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2006 年 03 月 02 日 : 数学からの発想 II

[問題]

  円周率 π = 3.14 として、半径 10 センチメートルである円の面積を求めなさい。

勿論、解答は『314 平方センチメートル』である。小学生でも簡単に解ける問題だ。

何故なら、半径 r の円の面積 S は以下の式で求めることができるからである。

   S = π × r × r

極めて単純な公式である。

けれども、何故 S = π × r × r なの ?と問われた時、どれくらいの方が正しく答えれるだろうか?

高度な数学的な理論が要求されるので、ほとんどの方は証明できないと思う。

肝心なポイントは、この公式を証明するところにあるんじゃなくて、こういった公式の存在そのものの有り難さにあるのだ。

大学レベルの数学的な知識なくしても、単純に公式にパラメーターを当てはめるだけで小学生でも簡単に問題が解けてしまうという事実である。

小学生でも円の面積が計算できるように、ソフトウェアの世界でも、将来的にはそういった公式や定理のようなものの積み重ねによって、誰でも簡単にソフトウェアが開発できる時代がやってくると考えている。

いま、僕たちはそんなインフラを数学的なアプローチで構築している真っ最中である。

  

2006 年 03 月 02 日 : 数学からの発想 I

コンピューターの理論そのものが 2 進数の数学ということもあって、研究開発で最も大切にしているのは数学的なアプローチ。

いま、この日記をインプットしている正確な住所は、『日本国京都府京都市左京区田中関田町 2 番地 7』である。

話を簡単にするため、高さを無視し、2 次元の世界で考えるならば、2 次元平面上の全てのポイントは、その平面の基本的な 2 つの要素の組み合わせで表現できる。例えば、緯度と経度の組み合わせによって表すことができる。

『日本国京都府京都市左京区田中関田町 2 番地 7』であれば、( 北緯:35.01.42.56、 東経:135.46.37.85 )である。

人は日本語で記述された住所の方が分かり易いが、正確さやシンプルさ、機械的な処理からは、緯度と経度の組み合わせによる数字の表現の方が圧倒的に優れている。

コンピューターの世界では、『日本国京都府京都市左京区田中関田町 2 番地 7』を、(N35.01.42.56, E135.46.37.85)という無味乾燥な数字に置き換えて処理がなされるのだ。

その方がスペースも少なくて済むし、機械的な処理をするプログラムも開発しやすい。

簡単な例で言えば、『3.141592653589793238462643383279…』という、延々と意味不明な数字が並ぶ『円周率』を単に『π』と置き換えることによって数式が断然見やすくなるのと同じ感覚である。

これは全然高度な数学的な理論じゃなくて、全く当たり前の基本的な概念に過ぎないけれども、とても大切な原理原則だと思う。

複雑なものを基本的な要素に分解し、それにマッピングするのである。

携帯電話向けソフト開発の場合であれば、"サイズ"、"スピード"、"ユーザーインターフェース"という 3 つのベクトルで構成される座標軸からものごとを洞察するスタイル。

僕たちの仕事の大半はこのような原理原則を繰り返し適用しながら進められている。

  

2006 年 03 月 02 日 : Atomic energy

小さな原子レベルの話ではあるが、2 つの原子核が融合し、新しい原子核が生まれる、核融合の時に放たれるエネルギーは巨大である。

逆説的だけれど、本当に衝撃的なものって実際のところ原子のような矮小な世界にあるのではないか。そんな想いを抱いて研究開発事業を展開している。

お客様の声をよく聴いてニーズを見出して、商品やサービスを開発し販売せよと言われる。

確かにそうすれば、そのお客様や同じようなニーズをもった人々にその商品は売れるかもしれない。

でも時を超えて万人に選ばれるものって、そんな行動パターンで生まれるのだろうかという疑問もある。

例え今風のトレンドにのって流行っている曲にしても、数百年後の世界では跡形もなく消え去っているのが大半ではないだろうか。けれどもモーツァルトの曲はいまもなお人々に愛されている。

