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Sophia Cradle IncorporatedPresident Blog : Sophia Cradle

2005 年 04 月 15 日 : Core concept -1-

いま自分の心の中にあるイメージによって未来はかたち創られる。どんな環境下でも果敢に挑むことを怠らなければその思いは実現するという。そのために核心ともいえるコンセプトを、それに集中できるように明確な文書にすることは大切だ。文字や絵にして表現するプロセスを通じて取り留めのない考えもしっかりとした、かたちあるものへと前進し収斂してゆく。

1回では全てを語り尽くせない。他の構想は後回しにして追々話すことにして、何回かに分けて「ソフィア・クレイドル」というベンチャーの事業運営のコンセプト的な辺りをまとめてみたい。ベンチャーを経営している上で遭遇する、あらゆる事象に対する意思決定の判断基準になっている拠り所みたなものである。

普通に考えると、テレビCMに出てくるような有名な大企業は完全無欠な理想郷のような存在に思える。しかし世の中のあらゆるものごとにはコインのように必ず表と裏の両面がある。

1990年前後くらいから日本の社会全体が高度経済成長期から停滞期或いは衰退期へと時代は移り変わっている。それとともに、多くの上場企業が崩壊し、吸収合併もしくは倒産を余儀なくされている。大企業の時代は終焉し、何か新しい変革の波が押し寄せている。ベンチャーを起業し新境地を開拓する、絶好のタイミングでもある。

優秀な人材に恵まれた大企業では、ある1人の卓越した社員の働きで大きな利益が会社にもたらされる例は日常茶飯事のようにある。しかし、1人当たりに換算すると母数が大きければ大きいほどその数字は小さくなってしまう。

利益を引き出してくれる社員が多ければその会社は確かに大いに発展するだろう。しかし、多くの社員は自分の給与分すら稼ぐのに四苦八苦している。有能な社員らが稼ぎ出した利益の大半はそういったところで穴埋めされ相殺される。それが多くの大企業の現実の姿だ。

寄らば大樹の陰。大企業には、輝かしい活躍をしている社員がいる一方、危機意識に欠ける社員も多い。将来への安心感、若しくはブランドのカッコ良さという理由で大企業に入社する人が大半を占める。世界的にもスケール感ある仕事をしたいがために、大企業に入社する人は寧ろ少数派だ。「モチベーション」というものを失った社員が多数在籍するのも事実だろう。

そういった洞察から私が悟ったのはこのことである。21世紀の時代は「一人当たり」の指標が企業の発展にとって重要になってくるだろう。年商や従業員数を誇るんじゃなくて、社員1人当たりの売り上げ、利益、それから平均給与などである。いくら会社全体の売り上げが大きくとも、個々の社員の生活が成り行かないのならば、それは大きな問題ではないだろうか。そこにベンチャー起業のチャンスを見出す努力をしていった。

会社の規模は小さくとも1人当たりの指標が大企業よりも大幅に上回っていれば誰しも未来のあるそちらの企業で働きたいと思う。時代はそんな方向にシフトしつつある。これまでの大企業というのはどちらかといえば、できるだけたくさんの社員を雇い、仕事をこなし、その企業の一部の幹部だけがいい思いをする。極、悪い言い方をすればネズミ講的なモデルのようにも見える。

スムーズに事業を立ち上げるにはどうしても設備面である一定以上の資本が必要であったり、ベンチャーに対する社会的なマイナス意識があったりして、敢えてベンチャー起業というような手を打つことが叶いにくかった。先見の明のある稀代の天才は当然のようにベンチャーを起業し、成功させている。しかし、その数は逆の意味で天文学的に低い確率でしかなかった。

ITバブル崩壊というようなものがあったにせよ、インターネットが発達し、コンピューターも手軽に買える時代になったいま、ベンチャー起業は確実にやりやすくなってきている。あと大切なのは起業に大変苦労する創業期をどうやって乗り切るかだと思う。

生き物と同じように、創業期の頃出来上がったかたちの相似形でベンチャーも未来へと成長してゆく。だから、最初にどういったコンセプトで事業を構想し、それを計画し、実際に行動へと移してゆくのかという仕掛けや仕組みが何よりも重要だ。多分、それが企業のDNAみたいなものなのだろう。

