2005 年 12 月 29 日 : 感動創造
最近、「感動創造」というキーワードが 21 世紀型ビジネスモデルのコンセプトメイキングにおいて重要な役割を果たすと聴く。
これについての僕の解釈は「どうすれば人は驚くのだろうか?」という問題に対する解答そのものだと考えている。
一体全体どうすれば人は感動し、感激し、感銘を受けるのか?四六時中そんな思いで仕事に励んでいる人はどれくらいいるだろうか?
感動や感激、感銘は数値化できるものではなく、無限の大きさを持つものだと思う。それだけに、仕事に対するスタンスとして、どれくらい真剣に「感動創造」に直面しているかで結果は明白だ。
生活のために割り切って働く感覚では「感動創造」は覚束無い。
一種の真剣勝負のごとく、365 日 24 時間ずっとその仕事のことが潜在的に自分のアタマの中に存在しているかどうかが肝心なポイントになるだろう。
いわば仕事と休暇の境目の無い生活が強いられるのである。
そんな状況であるから、それは自分が好んで人生の目標とし得る仕事であるかどうかが自ずと成功するための必要条件と言えるだろう。
2005 年 12 月 29 日 : ひろがりゆく次元の視界
人々はどれくらい先の未来を眺めて生きているのだろうか。
時々、そんな素朴な疑問が生じる。高所恐怖症でもない限り、超高層ビルの展望台からの都会の夜景などの眺めは絶景だ。多くの人は高い所を目指している。
高ければ高いほど遠くまで見渡せる。けれども、同じ発想を時間軸上で展開して人生を生きる人は少数派なのではないだろうか?
数百年、数千年先の遥か彼方にまでひろがりゆく立体的な四次元の空間をイメージすると、目前に迫る現実の風景も全然違って見えてくるから不思議だ。
案外、詰まらないことに足を掬われて貴重な時間を無駄にしていたりする。たまには高い所から眺めるようにして遥か先の未来の風景を思い浮かべてみる。
きっとそんな時、独創的なアイデアは閃くだろう。
2005 年 12 月 29 日 : 5・7・5・7・7
短歌とは五・七・五・七・七の五句体の歌である。7 世紀後半から 8 世紀後半に編まれた『万葉集』に始まり、今もなお詠まれている、古来から続く日本の伝統文化である。
わずか 31 文字で構成される歌なのだけども、一文字一文字を組み合わせれば星の数ほど無限のバリエーションが出来上がってしまう。
大半は当たり前のように淘汰される平凡な歌かもしれない。でも『万葉集』『古今和歌集』『新古今和歌集』といった著名な和歌集の中のひとつの歌として、何百年、何千年にも後世に残るものもある。それは新奇さやザンシンさも内包していた。
こんな風に短歌を眺めていると、仕事のスタンスやアプローチにも変化が現れてくる。
ひとつは小金になる平凡な仕事をたくさんこなして儲かるけれども、未来の歴史には何も残らないやり方。もうひとつは、短歌の例で言えば、五・七・五・七・七の 31 文字にすべての生涯を捧げ、永遠の一句を残そうとするやり方。
両極端な例であるが、僕は後者の生き方を目指したいと考えている。有限の時間軸上での仕事の集積は有限でしかないが、無限の生命を持ち得る作品は無限の時間軸上であれば、一時の数は少なくても無限の時間で集積すると必ず無限大になる。
自分が生きている間だけでなく、ずっと永遠に続く何かを創造できればそれに勝るものは無いのではないだろうか。
『永遠の何か』を創造するためには大切なことって何だろうか?
