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Sophia Cradle IncorporatedPresident Blog : Strategy & Tactics

2006 年 01 月 12 日 : 象牙の塔

いつの間にかベンチャーを立ち上げて、何か新しくて世の中に役立つものはないかと探し求める日々が続く。

昔は大学みたいな研究機関で、研究者として一生を過ごす選択肢を目指したこともあったのだが …

分岐点がいつだったのかはっきりと答えることは叶わない。けれども、ひとつだけ確かなことは、僕にとって大学は象牙の塔だった、ということである。

何となく現実社会から遊離していて、ひとつの研究に人生を捧げたとしても、真に社会に貢献できるだけのアウトプットを創造しえるか疑問だった。

いまから思えば大学へ通う必要も無かったのかもしれない。でも、今日あるのは、大学で様々なことを学んだ礎があるからだろうということで肯定的に考えている。

日本では中学から大学に至るまでの長きに渡って英語教育がなされる。けれど、それだけで英語が完璧に話せる人に出会ったことはこれまでに一人もいない。

実際に生活で英語を使うためには、必然的に英語が使われる場に身を置くのが最も効率的であり、効果的でもある。

大学で学んだり研究している学問もそれに似ているのではないか。

大学の中だけに閉じるのではなく、実際に大学で学んだり、研究している内容を現実の社会で実践的に試すというアプローチが必要であると思う。

僕が経営するソフィア・クレイドルというベンチャーは、そんな大学のアカデミックな雰囲気を併せ持った企業というのを理想にしている。

常に新しい発想で何かを創造し、実践し、真に世の中で使われるものをかたちにしたいと願っている。

  

2006 年 01 月 11 日 : 全力疾走の後

誰しも滅多に経験しえない出来事に遭遇して感動したり、感激したりすることがあると思う。

願わくば、僕たちの仕事も人々の胸を揺さぶるような感情を創造するようなものでありたい。

そんな場面は日常生活において滅多に出会えるものではないから、それだけの付加価値があるのだ。

感動や感激を創り出す秘訣って一体全体どこにあるんだろうか?というような問い掛けはベンチャー起業家としての宿命かもしれない。

僕はこんな風に考えている。

要するに人を驚かすためには違った角度から世界を眺望しなければならない。人と同じような視線からは当たり前の平凡なモノしか見えない。

違った視線といってもほんの少しでいいのがミソなのだ。

例えば、2 メートルの高さの壁があったとする、2 メートル以下の身長の人には向こう側は何も見えないけれども、台の上に乗って視線が 2 メートルを超えれば向こう側の景色も目に入ってくる。

仕事の例で言えば、こんな感じであろうか。

身体がもう動かないほどヘトヘトになるまで 8 時間集中して全力疾走して働いてみる。その後、どのような行動に出るかがきっと運命の境界線となるだろう。

大抵の人はそこで仕事を終えてしまう。

ごくわずかだけれども、ある人は人の限界を超え、そのまま続けて仕事をする。

そんな習慣を継続するうちに、ある日突然新しい視界が彼もしくは彼女の目前にひろがる。

それは普段目にしない光景だけに感動や感激といった尊いものへと繋がってゆくだろう。

  

2006 年 01 月 04 日 : アーキテクチャ

日本語で「設計思想」と表現される、「アーキテクチャ」の重要性は言葉では語り尽くせない。

ただひとつ確かに言えることがある。それは確固たる「アーキテクチャ」を持つものはライフサイクルが長く、ロングレンジに渡って発展し続けるという事実であろうか。

例えば、Microsoft の場合。1981 年にリリースされたMS-DOS の上で動く Windows が 1985 年に初めて登場した。その上で動作するアプリケーション Office は Windows のキラーアプリケーションとして、Windows の普及に一役買った。今日、Windows は最も普及している PC 向けオペレーティングシステムとしての地位を築き上げた。

また、依然として現在の Intel の CPU も 1980 年代前半のマイクロプロセッサ 8086 のアーキテクチャの流れを踏襲したものである。

IBM にしても、1964 年に発表した Sysytem / 360 のアーキテクチャの流れを組むコンピューターがいまもなお利用されている。ORACLE のデータベースを扱う言語は今も SQL である。