(つづく)

  

2005 年 04 月 06 日 : Imaginal

ソフィア・クレイドルのビジネスはミュージシャンの世界に近いといえる。直感と洞察により新たなソフトウェアをゼロからデザインし創作する。そしてそのソフトウェアはソフィア・クレイドルを起点にして世界中のワイヤレスな空間へとひろがり多種多様なモバイル機器に配信される、というビジョンを現実の世界に写像している。いろんなお客さまからのリクエストに応じるモデルではない。

そういうわけで、いまミュージックシーンがどんな風に動いているのかいつも興味津々で見入ってしまう。多くの人びとに親しまれている音楽にハズレはなく、アタリの曲はヒットすべくしてヒットしているような気がする。さらにモーツァルトのCDが現在数千円で購入できるからといって、ではそのソフトの価値や演奏家や、モーツァルト自身の価値がそれだけとは決して単純に計れないところも似ている。

退路を断ってベンチャーをするからには、奇蹟が必然になるようなメカニズムを予め組み込むことも重要である。これも音楽の世界から学べそうだ。9割以上が失敗するというのがベンチャーの宿命であるようにいわれるのはこんなところにあるよう感じる。それは、永き時間軸と広き空間軸から構成される「場」の中で展開されゆく理想郷の景色全体を色彩豊かに鮮明に思い描いた上で、そこへ至る道筋を明確化しつつ実際にその道を歩む人が少ないからではないだろうか。

音楽の場合、実にさまざま要素から構成される。ボーカル、ギター、ベース、ドラム、キーボード、ピアノ、作詞、作曲、レコーディング、プロデュース等など。爆発的にヒットしている曲ではすべての要素が偶然にも調和を保ってパーフェクトになっているように見えて、実は、必然的にそうなっているのだと思う。一発屋というのもあるようだが、長らく第一線で活躍しているミュージシャンには、偶然という言葉は存在しないように思えてくる。

まるで生き物のように神秘的なそのかたちを頭の中に空想し眺めていると、ヒットするような曲にはあらゆる要素に超一流といったものが感じとれる。そのグループでしか演奏できない音楽に、必要な各要素がベストにパフォーマンスされるような最適化プロセスが働いているような気がする。その根本にあるのはそれを演じているその人の使命と役割だろう。その人が、そのバンド、グループがまさにその曲を演奏するからこそ、多くの人びとから親しまれる素晴らしい音楽が生まれる。

私たちは、それと同じようなことをソフィア・クレイドルというベンチャーという枠組みの中で実現しようとしている。シナリオ通り、必然といえるほどに事が運ぶようにするにはどうすべきか。これが肝心なところだが、この時一番大切な考え方は、まずはミュージシャンがグループを結成する時と同じように、その音楽を構成するボーカルやギター、ベース、ドラムを担当するいろいろな人的な要素を、妥協することなく集めるところからスタートするように思う。

イメージした構想をこのメンバーでなら為しえるのかどうかを、真剣に自問自答しながらグループを結成する。最初は一人だけのグループかもしれないが、思いが強ければ時の経過と共に運命の偶然や必然といったものに作用されて、いつしか自分たちにしか為しえないものを創造するためのグループが自然発生する。

いろんなミュージシャンの曲にそれぞれのカラーがあるように、グループが結成されれば、そのグループにしか為しえない新たな価値の継続的創作が求められる。最終的には売れるかどうかで、そのグループが存続できるか否かが左右されてしまう。従って、時代の潮流に揉まれながらも、トレンドを感じてあるいはあえて逆らいながら、それぞれのメンバーの才能を良き方向に顕在化させ、さらにそれを無限に伸ばしてゆく仕組みを発見し実践することが大切になってくる。

  

2005 年 04 月 04 日 : Shapes of tao

道の道とすべきは、常の道にあらず。名の名とすべきは、常の名にあらず。無名は天地の始めにして、有名は万物の母なり。故に常に無欲にして以って其の妙を観、常に有欲にして以って其の徼を観る。(第一章)

