア業界では、プログラミングの仕事の対価がプログラムのサイズに応じて支払われるという悪しき慣行が長く蔓延っていた。
全く同じ機能をするプログラムをAという人は1000行で、Bという人は100行でそれぞれプログラミングしたとする。携帯電話のプログラムであれば、真に評価すべきはBの仕事である。実は、それはAの仕事よりも何十倍、何百倍も価値のある内容なのだ。ソフトウェアの開発生産性で個人差が桁違いなほど顕著に現れる原因は大抵これに所以する。しかしながら、このことは一般には未だよく理解されていない。だから私たちのようなベンチャーでも入れる隙間を至るところに見出せる。
至近な例を挙げるならば、現在皆さんが使っているWindowsパソコンにしても、1970年代末にはXero Altoというコンピューターにその原型が実現されていた。しかし実際に一般の人々に利用されるまでには10年以上もの時を要した。マイクロソフトが実用化するのにそんなに時間を要したのは、それだけ大きなプログラムを記述せねばならなかったということだ。Xero Altoでは、コンピューターの命令自体がシンプルに設計されていたので、Windowsのようなシステムを開発するのに、長い長いプログラムを書く必要は無かったのである。
競合と1対1で戦うことになった場合は、どうすれば1人で競争相手の10人分、100人分のパフォーマンスを発揮できるだろうかというところに思考を凝らした。そのヒントはXero Altoにあったと言えるかもしれない。
(つづく)