流行っている曲もずっと愛され続けられるのってのもある。だから可能性はゼロではない。

そこで考察すべきなのは、モーツァルトは具体的な人々のニーズに従って妥協しつつ曲を作ったのだろうかという空想である。

僕は、モーツァルトの曲は、人間という生き物の心に共通する本質にシンクロして創られたのではないだろうかと思っている。

具体的なだれそれのニーズじゃなくて人間そのものが求めるものを創造したということである。

だから数百年の時が経過しても世界中の人々に親しまれているのではないか。

僕たちもそんなスタンスでいろんなコンセプトを構想しインプリメントしていきたい。

今のところ、まだ人間の本質を捉えたプロダクトやサービスを創造するという域には達していない。けれどもコンピューターというもののエッセンスを大切にして研究開発を推進している。

具体的には、コンピューターは 2 進数の数学で動作していると抽象的に考えてよい。

ただ数学の世界と異なるのは、人にとって時間は有限でありコンピューターを構成する部品の大きさも有限であるという現実だ。

人間の歴史は既知の境界線を未知の領域へと拡大してきたと言っても良い。

そんな時代の流れに僕たちも乗ることができれば、ベンチャーと言えどもきっと成功するだろう。

そういった発想から、コンピューターをコントロールするソフトウェアの世界で、スピードやサイズといった制約を革新するような事業は、いつの時代であろうと何処においても必ず人々に必要とされるだろう。

根本的な領域ではあるが、そんな原子レベルの世界にこそ秘められた偉大なパワーがあるんだと信じている。

  

2006 年 03 月 01 日 : Universality

21 世紀に繁栄する企業のカタチについて考える機会が多い。

僕はこんな風に思う。

産業革命以来、社会は急速に進歩し発展した。コンピューターとインターネットによる情報革命によって時が刻まれるスピードが更に加速している感は否めない。

もしそうだとすれば、時代のスピードにどのように対処し変化してゆくかが重要なポイントとなる。

物理的な問題の場合、慣性の法則で、重量が重いものよりも軽いものの方が今の状態に止まろうとする慣性力は弱く働く。

そんな推論をすれば、ダイナミックに変化し続ける世の中にあって、生き残るための条件は身軽な少数精鋭の組織体ではないかと思った。

人数が少ないからといって、それ相応の仕事をするんじゃなくて、できれば少人数なのに世界にインパクトを及ぼすような何かを達成したいという願いがある。

それ故に、ほんの数人しかスタッフがいないのに、世界的に評価されるビジネスモデルは何かという問題への解決策が全てに優先する経営課題であると思って、この事業を推進している。

人数が少なければ、当然、創るものも小さなものになってしまう。

けれども、大きなものも分解すれば小さなものが構成要素になっていることは自明の理である。

大切な発想は、巨大なものでも、それを構成する最小単位のもので最も付加価値の高いものは何かと洞察することだ。

そして、時間軸や空間軸といった座標軸を超えて、普遍的で、クラシカルなものを探し求めることなのだ。

それさえ見つかれば、小さなものでも何十年以上にも渡って世界中で選ばれ続けることだって有り得る。

これからの未来のベンチャーでは、こういった発想は無視できないものとなるだろう。

  