古今東西問わず、世界中の人びとに永く読み継がれてきた形而上学の書としての「老子」はこんな文章から始まっている。「老子」は僅か五千字余りの文字からなる書物なのだが、そこにはものごとの本質や永遠の真理が秘めれているように思える。リズミカルで万華鏡のような陰影に富んだその箴言は、読む度にその時自分が置かれた境遇に合わせて解釈ができるから霊妙で味わい深い。

老子でいう「道」とは、万物の根源のことであって、万物を万物たらしめている原理原則のようなものらしい。しかし、これが「道」のことなんだと定義できるようなものは真の「道」ではないそうで、漠然として捉え難いもののようだ。

道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず。万物は陰を負うて陽を抱き、沖気は以って和を為す。(第四十二章)

人生を生きているとなんとなく、そんな法則のようなものが確かにあって、それが支配しているようにも感じられる。無から有を生む出すことが最大の使命であり永遠を目指しているベンチャーだからこそ、そんな形而上学に一種の憧れを抱く。

天下の万物は、有より生じ、有は無より生ず。(第四十章)

万物の源であり、無限にひろがる「道」に則って生きることができれば、少しは永遠に近づけるのかもしれない。そのためには「老子」でキーワードとなっている「無為」を理解することがちょっとしたヒントになるのだろうか。辞書で「無為」を調べると、「自然のままで人の手をくわえないこと」とある。

「自然のままに振舞うことって何なんだ?」という答えようのない疑問が生じたりするかもしれない。「老子」によれば、人間の知識というものには、ものごとを対立する概念に分類する傾向があるという。高と低、長と短、前と後、善と悪、美と醜などである。自然はこれらをどちらが優れるというわけでもなく無差別に包み込む。そんな姿勢が大切なんだろうか。しかし対立する概念の豊富さが創造の発想でもあるようなので、それを否定しきれないと思う。

「果てしなく広がる大地にあって、今役立っているのはその人が自らの足で踏んでいる部分だけなのだが、だからといってそれ以外の大地が不要ということにならない」という、「荘子」の「無用の用」の話にもあるように、傍目からは無用と思われている存在が実は役に立っていることを知るのは難しい。それを知るためのスタンスが「無為」であり、無から有を生む出すための大きなヒントにもなるような気がする。

無為を為し、無事を事とし、無味を味わう。小を大とし、少を多とし、怨みに報ゆるに徳を以てす。難を其の易に図り、大を其の細に為す。(第六十三章)

聖人はあらゆるものごとを最初から難しいものと捉えるから、結果的にどうしようもない難しいことは何も起こらないという。こういった聖人のスタンスはベンチャーでリスクヘッジするための考え方として活かすことが可能だ。

ソフィア・クレイドルではソフトウェアを作るための謂わばメタフィジックなソフトウェアを創っている。老子のいうところの一種の「道」の世界の創造を目指しているのかもしれない。それを実現するためのコツは心を限りなく澄み切った透明にする姿勢にありそうだ。

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2005 年 04 月 02 日 : 起業の動機

ソフィア・クレイドル」というベンチャーを創業してから早3年が経過している。「光陰矢の如し」にしみじみ感慨を抱く今日この頃。事務所は同じなんだけれども、創業の頃と比べて、経営の安定について隔世の感がある。その源は曲がりなりにも売れている商品の存在とマーケティングの仕組みにあるのだろうか。

ベンチャーを創める前は、「倒産」なんていう言葉とは全く無縁の大企業に所属していて、生活の面では何も心配することなく無為に日々過ごしていた。客観的な視点に立てばこんなリスキーで無謀そうに思えるプロジェクトをどうして創めたんだろうか。その理由についてまとめるのはそれなりに意味があるだろう。

何をリスクと定義するかが肝心なことなんだけれども、世間一般の人のリスクの定義からすればベンチャーってヤバイ在り方なのかもしれない。ところが、私の場合、大企業の環境にずっといることにリスクを直感してこうしてベンチャーを経営している。大企業と違って、ちょっとしたボタンの掛け違いが致命的な結末になるのがベンチャーのように思われたりする。しかし、結局のところ、それは高速道路で車を運転するのと同じこと。ある一定の基本的なルールともいえる原理原則に従って経営すればリスクをヘッジするのは十分可能だ。

