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2005 年 04 月 23 日 : ハイブリッド・パワー

今日はいま話題の「ビジネスを育てる」ポール・ホーケン著を読書していた。これから起業される方にとって参考になる書籍として推薦できる。著者が創業したのはいまからかれこれ40年近くも前の話らしい。

いまでこそエリートだからその多くがベンチャー起業への道を選択する米国もその当時、日本と同じようにベンチャー起業を志す人は変わり者だったようで…。どの世界も時代は常に移り変わっているようだ。

この本の中に興味深い一節があった。

植物や動物が混血すると、時に「ハイブリッド・パワー(雑種の力)」というものが生まれることがある。混血する種それぞれよりも優れた特性を持ちはじめるのだ。…(P.252)

これを読み、ソフィア・クレイドルという組織は「ハイブリッド・パワー」を推進力にしているかもしれないと感じた。

スタッフの国籍はルーマニア、中国、セルビア・モンテネグロ、日本とさまざま。学生時代の専攻は文学、数学、物理、情報、電気・電子等など多岐にわたる。お互いに刺激を受けながら相乗効果を増しながら成長できるチャンスがあるというのは恵まれている。

  

2005 年 04 月 21 日 : Core concept -6-

今日は朝からiTunesのラジオ番組SmoothJazz.comの音楽を流していた。すると何だかアイディアらしきものが形作られてゆく。今日はこんな言葉が発端だった。成功とチャンスをめぐるものとは、である。チャンスは誰にも平等に訪れるのだろう。けれどもそれを掴み取る者はほんの一握り。

あの人は運が良かったと謂うけど、実はその人が払ったインビジブルな努力を知る者は少ない。その事実に気付けば、日頃から目に見えないチャンスを探求したり、まだ隠されている至宝のために、孤独に努力する姿勢の重要さが分かる。文章にして表現すれば単にこういうことになった。成功というものがあるとするならば、その本質はきっとこんなところにあると思う。

スポーツの世界では、ピンチの後にチャンス有りと謂われる程、ピンチとチャンスは隣り合わせの位置関係にある。ビジネスの世界でも同じく、チャンスを掴もうとすれば必ずピンチも一緒に伴ってやってくる。況してベンチャーであれば、点と点が繋がって曲線になるくらいにピンチに次ぐピンチの連続そのもの。けれどその曲線の反対側では、チャンスの軌跡が同時に描かれているのも真実の姿である。何がなんでもリスクを避けたい人にとっては、こんな世界は以ての外かもしれない…。

毛利元就の三本の矢の教えにもあるように、ピンチを乗り切る場合、1人よりも2人、2人よりも3人という風に、同志は多ければ多いほど心強いものだ。最悪、譬え1人でもそれを耐え凌ぐ覚悟がなければベンチャー起業は叶わない。けれども、1人でも同志がいると、事業は果てしなく前進する。だから、ベンチャーを創める時、誰と一緒に事業をやるのか?コアとなるメンバー構成は?この問いこそ核心だ。譬え人数は少なくとも、信頼があれば足りないものがあっても充分埋め合わせることができる。スタッフの間の絆も深まれば、それがベンチャーを更に前へと推進させるエンジンとなる。

長い人生、さまざまな境遇に出くわしてしまう。良い時もあれば悪い時もある。だが、禍福は糾える縄の如し、塞翁が馬、実際は何が良くて何が悪いのか定かではない。なかでもお金と人の繋がりについては、誰もが学べないような貴重な勉強をしてきた。

本格的にベンチャーに携わり始めたのはITバブル華やかなりしミレ二アムを迎える頃だった。何故か使い切れないほどのお金が集まる時期もあった。オフィスを豪華にしたり給与を大盤振る舞いすると、実に様々な人々がそれぞれの思惑を携えて現れた。期待するほどの新たな価値を彼らが生み出してくれれば何も問題は無かった。しかし思惑通りに事が運ばなければ自ずと資金も枯渇する。それにつれ集まってきた人たちもいつの間にか去っていった。