最近、この問題について自問する日々が続く。
飽きなくて、品が良く、質も良い。
こんな条件を満足する作品が創造できればと願っている。そのためには、短歌の作者がたった 31 文字のひとつの歌に情熱を傾ける姿勢がヒントになるだろう。駄作を量産するよりも、ひとつの仕事でもいい。何度も何度も見直して日々改善を図り、最高傑作を世に送り出せるようなアプローチを継続したい。
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2005 年 11 月 23 日 : Ajaxと Blog
AJAX という技術を使えば、ユーザーインターフェイスを中心とした BLOG の革新が起こりそうだ。
数え切れないほど、さまざまなベンチャーが BLOG を提供している。" WEB 2.0 "なんていうキーワードが巷では囁かれたりするけれど、デファクトスタンダードになる Next BLOG は、テクノロジーの観点では AJAX が最大のキーになるだろう。
AJAX とは Asynchronous JavaScript + XML という言葉の略である。
難しそうな言葉の響きがそこにはある。
でも具体的にイメージするには、Zimbra 社のサイトにいってデモを体験するのが一番。
未来への扉を開けてくれる。
新しい発想が閃く。
それから洞察できる未来は、BLOG の編集もマイクロソフトの Word のような感じになるだろうということ。
- 広い編集ウィンドウの上に WYSIWYG で直感的に文章を書ける
- いちいち"確認ボタン"を押さなくてもサーバーに途中の文章が保存される
- スペルや文法、"て・に・を・は"のチェックをしてくれる
- 辞書が参照できる
- " UNDO(アンドゥー:元に戻す) "ができる
- 文字列の検索や一括変換ができる
- エトセトラ
ワープロソフトのソフトテクノロジーを持つマイクロソフトに有利なはずではあるけれど世界は広い。Zimbra 社みたいなベンチャーが出てくるかもしれない。
AJAX による BLOG のユーザーインターフェイスの革新が待ち遠しい。
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2005 年 11 月 23 日 : 未来への架け橋
ソフィア・クレイドルはベーシックなことを大切にし、それをビジネスにする会社。
何故ならベーシックなことには"永続"という性質が付随するから。
会社が永くその名を残すための基本的な原理原則でもある。
事業運営の根本的な思想はそんなところに置いている。
では、変化の激しい IT 業界にあって、何十年、何百年にも渡って存続し続けるものはあるのだろうか?という問いかけが自然な発想だろう。
例えば、100 年後の日常生活を想像してほしい。
過去に存在し得なかった、全く新しい言語で会話をしている姿は想像しにくいのではないだろうか。おそらく、日本語としての純正さを持ちながらも、未来風に多少アレンジの掛かった日本語で会話をしているはずである。
タイムマシンがあったとして 100 年後の未来に旅立つとする。
辿り着いた先が日本であれば、きっと日本語で未来の人びとと意思相通できるだろう。
現に、何百年、何千年も前の古典を読んでも理解できる。
そういう発想で IT 業界を眺めて事業戦略を練り、その通り遂行すれば良い。
浮き沈みの激しい世界の中でも、磐石な基盤を持つ企業として永続できるに違いないと思う。
コンピューターと人びとを繋げるものは、人と人を繋げるものと同じで"言語"である。コンピューター用語で"プログラミング言語"と呼ばれるものである。
最近の"プログラミング言語"は、人びとが会話で使う日本語や英語などと同じく、語彙や構文を増やすことで進化する仕組みが備わっている。
ベースになるものがあり、未来の風に乗って、そこから臨機応変に進化を遂げる。
日本語や英語のような自然言語に近いものを直感して、研究開発事業の根幹を、何十年、何百年も存続できる"プログラミング言語"に関わる内容に集中特化している。
2005 年 11 月 20 日 : 好きなことをするためには
自らの才能を活かして、得意なこと、好きなことに集中して一生を過ごせれば、人生は素晴らしく充実したものとなるだろう。でも資産家でもなければ生きていくためには収入が必要だ。
理想とするビジネスは、スタッフの才能が潜在能力も含めてフルに活きるという形態である。スタッフが会社で過ごす時間を有意義に思い、安心して生活できる財産を築けるようにすることは、社長のスタッフへの大きな責任と思う。
そのために売上を極大化し経費を極小化する。利益を最大にするビジネスモデルを創らなければならない。儲かるビジネスモデルを創るには少しは考えないといけない。楽して儲かるビジネスはその辺に転がってない。
ソフトウェアビジネスには、受託開発型と製品開発型という 2 つのビジネスの形態があって、それぞれに一長一短がある。(ソフィア・クレイドルのビジネスは製品開発型)