IT 業界において、普遍性のある「アーキテクチャ」を発見し、それを世界初の製品レベルにまで仕上げ、マーケティングに首尾良く成功することができれば、その後に控える航路は穏やかなものとなるだろう。

ソフィア・クレイドルでも、創業期における最も重要なテーマとして掲げているのは、組込みソフト業界において欠かすことのできない「アーキテクチャ」である。

それを確実に見出すためのヒントはどこに隠れているのか?ということから事業を創めた。

最も重大な問題は、いつまでも膨らみ続けるソフトウェア開発ニーズにどうやって対処すべきか?ということ。それから、ハードウェア資源は限られた中で、どうやって小さくてしかも速いソフトウェアを開発すれば良いか?という問題であった。

そのためのソリューションとして、そんなソフトウェアが開発できる、プログラミング言語、データーベース、圧縮ツール、プロファイラーなどの開発環境を「統一されたアーキテクチャ」の下で研究開発している。

  

2005 年 12 月 29 日 : 営業しない理由

創業の頃、生存するという目的のため、時々営業に出かけた。2004 年以降、製品のクオリティと知名度の上昇と共に製品が売れ始めるようになってからは営業活動を控えている。

その代わり、Web を通じた世界への情報発信に全力投球している。

何百年、何千年にも渡って未来永劫に続く作品を創造することが、ソフィア・クレイドルという名の起業の最も大きな目標であり、目的である。

それは、マズローのピラミッドの頂点に位置する「自己実現」の世界である。

生存のために、必要最低限の営業活動をするにしても、最終的には「自己実現」を果たせるかどうかが人生における最優先課題である。

長そうに思えて人生は短い。それだけに最短経路を探索しその道を進むのが重要だろう。

数百年、数千年の時を経て、今もなお残るもの。

それは営業が良かったからそうなったのだろうか?

人それぞれに好みは違うと思う。僕はモーツァルトの曲が好きである。営業されたから、説得されたから、という理由でモーツァルトを聴いているわけではない。ある日、たまたま耳にした曲が自分のフィーリングと合致した結果、そうなったと言える。それからモーツァルトの曲を知れば知るほど聴きたくなったのである。同じく最近の曲についても言える。

シンプルに表現するならば「曲そのものが良かった」というしかない。

同じことが自分の仕事にも当てはまると考えている。営業する時間があれば、自分が手がける仕事の完成度を高めたり、アウトプットを世界中の人に瞬間的に知ってもらうために Web に表現することに費やすのがベストではないかと思う。

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2005 年 12 月 29 日 : 私的読書術

生命は有限だけれど、人が創り出したある種の"コンセプト"は時を超えて生き永らえる可能性を秘めている。

人と動物の間にある最も大きな差は、そんなところにあるのではないかと個人的に思っている。

だから人生を過ごす上で最も偉大な楽しみというのは無限の生命が宿る"コンセプト"を打ち出せるかという命題への解を探求する、一種の賭けである。

勿論、賭けであるので外してしまう恐れもある。けれども自動車など運転している時に事故に遭遇しないための習慣があるのと同様に、思い通りの結果を導き出すための方法論があるだろう。

ひとつが読書の方法である。

巷には書店に氾濫するほどの本がうず高く積まれている。その中から一冊の本を選んで読書して、人それぞれに楽しんだり生活や仕事に役立てようとしている。

僕自身、毎日多種多様な本を読むが、軽く読み流す本と何度も何度も繰り返し精読する本がある。

大切なのは精読する本を選ぶセンスにあるような気がする。何度も何度も繰り返し読むような本は個人の考え方に多大なインパクトを与える。それによって運命が決まることも無きにしもあらずだ。

座右の書とすべきかどうか。判断の基準はこんなところにあると思う。100 年後、300 年後、或は 1000 年後の未来の世界で、その書籍は人々に読まれているだろうか?