お金の縁で集まった人たちはそれが無くなれば消え去るということかもしれない。そんな人に限って給与分以上の働きはしないという法則も実際にあると聞いた。これは本末転倒という言葉が適切である。このことはベンチャーを創め人を集め組織化する時に、起業家が心して理解せねばならない真理の一つだと悟った。

確かに給与を高くしてオフィスを豪華にしないと、たくさんの人が応募してこないかもしれない。しかし真に有能な人材は、自分の価値観や判断基準を、取り組むべき事業ポテンシャルの底知れぬ広さと深さに置いているものである。

現実問題として考えれば、世の中広しと雖もそんな有望な人材は類稀な存在かもしれない。しかし希少なものであるのならば、その価値を大切にし、少人数でも回るようなベンチャービジネスを展開すれば良いのではないか。このほうが現代では貴重な精神的安定も得られる。人材の供給源も日本に限定する必要もない。広く世界から募れば良い話だ。

勿論、スタッフの資産形成に関しては、いまも在籍する創業スタッフには、最終的に充分に報いるようにする。けれどもそれを第一番目の目的にすると、ベンチャービジネスは思わぬ方向に漂流する結果に為りかねない。先に述べたようにいつも順風満帆ではない。嵐に遭遇し、激しい波風に晒されることもある。お金の縁で出来た絆はそんな逆境に免疫は働かず余りにも脆い。特に創業期は想像出来ない嵐が日常茶飯事のように襲い掛かって来る。その度に乗組員が下船するようではそのベンチャーの命運も風前の灯に過ぎないだろう。

だからこそ、「人は何故働くのか?」という根源的な疑問を出発点とした直感や洞察や思想によって大義名分ある企業理念を打ち出すこと。そしてその理念に基づいた壮大な事業の目的やビジョンを確立することが重要になってくる。その器のスケールに応じて相応しい人材は熱意と情熱を持って集い、そうでない者は肩をすくめて去りゆくだろう。それは一朝一夕のうちに得られるものでもなけば、金銭で買えるものでもない。それ故に貴重で尊い存在なのであろうか。

(つづく)

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2005 年 04 月 21 日 : 余談 〜海外進出〜

海外からの問い合わせが引っ切り無しに多い。それも特定の国からだけでなく、世界中のありとあらゆる国からだ。裏を返せば、いま世界の携帯電話事情は次世代へと移り変わる過渡期にあるのだろうか。ベンチャー故、ソフトウェアライセンス契約書やマニュアル類を辞書片手に自ら和文英訳するしかなく滅茶苦茶忙しい。

今年2月に出荷予定だったが、諸般の事情で遅れていた、2種類の海外対応版製品を来月ようやく出荷できる。本格化するのは来年以降と見通している。これからが楽しみだ。

  

2005 年 04 月 20 日 : Core concept -5-

芸術や文学の世界では、アーティストや作家がその生涯で創り出した中で最も優れた作品を「最高傑作」と呼んだりしている。ソフィア・クレイドルではスタッフがアーティストのような感覚で働くスタイルを理想型としている。だから私たちが自信を持って誇れるような「最高傑作」を創作できることを最大の目標にしている。

ソフトウェアビジネスはある意味でとても厳しい世界といえるかもしれない。同じ種類のソフトウェアは秀逸のものが世界でただ一つあればそれだけで充分だからだ。例えば、パソコンのオペレーティングシステムならばWindows、画像を編集したければPhotoshop、動きのあるホームページを創りたければFlashといった風に用途毎に使うソフトはほぼ決まっている。その昔、競争と呼べるものは確かにあったが、今では決着が付いてしまってソフトウェアの種類毎に世界のマーケットで寡占が進んでいる。ソフトウェアの分野ではそんな傾向が他のいかなる業界よりも顕著だ。できるだけ早めに超一流の作品を先ず最初にマーケットに投入する行動こそが他の何よりも勝る最優先事項だ。