受託開発型ビジネスでは、顧客の仕様に合わせてソフトウェアを開発し納品して収益を得る。
利益が見込める案件を受注できれば経営は安定する。事業を拡大するためには多くの案件を処理する必要がある。人手と設備がそれに比例して増えてくる。製品開発と比較して、受託案件には創造性や独創性が要求される割合が低い。
開発したソフトウェアの特許や著作権などの知的所有権は顧客に帰属する。それらをストックしてビジネスを効率化する手法がとりにくい。
製品開発型ビジネスでは、自社のオリジナル製品であるソフトウェアを開発し顧客に販売して収益を得る。
自ら製品仕様を決め、開発計画を立案し、創造力と独創力を頼りにしてアウトプットする。そこに仕事に対する生き甲斐を見出せる。ソフトウェアは、一度開発すれば、全く同じものをインターネットで世界の人びとに何度も繰り返し販売できる。やり方次第では、事業拡大するのに人や設備を増やさずに儲かるビジネスに繋がる。
製品開発型ビジネスの場合、次の式が成立する。
利益 = 製品単価 × 販売本数 − 経費
ソフトウェアの場合、製品が完成するまではたくさんの研究開発費用がかかる。一旦完成して販売するとなると、仕入れは発生せず、人手も販売本数に比例して必要という訳でもない。経費は固定である。
ソフトウェアをネット配信すれば、製品を記録するメディアも運送も不要。販売本数を増やすことで、損益分岐点を越えた時点から利益は果てしなく伸びゆく。
しかし、製品開発型ビジネスは、音楽や映画などのビジネスと同じで駄作であれば売れない。たとえ素晴らしい作品であったとしても、売り方が悪ければ売れない。
ほとんどのソフトウェアは失敗作である。世の中には販売本数ゼロという製品がところ狭しと転がっている。成功する確率が極めて低いビジネスである。それはミュージシャン志望の人が成功するのと同様なのである。
製品が売れる原因や理由を慎重に検証してからでないと、手痛いしっぺ返しを食らってしまう。
製品を研究開発するために投資したとしても、製品が売れなければ資金を回収することはできない。何も考えずにするのは無謀な賭けというもの。ベンチャーは資金が限られている。売れなければ倒産である。売れる要因を作ってから製品開発に入るべきだろう。
それで重要なことは次の 3 つ。
- 製品ジャンルの将来性
- 売れる製品を創れる才能
- 製品の売り方
ニーズがなければ創っても製品は売れないし、売れる製品でも欠陥があれば売れない。イメージで買われてゆく製品も多い。
好きなことをするためには、何はともあれ、売れるように製品をうまくプロデュースしなければならないのである。
2005 年 11 月 18 日 : スクイーク
"スクイーク"をご存知だろうか?
20 年前、日常生活でパソコンを利用する人は稀有な存在だった。現在では逆にパソコンを使わない人の方が珍しい。パソコンなくして現代の高度情報化社会における快適な生活シーンは想像できないほどでもある。
しかし自分で思う通りにアイデアをプログラミングして、パソコンを自由自在に操れる天才プログラマーは例外的な存在と言えよう。パソコンはプログラムによって制御されるのだから、普通の人でもプログラミングできれば何かが起こりそうだ。
"スクイーク"があれば、コンピューターの動作原理を知らない小学生でも自由自在にコンピューターがコントロールできてしまう。"スクイーク"とはコンピューターの素人でもプログラミングができるプラットフォームなのだ。
「誰もが自動車を運転して何処でも行けるように、小学生でも無意識のうちにプログラミングできてコンピューターを自由に操れるとしたら」という発想から新しいビジネスは生まれる。
ソフィア・クレイドルの究極の目標地点はそんなところにあると考えている。
宣伝も営業もしない Google という 1998 年に生まれたばかりの新興ベンチャーが、何故あれほどまでの利益率で巨額の売上と利益をあげているのか?
その答えに新しいビジネスチャンスを誰もが見出せる。
数十円からの予算で小学生でも広告が出せる。塵も積もれば山となるという言葉がある。小さな量でも"−∞〜+∞"のすべての範囲で積分すれば天文学的な数字に積み上がる世界が新しい現実なのだ。
ソフトウェア業界にそれを置き換えて考えてみると・・・。誰もが自分のアイデアを簡単に自由自在にプログラミングできるプラットフォームがあって、そのプログラムを数十円の価格で世界中の人びとにネット配信できるとすれば、その時どんな未来が僕たちを待ち構えているのだろうか。
パソコンに止まらず、携帯電話、自動車、テレビ・・・様々な機器が見方を変えればコンピューターでもある。ソフトウェアのマーケットは計り知れないほどの規模で急拡大することが想像できるだろう。
その時、最大のビジネスチャンスは、小学生でも簡単にプログラミングできて、そのソフトをただ同然の安い値段で世界のあらゆる人びとが利用できるプラットフォームである。