個人的な経験からいえば、大企業で働くというのはその会社の長年の歴史から培われてきたフレームワーク(枠組み)の中で生きてゆくことなんじゃないだろうか。それに対して、ベンチャーとは過去に存在し得なかった、新しいフレームワークそのものを創るのが最初の重要な仕事で、知性や理性、感性など本来的に人に備わっている優れたものを総動員し、駆使し、紆余曲折しつつも想いのままに築き上げてゆくプロセスなんだと実感する。

大企業じゃなくて、ベンチャーのような組織の方が持てる力を遺憾なく発揮できる人が実際にはもっとたくさんいるような気がする。仕事の種類が違うわけだから。何も皆が皆、完成されたフレームワークで仕事をする必然性もない。世の中の進歩発展のために新しいフレームワークのレゾンデートルは測りがたいほどにある。TOYOTAHONDAPanasonic等など、いまや偉大な存在になってしまった企業もその昔はベンチャーだったのだから。

何も無いところから、そういったものを創るのは確かに困難や苦労は伴う。しかし、その想いがビジョンとしてイメージする理想形に向けてステップバイステップに少しずつ成長してゆく。そんな姿を目の当たりにするのは他に代え難い感動だ。これだけはベンチャーをやった人にしか味わえない現実であり、できれば多くのスタッフと共有したい出来事でもある。

既に確立された、立派なフレームワークで活躍する行動も尊敬すべきだろう。でも、新たなフレームワークを自分たちの色彩を添えて創り上げることができれば、社会にとって必要な異なった新しい付加価値をもたらすことになるんじゃないかと考えたりする。ソフィア・クレイドルという会社は世界広しといえども唯一無二の存在であり、他の組織と違ったアイデンティティがある。このフレームワークからしか生み出すことのできないような価値を永続的に創造してゆくプロセスこそが究極の目標といえる。

最近、個人的な趣味もかねてミュージックシーンを俯瞰していると、目まぐるしく新しい音楽が登場し、それらは確実に人びとの心を奮わせたり癒したりしているように感じる。何故かベンチャーを創めてからは、学生時代の頃のようにCDを買い求めて音楽を聴くこと多い。(CDはそれ一枚でそのアーティストのその音楽の世界を表現しているように感じるので買うことが多い。)それでこうやって日記を書いているときも音楽を流していたりする。

仕事といえばなんとなくルーチンワーク的なもののように見なしがちだが、ベンチャーでそのフレームワークを構想するには創造性がとても要求される。それだけにやりがいがある仕事だと思える。そんな意味において、きっとベンチャーの仕事は芸術家のような感性が必要なんだろう。お気に入りのミュージシャンの音楽を聴きながら、彼らからインスパイアされつつ、日々愉快に過ごしている。

自分のたちの思いの全てをフレームワークとしてかたちあるものに築き上げ、その手応えを実感するのは、ベンチャーに携わり経営する過程で最大の喜びを確かめられる瞬間だ。

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2005 年 03 月 20 日 : 顧客の創造

大企業とベンチャー」の日記でも記したように「顧客の創造」ができればベンチャーも安定し、次のフェーズへのステップも見渡せるようになる。しかし、無名のベンチャーにとって「顧客の創造」というのは言葉でいうほど簡単じゃない。

今日は、私たちが『ソフィア・クレイドル』というベンチャーでどうやってその壁を乗り越えてきたか、或いは乗り越えて行こうとしているのか、『SophiaFramework』というソフィア・クレイドル製品を例にあげて戦略的観点からまとめてみようと思う。

先ずは『SophiaFramework』についての説明から。

『SophiaFramework』とはBREW搭載の次世代携帯電話向けソフトウェアライブラリーだ。携帯電話向けユーザーインターフェースを核としているのが大きな特徴になっている。(BREWについて:BREWとは!