そんな観点から僕はいつも繰り返し精読すべき本をセレクトしている。

ひとつだけ簡単に見分ける方法がある。それは何百年、何千年の時を経て、現在も人々に読まれている古典は何百年先、何千年先の世界においても人々に読まれているだろうという未来予測である。

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2005 年 11 月 25 日 : ソフトウェアの進化

ソフトウェアとハードウェアの間には隔たりがある。

ハードウェアと違い、ソフトウェアは完成した後もメインテナンスすることで時々刻々と変化する。

要するにソフトウェアとは進化する概念なのだ。

ソフトウェア企業の明暗を分かつポイントは、これについての認識の差によるのではないかと思うほどである。

ソフトウェアの売れ方で特徴的なのは、ジャンルごとに売れるソフトウェアが決まっていて、一極集中型であることに尽きる。OS も、データーベースも、メーラーも、ブラウザも・・・すべてのソフトウェアについて実際に世界で使われているものは 3 種類以内に限られる。

では、利用者は何を持ってそれを選択しているのだろうか?

勿論、"クオリティ"である。

"クオリティ"とは、機能、スピード、使いやすさ、ルック&フィール・・・、それらを総合したものである。

ソフトウェアは時を経て進化できる。

それでは、どうすればソフトウェアのクオリティを、自ずと高まるように進化するのかを洞察すれば良いだろう。ソフトウェアのクオリティは、メインテナンスのフェーズで、プログラムコードが綺麗なものに書き換えられることによって飛躍するのである。

多くの組織では、製品を研究開発する者とメインテナンスする者が別であることが多い。

その傾向は大企業ほど顕著である。

プログラマーの仕事」でも述べたが、ソフィア・クレイドルでは製品を研究開発する者とメインテナンスする者は同一人物。

製品の設計思想を初め、隅から隅までよく理解している者がメインテナンスするので、何処をどう直せば良いかのプロセスがスピーディであり適切だ。

しかも製品への愛着もある。製品の産みの親でない者がメインテナンスするのとでは雲泥の差が出てくるものである。

超一流の作品を創造するには、メインテナンスという泥臭い仕事も喜んで引き受けるくらいの心意気というものが求められる。

ソフトウェアというものは、メインテナンスを経て洗練されてゆくというのは事実である。

  

2005 年 11 月 24 日 : プログラマーの仕事

ソフィア・クレイドルのプログラマーは、製品の企画、デザイン、プログラミング、テスト、ドキュメンテーション(含む Web 制作)、メインテナンスまで幅広く業務を担当する。単にプログラミングだけをしているわけではないのだ。

大きな組織では、それぞれの業務ごとに担当者が決められていて、プロジェクトチームとして運営される場合が多い。

何故そんな運営方法を採るのか?という疑問を抱かれるかもしれない。

その答えは、単により早くよりクオリティの高い製品をお客様にお届けしたいからという点に尽きる。

例えば、システムの設計をする人( A )とプログラミングする人( B )が異なる場合を想定してみてほしい。A と B の間に必ず何らかのコミュニケーションが発生するはずである。

何故なら、少なくとも A から B へシステム設計に関する情報を伝達しなければ、B はプログラミングに着手できないから。

実は、この時の A から B への情報伝達が"スピード"と"クオリティ"に重大な影響を及ぼすのである。

大抵の場合、設計書と称される詳細なドキュメントによって情報伝達がなされる。ドキュメント作成が大変な作業で不要なオーバーヘッドとなる。A と B が同一人物であるのならば、詳細なドキュメントではなく覚書程度で十分。

しかも A が設計情報を間違いの無い完璧にドキュメントとしてまとめるのは不可能と言っても良い。どこか情報が欠落していたり、間違いがあったりするのが常である。これが原因で不具合が発生したり、後戻りの作業が多発するのである。

いわゆる、伝言ゲームである。

この時、A と B が同一人物ならそのような問題は発生しない。

どんな仕事でもそうかもしれない。システム開発では予期せぬ仕様変更は日常茶飯事。大きな組織では柔軟に仕様を変えながら開発するのは極めて困難である。

アナリスト、システムエンジニア、プログラマー ・・・ と職種を分けてプロジェクトを運営するよりもすべての業務を同一人物が担当する方が、スピードとクオリティという観点からは大幅に改善がなされる。(テストだけは他の人が担当することで効果がでる場合が多い。プログラマーの想定外のケースでテストを行えるからである。)

ベンチャーの最大の強さは、圧倒的な"スピード"と"クオリティ"である。

"スピード"と"クオリティ"は開発のプロセスにおいても徹底追求すべきであり、創意工夫の余地は至るところにある。

  
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