ライセンシングビジネスの厳しさは一握りの勝ち組として常勝を続けるか、或いはその他大勢の負け組として淘汰されるかでそのギャップが余りにも甚だしい点にあろう。勝ち組として生存できれば、全てのマーケットをほぼ手中に収め独占することになる。しかし、負け組となればマーケットからの全面撤退を余儀なくされる。謂わば"All or Nothing"若しくは”0か+∞(無限大)”の世界。その結末には天国と地獄という両極端な様相が待ち構えている。この種のビジネスはそんな性質があるという事実をよく理解してから創めなければならない。そういった大前提に基づいて事業を運営しなければ夢や希望といったものは日を追うごとに遠退いてゆくであろう。

この厳しい現実を踏まえた上で、敢えて世界の最高峰を目指して積極果敢に垂直登攀しようとする、潜在的に有能な人がこの日本に少ないのが残念でならない。しかし言い方を変えればこれは競争が極端に少ないことを意味し、挑戦する者にとっては千載一遇のまたとないチャンスと置き換えて解釈もできよう。実際のところ英明の誉れ高き英才と雖も大多数は大組織のなかの平凡な一スタッフのままその生涯を終えるに過ぎないのだから。

究極のポイントは「私たちが世界マーケットに向けて超一流の最高傑作と誇れる作品を本当に創造し提供できるのか?」という一点に尽きるように思う。最初からの完璧は望むべくもない。けれどもその作品の最終形の姿にどこか不自然なところや欠ける点が少しでもあれば間違いなく自然淘汰される。一寸の隙も許さないくらいの完全さや完璧さが求められる。超一流と称されるもので完全さや完璧さを欠いた自動車、飛行機があるだろうか?

デザインとプログラミングの座標軸で構成される空間を固唾を呑む思いで眺め、そして確かな才能を有する異能的な人材を妥協せずに先ず集める。そして超一流の芸術作品を創作するかのように、感性を研ぎ澄ませ、真剣かつ真摯に仕事に没頭する。そこに私たちの思いや願いを100%実現させるためのヒントが隠されているような気がする。

人材面においては、デザインとプログラミングという尺度で95点の人を100人集めるよりも一人でも良いから100点の異能を発掘することが何よりも優先される。確かに95点の人は一般的な仕事をする上で何ら問題ないかもしれない。しかし全世界の何千万、何億もの人が心から喜んでその作品を要望するかというと、たった5点の違いかもしれないが100点の異能には遥かに及ばない。この業界はこれが当たり前の世界なのだ。たとえ95点の人を100人集めたとしてもそれは成し得ないのだ。些細なニュアンスに過ぎないほど紙一重なのだがその差は余りにも掛け離れている。

自ずと世界中の誰もが心底喜んで使ってしまう作品を創ろうとするならば、この例えとしては音楽や絵画と同じように完全かつ完璧でなければならない。最初からそうである必要はないが、何れそうならないと確実に淘汰されてしまう。超一流の音楽には雑音のようなものはないし、自動車にしても世界にその名を轟かせるような高級車ともなれば乗り心地などは快適そのものだろう。ソフトウェアに関しても同様で、どこにも欠陥がなく使い心地が良くなければとても世界の人びとに使ってもらえない。世界へ旅立つということはそれくらいシビアな現実に直面することを意味する。しかしそれが仕事への遣り甲斐にも通じ、最終的に仕事を成し得た時の自己実現の面における達成感は生涯の掛け替えのない人生の証左にもなろう。

「百里を行く者は九十を半ばとす」(「戦国策」)という意味深長な戒めの箴言がある。たとえ残り1%になっても油断することなくしっかりと止めの仕事に励めと謂わんとしているのだろう。人間的感性の側面から謂うのならば、100インチの大型ディスプレイに映し出される映像もそのディスプレイの中央にある1インチ平方の部分の映像が欠ければ、映画の楽しみも半減してしまうということだろうか。それはデジタルな世界ではほんのちょっとした瑣末な出来事に過ぎない。けれども、アナログ的な人間の感性にはそれが何十倍、何百倍もの大きさになって跳ね返って響く。超一流の作品創りを目指すに当たって私たちが最も肝に銘じて実践している習慣は「百里を行く者は九十を半ばとす」ということだ。最後の詰めの仕事を完璧にこなして、最後の最後でその作品の機能や品質を極限のレベルにまで飛躍させる努力を続けている。人間という生き物にとってこの習慣は簡単に見えて意外に難しい。