簡単にいってしまえば、“パソコンのWindowsのようなGUI(グラフィカルユーザーインターフェース)的な操作性を持つアプリケーションを携帯電話上で簡単に作れてしまう点”が最大の効能になっている。

携帯電話向けソフトウェア開発の業界を選択し、BREWに関する研究開発という事業に参入すると私たちが決断したのは2002年3月。KDDIがBREWのサービスを開始する一年前のことだった。その時、BREWのマーケットは日本国内には存在しなかった。世界市場を見渡しても辛うじて韓国のKTF、米国のVerizonというキャリアがBREWサービスを細々と開始し始めた程度で全く注目されていなかった。この業界の専門家の大半は、未来のすべてを託すかのようにNTTドコモiモードに集中していた。

BREWとは!の日記にも書いたように、次世代携帯電話が普及すれば、BREWはその世界的なデファクトスタンダードになりうる。それで事業をここに定めた。その時、私たちに幸いしたのは、当時はNTTドコモが世界的にも他のキャリアを圧倒していたので、BREWのコンセプトに着目し事業化しようとする人が少なかったことであろう。

一般に、ソフトウェアのデザインと開発で最も難しいのは、『ユーザーインターフェース』か『ネットワークプログラミング』ではないかと思う。私たちは先ず『ユーザーインターフェース』の部分に着目した。もともとBREWは米国で生まれたものであり、その当時アメリカの携帯電話は、日本よりも2〜3年時代遅れのものであったため、BREWが提供するユーザーインターフェースもそんな携帯電話で間に合うようなものでしかなかった。(こういうことは、世界の携帯電話事情を知らなければ意外に知られていないようだ。)日本国内の携帯電話にはメガピクセルカメラが内蔵されたり、QVGAという細かい文字や絵が描画できる液晶が搭載されいる。BREWがデフォルトで提供するユーザーインターフェースだけではそのハードウェアが持つ機能を十分に活かしきれるものではなかった。

パソコン、テレビ・ビデオ、自動車……どんなものにせよ、ユーザーインターフェースの革新と共にその利用者が圧倒的に増加し、そして利用者から支持され愛されるものになる。そこで私たちはBREWの携帯電話向けにユーザーインターフェースの革新を創造しようとした。

ベンチャーの場合、知名度のある競合他社が同じような製品を提供していると、余程の効能か営業力が無い限りそのベンチャーは生存すら困難な事態に陥る。私たちはそういった熾烈な競争を避けるために、最初は競合他社が存在しないBREWのユーザーインターフェースという、その当時極めてニッチなマーケットに照準を定めたのだった。

『GUI(グラフィカルユーザーインターフェース)』は利用者にとって使いやすくその必要性は極めて大きい。しかし、その分プログラミングも複雑で大規模となり開発は大変である。

『SophiaFramework』の研究開発の過程において、さまざまな問題に遭遇しては、それを解決して一歩一歩進むというような感じで、一進一退のペースではあったけれど着実に歩を進めていった。携帯電話の特性上、貧弱な限られたハードウェアで“使いやすく豊富かつ高機能なユーザーインターフェース”という相矛盾する課題をどうやって調和をとって解決するか、が最大のポイントであった。

そんな風にして研究開発したユーザーインターフェースだから完成までに多くの時間を要したのだけれど、その時間の差そのものが『SophiaFramework』の競争優位性となったと思う。世界マーケットにおいて、“C++というオブジェクト指向プログラミング言語”によるWindowsのようなマルチウィンドウをBREW携帯電話で可能にしているものは未だに存在していない。

そういったGUI(グラフィカルユーザーインターフェース)をBREW携帯電話で実現しようとすれば『SophiaFramework』しかない。謂わば『機能性』の希少価値を提供し、それによって顧客を創造するという戦略である。

無名で実績のないベンチャーであったにしても、そこにしか存在していなくて手に入れることができないものならば、その機能の必要性の強さに応じて売れる可能性が高まるだろう。そういったところに『顧客の創造』のヒントが隠されている。

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2005 年 03 月 12 日 : Ups and Downs

SONYのトップ人事の件を含め、最近のビジネス環境において栄枯盛衰の激しさが増しているように感じる。しかしその中にあって長年に渡って存続し、堅実に事業を伸ばしているような企業も少数派ながら存在している。

