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Sophia Cradle IncorporatedPresident Blog : Sophia Cradle

2007 年 01 月 11 日 : インターネット・コミュニケーション

京都のビジネス街と言えば、四条烏丸あたりだろうか。

ここから 3 キロしか離れていないのだが、河原町界隈には食事のためによく出掛けるけれどビジネスで立ち寄ることは滅多にない。

でもビジネスでは北米、南米、中国、ヨーロッパ、インドなど世界中のお客様とのコミュニケーションは、日を追うごとに加速感がある。

なんとなくパラドックスのような気がしなくもない。けれども想像も及ばない新しい世界がそこにある、と確信している。

いまや半分くらいは海外の国籍を有するスタッフで構成されるようになってきた。

2〜3年後には、大半のスタッフは日本人以外であるような、インターナショナルな企業になるんじゃないかと予測している。

さまざまな人たちとアイデアをスパイラルさせて、かつて誰も見ることが無かった夢のある未来を創るのが目標でもある。

  

2006 年 12 月 29 日 : 世界への展望 2007

今年の仕事は終えたので久々に投稿してみる。

矛盾するかもしれないけれど、今年も2回の講演会以外は外出せずに、社内でグローバルマーケティングについてネットで試行錯誤していた。

英語のサイトも少しはまともになってきたような気がする。

ベンチャーといえば、営業力に命運が掛かっているといっても過言ではない。

けれどもインターネットがブロードバンド化し、ユビキタスというほんの一握りの人しか知らなかったキーワードが日経新聞にも登場する昨今である。

それは様々な意味での『変革』を示唆する兆しではないかと思い、ベンチャービジネスのニッチを見出そうとしている。

典型的な例は Google であろう。

「Google の営業マンって想像できますか?」

その答えに21世紀型ビジネスモデルのヒントが隠されていそうだ。

外出しなくてもグローバルにビジネスを展開できる企業。

十数名のベンチャーでありながら、ヨーロッパや北米、シリコンバレー、中国 ・・・世界の拠点にバーチャルなスタッフのネットワークを持つ企業。

それが新しい企業という気がする。

アルファベットの文字で刻まれたメッセージは社内のネットワークを駆け巡る。

PS:

もし宇宙を俯瞰できるとすれば、京都から東京へ、京都からシリコンバレーへの距離は無きに等しい。けれども宇宙のスケールと比べると、あまりにも儚いが故に却って距離感を感じてしまう。

時空を超えて宇宙を眺めるには…というのが僕の永遠のテーマでもある。

  

2006 年 06 月 07 日 : Objective of technology

ソフィア・クレイドルは研究開発型ベンチャーであり、現在はモバイルという分野におけるソフト技術で新しき何かを追い求めて事業を展開している。

だから「技術(テクノロジー)」という言葉にはとりわけ敏感である。

そもそも、「技術って何?」と真剣に問い掛ける人も珍しいくらいに有り触れた言葉なんだけれど、そんな問い掛けから、研究開発型ベンチャーはスタートすべきかもしれない。

一般には、"技術"とはモノやサービスを創り出す方法のことであり、その目的は人間を原始的な暮らしからより豊かな文化ある生活へと導くためのもののようだ。

技術があったから、生活も良き方向に変化したし、新たな技術の誕生がある限り、人々の生活の進化発展はきっと継続するだろう。

それくらいに技術は人類に大きな影響を及ぼしているのにもかかわらず、一般的には無頓着な捉え方しかなされていないようにも感じられる。

技術開発に携わる人たちの世界においてさえ、そういった傾向が見受けられるくらいである。

では、ソフィア・クレイドルの R & D で大切にしたい考え方は、その技術が如何にして人々の生活を革新し得るのだろうかという洞察である。

言い換えれば、この技術によって、人々がどれくらい素敵な景色を初めて眺めえるのだろうかという想像である。

  