(つづく)

  

2005 年 04 月 19 日 : Core concept -4-

既に上場し成功しているネット系ITベンチャーの多くは今から10年ほど前に創業した。それはWindows95が発売された頃で昨今のインターネット時代の夜明け前後といえるかもしれない。当時インターネットはダイヤルアップ接続で使うのが普通で、現在のように常時接続で利用していたのは大企業か大学くらいだった。

重要なポイントは、1995年当時に10年後には今日のようなかたちでインターネットが当たり前のように普及するという確信に満ちた明晰なビジョンを描き得たベンチャーのみが成長し、稀有な存在として生き残り隆盛を極めたという点にあるだろう。今からこの世界でベンチャー起業をしようとしてもその参入障壁は高く、視点を180度切り替えなければ成功は覚束ない。逆にいえば、10年前なら何をしても今より成功する確率は格段に高かった。だからこそ、ベンチャー起業家は時代の先を読む才能や能力を常に磨く訓練が欠かせない。ベンチャー起業家にとってタイミングを見計らった先見力といったような慧眼は最も欠かせない資質の一つといえよう。

最近、経営破綻若しくは経営が行き詰まっている、かつての超優良企業が数多く見受けられる。10年前なら想像すらできなかった出来事や事件が現実に次々と連続して発生している。そんなつもりで入社したわけでないのに、想いもしない最悪の境遇の中で時代の波に飲み込まれそうな人が増えてきている。新しい時代に向かっていま世の中は変革を遂げつつある。

人は未来の世界を肉眼で確認できない。どうしても自分の目でいま確かめられる材料だけでものごとを判断しがちだ。学校で未来へのビジョンを描くような教育や訓練を受けてこなかったからだろうか。そんな才能や能力に長けた人が極端に少ない。それ故、想像力と行動力さえあればそれを活かそうとするところに新たなビジネスチャンスを見出せそうだ。もしベンチャー起業というニッチビジネスが成功するならば、理由の一つはそんなところにあるのではないだろうか。

ソフィア・クレイドルが創業したのは2002年2月。その当時、ベンチャー起業を成功させるために最も考えたのは10年後のビジョンであった。ずっとコンピューターに関連する業界で働いていたので、この業界が時間軸を切り口にしてどのように姿を変化させてゆくのかについてルーペで覗くようにして深く思索に耽った。

その結果、10年後に極めて有望だと自信と確信を持って言えるベンチャービジネスを一つ発掘できた。それは、モバイル機器を対象としたソフトウエアのインフラ或いはプラットフォームに関連する事業である。その当時、携帯電話や無線LAN、ブルートゥースを始めとして、ワイヤレスコミュニケーションの環境が整備されつつあった。年を追う毎に通信速度も向上し、しかも利用料金も急激に低下してゆく傾向にあった。ワイヤレスコミュニケーションそのものが水道、電気のようなインフラとして機能する兆しがあった。

ITの世界において、ハードウェアとソフトウェアは車の両輪のように表裏一体のものである。いくら機能や性能が充実していても、どちらか一方が欠けると全く使い物にならない。当時、ハードウェア的なインフラは整備されつつあった。しかし依然としてソフトウェアの面はほとんど手付かずの状態だった。謂わば未開の荒野だった。私たちのようなベンチャーでも入り込める隙間は確かに存在した。だからそのチャンスを逃さないように最善の努力をした。

創業間もないベンチャーである以上、人材、資金、設備は限られる。それだけに、事業領域の選択だけは絶対に失敗は許されない。そのためには、その事業が社会から必然的に要請されるであろう明確な理由を探すのが何よりも先決だった。それはソフィア・クレイドルというベンチャー経営の拠り所にも成り得る。そのロジックに従ってベンチャーは成長してゆくと考えた。孫子で謂うところの「百戦百勝」をそんな思いで実現しようと目論んだ。

