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Sophia Cradle IncorporatedPresident Blog : Vision

2006 年 04 月 06 日 : Hypothesis

先日の日記にも記したが、地球上の物質を分解していくと、6 つのクオークと 6 つのレプトンと言われる素粒子に辿り着く。

これらの素粒子はいつから存在していたのかと考えてみると面白いことに気付く。

確かに言えるのは、素粒子から構成される生命の創まり以前から既に存在していたという仮説である。

換言すれば、より単純で根源的なモノの方が永遠に近いということだ。

ゴーイングコンサーン、企業会計の世界では「企業活動は永遠に続く」という仮定の下に理論が展開される。

それは取りも直さず企業そのものの根本的な何かを求める活動にヒントが隠されている、と僕は考えている。

  

2006 年 03 月 30 日 : 綴れ織り

絶え間なく意識するのは未来にひろがる雄大な空間のイメージ。

想像したとおりに事が運ぶと良いのだけど、これが意外と難しい。

アタマの中でイメージしていることは言葉や絵やリズムで 100 % 再現するのは不可能に近く、行動を共にするスタッフに完全に伝えることができなくて歯痒い時もある。

でも問題意識があるかないかで結果も違ってくると思う。

電話にでることもなく、外出して人に会うこともない。来客のアポイントメントも滅多に受けない。

僕にとって、いまはそんな時期なのだ。

できるだけ独りになって自分の魂と向き合い、世の中で種種雑多に起こる出来事の本質を捉えることがいまの僕の課題である。

とりわけ、インターネットをどのようにドライブするかが関心の的である。

創業して 5 年目ともなると、振り返ればこれまでに作成した Web のページの量に達成感はあるが、質という面で改善の余地がまだまだ充分ある。人の心や美意識にかかわる何かを補強したい。

極論を言えば、理想と現実とのギャップを如何にして埋めるかだけで忙殺されている毎日だ。

段々と分かってきたのは、僕がプロデュースしようとしているビジネスは Web をメディアとして、お客様と僕たちの心と心が紡ぎだすタペストリーのようなものなんだということである。

肝心なのは、出来上がったタペストリーの美しさにあると考えている。

自分たちと見知らぬ誰かと奏でるハーモニーとも言える。客観的には偶然の産物と思われるかもしれないが、この上なく調和がとれて至上のものを意図して創り上げたい。

妥協することなく自分たちの主張を情報発信すれば、世界にいると言われる 64 億人の誰かにはきっと届くに違いない。

最高のお客様はどことなく僕に似た人。だから自分の信じるものについての情報発信が大切になってくると思う。

友達の友達を辿れば 6 ステップで世界中の人々に繋がるという。だから最初から全ての人々を対象にする必要はない。自分自身が最大の顧客であるとして行動するのもきっと間違いではない。

Winny 事件を発端として、ネットに発信した情報は永久に物理的に消去することのできない事実が常識となりつつある。

今は理解されなかったりしても…。

間断なく永遠に続く未来の広大な空間で何が起こるのか?

それは誰も単純明快に決して断言し得ない世界でもある。

インターネットというものは時空を超えて、人と人を繋ぐ役割を担うという認識が新たな発想を導いてくれる。

お金は使えば消滅してしまうが、情報は使われれば使われるほど、そして他の情報と重層的につづれおりを成して美しく洗練される永遠の性質を帯びている。

たぶん、僕が目指している世界というものはそんな方向に進んでいる。

  

2006 年 03 月 28 日 : Chain reaction

いま眺めているパソコンはネットに接続され、その向こう側には何十億台ものパソコンがシンメトリックにネット接続されている。

こんな幻想的な世界は 10 年前は想像すら出来なかったと言えよう。

たった 10 年というスパンで世界全体が変貌を遂げ、別の方向へと進みだした感がある。

何十億もの世界の人々とネットで繋がっている認識があるかないかで、主観的な世界の広がりも全然違ってくる。

生涯で勝負できる、数少ない絶好のチャンスである。

いまだにネットが珍しかった時代と同じスタイルでビジネスをしている経営者が多いように思える。

自分独自の考えを客観的な方法で表現し、ネットに情報発信するスタイルが何よりも優先されるとして僕はポリシーを曲げることなく行動している。

ここ数年というもの、営業で外出することもなければ、資金繰りで奔走することもない。セミナーや勉強会、業界団体の集会に出席することもない。講師として参加したことはあるけれども。