2006 年 04 月 16 日 : Quite something

ベンチャー故に、絞り込んだ領域でソフトウェアに関する研究開発事業を営んでいる。

常に心掛けているのは "something" という雰囲気かもしれない。

何を意味するのかと言えば、さまざまな障壁を乗り越えて生まれた作品が、瞬間的に分かるようなものじゃつまらない・・・という発想である。

何か得体の知れぬもの。

世界を観察していると、ロングセラーと言われるものほどそんなオーラに満ちている。

誰にでも分かり易くプレゼンすべきなのかもしれないけど、"quite something"なものはきっと一筋縄ではいかないのだろう。

何故なら使う人の環境によって、それは生き物のように七変化するからだ。

そんなものがひとつでも創造できれば、心の充足感は計りしれないほどと思う。

だからこそベンチャーをする意義があるのかもしれない。

  

2006 年 04 月 12 日 : 不易流行

「不易流行」という言葉がある。

かの有名な松尾芭蕉の俳諧理論を集約した概念で、芭蕉が創った言葉といわれている。

『去来抄』では、不易と流行に分けてこんな風に解説されている。

「去来曰く、蕉門に千歳不易の句、一時流行の句と云ふ有り。是を二つに分けて教へ給へる。その元は一つ也。不易を知らざれば基立ちがたく、流行を知らざれば風新たならず。不易は古へによろしく後に叶ふ句なる故、千歳不易といふ。流行は一時一時の変にして、昨日の風、今日よろしからず。今日の風、明日に用ひがたき故、一時流行とはいふ。はやることをする也。」

簡単に言えば、不易とは不変、流行とは変化を意味し、それらの根本は同じということらしい。

ご存知の通り、俳句は季語を含む五七五の三句十七音からなる定型詩である。

ともすれば、マンネリしがちな俳諧の世界にあって、どうやって道を切り拓いてゆくべきかという芭蕉の悟りが「不易流行」に込められているのかもしれない。

俳句ほどではないにせよ、携帯電話向けソフトウェアの世界にも、「不易流行」に通じる何かがあると考えている。

携帯電話では PC やサーバーといったような無尽蔵なハードウェア資源を期待できない。

けれども、十七音からなるたったひとつの俳句によって新たな境地が切り拓かれて人々の心に刻まれるように、携帯電話向けソフトウェアでもそれが充分に可能だと考えている。

未来永劫に変わらぬ原理原則のようなモノなくして何も始まらないし、そこから出発して一風変わったモノなくして普遍的な知の体系がひろがることもない。

不易から出発した流行の中から新たな不易なものを発見する。

そして不易なモノを系統立てて、コンパクトな携帯電話向けソフトウェアとして、ステップバイステップに積み上げてゆく。

僕たちの仕事は概ねそんな風に芭蕉の「不易流行」というスタイルを目指しているのかもしれない。

結論として言えるのは、僕たちの創っているものは日々変化に富むものかもしれないが、その基本は携帯電話に限らずあらゆるコンピューターに応用できるというコンセプトである。

  

2006 年 04 月 10 日 : アプローチ

起業した当初最も思考を巡らせたことは、どうすれば如何なる競合が現れても生き残れるかという戦略と戦術であった。

自然界と同じくビジネスの世界も弱肉強食の厳しいルールに従って動いている。

強くなければ生きていけないのである。( 優しくなければ生きる資格がないとも言われるが … )

そのために己の力を付けなければいけないし、戦い方も裏の裏まで見通して考え抜かなければならない。

基本的な戦法というのは、競争相手が現れても一対一の戦いに持ち込むあたりにあると考えた。

ソフトウェア業界でのそれに相当する発想は、音楽の例から示唆される、曲のトータルなイメージが一人の作曲家から創られるごとくトータルな設計思想のようなもので勝負するということだ。

それで、多人数よりも一人で作業する方が圧倒的に秀でた結果が生まれるイノベーションとマーケティングのコンセプトにかかわる分野に集中特化した。

こうすればベンチャー企業以外は基本的に競争相手はいない。

何故ならば、大企業には僕と同じくらい土日もなく寝食を惜しんで働いている者も滅多にいない。そもそもそんなモチベーションも持ち得ないだろうし、自分の身に迫る危機や危険を感じることも少ないと思うからだ。