SONYの件はトップが代わるのを契機に、不透明感は残っているが変化するのは確かなことだと思う。SONYという会社は、数年前まで超優良企業と目されていただけに、世の中のビジネス環境の変化のスピードの速さとスケールの違いを改めて実感する。21世紀に入って時間の流れが加速しているかのように思うことが多くなった。それだけに栄枯盛衰が激しさを増しているのかもしれない。或いは、個々の人間や人類そのものが置かれている状況や環境がいつの間にかすっかり変化しているのに、人間だけがなかなかそれに気付けないことが多いとということなのかもしれない。

人生でそんなに滅多に体験できない創業というチャンスであるから、これを大切にし育てることを第一に考えて経営し、長年に渡って事業を堅実に伸ばしていきたいと思っている。

今の時代、大企業と雖も一瞬先は闇と言える。ましてベンチャーであればなおさらかもしれない。そんな厳しい時代にあって、参考になるのは、長年に渡って生き長らえてきたクラシックや絵画、古典、建造物などであろう。難解なところもあり、理解しがたいところもあるが、これらの芸術作品に共通するのは、欠陥というものが皆無で、パーフェクトにしかも自然に調和が図られているという点にあるような気がする。

ソフィア・クレイドル自体、創業して4年目である。組織の歯車に不足があることも事実と思う。その欠陥の一つ一つを解消していく努力こそが、繁栄する企業へと積み上げてゆくための、欠かせない部品となるのだと思う。

幸いにして、京都は歴史が長く、古き良きことから、身近にいろんなことを学べる機会に溢れている。

  

2005 年 02 月 24 日 : イノベーション

過去に存在しなかった、「新しい価値」を創造し、それを世界マーケットに広めていくのは非常識なほどの困難が伴うものだと実感する。それが無名のベンチャーであれば尚更だ。だが偉大な遣り甲斐や人生最高の目標に向かって進むことができる。

全てオリジナルな発想で事を進めることも一つの手ではあるが、歴史に学ぶのも賢明な手段だと思う。創業の時に既に所有していたものの最近になって読破した良書がある。それはクレイトン・クリステンセン著の「イノベーションのジレンマ」だ。もっと早くに読んでおけば廻り道も少なかったと思える書物だった。

この本の中でも特に注目すべきところはこんなところにあると私は思った。それは世の中に受け入れられる「新しいテクノロジー」というものは、「機能性」⇒「信頼性」⇒「利便性」⇒「価格」といった尺度の順番でそれらが実際に採用されるという箇所だった。最初はその機能があるだけで売れる。しかし、次第に信頼性が求められ、使い勝手が良いものが支持され、最終的に値段(コストパフォーマンス)の勝負となる。

創業初期の頃は、慣れない営業トークでコストパフォーマンスを強調するような最悪のマーケティングを展開していた時期もあったので、挫折感を味わうことでマーケティング戦略の誤りを速やかに理解することができた。

例えば、SophiaFrameworkという製品は、米国クアルコム社BREWというプラットフォーム上で、マルチウィンドウGUIを提供する世界で唯一のソフトウェアだ。これをコストパフォーマンスでお客さまにプレゼンするのはいかなる天才であっても苦戦を強いられるだろう。

実際にこの製品を採用されるお客さまは、BREWでGUIでクールなアプリケーションを手間暇かけずにエンドユーザーに提供できそうだという理由で、コストパフォーマンスを精緻に評価せずに採用する場合が大半だった。これは新しいテクノロジーが有益であるのならば、先ずは突出した機能そのもので売れるという実際の証明と思う。

ソフィア・フレームワークも開発を始めてからまもなく3年が経過したが、この過程においてさまざまな先進的アプリケーションの開発をお客さまと共に推進してきた。そして、実際の現場からソフィア・フレームワークに不足している機能や改善すべき点、不具合、スピードやサイズに対する要求などいろんなマーケットニーズを次のバージョンに吸収する努力を欠かさずに継続した。

結果として、ソフィア・フレームワークの信頼性というものが時間の経過と共に格段に飛躍したのだった。機能だけで売れるフェーズが過ぎれば、次は信頼性の基準でその製品は売れてゆく。だからこそ、機能だけで購入されている間に、信頼性を高める努力を怠ってはならない。できれば、使い勝手といったような利便性や低価格で提供するための段取りまで含め、先回りして戦略的に事業を展開できればベストであろう。

  
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