いまは、ただ自分と向き合って、これから激変する未来を主観的に構想しネットを通じて世界の何十億人もの人々に伝えることが肝要だと考えて、只管そればかりしている。

世界には「何十億人もの人々がネットに繋がっている」という事実をどのように捉えるかである。

アタマに想い描く世界観が極めて個人的であって、1000 人に 1 人しか熱狂的に賛同しないにしても、世界全体では数百万人もいることになる。

従来であれば、己の足で接触できる人の数に限りがあったため、どうしてもお願いして賛同してもらう必要があった。

ネットの世界では、それが全く逆になって、好きな考え方やモノが存在していたら好んでそれを選ぶという流れになる。売り手も買い手もどちらも好意的に納得する形でビジネスは進んでゆく。

そんなスタイルのビジネスが成功するか否かは世界の人々がそれを選ぶかどうかだろう。

人々から選ばれるものはどのような発想から生まれるのかが最も重要かもしれない。

宇宙全体はいまも膨張していて、僕たちの地球を包む銀河系は猛烈なスピードで宇宙空間を移動していると言われる。

けれども、僕たちにはその実感は全くない。辛うじて、地球が自転していることや太陽の周りを公転していることを、朝昼晩或いは春夏秋冬という時の流れから理解できる程度である。

空を飛んでいる飛行機や道を走る自動車はどうだろうか?

明らかに、どちらからどちらの方向へどれくらいのスピードで移動しているか自分の目で確認できる。

目隠しをされて外界が全く見えない乗り物の中にいたとすればどうだろうか?

何も知らされていないとすれば、きっとどこに向かって進んでいるのか皆目見当も及ばないと思う。

これは何を意味するかというと、世界を自分の中からだけ除いていれば世の中の潮流から外れて行動してしまう失敗をしてしまう危険性があるということである。

自分の外から世界全体を眺めることができれば、世の中の潮流に素直に乗ることができて、自分の主張がすんなりと受け入れられる確率も高まる可能性が高くなるということである。

インテルのCPUを直接自由に使いこなせる人は何人いるだろうか?1000人に1人とか、1万人に1人とか、…ってな感じで、そんな人は珍しい。

でも、インテルのCPUが入っている Windows パソコンは誰にでも使えるくらい至極簡単である。

自分が主張するものが0.1%の人にしか受け入れられなかったとしても、それを理解してくれた人がその考え方を加工、編集し、付加価値を与えることで、次の段階では全体の1%に増えることだって珍しくないのがネットである。

ネットの良さは情報が融通無碍に人から人へと伝わり、かつそのプロセスにおいて付加価値が高まることも有り得るし、そのスピードが光速である点だろう。

僕が狙っているビジネスというのは、自らが発信する情報に人々が重層的に付加価値をアドオンして、次第次第に理解する人々が増えてゆく自然な流れを創り出すことである。

  

2006 年 03 月 28 日 : 時は流れて

質量をもつ物質を、細胞→分子→原子→ … と分解してゆくと、確かな存在は確認されていないのだけれど、6 つのクオークと 6 つのレプトンと言われる素粒子に辿り着くらしい。

この世界に存在する、数え切れぬほどのさまざまな物質とは対照的に、極めて限定され共通する基本要素から宇宙は構成されているということである。

もし仮に全ての物質に宇宙を形作っている 6 つのクオークと 6 つのレプトンが備わっているとするのならば、ひょっとすると僕たちは何にでもなれる可能性を秘めているのかもしれない。

何が自分を自分たらしめているのかという考察も面白い。

僕のアタマの中に描かれるイメージというのは、宇宙が時空であるとするなら、たまたまそんな場に置かれたから自分というものが存在するという考え方である。

すなわち、周囲の環境が僕そのものを創っているのではないかという仮説である。

それ故に、人にとっては環境というものが全てのようにも思えてくるのだ。

とりわけ興味深いのは、人には意志というものがあり、どういった環境に自分の身をさらすのかを選択できる点である。

ベンチャーを起業すれば、大きな組織では想像することさえ叶わない自由を手に入れることができる。

あらゆる人生における岐路を他者に頼らずに自らの意志で決断し選択し行動するのが起業家の宿命であり、唯一最大のメリットであると僕は信じている。

宇宙における物質の原理から発想すれば、環境によって僕たちは何にでも変われる。

ベンチャーを経営していて常々思うのは、短期的な結論を求めようとする誘惑が余りにも多いという事実である。

宇宙とは永遠の時間軸上に展開される時空であるという認識が大切であると思う。時が流れても、なおも一層何か光る存在であるためのはどのような決断が最適なのかロングレンジに渡って展望せねばならない。

*「往古来今これ宙という、天地四方上下これ宇という」(淮南子)

  

2006 年 03 月 18 日 : 霊妙な植物

屋久島では、「屋久杉」という樹齢 1000 年を超える、長寿の「杉」がいまもなお数多く生息しているという。

なかでも世界遺産にも登録されている「縄文杉」という「杉」は、一説によると樹齢 7200 年と言われる、世界最古の植物である。

屋久島という地は、「杉」という木が観測される南限の地であり、一般に「杉」の寿命は 300 年ほどと言われる。それだけに、自然の不思議さと壮大さに驚きを禁じえない。