ベンチャー企業だけは競争相手として注意を払うべきである。

けれども全体的な傾向として言えるのは、直ぐに現金化できるビジネスに走るベンチャーは多いが、3 〜 5 年しないと結果が見えない気の長い事業に取り組む者は少ない。

そのような背景から僕が狙ったのは、世間で持てはやされる短期間で株式公開するようなベンチャーではなく、長期的なスパンで永遠の発展が望める堅実な事業であった。

  

2006 年 03 月 28 日 : Chain reaction

いま眺めているパソコンはネットに接続され、その向こう側には何十億台ものパソコンがシンメトリックにネット接続されている。

こんな幻想的な世界は 10 年前は想像すら出来なかったと言えよう。

たった 10 年というスパンで世界全体が変貌を遂げ、別の方向へと進みだした感がある。

何十億もの世界の人々とネットで繋がっている認識があるかないかで、主観的な世界の広がりも全然違ってくる。

生涯で勝負できる、数少ない絶好のチャンスである。

いまだにネットが珍しかった時代と同じスタイルでビジネスをしている経営者が多いように思える。

自分独自の考えを客観的な方法で表現し、ネットに情報発信するスタイルが何よりも優先されるとして僕はポリシーを曲げることなく行動している。

ここ数年というもの、営業で外出することもなければ、資金繰りで奔走することもない。セミナーや勉強会、業界団体の集会に出席することもない。講師として参加したことはあるけれども。

いまは、ただ自分と向き合って、これから激変する未来を主観的に構想しネットを通じて世界の何十億人もの人々に伝えることが肝要だと考えて、只管そればかりしている。

世界には「何十億人もの人々がネットに繋がっている」という事実をどのように捉えるかである。

アタマに想い描く世界観が極めて個人的であって、1000 人に 1 人しか熱狂的に賛同しないにしても、世界全体では数百万人もいることになる。

従来であれば、己の足で接触できる人の数に限りがあったため、どうしてもお願いして賛同してもらう必要があった。

ネットの世界では、それが全く逆になって、好きな考え方やモノが存在していたら好んでそれを選ぶという流れになる。売り手も買い手もどちらも好意的に納得する形でビジネスは進んでゆく。

そんなスタイルのビジネスが成功するか否かは世界の人々がそれを選ぶかどうかだろう。

人々から選ばれるものはどのような発想から生まれるのかが最も重要かもしれない。

宇宙全体はいまも膨張していて、僕たちの地球を包む銀河系は猛烈なスピードで宇宙空間を移動していると言われる。

けれども、僕たちにはその実感は全くない。辛うじて、地球が自転していることや太陽の周りを公転していることを、朝昼晩或いは春夏秋冬という時の流れから理解できる程度である。

空を飛んでいる飛行機や道を走る自動車はどうだろうか?

明らかに、どちらからどちらの方向へどれくらいのスピードで移動しているか自分の目で確認できる。

目隠しをされて外界が全く見えない乗り物の中にいたとすればどうだろうか?

何も知らされていないとすれば、きっとどこに向かって進んでいるのか皆目見当も及ばないと思う。

これは何を意味するかというと、世界を自分の中からだけ除いていれば世の中の潮流から外れて行動してしまう失敗をしてしまう危険性があるということである。

自分の外から世界全体を眺めることができれば、世の中の潮流に素直に乗ることができて、自分の主張がすんなりと受け入れられる確率も高まる可能性が高くなるということである。

インテルのCPUを直接自由に使いこなせる人は何人いるだろうか?1000人に1人とか、1万人に1人とか、…ってな感じで、そんな人は珍しい。

でも、インテルのCPUが入っている Windows パソコンは誰にでも使えるくらい至極簡単である。

自分が主張するものが0.1%の人にしか受け入れられなかったとしても、それを理解してくれた人がその考え方を加工、編集し、付加価値を与えることで、次の段階では全体の1%に増えることだって珍しくないのがネットである。

ネットの良さは情報が融通無碍に人から人へと伝わり、かつそのプロセスにおいて付加価値が高まることも有り得るし、そのスピードが光速である点だろう。

僕が狙っているビジネスというのは、自らが発信する情報に人々が重層的に付加価値をアドオンして、次第次第に理解する人々が増えてゆく自然な流れを創り出すことである。

  
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