ソフィア・クレイドルのビジネス的な発想の原点は「パソコンが携帯電話サイズに収まったらどうなるだろうか?」という問い掛けにある。外部の人には分かり易いので、携帯電話向けのソフトウェアを開発している会社と言うことにしていつも自社のことを紹介している。正確に言えば、10年後にはパソコンが携帯電話サイズになることを視野に入れて、そのために必要となるであろう、ソフトウェアのプラットフォームを研究開発しているドリームチームがソフィア・クレイドルなのだ。

いまは有線で繋がっているディスプレイやキーボード、マウス、ハードディスクも永遠にそうである必要性は全くない。必ずワイヤレスで接続される時代が来ると考えた。理由は単純で、その方が圧倒的に便利だからである。パソコンも携帯電話サイズになって困ることは、盗難や置忘れなどセキュリティ的な問題くらいしかない。自分のコンピューティング環境を手軽に持ち運びできる。こんな便利な世界はこれにまでになかった。必ず人びとから必要とされる。そんな風に推論して、この事業の未来における有望性を期待から確信へと変化させた。

パソコンが携帯電話サイズで手軽に自由に持ち運びできる、便利なモノになれば、それに応じて利用するための多種多様なアプリケーションが世の中からいままで以上に求められるであろう。その時、必須となるのはそういったアプリケーションが簡単かつ迅速に開発できるソフトウェアプラットフォームではないだろうか。そんな未来へのビジョンを起点として私たちは夢を次第に膨らませていった。

(つづく)

  

2005 年 04 月 18 日 : Core concept -3-

企業の利益というものは社会、顧客、社員、会社等など、さまざまな存在の成長や進歩の源泉となりうる。重要なポイントは、それが短期ではなく長期的に継続して増加傾向にあった方が良いということだ。時を経るにつれ確実に成長しているのを実感するのは働く側の立場として達成感がある。顧客の立場としても、継続して以前の製品の性能を上回る新製品を手にするのは一つの大きな喜びであろう。

問題はどうやって長く継続して利益を出し、しかも常に増やし続けるかというところにある。短期的に利益を出すのはテクニックでなんとかなりそうだ。しかし利益が単調増加するような繁栄を築くには根本的な原理や原則となるものがその企業に備わっていないと難しいのではないだろうか、という風に考える。

単純に考えれば、粗利益率の高い商品を扱い、それをたくさん売れば利益の額は大きくなる。しかも効率的な仕組みを導入すれば社員一人当たりの利益の数字も大きくなろう。大事なのはどうやって粗利益率が高く、しかも売れる商品を仕入れるかという点であろう。ライセンシングビジネスは確かに粗利益率は高い。けれども、それを採用する人がいなければその価値は事実上ゼロである。「確実に売れる」という前提条件が必要なのだ。

「フォーカル・ポイント」という言葉がある。日本語では「焦点」という意味だ。太陽光線を虫眼鏡で焦点を合わせれば紙は燃え始める。フォーカル・ポイントにはそんな偉大な力が隠されている。一般に人間というものは弱い生き物なので、なかなか一つに絞り切れずに人生を無為に送りがちだ。寝食を忘れて何かあることにひたすら情熱を傾け、ライフワークともいえる仕事に取り組んでいる人は少数派なのではないだろうか。

不思議なもので、真剣かつ客観的に世界を眺めていると、その中に隠された本質的なある一点を必ず発見できる。私たちのようなベンチャーはそのポイントにフォーカル・ポイントを合わせ集中し、その一点にだけ全精力を投入し、結果的に「傑作」といえる新商品を創り上げる。

その商品が売れるか否かは、その商品を創ろうと思った切欠や創る過程における姿勢に全てはかかっているといってもよい。どれくらいの思いをその商品に抱けるかで全てが決まるのだ。だからこそ、大切になってくるのは、その商品が本当に社会的に価値があるものかということ、それから何よりも私たちの才能が十分に発揮され、面白く楽しんでその仕事に取り組めるかという点に尽きるであろう。

あわよくば世界を変革するような歴史的な出来事に遭遇し、それを自らの力で成し遂げることに喜びを見出せることができそうなのであれば、きっと売れる商品は創れる。そんな信念がベンチャー経営では外せないポイントなのではないだろうか。それこそが長年にわたるそのベンチャーの成長の源になるような気がする。