2006 年 02 月 28 日 : Fast track

本日、SophiaCompress(Java) という、世界中の、携帯電話で動作する Java アプリを圧縮するソフトウェア製品をバージョンアップした。

この製品に関して言えば、大きなバージョンアップはこれで 4 回目である。

ソフトウェア製品のビジネスを手掛ける時、最も大切だなと思うのは、その製品の起承転結ともいえるプロダクトライフサイクルを鮮明に描いておかねばならないということだ。

初期の段階では、ベンチャービジネス故にその時点では顕在化しているマーケットのニッチなセグメントを発掘しうるかどうかが重要なポイントとなってくる。

これが見つからない限り、ソフトウェア製品を手掛けるベンチャーはテイクオフできない。

だからまずはそんなマーケットセグメントを追い求めて全力投球すべきである。

光があるところに影は必ずある。光と影はお互いに分けることのできない相矛盾する概念である。光が強ければ強いほど、それに比例して影も大きくなるものである。

ニッチなもので将来性のあるものは見出すには、世間の脚光を浴びる中でも、意外にも注目されていない影の部分を見るべきなのだと思う。

携帯電話が、ゲーム機になったり、ナビゲーターになったり、テレビになったり、ブラウザになったり、財布になったり …。

人々の関心は次々と起こる携帯電話での新しい出来事に釘づけになる。

でも、普通の人が全く興味を抱かないことは携帯電話の何か?という新しいビジネスの種を発掘するのがベンチャーの醍醐味なのだ。

携帯電話のアプリのサイズなんてほとんどの人は知らないけれど、携帯電話のアプリのサイズには容量制限がある。

如何なる物事においても制限を越えた世界に「新しい驚き」があって、それが人々の「感動体験」を惹き起こす。

スポーツの世界で言えば、世界新記録が樹立される瞬間の目撃者になった時の感動に近い。

そんな「感動」を生じせしめるかどうかが僕達にとっての勝負なのだ。

携帯電話のサイズ制限という壁をクリアすることにより、携帯電話の Java アプリに新しい世界を創ろうとして、 SophiaCompress(Java) の研究開発に没頭してきた。

携帯電話の Java アプリに対する人々の関心や興味が大きければ大きいほど、影の世界である僕たちへの期待も自然と高まってくるだろう。

こんな風にして、ソフトウェア製品が確実にヒットするための、最初のビジョンを脳裏に鮮明に思い描いてビジネスを推進してきた。

創った製品が売れるという最初の関門を潜り抜けた向こうの世界の景色は晴れ晴れとしているように感じる。

世界唯一の機能性で売れるものが創れれば、その後は信頼性や性能そしてユーザビリティを高めて行けば良いだけなのだ。

SophiaCompress(Java) はそういったファーストトラックに乗った製品と言えるかもしれない。

いくら失敗するのがベンチャーだからと言っても、常勝し続けるイメージで研究開発したものは堅実に全てヒットさせるべきだと思う。

ベンチャーをやっている多くの人は、思い付きやアイデアを実現するだけに集中するあまり、確実な成功への意識がおろそかになり勝ちな気がする。

スピードは落ちるかもしれないけれど、100 戦 100 勝の戦略・戦術の構想にもっと多くの時間を割くべきではないだろうか。

然るべき時に、きっとその流線型の軌跡は加速度を増してゆくに違いない。

  

2006 年 02 月 22 日 : Establishment

今からちょうど 4 年前の 2002 年 2 月 22 日に、ソフィア・クレイドルという会社が誕生した。

ワールドワイド、クール、新しい香りを感じさせるような組織体を目指して創業した、あの日が昨日のことのように今もなお新鮮に生き生きと思い出される。

アスリートのチームのように、その時々のベストなメンバー構成で組織もダイナミックに変化している。リレーの如くある人から別のある人にバトンが渡されながら、人も会社も成長をしている確かな実感が得られるのは他に代えることの叶わぬ体験だろう。

最初の頃、時に目的地点が見えなくなり模索する日々も多かった。

けれども、その都度、人間という生き物の限界にチャレンジすることで、見えないものも見えるようになるという能力が身に付いてきた。

それから何よりも、製品を購入してくださったお客様、励まし見守ってくれる方々にはこの上なく深く感謝の意を表したい。

ネットの世界でよく言われるキーワードとして「ドッグイヤー」がある。ネットの業界はテクノロジーの進歩が余りにも激しいので、この業界の 1 年は普通の業界の 7 年に相当するという意味である。