ネットに、例外中の例外が現実となる理由がこんな風に記されている。

「屋久島の土台は花崗岩で栄養分が少なく、杉の生長が他の地域に比べ遅くなります。すると、年輪の幅が緻密になり材は硬くなります。そうなることで樹脂道に普通の杉の約 6 倍ともいわれる樹脂がたまります。この樹脂には防腐・抗菌・防虫効果があるため、屋久杉は長い年月の間不朽せずに生き続けられるのです」

要するに、屋久島の厳しい自然環境が幸いして、世界でも類を見ないほどの美しき長寿が保たれているのだ。

もし屋久島が他と同様に「杉」にとって環境が良ければ、そんなことは決して起こり得なくて、300年ほどの平凡な生命を全うしたに過ぎないだろう。

ベンチャーを創めて何年か経つ。

次第に募る思いはどんな風に美しきフィナーレを描くかの一点である。

「縄文杉」は普通の「杉」よりも成長のスピードが極端に遅かった点に、僕たちベンチャー起業家は着目すべきだろう。

法人という存在のゴールは必ずしも数十年か先の地点にあるのではなく、何百年、何千年以上も先の未来に引き伸ばすことが可能だ。

短期的な結果を求めて焦る必要は何もないと思う。

  

2006 年 03 月 16 日 : アイディアとイノベーション

ShiftUpMobile

以前から、「盆栽」というキーワードがこれからの新しき時代を生きる上で外せない原点のようにも思えて、妙に気になっていた。

「京都 広樹園」さんのホームページによれば、「盆栽」は次のように定義される。

「一言で言えば、鉢(盆)の中で自然の大木を思わせる古さ、雄大さ、美しさを凝縮して表現した樹木といえるでしょう」

この説明を読んでみて、古来から日本に暮らした先人たちが大切にしてきたものが何となくではあるが感じ取れる。

先般、世の中の状況というのは、M & A とかで、拡大、拡大、拡大 … という路線があたかも正しいかのような幻想を抱かせる。

これは欧米のトラディショナルな考え方に基づくもので、その中にあってアングロサクソン流に競争に打ち勝とうとしても至難の業なのではないだろうか。

逆転の発想として、「盆栽」のように大きなものを小さな領域に写像して、その中から新たなる何かを求めて創造するスタイル。

それは日本の伝統を汲む流れであり、僕たち日本人の DNA に刻まれた、世界に誇れる数少ない独自性の一つである。

     アイディアとイノベーション、
            モバイルに新しい世界観。

最近、こんなキャッチコピーを創ってみたのだけれど、そこに込められた思いは、携帯電話のような手のひらサイズの小さなコンピューターに、「巨大なコンピューターのスガタ・カタチ」を投影したいという願いである。

  

2006 年 03 月 15 日 : 碁盤の目

売上とか利益というのは何かを為すための手段であり、人の体では血液のようなものかもしれない。

健康であれば血液がどんな風になっていようが、ほとんどの人は全く無関心であると思う。

僕が最も大切にしているのは、人生において何を為しえるかということ。

できることならば、永続性のある何かを創造しえたら、こんな最高なことは他にあるだろうか。

金銭的な尺度では計り知れないほどの価値が存在する。

血液が有限の存在であるように、金銭的価値も長い地球の歴史から言えば一瞬の出来事に過ぎない。

人生における自分の目標を達成するために充分なだけのものがあれば、僕はそれに関しては無頓着である。

時々、会社で会議を行うけど、最近、売上がどう利益がどうのこうの…と議論することはまず無くなった。お客様から注文をしてくださった、というおめでたいこと、これはリアルタイムに連絡してるけど。

勿論、会社の存続がかかっている時は、シビアに考えることもあった。

でもそんなフェーズも過ぎ去れば、次に考えるべきは如何にして自分の人生の目的を達成しうるかである。

永くカタチを保ちえるもの。最近、考えるのはこのことばかりである。

京都という街並みは平安建都以来1200年以上の長きに渡って、碁盤の目状の見通しの良く美しい、数学的な形を保ち続けている。

壮大なグランドビジョンがあったに違いないと思っている。

それは、自分の位置と目的地点が直感的に感じ取れる街並みなのである。

人間共通の感覚、感性、知性など、形而上学的なものをカタチにしたとも思える。

そんなフィーリングを大切にして、製品の研究開発やマーケティングに励んでいるのだけど、そこに金銭的なものが立ち入る余地はないと思う。

恐らく重要なのは、京都と同じく人間の理性に基づくグランドデザインのような気がする。

  
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