実際にハイテクベンチャーの経営していた分かってきたことが一つある。それはある新商品を開発する時、そのスケールが大きければ大きいほど、その開発やマーケティングの過程でそれだけ大きな難関が待ち構えているということだ。ベンチャーの場合、人材や資金、設備は限られる。大きなプロジェクトに取り組もうとすれば、最悪の事態に備えて予めいろんな手を打つ段取りが必要だ。折角いいところまで進んでいるのに、開発資金が尽きて終わりになるベンチャーは数え切れないくらいある。

この問題に対する、私なりに考えた対策は創業期から多少なりとも利益をあげるような企業体質にし、その利益をフラグシップともいえる新商品の研究開発に投入するという経営方針である。そうすれば、外部から資金調達をする必要はないので、他人の思惑に左右されず、あらゆる面で落ち着いて自由度のある意思決定ができる。これが売れる新商品の研究開発に向けてポジティブフィードバック的な効果を及ぼす。

このやり方の場合、肝心の商品が出来上がるまでに多少時間がかかり、その分業績の曲線が右にずれることになる。しかし、その新商品が本当に売れるならば寧ろそのように取り組むべきだと思う。何故ならば、たとえその新商品が無かったにしても利益は出ているわけで、最悪その新商品の全く売れなくとも経営上問題は全くない。幸運にも売れた場合は、ライセンシングビジネスであるため、売れた分はすべて利益になる。

新規性のあるハイテクベンチャーの新商品というものは発売と同時に爆発初的に売れるものは稀で少数派だ。一般にそれが社会的に意義のあるものであるならば、ある程度の時間を経て徐々に売れていき、クリティカルマスというポイントを超えた時点で爆発的に普及する傾向にある。それはその商品の性質によって異なるだろうが、そのかたちはどんな分野にでも共通するものだと思う。時間軸上に展開される、時代の潮流をどうやって見極めるかが勝負の分かれ目となろう。

経営者は勝負すべき商品とタイミングを自由に取捨選択できる。未来の空間において、いろんな新商品について売れるピークポイントを考えてみる。現有のスタッフで経営的に現業で黒字を維持しながらそのピークに合わせて研究開発し、マーケティングできるならばその新商品を選択すればよい。そのようにすれば成長は確実に見込める。もしその新商品が当たれば、ライセンスビジネスは粗利益利は100%なのだから高収益性を加速しながら急成長をも期待できるかもしれない。

(つづく)

  

2005 年 04 月 15 日 : Core concept -2-

小学生の頃、社会科の授業で習った「再生産」というキーワードがいまも頭の片隅にある。存続する限り、企業では製品やサービスが延々と再生産され続ける。毎年毎年それが同規模であれば「単純再生産」、増加傾向にあれば「拡大再生産」、減少傾向にあれば「縮小再生産」と呼んでいたことを記憶している。

会社というものは適正な利潤をあげて、それを新しい投資に回し、人員や機械などの設備を強化し、拡大再生産を続けなければならない。先生の話を聴いてそんな風に小学生ながら考えていたのが、今更ながら懐かしい思い出だ。

利益の約40%は税金として納めることになる。拡大再生産によって新たな雇用が創出されるし、それに必要なモノも売れる。だから、利益をあげるということは社会貢献に繋がっているともいえよう。問題は如何にして利益をあげるかだろう。これはベンチャー起業の永遠の課題でもある。

さて、商売をしていると「利は元にあり」という格言のような言葉をよく耳にする。商売する上で利益は企業存続の糧であり、その利益は良き仕入れから始まるという意味らしい。良い品を仕入れて妥当な値段で販売し、適正利潤を得ると考え方である。松下電器産業株式会社創業者の松下幸之助氏によれば、仕入先から良い品を安く買い叩くのではなく、お客さまと同じくらい大切に仕入先と接してゆくことこそが何よりも肝要であるとのこと。確かに利は元にあるようだ。