この言葉はこんな解釈もできると思う。

僕たちの 1 年は、普通に暮らしている人々の 7 年に相当するのかもしれないという考え方である。

仕事の質と量、集中力からすれば、普通、1 週間でする仕事を僕たちは 1 日でするよう心掛ける。そうしなければ生き残れない厳しい世界であり、生き残ることができればワールドワイドな業界でクールさというものを味わえるのではないだろうか。

そこに人生の喜びや価値を見出せる。

実際のところ、何事においても達成感というものはそんな風にして自ら獲得するものなのかもしれない。

  

2006 年 02 月 22 日 : Swift bic

SWIFT BIC をご存知だろうか?

僕も海外取引を始めるまでは全く知らなかったのだけれど。

海外に送金する時は、直接相手の銀行口座に振り込まれるのではなく「外為センター」と呼ばれる銀行を経由して振り込まれる。

その「外為センター」のコードのことを「SWIFT BIC」という。

弊社の場合、取引銀行は「みずほ銀行」だから「SWIFT BIC」は"MHBKJPJS"。

先方に、この「SWIFT BIC」と呼ばれるコードと取引している銀行の支店名の英語名称と店番号、口座番号を伝えるだけで肝心のお金のやり取りは完結するのだ。

あとはオファーシートと呼ばれる、注文書兼請求書みたいなものを作って、お互いに署名しFaxすれば受注と請求の業務は完了である。

扱っている商品はソフトウェアなので、受注、請求、入金の業務が終われば、後はネット経由でお客様に光速のスピードで届けるのみ。

実際にやってみれば簡単なプロセスなのであるが、これを貿易関係の専門書を読みながら一人で遂行するのにかなり手間取った。

どんなことでもそうだけれど、最初の 1 回目というのは 2 回目以降の圧倒的な手軽さと比較して大変だなと改めて実感する。

サラリーマンをしてた頃、それぞれ専門家がいて何か分からないことがあれば彼ら、彼女らに任せれば、それで終わりだった。

起業すれば、そんなわけには行かない。最初、社長はあらゆることについて自ら考え、そして行動する習慣が求められる。そうしない限り何も始まらない。

無から有を生み出すとは正にそのことなのだ、と実際にやってみてよく分かった。

これは自分に向いて無いことでも、会社の存続や存亡、繁栄がかかれば、選択の余地はない。やるしかないのだ。

"静"から"動"のフェーズに移る時の慣性力をどうやって超えるかが大切であるが、思いが強ければそれもなんて事はない。

しかも、一旦、"動"のフェーズに入れば、逆にそれが慣性力となって後押ししてくれるから皮肉なものである。

0 と 1 って数字の大きさだけからすれば対したこと無いかも知れない。

けれども、現実の世の中の仕組みは掛け算で動いていると言っても良い。

例えば、売上は 商品単価×販売数量 である。

それを考えれば、0 に 100 を掛けても、1000 を掛けても、何も掛けても 0 に変わりは無い。

しかし、1 に 100 を掛ければ 100 になるし、1000 を掛ければ 1000 にもなる。掛ける数字の大きさに応じて、数字もどんどん大きく成長していくのである。

"有"の有難味というのはそんなところにあるからこそ尊いんだし、最初は苦しいけれどもやるだけの偉大な価値があるのだ。

今日、ブラジルのあるお客様から商品の代金の送金があり、商品をインターネットで送る業務をこなしていた。

その処理自体は瞬間的に完了するものに過ぎなかったけれど、海外との取引業務というプロセスを確立するまでには膨大な労力を費やした。

1 回目は大変だけど、2 回目からは瞬時に海外の取引は完了するのだから、そんな苦労は全然大したことないと思えるのが有り難い。そういうトレードオフをどう見積もるかが起業家に要るセンスの一つかもしれない。

インドからも注文が来ている。同じように処理するだけなので 2 回目からは手作業でもたった数分で受注から請求、出荷は完了してしまう。

"有"の尊さを実感できる瞬間である。

  
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