未来永劫、企業が成長し発展してゆく進捗の度合いは毎年内部留保される利益の多寡によって左右される。従って、どうすれば利益は最大化されるのかという問い掛けは企業を経営していると避けて通ることはできない。ベンチャーの創業期であれば会社自体の資本や資産も少ないわけだから、尚更どうやって利益を上げ、それを内部留保し、会社を健全に成長させてゆくべきかというのは最重要課題に思える。

会社が育つことで仕事の範囲や規模も大きくなり安定感も増す。遣り甲斐に溢れるスケール感ある仕事にも恵まれる。そして自分たちの能力の限界に挑むことも可能だ。ゼロから無限大へと伸びる成長曲線の軌跡を描きながら、未知の世界を探検する楽しみ。実際のところ、それがどういったものなのかは当事者にしか理解しえないかもしれない。人によってはワクワク&ドキドキする体験ではないだろうか。

大抵の場合、ワクワク感、ドキドキ感というのは、初めて経験するものに対して抱く、掛け替えの無い人間だけの感情ではないだろうか。そして、その気持ちは主として自分がそれによって何か変化する時に自然に湧いてくる不思議なものに思える。子供の頃、未知の世界のいろんな出来事を経験し、それに触れる度にある種の感動や感銘を受けながら成長した。あの感覚に近い。

ベンチャーにはそういった魅惑に満ちた一面が隠されている。毎年毎年、見える景色や風景が四季折々ダイナミックに変化するのだ。その度にいろんな出会いや出来事に一喜一憂しながら、私を含むスタッフ全員、そして会社が成長してゆくのである。そんな会社の成長の源泉は利益にある。時間軸をも想定した上で、その利益をどうやってバランス良く最大化させるかというのが会社経営上の大切な課題に思える。

短期的に儲かれば良いというのではなく、長期に渡って継続して安定的に利益がでる仕組みが大切だ。そのためにも「利は元にあり」という昔から伝わる、シンプルな言葉をどのように解釈するかがヒントになりそうだ。

粗利益とは売値から仕入れ値を引いたもので、粗利益が会社の利益の元でもある。単純な話だが、仕入れが無ければ、粗利益率は100%ということになる。利益という観点からすれば、これこそまさに理想の状態だ。商売をする上では究極の姿だろう。極論、仕入れ値が0円であるなら、ゼロで無い限り売値を如何様に付けても粗利益率は100%である。勿論、粗利益に売れた数を掛けたものが全体の利益に繋がってゆくので、売れる数の方も重要だ。

以上のようなロジックを背景にして、ベンチャーを創める時に最重要視したのはこういうことだ。即ち、粗利益率が限りなく100%に近く、売れる数も多い。そういったビジネスモデルをどうやって構築するかということだった。その問いに対する一つの回答が携帯電話向けソフトウェアのライセンスビジネスであった。ライセンスするソフトウェアそのものを自社で研究開発し、製品化し、それをインターネットで世界中に配信する。そのようなビジネスモデルが完成した暁には、その製品が売れるという前提で粗利益率100%のビジネスが成立することになる。売れる数は世界の携帯電話の台数だけあるのだから、その利益の絶対的な数字も大きなものとなろう。

塵も積もれば山となる。たとえ一個あたりの粗利益が低くとも数が多ければ、掛けて足した数字は大きくなる。そんな算法が応用できる。

このビジネスモデルの最大のネックは商品であるソフトウェアが完成するまでは売り上げが確実にゼロであるということ。それから長い時間と多額の開発費用をかけて商品が完成したとしても売れる保障はどこにも全く無いということだ。虎穴にいらずんば虎子を得ず。それにすべて賭け、自分たちを信じるしかなかった。

しかし、やり方次第では限りなく高い確率で売れる商品の研究開発も可能であることが事業を進めている過程でだんだんと分かってきた。この場合、「利は元にあり」にいう「元」に相当するのは私たちそのものであり、自らコントロール可能なパラメーターだ。本来なら仕入れるべき商品を私たち自身が創ることになるのだから。松下幸之助氏が指摘したことを応用するならば、経営者の立場としては、自社の商品であるソフトウェアを開発する人たちを大切にしたり、職場環境をよりよくすることに心掛けた。そうすることで全てが前向きに加速して進んでゆくように感じられた。

(つづく)

  
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